テイエムオペラオー
テイエムオペラオー | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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欧字表記 | T.M. Opera O | ||||||||||||||||||||||||||||||||
品種 | サラブレッド | ||||||||||||||||||||||||||||||||
性別 | 牡 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
毛色 | 栗毛 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕 | 1996年3月13日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
死没 | 2018年5月17日(22歳没) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
登録日 | 1998年6月11日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
抹消日 | 2002年1月17日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
父 | オペラハウス | ||||||||||||||||||||||||||||||||
母 | ワンスウエド | ||||||||||||||||||||||||||||||||
母の父 | Blushing Groom | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生国 | 日本(北海道浦河町) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生産 | 杵臼牧場 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
馬主 | 竹園正繼 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
調教師 | 岩元市三(栗東) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
調教助手 | 武田悟 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
厩務員 | 原口政也 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
競走成績 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル | JRA賞年度代表馬(2000年) 最優秀4歳牡馬(1999年) 最優秀5歳以上牡馬(2000年) 顕彰馬(2004年選出) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生涯成績 | 26戦14勝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
獲得賞金 | 18億3518万9000円 ※日本調教馬歴代4位(2023年現在) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
IC | L122 / 2000年 L122 / 2001年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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テイエムオペラオーは日本の競走馬。主な勝ち鞍は1999年の皐月賞、2000年・2001年の天皇賞(春)、2000年の宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念。
1999年JRA賞最優秀4歳牡馬、2000年年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬(部門名はいずれも当時)。シンボリルドルフに続いての中央競馬GI7勝、2000年の年間無敗記録を達成したことから、「世紀末覇王」の異名を持つ。長らく獲得賞金の世界記録を保持していたが、2017年のドバイワールドカップでアロゲートが優勝したことにより、その記録を同馬に譲った。2004年に日本中央競馬会の顕彰馬に選出。
戦績[編集]
デビュー前[編集]
北海道浦河町の杵臼牧場で生まれた。当馬の血統は姉にCBC賞2着のチャンネルフォーがおり、その他の兄弟の勝ちあがり率も高かったものの父・オペラハウスが当時日本でまだ良績を残していなかったサドラーズウェルズ系種牡馬ということもあり、それほど良血と呼べる血統ではなかった。また、馬体もバランスは取れていたもののこれといった特徴があるものではなかったために、牧場にいるときの同馬の評価はそれほど高いものではなかった。しかし、後にオーナーとなる竹園は牧場で同馬を見たときに「光り輝いて見えた」というほど惚れ込み、購入する事を決めた。
当時、日本軽種馬協会の種牡馬であるオペラハウスの産駒の牡馬はセリ市に出す義務があったので、竹園は1997年の10月に静内で行われたセリ市で同馬を購入した。後にGIレースを7勝して18億円余りの賞金を稼ぐ事になる同馬だが、このセリ市では竹園に競りかけてくるものは誰も出ず、竹園はスタート価格の1000万円で購入することができた。後に最大のライバルとなるメイショウドトウの購入価格は500万円で9億円以上の賞金を稼ぎ、両馬は共に購入価格の約184倍ほどもの多額の賞金を稼いだことになる。
竹園は、この馬に冠名である「テイエム」、父から名の一部をとって「オペラ」、そしてサラブレッドの王になれという思いを込めて「オー」という組み合わせで「テイエムオペラオー」と名付けた。
戦績[編集]
1998年・1999年[編集]
デビューから皐月賞制覇まで[編集]
1998年8月15日に京都競馬場で行われた3歳新馬戦(芝1600m)でデビュー、1番人気に推されたが6馬身差の2着に敗れ、骨折により休養に入った。休養明けとなる2走目の4歳未勝利戦 (ダート1400m)は4着に敗れたものの、通算3走目となる2月6日の市場取引馬・抽せん馬限定の4歳未勝利戦(ダート1800m)を5馬身差で圧勝し、未勝利を脱した。
その後は芝に戻って500万下条件のゆきやなぎ賞に勝利し、GIIIの毎日杯では4馬身差の圧勝を演じ、3連勝で初重賞制覇を果たした。その後はクラシックへの第一次登録がなかったため、追加登録料200万円を支払って皐月賞に出走登録することとなった。
皐月賞では、良血馬アドマイヤベガや重賞2連勝中のナリタトップロードなどが出走、本馬は単勝11.1倍の5番人気であった。レースでは中団後方待機から最後の直線で追い込みを見せ勝利し、初めて追加登録料を支払ってクラシックに出走し勝利を収めた馬となった。また、鞍上の和田竜二騎手や生産者の杵臼牧場にとっても、初のGI制覇となった。野平祐二はオペラオーの末脚を評して「これまでの日本競馬のレベルを超えた走り」と論じている。ちなみにクラシックの追加登録料を支払った馬では初めて勝利を収めた馬となった。
勝ちきれないレース[編集]
皐月賞馬となったテイエムオペラオーは、2冠を目指して東京優駿(日本ダービー)へ出走した。東京優駿ではナリタトップロードとアドマイヤベガに僅差で続く3番人気に推され、3強の一角とされた。当時21歳であった鞍上の和田には史上最年少でのダービー制覇の記録もかかっていた。レースでは早めに抜け出したところをナリタトップロードに競り負け、さらに後方から追い込んできた武豊騎乗のアドマイヤベガにも差されて3着に敗れた。
秋初戦は古馬が相手となるGIIの京都大賞典であったが、後方待機のまま凡走した1番人気のスペシャルウィークを警戒しすぎたことが災いしてツルマルツヨシの3着に終わった。続く菊花賞では2番人気に推された。レースは直線で後方から追い込むもナリタトップロードを交わしきれずに2着に敗れた。その後はステイヤーズステークスへ駒を進め、単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持されたが、クビ差の2着に敗れた。
この後、疲労のため一旦は回避を表明した有馬記念にも出走。この年の有馬記念にはグランプリ3連覇を目指すグラスワンダーとGI2連勝中のスペシャルウィークが出走しており、5番人気という皐月賞以来の低評価を受けた。レースでは最後の直線で一旦は先頭に盛り返し、グラスワンダーとスペシャルウィークのタイム差なしの3着に入線した。
この年のJRA賞最優秀4歳牡馬にはテイエムオペラオーが選出された。
2000年[編集]
春の重賞連勝[編集]
翌2000年は、前年の有馬記念で本格化の兆しを見せていたテイエムオペラオーにとって飛躍の年となる。
年明け初戦の京都記念で久々の勝利を得ると、続けて阪神大賞典と天皇賞(春)と重賞を連勝した。阪神大賞典ではテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロード、ホットシークレット、トシザブイらテイエムオペラオーと同期の馬たちが1着から5着を独占し、とくに人気の集中したテイエムオペラオー、ラスカルスズカ、ナリタトップロードの複勝馬券および3頭の組み合わせからなる拡大馬連馬券(ワイド)は全てが1.0倍の元返しとなった。また、天皇賞(春)も阪神大賞典と同様に2着にラスカルスズカ、3着にナリタトップロードが入り、杉本清からは「やっぱり3頭の争いになった!」と実況された。
天皇賞馬となったテイエムオペラオーは、さらに引き続き宝塚記念へも駒を進めた。宝塚記念では前年の優勝馬グラスワンダーとの二強対決が注目された。テイエムオペラオーは勝負所で仕掛けが遅れる展開となったが、最内枠発走から大外を捲り切るレースぶりでメイショウドトウらを差し切って優勝した。メイショウドトウは当時はまだ金鯱賞を制したばかりの伏兵であったが、このレースでテイエムオペラオーのクビ差の2着に健闘した。なお二強の片翼とされたグラスワンダーはレース中に左前脚を骨折、競走中止とはならなかったものの6着と惨敗。結局このレースを最後に引退となった。
古馬中長距離GIにすべて勝利[編集]
秋は京都大賞典から復帰。59kgを背負い、極端なスローペースで最後は上がり勝負のレースになるも、テイエムオペラオーは鞭を打たれることなく3F33.3の末脚を繰り出し勝利、天皇賞(秋)へ駒を進めた。
迎えた天皇賞(秋)には1988年以降1番人気が12連敗中ということによる「1番人気は勝てない」というジンクスがあり、「何が起こるかわからないのが秋の天皇賞」という雰囲気が漂っていた[1][注釈 1]。さらに当時の和田が東京競馬場での勝利経験が無い上、外枠という不安材料も存在したため、春以降2倍を切っていた単勝オッズは2.4倍となった。しかし、レースではスタート後の1コーナーで内に切れ込み加害馬となりながらも直線で抜け出し勝利を収めた。13年ぶりの秋の天皇賞1番人気馬の勝利であり、同時に史上初の中央の主要4競馬場GI制覇を達成した(中山:皐月賞、東京:天皇賞(秋)、京都:天皇賞(春)、阪神:宝塚記念)。
次走ジャパンカップでは1つ下の世代を代表する4頭(二冠馬エアシャカール、日本ダービー馬アグネスフライト、NHKマイルカップ馬イーグルカフェ、オークス馬シルクプリマドンナ)[注釈 2]との対決も注目されたが、引き続き1番人気に推され、単勝オッズは当時の支持率レコードとなる1.5倍となった。レースはスローペースで進み周囲を塞がれる展開となるも、最後にはファンタスティックライトを寄せ付けず、メイショウドトウの猛追も退けて勝利した。レース後には、ファンタスティックライト鞍上のランフランコ・デットーリが和田にハイタッチを求めて歩み寄るという珍しいシーンも見られた。同競走におけるテイエムオペラオーのパフォーマンスは国際的にも高く評価され、レーシング・ポスト・レイティングでは当時の国内最高値[注釈 3][注釈 4]となる126の評価が与えられた[2]。この勝利によりテイエムオペラオーはメジロラモーヌ、オグリキャップ、タマモクロス、ヒシアマゾン、タイキシャトルが記録していた、JRAにおける重賞最多連勝記録(6連勝)を更新した[注釈 5]。この競走中にテイエムオペラオーは他馬に蹴られて右後脚を負傷していたが、レントゲン検査の結果、骨には影響がないことが判明し、次走は古馬中長距離GI競走完全制覇を掛けて有馬記念へ出走することとなった。
有馬記念当日の朝、他馬が暴れているのを見て興奮したテイエムオペラオーは、壁に顔面を強打して鼻血[注釈 6]を出す怪我を負った[3]。岩元は出走についての判断を迫られたが、顔面が腫れ殆ど片目が塞がった状態での出走が決断された。レースがスタートすると、逃げてレースを引っ張ると予想されていたホットシークレットが出遅れてスローペースの密集した展開となり、他馬のマークが集中したテイエムオペラオーは進路を塞がれ,直線に入っても後方11番手に置かれたままであったが、坂を上り終えた辺りで馬群がばらけると、馬群の中団後方からそれを割くように末脚を繰り出し、ゴール前でメイショウドトウをハナ差捉えて勝利を辛くも収めた。なお、この苦戦を間近で観戦していた竹園オーナーは「馬も騎手も、涙が出るくらい可哀想でした」とコメントしている。
これによりテイエムオペラオーは重賞8連勝、GI5連勝を達成し、年間無敗で2000年を終えた。
天皇賞が同競走優勝馬でも再度出走できる制度に変わって(天皇賞の勝ち抜け制度の廃止)以降、当時の古馬中長距離路線のGI競走5戦(天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)[注釈 7]を完全制覇したのはテイエムオペラオーのみである。また、この年からスタートした秋季GI3競走(天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を同一年で完全制覇した馬への特別褒賞金2億円[4](内国産馬2億円、外国産馬1億円)も獲得し、JRA賞ではメイヂヒカリ、テンポイント、シンボリルドルフ以来4頭目となる満票で年度代表馬及び最優秀4歳以上牡馬に選ばれた。
2001年[編集]
天皇賞連覇とライバルの雪辱[編集]
通例なら十分種牡馬入りできる好成績だったが、翌2001年も現役で走ることになった。
2001年は主戦の和田竜二騎手が1月に落馬して鎖骨を骨折したため、産経大阪杯からの始動となった。産経大阪杯でのテイエムオペラオーは、調整のために訪れた先が大雪に見舞われて外に出ることができなかったために大幅に調整が遅れており、レース前の追い切りになっても良化の兆しは見られていなかったが、競馬ファンの多くは「それでも勝てる」とテイエムオペラオーを単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持した。しかし結果は、後藤浩輝騎手騎乗のアドマイヤボスの執拗なマークに遭い、直線では伸びを欠きトーホウドリームの4着に敗れた。
次走の天皇賞(春)では4コーナーから鞭が入りながらも勝利を収め、メジロマックイーン以来となる春の天皇賞連覇を達成した。勝ち抜け制度撤廃後、天皇賞を3勝したのはテイエムオペラオーとキタサンブラックのみである[5][注釈 8]。この勝利によってシンボリルドルフ以来となるGI7勝を達成し、次走ではそれを超えるGI8勝にも期待がかかることとなった。
各方面からは、「国内には敵う馬がいなくなったのだから、テイエムオペラオーの海外遠征を見てみたい」という声も多かったので、オーナーである竹園は「宝塚記念の結果次第で海外遠征も視野に入れる」と表明した。
GI8勝の新記録が懸かった宝塚記念では、単勝支持率1.5倍と圧倒的な人気を集めた。続く2番人気はメイショウドトウであった。レースでは、今まで僅差で惜敗してきたメイショウドトウが思い切って早めに先頭に立ち押し切る作戦をとる。一方のテイエムオペラオーは4コーナーで馬群に包まれ一瞬立ち上がってしまうという不利があり、直線で外からメイショウドトウを猛追するも2着に敗れた。ついにGI競走でも敗退、GI競走連勝記録は6でストップした。一方のメイショウドトウは悲願であったGI制覇を成し遂げた。このレースの敗北で海外遠征は白紙撤回され、秋シーズンも国内で走ることになった。
秋の不振と引退[編集]
秋シーズン初戦の京都大賞典は3歳時より鎬を削ったナリタトップロードとの対決に観衆は沸いた。レースでは後藤浩輝騎乗のステイゴールドが最後の直線走路で内から外に斜行してテイエムオペラオーに馬体をぶつけ、これに挟まれる形となったナリタトップロード鞍上の渡辺薫彦が落馬・競走中止となった。審議の結果1位入着していたステイゴールドは失格となり、繰り上げでテイエムオペラオーが1着となった。レース後、和田は今までならば完勝していたであろうメンバーに手こずったことについて、「年齢のせいか反応がズブくなっているようだ」と語った。
天皇賞4連覇の偉業に挑んだ天皇賞(秋)では前走の経験を活かして早めにメイショウドトウを捉えたものの、大外から伸びてきた1つ年下の伏兵アグネスデジタル[注釈 9]に直線で差し切られて2着。また本レースにて1年半にも及ぶテイエムオペラオー世代による中距離〜長距離GIの上位独占にも終止符が打たれた。
前走2着に敗れながらも続くジャパンカップでも断然の1番人気に支持された。レースでは、直線入口で逃げ粘るウイズアンティシペイションに馬なりのまま並びかけると最後の200mでは早めに抜け出したが、ゴール直前でジャングルポケットに差し切られて2着に敗れた。前走同様に早く抜け出し過ぎたために目標にされ交わされるという内容で、上位2頭が叩き合いの末に後続馬を突き放してはいたものの、これまで僅差で勝ち続けてきたテイエムオペラオーの競馬としては例外的な負け方であった。このレースでは常に着順が一つ違いであったメイショウドトウは5着に敗れている。
引退レースとなった有馬記念でも1番人気に支持されたが、レースでは過去最低着順となる5着に惨敗し、4着に終わったメイショウドトウにも及ばなかった。このレースを最後に競走生活を終えた。シーズン開始当初、すでにGI8勝に王手をかけておりシンボリルドルフ超えも確実視されていた同馬だったが、その快挙が成し遂げられることはなかった。
2002年1月13日に、京都競馬場でライバル・メイショウドトウと合同の引退式が行なわれ、種牡馬となる。その後、2004年4月26日、JRA顕彰馬に選出され、殿堂入りが決まり、また、同年6月にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「テイエムオペラオーメモリアル」が宝塚記念施行日の阪神競馬場の準メイン競走として施行された。
競走成績[編集]
以下の内容は、JBISサーチ[6]およびnetkeiba.com[7]に基づく。
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 距離(馬場) | タイム (上り3F) |
騎手 | 1着(2着)馬 | ||
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1998. | 8. | 15 | 京都 | 3歳新馬 | 12 | 6 | 8 | 1.5(1人) | 2着 | 芝1600m(良) | 1:36.7 (36.9) | 和田竜二 | クラシックステージ | |
1999. | 1. | 16 | 京都 | 4歳未勝利 | 16 | 6 | 12 | 3.9(2人) | 4着 | ダ1400m(良) | 1:28.0 (37.2) | 和田竜二 | ゼンノホーインボー | |
2. | 6 | 京都 | 4歳未勝利 | 10 | 2 | 2 | 1.8(1人) | 1着 | ダ1800m(良) | 1:55.6 (38.3) | 和田竜二 | (ヒミノコマンダー) | ||
2. | 27 | 阪神 | ゆきやなぎ賞 | 14 | 8 | 13 | 4.8(2人) | 1着 | 芝2000m(稍) | 2:05.3 (36.6) | 和田竜二 | (アンクルスルー) | ||
3. | 28 | 阪神 | 毎日杯 | GIII | 14 | 1 | 1 | 7.3(3人) | 1着 | 芝2000m(良) | 2:04.1 (36.7) | 和田竜二 | (タガノブライアン) | |
4. | 18 | 中山 | 皐月賞 | GI | 17 | 6 | 12 | 11.1(5人) | 1着 | 芝2000m(良) | 2:00.7 (35.2) | 和田竜二 | (オースミブライト) | |
6. | 6 | 東京 | 東京優駿 | GI | 18 | 7 | 14 | 4.2(3人) | 3着 | 芝2400m(良) | 2:25.6 (35.3) | 和田竜二 | アドマイヤベガ | |
10. | 10 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 10 | 8 | 10 | 5.5(3人) | 3着 | 芝2400m(良) | 2:24.4 (34.3) | 和田竜二 | ツルマルツヨシ | |
11. | 7 | 京都 | 菊花賞 | GI | 15 | 3 | 4 | 3.5(2人) | 2着 | 芝3000m(良) | 3:07.7 (33.8) | 和田竜二 | ナリタトップロード | |
12. | 4 | 中山 | ステイヤーズS | GII | 14 | 6 | 10 | 1.1(1人) | 2着 | 芝3600m(良) | 3:46.2 (35.8) | 和田竜二 | ペインテドブラック | |
12. | 26 | 中山 | 有馬記念 | GI | 14 | 6 | 11 | 12.0(5人) | 3着 | 芝2500m(良) | 2:37.2 (34.9) | 和田竜二 | グラスワンダー | |
2000. | 2. | 20 | 京都 | 京都記念 | GII | 11 | 7 | 8 | 1.9(1人) | 1着 | 芝2200m(良) | 2:13.8 (34.4) | 和田竜二 | (ナリタトップロード) |
3. | 19 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 9 | 1 | 1 | 2.0(1人) | 1着 | 芝3000m(稍) | 3:09.4 (35.3) | 和田竜二 | (ラスカルスズカ) | |
4. | 30 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 12 | 5 | 5 | 1.7(1人) | 1着 | 芝3200m(良) | 3:17.6 (34.4) | 和田竜二 | (ラスカルスズカ) | |
6. | 25 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 11 | 1 | 1 | 1.9(1人) | 1着 | 芝2200m(良) | 2:13.8 (35.7) | 和田竜二 | (メイショウドトウ) | |
10. | 8 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 12 | 1 | 1 | 1.8(1人) | 1着 | 芝2400m(良) | 2:26.0 (33.3) | 和田竜二 | (ナリタトップロード) | |
10. | 29 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 16 | 7 | 13 | 2.4(1人) | 1着 | 芝2000m(重) | 1:59.9 (35.3) | 和田竜二 | (メイショウドトウ) | |
11. | 26 | 東京 | ジャパンC | GI | 16 | 4 | 8 | 1.5(1人) | 1着 | 芝2400m(良) | 2:26.1 (35.2) | 和田竜二 | (メイショウドトウ) | |
12. | 24 | 中山 | 有馬記念 | GI | 16 | 4 | 7 | 1.7(1人) | 1着 | 芝2500m(良) | 2:34.1 (36.4) | 和田竜二 | (メイショウドトウ) | |
2001. | 4. | 1 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 14 | 8 | 14 | 1.3(1人) | 4着 | 芝2000m(良) | 1:58.7 (35.6) | 和田竜二 | トーホウドリーム |
4. | 29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 12 | 1 | 1 | 2.0(1人) | 1着 | 芝3200m(良) | 3:16.2 (35.5) | 和田竜二 | (メイショウドトウ) | |
6. | 24 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 12 | 4 | 4 | 1.5(1人) | 2着 | 芝2200m(良) | 2:11.9 (35.0) | 和田竜二 | メイショウドトウ | |
10. | 7 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 7 | 5 | 5 | 1.4(1人) | 1着 | 芝2400m(良) | 2:25.0 (34.1) | 和田竜二 | (スエヒロコマンダー) | |
10. | 28 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 13 | 5 | 6 | 2.1(1人) | 2着 | 芝2000m(重) | 2:02.2 (35.8) | 和田竜二 | アグネスデジタル | |
11. | 25 | 東京 | ジャパンC | GI | 13 | 5 | 6 | 2.8(1人) | 2着 | 芝2400m(良) | 2:23.8 (35.1) | 和田竜二 | ジャングルポケット | |
12. | 23 | 中山 | 有馬記念 | GI | 13 | 8 | 12 | 1.8(1人) | 5着 | 芝2500m(良) | 2:33.3 (34.3) | 和田竜二 | マンハッタンカフェ |
通算成績:26戦14勝
生涯獲得賞金:1,835,189,000円(世界歴代最高賞金獲得馬)
評価・特徴[編集]
身体面に関する特徴・評価[編集]
JRAの研究施設である競走馬総合研究所ではテイエムオペラオーを対象とした研究結果が発表された[8]。この研究で、テイエムオペラオーを平均的なサラブレッドや3歳GIホースと比較した結果、非常に心拍数が低く、大きく強い心臓を持っていたことが判明した。研究所ではこのデータを基に「テイエムオペラオーは傑出した持久力を持った競走馬であることが科学的に証明された」とコメントしている。
レーススタイルに関する特徴・評価[編集]
豊富なスタミナと長く使える脚、パワーによって実現される競り合った時の勝負強さ・道悪に対する強さを身上としていたが、一流馬としての高い瞬発力やスピードも兼ね備えていた。また、先行、差しの戦法を用いるなど比較的幅の広い位置取りを選択してレースをしていた為、テイエムオペラオーの脚質を自在と判断する者も多く、器用な馬でもあった。
野平祐二は、テイエムオペラオーの特徴は故障を心配するほどに「いつも真面目に走っている」点にあるとし、「あれだけレースに行ってしっかり走るという馬はほとんど出てこない」、「リボーやミルリーフと比較しても負けない」と評した[9]。
成績面の特徴[編集]
- 古馬の芝中長距離路線(天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・ジャパンカップ・有馬記念)を年間無敗で完全制覇した。敗戦の有無や年度を跨いでの制覇に関わらず、芝中長距離路線で古馬の混合G1競走すべてに勝利しているのはテイエムオペラオーのみである。
- G1競走を7勝しており、これはアーモンドアイ(9勝、JRA8勝 / 海外1勝)が最多を更新するまでシンボリルドルフらと並ぶ当時の最多勝利記録であった。また、G1競走7勝馬のうちではテイエムオペラオーが最も多く古馬の混合G1競走を勝利している[注釈 10]。
- 史上初めて中央競馬主場4場(東京競馬場・中山競馬場・京都競馬場・阪神競馬場)の全てでG1競走を勝利した[注釈 11]。
- 掲示板を外したことが一度もなく、G1競走で複勝圏を外したのは2001年の有馬記念のみであり、古馬になってから(2000年、2001年)のG1競走で連対を外したのも2001年の有馬記念のみで、長期間に渡り安定した成績を収めた。
- 2回先着を許したのは、同期のライバルであるナリタトップロードとメイショウドトウのみである。なお、3回以上先着した馬は存在しない。
- ジャパンカップで2年連続連対した初めての牡馬[注釈 12]であり、2022年時点では昨年度にコントレイルが達成するまで唯一の牡馬[注釈 13]であった。
人気[編集]
河村清明はテイエムオペラオーが2000年に8戦8勝の成績を挙げた際、『本来であれば、『どこまで勝ち続けるのか』といった期待がファンに醸成されるはずなのに、そういった気配は感じられ(なかった)」「テイエムオペラオーには人気がなかった」と評している[10]。吉田均も、テイエムオペラオーが勝ったレースの2着馬が「つねにメイショウドトウ、ほかでもナリタトップロードとラスカルスズカ」とバリエーションに乏しいことで、テイエムオペラオーが地味なスター性のない馬になってしまっていると述べている[11]。野平祐二はテイエムオペラオーがスターホースの割に地味で派手さがないのは毛色のせいだと述べている[11]。
以上のように、シンボリルドルフと並ぶJRA史上最多のGI7勝を記録したにもかかわらず、テイエムオペラオーに対するファンや専門家の彼への評価は決して高くない。中には「運だけしかない馬」という評価すら存在している(リンク先参照)。しかし、上に挙げたようなネガティブ要素があまりにも誇張されて過小に評価されている面、またそのあまりの強さに判官贔屓のファンにヒールとして嫌われた側面も否定できない。実際2000年から2001年にわたってのGI競争9連続連対(うち6勝)、2000年有馬記念での絶望的な位置からの驚異的な逆転劇など、決して「運だけ」の並の馬ができる芸当ではないのは確かであろう。少なくとも全盛期の2000年時に見せたパフォーマンスは歴代の最強馬達と比べても全く遜色のないものである。また大きなケガも無く、常に当時の一線級と互角に走り続けたことは賞賛されるべきである。
種牡馬成績[編集]
種牡馬となる際に、シンジケートを組んで社台スタリオンステーション入りする交渉が行われたが、不調に終わり「生産者に公平に血を提供したい」という竹園の希望により竹園が個人所有する形で種牡馬入りした。2002年はメイショウドトウと同じくイーストスタッドに繋養され、翌年からは日高軽種馬農業協同組合の門別種馬場に繋養される。2010年いっぱいで門別種馬場が閉鎖されるのにともない、同年6月にテイエム牧場の日高支場に移動。同年11月にレックススタッドへ移動した。2012年にはさらに白馬牧場(新冠町)に移動し、オーナーの意向によって所在地を非公開[12]とした上で種牡馬としての活動を行っていたが、2018年5月17日に心臓麻痺のため急死した。22歳没。当年も5頭の繁殖牝馬に種付け予定で、そのうち2頭への種付けを終えた矢先の出来事であった。
愛馬を種牡馬として成功させようという竹園の熱い情熱で、テイエムオーシャンの交配相手を2008年まですべて当馬としていたなど、竹園が所有する繁殖牝馬には積極的に交配されていた。しかし、日本では成功例が少ないサドラーズウェルズ系の種牡馬ということもあり、竹園所有の繁殖牝馬以外の交配相手となると質・頭数共にあまり恵まれなかった。
産駒は2005年からデビューしたが、デビュー直後からしばらくは勝率や勝ち上がり率が非常に悪く、フレッシュマンサイアーランキング(日本総合)では14位と苦戦を強いられた。古馬になる産駒が増えてからは成績が上向き、2007年にメイショウトッパー(半兄にメイショウボーラー)が準オープンの北九州短距離ステークスを制して初の中央競馬古馬オープン馬となった。一方で、父のオペラハウスと同様に障害戦で活躍馬を出しており、竹園の自家生産馬であるテイエムトッパズレが京都ジャンプステークスを制して中央競馬での初重賞制覇を達成、テイエムエースも東京ハイジャンプを勝った。平地では2013年2月現在中央競馬の重賞を制した馬はいないものの、オープンクラスのレースは2008年にダイナミックグロウが阿蘇ステークスで初勝利を挙げた。地方競馬でも、バグパイプウィンドが金盃を制するなど、活躍をみせている。なお、これまでのリーディングサイアーランキング(日本総合)では、2008年の37位が最高である(2012年終了現在)。
産駒の特徴としては仕上がりに時間がかかり、4歳以降に本格化する傾向が挙げられる。また、テイエムオペラオー自身は芝の中長距離で活躍した馬であるが、産駒は、短距離、ダート、障害といった父とは違う条件を得意とする馬も多い。特に障害戦ではテイエムエースやテイエムトッパズレなど本馬の父オペラハウス同様活躍馬を送り出している。
なお、オーナーである竹園が鹿児島県垂水市で牧場(テイエム牧場)を経営していることから産駒には九州産馬も多く(種付けは北海道で行っている)、初めて中央競馬の重賞を制したテイエムトッパズレも九州産馬であった。また、テイエムトッパズレが勝利した九州産馬限定新馬戦では、2着と3着にもテイエムオペラオー産駒が入線し、話題となった。
重賞勝利産駒[編集]
中央競馬重賞勝利馬
中央競馬オープン競走勝利馬
- ダイナミックグロウ(2004年産 2008年阿蘇ステークス、ほか地方競馬重賞2勝、第56回園田金盃では和田が騎乗)[15]
- テイエムキュウコー(2011年産 2013年ひまわり賞)[16]
- テイエムヒッタマゲ(2014年産 2017年昇竜ステークス、ほか地方競馬重賞1勝)[17]
地方競馬重賞勝利馬
- カゼノコウテイ(2003年産 2010年瑞穂賞・門別)[18]
- テイエムハエドー(2003年産 2006年肥後の国グランプリ・荒尾)[19]
- タカオセンチュリー(2003年産 2011年アフター5スター賞・大井)[20]
- テイエムジカッド (2004年産 2007年たんぽぽ賞・荒尾 2008年霧島賞・荒尾) [21]
- バグパイプウィンド(2004年産 2009年金盃・大井)[22]
- テイエムヨカドー(2004年産 2010年霧島賞・荒尾 2011年東京シンデレラマイル・大井)[23]
- テイエムヒッカテ(2006年産 2009年門松賞・荒尾)[24]
- テイエムハエンカゼ(2009年産 2011年霧島賞・荒尾 2011年たんぽぽ賞・荒尾)[25]
- テイエムゲッタドン(2011年産 2014年霧島賞・荒尾)[26]
- テイエムマケンゲナ(2013年産 2017年すみれ賞・佐賀)[27]
- テイエムサツマオー(2018年産 2021年飛燕賞・佐賀)[28]
エピソード[編集]
- 主戦騎手の和田竜二について
- 一流馬にはリーディング上位の騎手を騎乗させる傾向の強い現代競馬だが、テイエムオペラオーは最初に騎乗した和田竜二が引退までの全レースの手綱を取り続けた。和田はテイエムオペラオーでGI初勝利を挙げ、当時和田が所属していた岩元厩舎にとっても初のGI制覇であった。
- 一度、菊花賞の敗北に激怒した竹園正繼オーナーが岩元調教師に鞍上変更を迫ったことがあったが、岩元は和田を主戦騎手から降ろすことには一貫して反対の立場を取っていた。両者の話し合いの場で、岩元は竹園に対して「どうしても(乗り代わりを要求する)と言うなら、転厩して頂くしかありません」と説得した結果、竹園は鞍上変更の要求を取り下げ、岩元は和田の騎乗を続行させることに成功した[注釈 14]。
- 野平祐二は、「テイエムオペラオーは三冠を獲れる器で、古馬になってからももっと楽に勝てたはず」と和田の騎乗技術を批判していた。
- テイエムオペラオーの引退式で和田は「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい」と話している。
- その後、和田は関西の中堅騎手として幾多の重賞を制覇するもGⅠ競走では一歩及ばず勝利を挙げられない日々が続いたが、オペラオーの死から約1カ月半後の2018年6月24日に行われた第59回宝塚記念をミッキーロケットで制し、2001年の第123回天皇賞(春)以来、17年ぶりに中央GⅠ競走での勝利を挙げた。レース後の勝利騎手インタビューでは「オペラオーが背中を押してくれた」と感極まった様子で語った[29]。
- ジンクス
- ジンクスに強い馬であった。2000年天皇賞(秋)での勝利によって、1988年のオグリキャップ以来続いていた同レースでの1番人気の連敗記録を12で止め、また、2000年ジャパンカップでの勝利によって、1986年のサクラユタカオー以来続いていた同レースでの1番人気の連敗記録を14で止めた。岡部幸雄は「本当に強い馬にはジンクスなんて関係ない」とレース後に語っている。
- メイショウドトウ
- 2000年の天皇賞(春)から2001年の宝塚記念までの芝中長距離路線で、GIレースの1着2着がテイエムオペラオー世代の馬によって独占(うち3レースでは3着まで独占)される状態が続いた。そのうちの2000年の宝塚記念から2001年の宝塚記念までの6レースにおいて、テイエムオペラオーとメイショウドトウが1着2着に並んで入線している。2001年の天皇賞(秋)と有馬記念においてもテイエムオペラオーとメイショウドトウは隣同士の着順となっている。2001年の宝塚記念と有馬記念はメイショウドトウが先着している。この2頭は引退レースとなった2001年の有馬記念で初めて同枠に入った。
血統[編集]
血統背景[編集]
近年の高速馬場化やレース体系の短距離化の進む日本競馬界においてはあまり例のない欧州型の血統である。
父オペラハウスはキングジョージの勝ち馬、母父はブラッシンググルーム(自身は短距離馬であるものの、凱旋門賞を繰り上がり勝ちするレインボウクエストなどクラシックディスタンスに対応する産駒も輩出)と、一見欧州のクラシックディスタンスに向いた血統に見える。
しかし、母方の近親にはコジーン(BCマイル勝ち)及びドバイミレニアム(ダービーは距離が長く敗れている)がいる上、ナスルーラのインブリードを持つ母ワンスウェドの産駒には距離適性の幅が狭い短距離型が多く、姉のチャンネルフォー(1992年CBC賞2着他)は4勝全てを1400m以下で挙げている。
そのような背景を持つワンスウェドにオペラハウスを交配する事により、スタミナ補強を図った血統である。
血統表[編集]
テイエムオペラオーの血統(ノーザンダンサー系/Nasrullah4×5=9.38%、Nearco5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 *オペラハウス Opera House 1988 鹿毛 イギリス |
父の父 Sadler's Wells 1981鹿毛 アメリカ |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Fairy Bridge | Bold Reason | |||
Special | ||||
父の母 Colorspin 1983鹿毛 |
High Top | Derring-Do | ||
Camenae | ||||
Reprocolor | Jimmy Reppin | |||
Blue Queen | ||||
母 *ワンスウェド Once Wed 1984 栗毛 アメリカ |
Blushing Groom 1974 栗毛 フランス |
Red God | Nasrullah | |
Spring Run | ||||
Runaway Bride | Wild Risk | |||
Aimee | ||||
母の母 Noura 1978黒鹿毛 |
Key to the Kingdom | Bold Ruler | ||
Key Bridge | ||||
River Guide | Drone | |||
Blue Canoe F-No.4-m |
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ メジロマックイーンの1位入線・18位降着や、サイレンススズカの競走中止・予後不良などが起きており、「魔物が棲む」とまで言われていた。
- ↑ イーグルカフェのみ前走の天皇賞にて競走している。それ以外の3頭とは初競走。なおこの4頭は同競走で13 - 16着に大敗し、最弱クラシック世代と酷評されたことがある。
- ↑ 海外での競走を含めた日本調教馬への評価としてはエルコンドルパサーに次ぐ第2位。
- ↑ 2003年12月28日の有馬記念でシンボリクリスエスが記録を更新。ジャパンカップでの記録としては2006年にディープインパクトが記録を更新。
- ↑ JRA重賞の最多連勝記録としては2018年4月14日にオジュウチョウサンが障害競走重賞を9連勝して更新。平地競走におけるJRA重賞の連勝記録については、引き続きテイエムオペラオーの8連勝が最多となっている。
- ↑ 馬は口で呼吸する事ができないため鼻からの出血によって窒息死する危険性がある。
- ↑ 2017年以降はこれに大阪杯が加わり6戦に増加している。
- ↑ メジロマックイーンも3競走で1位入線を果たしているが、秋の天皇賞は降着となっている。
- ↑ アグネスデジタルは外国産馬であり、当時2頭に限られた天皇賞の外国産馬出走枠によりこのレースに出走(もう1頭はメイショウドトウ)したことにより、3歳の人気馬クロフネが除外となっていたため、不条理な非難の声を浴びながらも出走している。
- ↑ 2017年度の有馬記念にてキタサンブラックが同数勝利(大阪杯、天皇賞春連覇、天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念)を達成。
- ↑ 後に2012年にオルフェーヴルが、2014年にジェンティルドンナが、2017年にキタサンブラックが達成。グレード制施行以前の宝塚記念をG1競走と考える場合はシンザンも含まれる。ディープインパクトは2006年の宝塚記念に優勝しているが、阪神競馬場の改装により京都競馬場での代替開催であった。
- ↑ 牝馬ではエアグルーヴが1998年に達成。
- ↑ 牝馬ではエアグルーヴ、ブエナビスタ、ジェンティルドンナが達成。
- ↑ 類似の事例が1985年にシリウスシンボリの当時の主戦騎手における騎乗方法に不信感を覚えたオーナーの和田共弘と同馬の管理をしていた調教師の二本柳俊夫との間でも発生したが、こちらは話し合いに失敗し、さらにオーナー側が調教師側の方針と態度に対して激怒した結果、わずか1週間ながらも別の厩舎に転厩する事態となり、その転厩中にも厩務員組合や調教師会を巻き込んでの騒動となった(同馬はこの騒動が原因で1週間後に元の厩舎に戻ることとなったが、元の厩舎に復帰後は騒動は鎮静化したものの、この影響で同馬は予定していた皐月賞への出走ができなくなるなど、出走スケジュールが大きく狂った)。
出典[編集]
- ↑ コラム最強ヒストリーより
- ↑ “Full Result 6.20 Tokyo (JPN)”. Racing Post (2000年11月26日). 2021年5月16日確認。
- ↑ 日本中央競馬会『優駿』2009年7月号、126頁。
- ↑ “JRAのあゆみ(JRAの概要) JRA”. jra.jp. 2022年8月9日確認。
- ↑ “【天皇賞・秋】キタサンブラックが史上5頭目の春秋連覇!G1通算6勝目”. Sponichi Annex. (2017年10月29日) 2017年10月29日閲覧。
- ↑ “テイエムオペラオー 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年2月4日確認。
- ↑ “テイエムオペラオーの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2021年2月15日確認。
- ↑ “テイエムオペラオーの強さの秘密”. JRA 競走馬総合研究所 (2002年7月1日). 2006年12月6日時点のオリジナル(リンク切れ)よりアーカイブ。2002年7月確認。
- ↑ 『臨時増刊号 Gallop2000』(産業経済新聞社)p10-17
- ↑ 河村清明『JRAディープ・インサイド』(イースト・プレス) p.326-327
- ↑ a b 『臨時増刊号 Gallop2000』(産業経済新聞社)p12
- ↑ “世紀末覇王・テイエムオペラオー死す 和田竜二悲痛「天国から見守って」”. Sponichi Annex. (2018年5月20日) 2018年5月20日閲覧。
- ↑ “テイエムトッパズレ”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムエース”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “ダイナミックグロウ”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムキュウコー”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムヒッタマゲ”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “カゼノコウテイ”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムハエドー”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “タカオセンチュリー”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムジカッド”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “バグパイプウィンド”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムヨカドー”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムヒッカテ”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムハエンカゼ”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムハエンカゼ”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムマケンゲナ”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “テイエムサツマオー”. JBISサーチ. 2022年10月24日確認。
- ↑ “【宝塚記念】ミッキーロケットがV!和田騎手はオペラオー以来17年ぶりのJRA・G1制覇”. サンスポ. (2018年6月24日) 2018年6月24日閲覧。
参考文献[編集]
- 『テイエムオペラオー―孤高の王者』(廣済堂出版)
- 週刊Gallopコーナー「名馬は一日にして成らず(1) -テイエムオペラオー列伝-」