ナリタトップロード
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ナリタトップロード | |
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現役期間 | 1998 - 2002年 |
欧字表記 | Narita Top Road |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1996年4月4日 |
死没 | 2005年11月7日(9歳没) |
父 | サッカーボーイ |
母 | フローラルマジック |
母の父 | Affirmed |
生国 | 日本 北海道沙流郡門別町 (現:沙流郡日高町) |
生産 | 佐々木牧場 |
馬主 | 山路秀則 |
調教師 | 沖芳夫(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 30戦8勝 |
獲得賞金 | 9億9011万2000円 |
ナリタトップロード (Narita Top Road) は、日本の競走馬・種牡馬。競走成績は中央競馬30戦8勝で菊花賞などに優勝した。
レーススタイル[編集]
早め先頭からそのまま押し切る先行策を得意とするが、後方に構えて息の長い末脚で勝負するなど脚質は不問であった。これはナリタトップロードの大跳びで完歩の広い走法によるもので、ハイペースやロングスパートの持久力勝負に強い一方、ピッチ走法が要求される瞬発力勝負や濡れた馬場、小回りで急カーブのある中山競馬場の中長距離コースは苦手とした。騎手のレース運びに成績が左右されやすい面もあるが、有馬記念で3年連続掲示板を外す大敗を喫する、中山での代替施行となった2002年のジャパンカップで10着になる、確勝を期して臨んだステイヤーズステークスで複勝圏を外すなど、中山の中長距離コースでは成績が極端に落ちている(引退レースを香港ヴァーズに選ぼうとされたのもそのため)。逆に、京都・阪神の外回りコースや東京コースでは掲示板を外しておらず、重馬場で行われた2000年の天皇賞(秋)を除けば複勝圏も外していない。ただし得意の阪神で行われる宝塚記念には、開催が梅雨の時期と重なるため、重馬場が不得手なナリタトップロードに休養を与える方が得策という考えから一度も出走していない。
エピソード[編集]
- ファン
- 勝ちきれない競走が多かったが、常にファンから愛され続けた馬であった。陣営は当初引退レースとして国際GIの香港ヴァーズを予定していたが、ナリタトップロードが有馬記念のファン投票1位に支持されたため、陣営は香港遠征を断念しファンの期待に応える形で有馬記念出走を決断した。同年内にGIを勝っていない馬がファン投票一位に支持されたのは、極めて異例のケースといえる。結果は4着であったものの、レース終了後は勝利したシンボリクリスエスと同じような歓声が上がったという。
- 主戦騎手
- 主戦騎手の渡辺薫彦に初重賞制覇と初GI制覇をもたらしたのがナリタトップロードであり、まさに愛馬であった。特に、きさらぎ賞は、主戦騎手の渡辺にとって初の重賞勝利を収めた舞台となったことから、調教師の沖は後に、ナリタトップロードのレースの中で最も印象に残ったレースだったと言っている。また、2005年11月7日にナリタトップロードの訃報があった直後、ベストアルバムに騎乗したエリザベス女王杯での本馬場入場の紹介の際に「ベストアルバム…亡き友に健闘を誓う渡辺薫彦です。」という紹介があり、ラジオNIKKEIの競馬ニュースにも「この馬はかけがえのない存在であったので、大変ショックを受けています。今後は彼(ナリタトップロード)の分も、騎手として頑張っていかねばと思っています」とコメントを残している。