国鉄オハ61系客車
国鉄オハ61系客車 (こくてつおは61けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道が1949年から1956年まで改造した木造客車の台枠を切り接ぎ加工し、鋼製の車体を載せた客車である。「鋼体化客車」ともいう。
登場に至った経緯[編集]
木造客車の車体の脆弱性と経済性の悪さにより、1931年から鋼製客車の新製が始まったが、それから15年以上経っても木造客車は残存し、危険な状態になった車両もあった。終戦直後ということもあり、事故が多発して木造客車が粉砕し、現場は悲惨な状態となった。そこで木造客車を全廃して鋼製客車に置き替える計画が立てられたが、それには莫大な資金が必要であり、また、GHQも許可しなかった。そこで、木造客車の鋼製の台枠、台車を流用して鋼製の車体を搭載する木造客車の「鋼体化」が計画された。
概要[編集]
全長19500mm、全幅2800mmである。当初は全長17000mmとして落成する予定であったが、鉄道省ナハ22000系(木造大型客車)の台枠に標準型客車の台枠を切断、接合することで、20m級の客車となった。台車も鉄道省ナハ22000系客車のTR11の流用である。また、連結器、室内灯具の白熱灯も流用した。
車体は完全な切妻となったほか、緩急車の車掌室は客用出入口の外側に設置され、後方確認窓が設けられた。また、尾灯は車体に埋め込まれた。便所は床から一段高い所に和式便器が設置され、「汽車便所」ともいわれ、家庭にも普及した。これらは後に製造された国鉄スハ43系客車に踏襲された。室内は板張りでニスが塗られた。日除けは上昇式の鎧戸である。三等車の座席の背もたれは木張りで、シートピッチは1336mmで、鉄道省オハ31系客車の1300mmよりも広がったが、同時期に製造された鉄道省オハ35系客車の1455mmよりも狭い。これにより中間車の定員を96名とすることができた。後年、電気暖房を設置した車両は車番に2000をプラスする。また、国鉄オハ35系客車や国鉄スハ43系客車のような近代化改造車は一等車(旧二等車)を除いて施行されなかった。
木造客車からの直接改造車[編集]
スロ60[編集]
進駐軍の要請で落成した特別二等車である。従来の二等車との設備にあまりにも差があったため当初は一等車スイ60として登場する予定であったが、種々の事情で特別急行列車以外は特別二等料金をとることになった。現在のグリーン車の原型となった車両である。 この車両に限り屋根は完全な切妻とならず、車体裾が折妻となっている、台車はTR40、客用出入口は片側一個所で、内側に洋式便所と洗面所、反対側にも洋式便所と洗面所を設けた。客用窓の幅は1000mm、室内は二人掛けリクライニングシートがシートピッチ1260mmで並んでいる。このほかに車掌室と荷物保管室を設けた。後年、近代化改造を受けて、客用扉を軽量客車と同じものにしたほか、室内化粧板の張り替え、客用窓の軽合金化、室内灯の蛍光灯への取り替えを行った。冷房準備を施して登場したが、冷房化改造されずにマニ36、マニ37に改造されて形式消滅した。
スロ50[編集]
当初はスロ61として登場したが、種々の事情で本形式になった。スロ60と異なり、屋根は完全な切妻となった。客用窓の幅は700mmで、シートピッチは急行列車での使用ということで1100mmとなっている。それ以外はスロ60とほぼ同じ構造であり、後年の近代化改造、荷物車への改造も同様である。これらの構造は後にスロ51に引き継がれた。
オハ60[編集]
最初に製造された三等車である。客用窓の幅は700mmで、雨樋は客用出入口のみにある。後に一部がオハ63に改造された。
オハフ60[編集]
オハ60の緩急車である。初めて尾灯を車体に埋め込み、車掌室を客用出入口の外側に設置して後方確認窓が設けられた。
オハ61[編集]
客用窓の幅は1000mmとなった客車である。雨樋も車体と屋根の間すべてに設けられた。一部の車両は二等車オロ61、オロフ61に、緩急車オハフ61に、また、車端部をロングシート化改造車も登場した。
オハフ61[編集]
オハ61の緩急車である。車掌室は客用出入口の外側に設置されたが、オハ61からの改造車は客用出入口の内側に車掌室がある。車端部をロングシート化改造車も登場した。
オハ62[編集]
オハ61の酷寒地仕様車である。客用窓の二重窓化、車軸発電機の歯車化が行われた。
オハフ62[編集]
オハフ61の酷寒地仕様車である。客用窓の二重窓化、車軸発電機の歯車化が行われた。
オハユニ61[編集]
本州以南用の三等郵便荷物合造車である。郵便室の荷重は2トン、荷物室の荷重は3トンである。前期型と後期形では郵便区分室や窓配置が異なる。
スハユニ62[編集]
オハユニ61前期型の北海道仕様である。室内の配置や郵便室、荷物室の荷重はオハユニ61と同じである。
オハユニ63[編集]
郵便室と荷物室が共用で荷扱扉も共用の三等郵便荷物合造車である。荷重は2トンである。全車マニ60に改造されて形式消滅した。
オハユニ64[編集]
オハユニ63の北海道仕様である。オハユニ63と同様荷重は2トンで、やはり全車マニ60に改造されて形式消滅した。
スハニ61[編集]
三等荷物合造車である。客用窓の幅は1000mmで、便所、洗面所は客室と荷物室の間にある。荷重は5トンである。後に荷物室の荷重を4トンに減らしてオハニ61となった。マニ60、スユニ61に改造された車両がある。
スハニ62[編集]
北海道用の三等荷物合造車である。スハニ61の北海道仕様であるが 本形式は荷重の変更を行わなかった。
オハニ63[編集]
特別急行列車に連結されていたスハニ32を置き換えるために登場した。座席は国鉄スハ43系客車と同じもので、座席間隔もこれと同じ1470mmである。台車はTR11であるが、これは暫定的なもので、間もなく国鉄10系客車とほぼ同じTR52Aとなってオハニ36となった。
スハニ64[編集]
オハニ61に電気暖房を設置して車重が増加したため別形式となった車両である。車番はオハニ61と同じものを使用したため番号が飛んでいる。
マニ60[編集]
1800mmの両開き扉を設けた全室荷物車である。木造車から直接鋼体化改造された車両は魚腹台枠のほかに幅700mmの窓が並んでいるが、オハニ61など、合造車からの改造車は幅1000mmの客用窓が片側一個所ずつ残っている。
既存車両の改造車[編集]
オロ61[編集]
客車の新製が国鉄20系客車とオロネ10のみとしたため、長距離急行列車に使用する車両が不足した。二等車もナロ10の新製が途絶えたため、客車普通列車の気動車化によって余ったオハ61を改造して登場した。この車両の登場によって急行列車の一等車のリクライニングシート化が完了した。
オロフ61[編集]
マニ61[編集]
マニ60のTR11台車を荷痛み防止のためにTR23に変更した車両である。マニ61 101を除き、木造車から直接鋼体化改造されたマニ60からの改造であった。
運用[編集]
二等車は当初、東海道本線の特別急行列車や全国の急行列車に連結され、三等車は全国の亜幹線やローカル線の普通列車に投入された。これにより日本は他の国に先駆けて営業用の木造客車を一掃した。しかし、気動車の投入によって活躍の場が狭まり、オハ61については一等車オロ61に、合造車は荷物車マニ60に改造されたり波動用として基地で待機することが多くなった。多客期にはこれらの車両も貧弱な室内設備にもかかわらず急行列車に使用された。国鉄12系客車が登場するとこの波動用としての使命も失い、廃車が始まった。また、一等車改めグリーン車となったスロ60、スロ50は、電車化、気動車化によって運用が減少し、冷房化改造の対象からも外れて荷物車に改造された。
廃車[編集]
国鉄50系客車の登場、特定地方交通線の廃止によって運用の場が急速に狭まり、さらに昭和59年2月1日日本国有鉄道ダイヤ改正による郵便輸送、荷物輸送の合理化によって荷物車の廃車も始まり、わずかに改造された救援車も国鉄分割民営化までにほとんどが廃車となった。その後は国鉄オハニ36形客車が東日本旅客鉄道と大井川鐵道に引き継がれ、2022年現在も現役である。