中日新聞

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中日新聞(ちゅうにちしんぶん)は、日本の新聞社・中日新聞社が中部地方を中心とする地域で発行する日刊新聞である。北海道新聞西日本新聞とともに、ブロック紙3社連合を形成している。

概要[編集]

1942年(昭和17年)9月1日愛知県の二大新聞である「新愛知」と「名古屋新聞」の2紙が新聞統制により合併して「中部日本新聞」の題号で発刊、1965年(昭和40年)1月1日、題号を現在の「中日新聞」に改題。発行本社は名古屋市(名古屋本社)と浜松市東海本社)に置かれている。

両本社の報道拠点としては、豊橋、一宮、岐阜、三重、静岡に総局が置かれ、本社や総局傘下に支局、通信局、通信部が置かれている。

名古屋市を中心とする愛知県岐阜県三重県東海3県では、購読率が最も多く、岐阜県では岐阜新聞と、静岡県大井川以西の地域でも、静岡新聞と販売競争で競い合っている[注 1]。かつては、長野県南信州地方でも信濃毎日新聞と販売争いを展開していた。
発行エリアはこのほか、滋賀県福井県、長野県北中部および和歌山県新宮市に及び、中部圏から近畿圏の一部に広がっている。

朝夕刊発行だが、朝刊だけの購読も多いとされ、朝刊だけの料金も設定されている。

論調[編集]

同系列の東京新聞とともに、良くも悪くも左寄りの論調で知られる。幹部に岡田三兄弟の三男・昌也がいる(長男はイオン社長・元也、次男は民主党元代表、立憲民主党常任顧問・克也)関係で非自公に傾斜する記事が多く存在し、2009年の第45回衆議院議員総選挙直前では、当時の民主党のマニフェストを一面に掲載するなど、広報紙としての一翼を担った。反対に同党の不祥事は記事にしないことが多い。2010年の尖閣諸島沖での海上保安庁の船と中国船の衝突事件に関しても、逮捕された中国人船長を釈放した仙谷由人官房長官及び民主党(いずれも当時)を一貫して支持し、検察への圧力を指摘した当時野党の自民党を批判する論調を取った。

一方で、東京電力福島第一原子力発電所事故の対応を巡っては時の政権を激しく詰ったり、TPP消費税に反対していたりと、必ずしも一枚岩というわけでもなさそうだ。

沖縄県普天間飛行場の辺野古移設には一貫して反対しており、同様の論説を貼る沖縄タイムス及び琉球新報の記事を転載することが多い。

スポーツ記事は、中日ドラゴンズに関するリーク情報で、デイリースポーツによる阪神タイガースリーク記事の上を行く感がある。

不祥事・疑義が持たれた報道[編集]

  • 2001年4月、北陸本社の整理記者(記事や写真のレイアウトを担当)が名古屋市内のマンションを賃借して大麻を栽培したことが発覚、懲戒解雇
  • 2005年11月24日のコラムにおいて田島力東京新聞論説委員が、韓国キムチから寄生虫の卵が発見された問題について、「キムチは最近、寄生虫卵騒ぎで不評だが、なあに、かえって免疫力がつく」と記述した。
  • 2006年3月の生活部記者による無免許飲酒運転(2004年11月、免停中に車を運転して物損事故を起こし、2005年1月に免許の取り消し処分を受けたのちも摘発されるまで無免許および飲酒運転を常習していた)の件において、中日新聞はその時点では一切報道せず、公判が開かれ他メディアに報道された後の9月にようやく報道、加藤幹敏編集局長が「新聞人としてあってはならない行為で、極めて重く受け止めている。今後は社会的信頼の回復に努めたい」と、また判決後に「判決を厳粛に受け止めている。本人にあらためて猛省を促すとともに、再発防止に全力を挙げたい」とコメントした。しかしその扱いは非常に小さく朝日新聞等の他メディアが実名報道したのに対し匿名報道であった。また処分が停職3ヶ月(8月に記者職を外しデータベース部へ異動)であったために軽すぎると批判された。これはこの記者の父親が中日新聞論説主幹の田島暁であることから編集局長をはじめとする現場が配慮したためとされている。田島は現場に圧力をかけたことを否定したが10月に論説委員に降格した。また、日垣隆は一連の事態に抗議して中日新聞の連載を降板した。なお、この記者は2005年3月から1年間、署名入りで書いていた連載記事において、掲載したイラストの約8割が他社の書籍のイラストの無断転載であることが発覚。記者ではなく、上司に処分が下された。また加藤幹敏編集局長が「チェックに甘さがあり、イラストの著者と講談社、医学芸術社、読者にご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。著作権に対する管理を厳格にし、再発を防止したい」とコメントした。
  • 2006年4月3日夕刊において星野智幸の「差別はなかったか WBCがまとう暗いナショナリズム」という原稿を掲載、ワールド・ベースボール・クラシックにおけるイチロー選手の発言を人種差別だと批判した。これに対し中日新聞社に多数の抗議が寄せられ、中日新聞は後日釈明した。
  • 2007年10月30日の夕刊のコラムにおいて川北隆雄中日新聞論説委員が「アベする」という造語について「コラムニストが紹介する以前に公の場で使われていることは明らかなので、捏造ではない。つまり、捏造疑惑の方こそ捏造の疑いが濃厚だ」と捏造疑惑を否定した上で、「私は、これを今年の「流行語大賞」に推薦したい」と主張した。後日、「明らか」と断言しているにも関わらず、その根拠を示さなかったことについて取材を受けると「勘弁して欲しい」とコメントを拒否した[1]
  • 2007年11月13日に東京新聞(中日新聞東京本社)技術局制作部画像部門主任を覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で逮捕した。警視庁組織犯罪対策五課などの調べでは、路上で職務質問された際に持っていたペンケースの中に注射器が見つかり「黒いケースの中に覚醒剤が入っている」と認めた[2]。他にも「使ったことがある。どこでも買える」と供述しており、 犯罪対策五課が入手先を調べている。
  • 2007年12月11日に中日新聞東京本社写真部記者が女子高生痴漢をしたとして警視庁池袋署は東京都迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕した。調べに対して「インターネットの掲示板で埼京線の先頭車両なら痴漢ができると書いてあった」などと供述した。
  • 2008年1月14日に34歳の社会部記者が酒を飲んで車を運転し、物損事故を起こした。この記者は13日午後8時半ごろから14日午前零時ごろまで、上司宅で缶ビール数本を飲み、一旦タクシーで帰った。14日午前4時半ごろ、会社近くに止めていた車を取りに行った後、名古屋市東区の県道を運転中、ガードレールに衝突した。事故後、記者は車を放置して帰宅し、翌朝になってから愛知県警東署に届け出た。事故直後に逃走したために、飲酒運転の物的証拠が得られておらず、記者の起訴は見送られている。記者は2月1日付で降格と停職2ヶ月の懲戒処分が下された。この件において、中日新聞はその時点では一切報道せず、他メディアに報道された2月14日にようやく報道、加藤幹敏編集局長が「極めて深刻に受け止め、警察の処分を待たず速やかに社内処分した。信頼回復のため再発防止に努めたい」とコメントした。しかしその扱いは非常に小さく週刊新潮が実名報道したのに対し匿名報道であった。 また処分が停職2ヶ月であったために軽すぎると批判された。これについて片田知行編集局次長は2006年3月の生活部記者への処分が無免許・飲酒運転の常習で停職3ヶ月だったため、それより重くできなかったと説明した。この記者は東大文学部を卒業後、1995年に中日新聞社に入社。将来の社のエースと目されていた。二か月の停職が明けたのち、仕事に復帰。当初の予定通り、北京五輪の特派員として現場から記事を配信したのち、社費で韓国に語学留学した。
  • 2008年6月28日、路上ですれ違った男性を蹴ったとして、警視庁は中日新聞東京本社(東京新聞)立川支局長を暴行容疑で現行犯逮捕した。男性は転倒して左足小指の骨が折れる重傷。同庁は傷害容疑に切り替え書類送検する。容疑者は事件前、一人で酒を飲んでいた。すれ違って約10メートル過ぎてから男性のもとに戻り、「何だおまえ、ふざけるな」と言っていきなり暴行。「男性に何か言われ腹が立った」と話している[3]
  • 2008年9月6日、東京中日スポーツの記者井上学が中日新聞のコラムに、「アイムの家オープン」を欠席したビーチバレー浅尾美和に対して、「親の死に目にも会えない。プロとはそういう覚悟を持って戦う“特殊な人”だと思っている」と書いて、批判した。その後、浅尾の妹が事故で死亡したための欠席だという事が明らかになると、中日新聞に多くの批判が寄せられた。記者は浅尾の妹が死んでいる事は知らなかったとの事だが、「肉親の死よりも仕事を優先しろ」というコラムを書いたのは事実である。中日新聞は、訂正記事を出す予定だが、元の記事はネットから既に削除している。
  • 2010年5月16日、「発言」欄に那智文江を名乗る人物によるフェミニズム讃美、男性差別の投稿を掲載。最初は「ちゃんと本人と確認をとった」と説明したが、悪戯であることが発覚した。しかし掲載するにはあまりにも不適切な内容であった[4]
  • 2012年7月18日一面で『大飯原発再稼働は不要だった』と断じた。[5]18日一面の記事内では『17日の最大需要はこの夏一番の2540万kwに達した』のに対して『16日までの2週間の関西電力管内の電力需給で、最大需要は2301万kwにとどまり、出力118万kwの大飯原発3号機が再稼働しなくても、供給力を9%下回っていたことが分かった。』とあえて需要が最大であった記事前日7月17日のデータを無視した論を展開した。関西電力の5月時点の発表[6]では『原発再稼働がない場合、2535万kwに節電効果を活用した揚水発電の改善で2542万kwが最大供給』と記載されており、再稼働がなければ記事前日に停電が起きていた可能性が極めて高い。7月18日記事当日の最大需要は2555万kwであった。この記事はオンライン記事の掲載期間規定より早く7月23日には削除されている。
  • 2012年9月8日朝刊にて、スポーツ新聞やタブロイド紙でもないのに、焼き豚やサカ豚などのネットスラングを使い、インターネット上で野球ファンとサッカーファンが対立してると報道した。しかし、実際にサッカーファンだけが野球を叩いているかどうか不明であり、野球ファンがサッカーを叩いているのか不明(ただし、星野仙一や長嶋一茂など複数の野球関係者がテレビでサッカー含む野球以外のスポーツを叩いているのは事実)である。中日新聞社はプロ野球球団中日ドラゴンズを所持しているため、サッカーファンは野球がWBCで負ければいいと考えているなどと、サッカーファンを貶す記事を載せた。なお、長嶋一茂がサッカー日本代表がW杯で負けろと思っていたことや、高津臣吾がドーハの悲劇時にテレビのスタッフに負けたことを聞き「ヨッシャー」と喜んだ事実については書かれていない。

社説・コラム[編集]

  • 朝刊のコラムのタイトルは「中日春秋」(ちゅうにちしゅんじゅう)。東京新聞では「筆洗」(ひっせん)のタイトルで掲載されており、内容は同じであるが、「筆洗」は日によって「中日春秋」と違う内容になることもある。夕刊のコラムのタイトルは「紙つぶて」(かみつぶて)。東京新聞では「放射線」(ほうしゃせん)のタイトルで掲載されていたが、原発事故の影響を鑑みて中日・北陸中日新聞と同じ「紙つぶて」に改題した。
  • 2007年2月4日 社説で「インターネットには、戦後、多くの日本人が築き上げ大切にしてきたものを、責任を取らずにすむ匿名でののしる世界があります。」 「国民投票法案の審議を通じ、また七月の参院選で、日本の民主主義は元気を取り戻せるのでしょうか。まさに正念場です。」と述べている。[7]
  • 2011年9月29日 コラムで「少しでも円安ウォン高に是正できないか」とウォン定期預金を提案している。[8]当時はウォン安が韓国にとって深刻な問題であり、[9]日韓通貨スワップの増額を日本に対して求めていた最中である。[10]
  • 2012年9月20日 コラムで「民間がどんなに苦心し心通わせても、それを壊そうとするやつがいる。」[11]と述べ尖閣諸島問題に苦言を呈しているが、「それを緊張の海に変えたのはだれか。」と書かれている通り、誰に苦言を呈しているのか様々な解釈が可能な文である。

脚注[編集]

[編集]

  1. 三重県については県紙伊勢新聞と比べて普及度は高く、愛知に次ぐ地盤となっている。

出典[編集]

外部リンク[編集]