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尖閣諸島

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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尖閣諸島の空撮 (中国語)

尖閣諸島(せんかくしょとう、釣魚台列島)は、2020年時点では日本の実効支配下にあり、沖縄県石垣市登野城尖閣に属する島である。しかし、中華人民共和国中華民国も領有権を主張しており、領土問題となっている。

概要[編集]

  • 沖縄本島の北西、およそ400キロの東シナ海にある無人島群である。石垣島の北北西およそ175キロメートルに位置する釣魚島と、周囲に浮かぶ2つの小島や岩礁群である。尖閣諸島は、東シナ海を往来する船の航路標識として利用されていた。沖縄県立博物館・美術館の「渡閩航海図」など琉球国の資料や絵図には古くから描かれていた。
  • 1885年9月22日から12月5日にかけて沖縄県は尖閣諸島を調査した。この結果、無人島であり、清朝の支配下にもないと確認された。[1]
  • 1890年1月13日、沖縄県は水産事業者取締を理由として所轄編入を日本政府に上申した。
  • 1895年(明治28年)に漁業者取締の必要性から、日本政府は国標建設、沖縄県所轄を閣議決定した。
  • 1896年 古賀辰四郎氏が古賀商店八重山支店をこの地に開店し、鰹節の製造、アホウドリの羽毛採取を行い、古賀村という村が存在していた。
  • 1940年 - 再び無人島になる。[2]
  • 中国大陸まではおよそ330kmの地点に位置している。
  • 中国では以前は「釣魚嶼」と呼ばれていたが、現在では「釣魚台列島」と呼ばれている。
  • イギリス海軍が形状から「ピナクル・グループ」と名付けたのに基づき、当時の日本海軍の水路誌にも「ピンナックル島」(尖頭諸嶼)と記録されていた。明治33年(1900年)に黒岩恒が探検調査して、釣魚島、尖頭諸嶼およびその東北の黄尾嶼を総称して、尖閣諸島と名付けたと言われている。

1970年代以降[編集]

  • 2021年
    • 1月21日 - 中華人民共和国にて「海警法」が成立。武器の使用などに関して強い権限が中国海警局などを対象に与えられる見込み。2月1日に施行予定。
    • 1月24日 - 日本の岸信夫防衛相とアメリカのオースティン国防長官が電話会談し、日米安全保障条約第五条が尖閣諸島に適用される事を認識合わせした。

占領シナリオ[編集]

  • 以下の動画リンク先では、中国による尖閣諸島占領シナリオが再現されている。なお、このシナリオはあくまでも想定である。このようなシナリオの想定を行うことについてはjawp:仮想敵国#現代的事例も参照。
YouTube 動画リンク

島の一覧[編集]

北小島が3つもあるのはややこしい。

地理[編集]

周辺の主要都市および距離
杭州(600km) 上海(640km) 奄美市(670km)
泉州(500km)
台北(210km)
基隆(190km)
尖閣諸島(魚釣島) 那覇市(430km)
久米島町(340km)
高雄(470km)
台中(330km)
頭城(190km)
カラヤン島(750km)
西表島(150km)
宮古島市(210km)
石垣市(170km)


脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが尖閣諸島の項目をおカタく解説しています。