仙谷由人

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仙谷 由人(せんごく よしと、1946年昭和21年)1月15日 - 2018年平成30年)10月11日)は、日本政治家弁護士民主党政権において官房長官行政刷新担当相を歴任した。

略歴[編集]

徳島県徳島市出身。東大在学中の昭和43年(1968年)に司法試験に合格し、労働問題に精通する弁護士として活躍する。平成2年(1990年)に日本社会党から立候補して初当選し、以後当選6回を果たす。平成5年(1993年)の第40回衆議院議員総選挙で次点で落選する。平成8年(1996年)の第41回衆議院議員総選挙前に旧民主党結党に参加する。その後の選挙で返り咲いて政調会長や憲法調査会長を歴任した。

平成21年(2009年)の政権交代では、鳩山由紀夫内閣の下で行政刷新担当相に就任して税金の無駄遣いを洗い出す事業仕分けを担当し、一時的に国家戦略担当相も兼務した。平成22年(2010年6月に発足した菅直人内閣では官房長官を務め、内政や外交の政策調整を担当する。しかし自衛隊を暴力装置と発言したり、中国漁船衝突事件での政府対応の責任を問われ、同年11月参議院において問責決議が可決され、平成23年(2011年1月内閣改造で交代し、民主党代表代行に回った。同年3月東日本大震災が発生すると、政府内の被災地支援を取り仕切るために官房副長官に起用された。

しかし先年の発言や対応が影響してか、平成24年(2012年)の第46回衆議院議員総選挙において落選し、その2年後に国政からの引退を発表した。

平成30年(2018年)9月21日TBSの番組収録では元気そうな姿を見せたというが、10月11日午後10時30分、肺癌のため、東京都内の自宅死去した。72歳没。

人物像[編集]

民主党政権では「陰の首相」と呼ばれ、弁護士出身らしく政策通、論客としてならした。しかし挑発的な答弁や失言により、物議も絶えなかった。小沢一郎とは反小沢の象徴として距離をとり続けた。

弁護士時代、保坂展人が原告の「麹町中学校内申書事件」に代理人弁護士として携わった。