ナウル
ナウル共和国(ナウルきょうわこく、Nauru)とは、太平洋西部、ほぼ赤道直下に浮かぶ楕円形をしたサンゴ礁島である。国土面積は21平方キロ(日本の伊豆大島の4分の1)。人口は2011年の時点で9万人。首都はヤレン(ただし首都の概念は無く、これは非公式とされている)。人口密度は443.9/㎢。国名の由来はポリネシア語で「滝のような豪雨」あるいは「深い霧」の意味とされているが、別説もある。
概要[編集]
1798年にイギリスの捕鯨船・「ハンター号」が来航し、以後はスペインの支配下に置かれる。ところが1888年にドイツの占領下に置かれ、ニューギニア保護領の一部に編入される。第1次世界大戦でドイツが敗北した後の1920年にイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3か国により委任統治領として支配下に置かれ、第2次世界大戦が始まると一時期日本軍により占領下に置かれる。しかし1945年に日本が敗戦すると、前述の3か国による信託統治領として支配され、1968年1月31日に正式に独立を果たした。
独立後はデ・ロバートによる長期政権が続いたが、このロバートが信任投票に敗れて以来は政情が不安定化し、同時に経済不振なども始まって短期間で大統領が何人も交代する事態となる。1999年5月にイギリス連邦に加盟し、同年9月14日に国連への加盟を果たした。
この国はサンマリノ共和国より小さな「世界最小の共和国」である。島の大半が海鳥の糞が堆積したリン鉱石の恩恵を受けており、そのため長期間にわたり税金が存在せず、教育や医療、光熱費が無料とされ、さらに年金手当という名の支給を受けるなど、国民は豊かな国土に恵まれた関係から南太平洋における国家の中でも最大の富裕国としての豊かさを享受していた。国家財政のほぼ全てが全土を覆う純度85パーセントのリン鉱石であったが、2005年頃に枯渇してしまう。これにより長年にわたってナウルを潤わせていた恩恵制度は全て破綻。さらにまずかったのが長年の無税、そして労働をほとんどする概念を国民が持っていなかったことである。ナウル国民はリン鉱石の恩恵を受けている間、労働は出稼ぎにやってきた外国人が全て行なうと見ていた(事実上任せていた)ためであり、ほとんど働いている国民が存在していなかったのである。このため、リン鉱石が枯渇して恩恵制度が破綻すると、ナウル政府は慌てて小学校高学年の授業で「働き方」を教えて将来の世代に労働意欲を引き出そうという教育政策がとられている。また、長年の恩恵制度で身体をほとんど動かさずに3食を摂取していたことから、伝統的な巨躯の傾向が強く存在し、体格指数(BMI)に基づいた肥満者の比率は成人全体の78.5パーセントから90パーセントと世界一であり、国民の3人に1人が糖尿病患者であるとされている。
ナウル政府はこれらの危機を打開するため、恩恵時代にあったホテルやマンションの建設所有、証券投資を近隣諸国に対して行なうなど、海外での資産運用に励んだが失敗している。また外国の島を購入して国家ごと引っ越しする案も浮上していたが、実現せずに終わっている。
結局、働かずに資源を食いつぶして恩恵を受けられなくなったナウルは、エネルギーや電力、飲料水などのインフラ、食糧、土砂などの基幹資源は全て輸入に頼らざるを得なくなり、日本やオーストラリアなど諸外国からの無償援助が唯一の外貨獲得源となっているのが現状である。2020年、ナウル共和国政府観光局日本事務所が設立された。
経済[編集]
- 通貨単位はオーストラリア・ドル(Australian Dollar)。
- 2009年の1人あたりの国内総生産は4500米ドル。
- もともとは野菜作りなど農業は行なわれていたが、かつての経済的な恩恵で労働をしなくなったため、野菜作りができる国民がほとんどいなくなった。また経済的な恩恵から自動車は乗り捨て(修理すらしなかったとされる)、小銭を落としたままという事態が2020年の最近まで続いていたという。
気候[編集]
この国の周囲はわずか19キロ、最高点は61メートル。降雨の少ない熱帯海洋性気候で、海風の影響で1年中をしのぎやすい。
首都・ヤレンの1年の平均気温は26.7度。最高気温は9月の28.1度。最低気温は2月のマイナス25.1度で、年間降水量は935ミリである。
言語[編集]
民族[編集]
- ミクロネシア系ナウル人が58パーセント。
- メラネシア系が26パーセント。
宗教[編集]
外部リンク[編集]
政府
日本政府
- 日本外務省 - ナウル
- 在フィジー日本国大使館 - 在ナウル大使館を兼轄
ナウル政府
その他