サモア
サモア(サモアこく、Independent State of Samoa)とは、太平洋中南部、火山島のウポルとサバイイをはじめ、周辺の15の島から成り立つ島国のことである。政体は立憲君主制。国土面積は2831平方キロ(日本の東京都の約1.3倍)。人口は2011年の時点で19万3000人。人口密度は68.2人/㎢。首都はアピア(アピアの2010年時点の人口は3万6000人)。国名の由来はポリネシア語の「Sa(過去形時制辞)Moa(モア)」で、モアは創造神タンガロアの息子の名前。「モア神が治めていた地」といった意味になる。なお絶滅した巨大島・モアの名も同語源とされており、現代ポリネシア語でモアは鶏を意味する。
概要[編集]
歴史[編集]
当地には古くからサモア人の王国が存在していた。1722年、オランダ人のヤコプ・ロッヘフェーンが来航する。1899年に西がドイツ領に、東がアメリカ領に分かれて分割統治することが決定される。第1次世界大戦でドイツが敗戦した後の1919年、西側はニュージーランドの委任統治領(のちに信託統治領)に移り、1962年1月1日に西サモアの国名で南太平洋諸島で初の独立国となる。1970年にイギリス連邦に加盟する。
この国はポリネシア地域で最も伝統的な社会制度を色濃く残している。その母体となるのはマタイと呼ばれる首長に統率された大家族主義、日本で言うなら氏族制度である。つまり、戦前の家父長制度と言えばわかりやすいだろうか。「オ・レ・タマー・オ・レ・ポウツー・オ・レ・アーイガ(父は家族の大黒柱を意味する慣用句)」があるように、家父長的な伝統が脈々とこの国では受け継がれている。一族は円形で吹き抜けの大家屋(ファレ)に住み、入墨(タタウ)やアバの儀式など、古来の風習を引き継いでいる。長幼の序に対するマナーも非常に厳格で、人前をよぎる際には「ツロウ(失礼を意味する)」と一言述べてから通るのがこの国では礼儀とされている。
なお、日本ではサモアは『宝島』の作者であるイギリスの作家・ロバート・ルイス・スティーヴンソンの死没地として知られている。
このような家父長制度を母体にして、マタイにのみ選挙権が当初は与えられていたサモアでは、1990年に選挙法が改正されて女性を含む一般の成人にまで初めて選挙権が与えられることになった。ただし、この改正において与えられたのは選挙権で、被選挙権は従来通りマタイのみに限定された。1991年、この国で初となる普通選挙が実施された。
ただ、西欧の合理主義、現代文化がこの国に導入されるにつれて、次第に家父長制度や村落共同体的なファ=サモア(サモア風を意味する)などの旧来の制度に対する問題が表面化しており、またそれによる若年層の自殺者も急増して社会問題化している。
国名について[編集]
この国は1997年に国名を西サモアからサモア独立国に変更しているが、その際に同時に東側のアメリカ領サモアに対して、主権国家サモアの意で「Independent Srate」が加えられた。しかし、独立国に対して独立国の重言は安易で不自然な拙訳であり、パプアニューギニア同様にサモア国と言われる場合もある。
地理について[編集]
15の島から成る島国で、熱帯海洋性気候であるが、高温多湿で蒸し暑く、しのぎにくい気候である。
首都・アピアの年平均気温は26.3度で、最高気温が2月の26.8度、最低気温は7月の25.6度であり、年間降水量は2972ミリである。
経済について[編集]
この国は自給自足体制が経済の基礎となっており、主要産業はココナツ、タロイモ、バナナなどの農産物である。
宗教[編集]
住民[編集]
言語[編集]
通貨単位[編集]
- タラ(Tala)
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は2865米ドル(2010年)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- 日本外務省 - サモア
- 在ニュージーランド日本国大使館 - 在サモア大使館を兼轄
- 観光
- その他