エホ症
エホ症(エホしょう)とは、エホバの証人の2世信者に代表される対象個人にみられる、エホバの証人に関わったことがある人々の問題行動の総称をいう。本来は『元エホバの証人2世のサイト』発祥と思われるインターネットスラングであるが、安倍晋三銃撃事件以降、エホバの証人に限らず新宗教(統一教会)などの宗教二世の問題行動の総称である。あくまで「問題行動」を指し、思想・信条や宗教の自由に基づく心的傾向は含めない。
概要[編集]
「1960年代から現在まで延々と続く、『エホバの証人』など(統一教会や創価学会等)の子供のあるべき正しい姿」との関係において捉える必要がある。なお、以下では母体である団体を「組織」と呼ぶ。なお、「子供のあるべき正しい姿」は親が子供に求めるものであって、信者二世の心的傾向(トラウマ的に身についてしまったものとは別にするとして)とは別扱いであることに留意されたい。
独立前[編集]
「エホバの証人」におけるものとしては、
- 親子揃って長時間の聖書研究をする。あるいは「家族会議」を行なう。
- 週に3回行われる5つの集会に必ず参加する。注解の予習は完璧に行う。
- 集会では必ず注解する。答える時は大きな声ではっきりと「エホバです!」
- ムチを受けるときは自分からパンツを降ろし、ムチを受けたあとに「ありがとうございました」と言う。
- 組織の子供だから幼稚園や学校でよい成績。「あなたはエホバの証人の子供なんだから、勉強の成績が良いのは当たり前です。同じ会衆の他の子はみんなちゃんと出来るのに、何故あなたはそんな簡単な事が出来ないの?」と幼稚園時代からほぼ毎日言われる。親と子の聖書研究の時の定番のセリフ。1980~90年代は幼稚園・保育園での保育全面禁止。現在は教会、佛教系幼稚園通園禁止)
- 組織の子供だから輸血は拒否させる
- 学校の給食で、サラミ・ソーセージや鯨のような血の残った食品を食べさせない
- 七夕、お誕生日会、クリスマス会に出席しない。初節句、七五三、初詣など、異教に関係することは全部駄目
- 運動会で騎馬戦に参加させない
- 柔道、剣道などの格闘技の授業は受けさせない
- 生徒会、学級委員などの投票はさせない
- 学校で先生に証言する。幼稚園の時から、上記のイベントの前になったら、自分が何故しないのかを、共同訳聖書と憲法で保証された信教の自由を盾に先生と同級生全員の前で毎回説明して布教活動にしなければならない。そのせいで同級生にいじめられるようになったら、「迫害だ、聖書に書いてある通りだ」と思わなければならない。
- 学校で同級生に証言させる
- 学校から帰ったら夕方の布教活動をさせる。土日も布教活動をする。夏休み冬休みは全時間の布教活動をする。
- 聖書に書いてないけどマスターベーションは禁止 - 本当は、「膣外射精の禁止」である。「産めよ・増やせよ・地に満てよ」という『創世記』の教えに反するという理屈である。
- 国家斉唱、校歌斉唱の儀式で歌わせない
- インターネットは危険 - インターネットはポルノ映画と同じだという組織の警告を忠実に守り、自分の信仰のためにならないサイトは見ない。
- 就職しない - 布教活動が大事だから正業に就職しない。組織の教えを忠実に守り、アルバイトをしながら全時間の布教活動をする。
- 結婚は罪悪 - 人生の伴侶に足るべき素晴らしい異性と出会ったとしても、
- 「終わりが近いのに結婚するのはふさわしくない」
- 「独身の賜物を追い求めなさい」
- 「結婚するのは楽園で」
- 「結婚は苦労」
- 「異性に関心を持つと霊性が落ちる」
- 「結婚は全時間宣教の妨げとなる」
という、いつも集会で習う組織の教えを思い出し、布教活動に専念する。
- 老後の心配をしない。- 組織の教えを忠実に守り、一生涯を布教活動に捧げる。
- 絶対に組織をやめない。
それ以外の組織では、
- いつもよい子で、いつも敬語 - つーても自閉はおおむね敬語なので、誤解されやすい。
- テレビはサタンだから見ない(1990年代後半まで。最近は、テレビ・映画・ビデオは教養番組だけしか見ない) - 自閉もバラエティ番組は嫌いなのだが、ニュースがバラエティ化してきたので嫌い。
- 本は組織の出版物だけで充分だから余計な本を読まない。 - 自閉は読書家が多い。
- 音楽は組織の出版物か、童謡、クラシック以外はサタンだから聞かない - じつはクラシックであっても背徳的なものは多い。
- 国旗掲揚の儀式に参加させない - したがって自衛隊にも入れない。
- 塾・お稽古ごとは布教活動のじゃまだからしない
- 全ての競技系クラブにも入らせない
- 学校のクラブ活動はさせない
- 組織の構成員に学歴は必要ない - 学歴と教養はまた別なので、それはそれで認められる。
- 結婚するまでセックスをしない - それはそれで認められる。
などがある。 いわゆる宗教二世は、「私は信者じゃないから」と言いつつ、このあたりの使い分けが巧みであり、現役信者と似たような行動パターンを取ることが多く、そのため問題行動に結びつくことも多い。
親から独立後に求めること[編集]
親の歿後[編集]
組織との関連は、組織だけではなく姻戚関係など広くあるので、なかなか断ち切れない。その結果、以下のようなことが求められる。
- 組織の判断が間違ったなどと考えてはいけない。全ては自己責任。だから恨むなら自分と自分の親を恨むべき。
- 過去の組織の出版物を読めばわかるとおり、協会はあなたに行動を強制した覚えはないし、その証拠もない(組織はそんなドジは踏まない)。証拠が無いから組織には何の責任もない。
- 仮に裁判になったとしても信者は誰もあなたに協力しない。何故なら背教者に協力したら排斥になるから。
- 自分の判断で選んだ人生なのだから他者を批判してはいけない。「そういう考え方はサタンに取り付かれた背教者の考え方です」と集会で習ったはず。
- そうしないとハルマゲドンで滅ぼされてしまい、楽園に行って永遠の生命をもらえなくなる。
- だから老後になっても先の事は心配しない。今まで1回も厚生年金を払ったことがなくても生活保護は受けられる。そのノウハウは組織がちゃんと持っている。
- だから最後まで組織を信じ、自分が墓の中に入るまで組織の教えに忠実に従い行動すること。
共通した心性[編集]
- パターナリズムに依存し、「はっきりと断言し、命令する」主体を求めるが、当該人物そのものではなく、「絶対的な権威がその背後にあるはずだ」と、なんとなく感じているらしい。
- ポーラライゼーション(極性化)がある。世界はエホバとサタンと「世の人」でできており、社会はサタンに支配されつつある。
- 認知構造にバイアスがかかっている。自身はエホバの側におり、「間違っていないから、正しい」と考える
- 「世の人をサタンに近づけてはならない」という「自分は、『善意と使命感と慈悲心に溢れた人物』だ」と確信しており、それは絶対的である。したがって他者に対して威圧的かつ命令的であり、権威的である
- 「サタンである」と思ったら容赦なく搾取し、利用価値がなくなったら棄てる。いわゆるブラック企業などに見られる態度である。企業においては、「有能ではなく、会社の命令に従わない」人物は単なるエサであり、「有能であるが、会社の命令には必ずしも従わない」人物は切捨てなどの対象である。「会社の命令に従い、有能でもない」人物はいわゆる「捨て駒」であり、「有能でであり、会社の命令に従わない」人物は社畜とされる。それゆえブラック企業は“ブラック”企業と呼ばれる。
その他もろもろあるが、なまじ自閉と症状が似ているだけに始末に悪い。もともと自閉傾向のある子供が、エホ症の親に育てられた結果として発症した場合、どこに同情したらいいのか悩ましい。発達障礙児童の場合、「育てにくい子供」ではあるために、そのとき手を伸ばしたのが療育の専門家なのか宗教なのかによって結果は異なる。
カルトとの関連[編集]
これに類したカルト組織は、各組織によってノウハウを蓄積し、その組織が崩壊したり組織から「利用価値なし」として棄てられた被害者側から、加害者側のポジションに移行するケースがしばしばみられる。これはマルチ商法などにおいてもみられることである。