聖書
聖書(せいしょ、英: Bible)は、世界一のロングタイムベストセラー書籍で、世界一有名なファンタジー小説を装った歴史の書である。
- 旧約聖書 - オールド・テスタメント
- 福音書 - エヴァンゲリオン
- 新約聖書
の三部に分かれる。
「福音書」だけだと百六十ページほどしかないので、そこだけ売ってほしいと思う。
概要[編集]
「書かれたもの」という意味である。
66の書物や手紙を一冊に纏めた辞典のような分厚い本で、一般的にはそれなりのお値段で売られている。
が一冊に纏められている。
愛読者団体としてユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が挙げられ、聖典とされため「聖書」と云われるが、すでに述べたように、ただの「書かれたもの」であり「文書集」である。
熱狂的な愛読者の中には収められた記述の内容が全て真実だと思い(教条主義という)、紅海の海底調査に臨んだり[1]、遺跡調査の際の参考書として用いる者も多く、また内容は具体的な表現から幻のような抽象的表現もあり、解釈が変化することも多々あり、これは世界中で愛読者同士が争いを起こす紛争原因のひとつにもなっている。いや、謎って解いてみると真相は意外につまらんもんだよ?
これらの団体は一般人には少々難しい記述内容を読み解くにあたって内容の解釈や解読を専門にした学校を作るなどしており、熱心な内容の解析と深い考察に励む者や、その内容の実践として布教活動に励む者も出る等、著名な本として知られている。
世界一有名なだけあって、21世紀現在までにこれを元にしたさまざまな書籍、楽曲、戯曲、舞台、ドラマ、映画などの娯楽作品が生まれており、世界最古のメディアミックス作品でもある。
内容[編集]
旧約聖書[編集]
詳細は「旧約聖書」を参照
- 天地創造からイエス・キリストが生まれる前までの記録。
- 主にヘブライ語で書かれたため、ヘブライ語聖書と呼ばれる事もある。
- いろいろな予言も含まれており、イエスがどこで生まれるか等も予言されていた[2][3]。
福音書[編集]
ナザレのイエスの言行録である。読み比べてみると、「ヨハネによる福音書」で大どんでん返しを喰らって、福音書はミステリーの傑作だということが解る仕掛けになっている。
新約聖書[編集]
「マタイによる福音書」の後半は「使徒言行録」といって別立てであり、「ナントカへの手紙」とかいうのは後世の創作でしかない。
※たまに旧訳とか新訳とか新薬とか書く人がいるが、これは誤り。
「旧約」はユダヤ教の「古い契約」であり、「十戒」による。「十戒」を記した石板がどっかにあるはずなのだが、「こう書いてあった」「いや、こう書いてあった」とか言って喧嘩になった。迷惑な話である。
「新約」は「新しい契約」であり、イスラム教は「うちがいちばん新しい契約者だもんねぇ~、へっへー」という話ではあるのだが、「おまえが言ってるだけじゃん!」というのでユダヤ教徒とイスラム教徒が喧嘩をしているというのが現実である。イスラエルはユダヤ教であり、「約束の地」に戻ってきたら現地の住民はアラブ化しちゃってイスラム教徒になっていたため喧嘩をしているという、「それって国際秩序としてどうなのよ」という話であり、国連とか国家とかの話になっている。
各宗教での扱い[編集]
ユダヤ教では旧約聖書は聖典とされ、キリスト教では旧約・新約共に聖典とされる。聖書では同性愛は禁じられており、カトリックでは罪深いとされている。
写本[編集]
古来より書物を受け継ぐ方法としては、別の紙に写本するのが一般的で、昔は本ではなく巻物だった。
写本としては死海文書がなんか有名。現代だとウィキソースにパブリックドメインで巻物のように収められていたりする[4]。
翻訳[編集]
コーランのように「翻訳されたら聖典とは見なされない」ということはない。
日本語訳では以下のようなものがある。訳出方法で論争が絶えないので複数の訳を見比べる必要がある[5]。
旧約聖書中での聖書の扱い[編集]
- ヨシュアの時代
- ダビデの時代
いわゆる福音書。
- パウロの時代
- 当時の時代背景としては、福音書やパウロ書簡が聖書の新着記事として挙がってきた時代。新約聖書のカテゴリが出来た時代。
- パウロがテモテ宛に書いた「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」が印象的[10]。しかしこの聖句、自己言及的である。パウロがこの手紙の1節を書いた際に、自分が書いたこの1節の事も"聖書"に含めていたのかどうか、少々疑問が残る。一応、その内容は真ということなので自己言及のパラドックスには陥らないが[11]、狭義で考えると旧約聖書のみを指していた可能性が考えられる。
聖書自体は神ではない[編集]
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 — テモテへの第二の手紙(口語訳)3章16節
どちらかというと神は聖書を書いた執筆者側になる模様。でも上記は実際に書いたのはパウロであり、"霊感"というのが働いていたらしいので、どちらかというと自動筆記のようなものなのかもしれない。どのくらい神が書いたものなのか、その比率は100%〜0%の範囲で変動するのかもしれないが、どちらかというと神のみぞ知るという領域である。
「よみもの」にある聖書関連の記事[編集]
引用元がバラバラなので、とりあえず三つに分ける。
旧約[編集]
福音書[編集]
- よみもの:口語訳新約聖書/マタイによる福音書 (口語訳)
- よみもの:口語訳新約聖書/マルコによる福音書 (口語訳)
- よみもの:口語訳新約聖書/ルカによる福音書 (口語訳)
- よみもの:口語訳新約聖書/ヨハネによる福音書 (口語訳)
- 20:17 あたりからが白眉である。ベタニアのマリアがイエスと再会して抱きついて離さないので、イエス先生が「ええぃ、離さんかぁ! まだ死んどらんわぁっ!」と蹴っ倒す場面は「ノリ・メ・タンゲレ」と云われて宗教画の題材とされるが、そのせいで熱海の海岸で寛一・お宮の像を見たときに思わず吹いた。エホバの証人が使っている新世界訳では、この場面はカットされている。
新約[編集]
- よみもの:口語訳新約聖書/ピレモンへの手紙 (口語訳)
- よみもの:口語訳新約聖書/ヨハネの黙示録 (口語訳)
- これがまた非常に面白い。ナザレのイエスが「足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている、そのかしらと髪の毛とは雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。」という矍鑠としたジジイになって戻ってきて説教を垂れるのである。福音書を真面目に読んでいる人には「何が謂いたいのか」が透けて見えてしまうので、「この著者であるヨハネは、“最も愛された弟子”の福音書家のヨハネか?」とか思ってしまうのである。
参考文献[編集]
- 田川健三『書物としての新約聖書』(勁草書房)
- [聖書協会共同訳『聖書』引照・注付き(日本聖書協会、2018)
- ギデオン聖書
- 新世界訳
- 救世義也『ふたりで聖書を』
脚注[編集]
- ↑ 出エジプト記には「紅海が真っ二つに割れた」みたいなコトが書いてあるという説があるが、それは「葦の海」の誤訳であってナポレオン・ボナパルトが驢馬で渡ったという話がある。
- ↑ “ミカ書(口語訳)5章2節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2019年5月6日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)2章4節から6節”. ウィキソース (2019年4月29日). 2019年5月6日確認。
- ↑ 口語旧約聖書
- ↑ “ヤハウェ#日本語訳について”. エンペディア (2018年11月11日). 2019年5月6日確認。
- ↑ “ヨシュア記(口語訳)1章7節から8節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2019年5月11日確認。
- ↑ “詩篇(口語訳)119章105節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2019年5月11日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)4章4節、7節、10節”. ウィキソース (2019年4月29日). 2019年5月11日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)26章24節、31節、54節”. ウィキソース (2019年4月29日). 2019年5月11日確認。
- ↑ “テモテへの第二の手紙(口語訳)3章16節”. ウィキソース (2018年3月8日). 2019年5月11日確認。
- ↑ “自己言及のパラドックス#パラドックスでないもの”. ウィキペディア (2018年4月30日). 2019年5月11日確認。