赤ずきん

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赤ずきんとは、由来不明の民話・寓話・訓話・童話とされるが、十六世紀に生まれた古典主義派の作家による「艶笑小話(コント)」であるという説もある[1]

概要[編集]

有名なものとしては、シャルル・ペローの『マ・メール・ロア』の中の訓話としての「赤ずきん」がある。「赤ずきんという愛らしい少女が、狼に食べられてしまった」という、割合に救いのない話である。「赤ずきん」は、主にここに由来する。
同じように有名なものとして、グリム童話の「赤ずきん」がある。狼に食べられるところまでは同じだが、通りすがりの猟師に助けられる。
なお、シャルル・ペローもグリム兄弟も「ロマン派」に属している。
ここからがややこしい。「赤ずきん」の作者は、出版当初はペローではなく、息子のピエール・ダルマンクールとなっていた。同時に(ロマン派の)ペローと対立していた(古典派の)ラ・フォンテーヌがいた[2]。ひょっとしたら、「ラ・フォンテーヌら古典派の影響で息子が“薄い本”にハマっちゃった」のを阻止するために、「赤ずきん」は書かれたのではないかという疑惑がある。これが「『赤ずきん』艶笑小話説」である。

魔法の数字「三」[編集]

民話としての「赤ずきん」には、奇妙な点がある。
狼は、三度赤ずきんを追い返そうとしている。

  • 「縫い針の道か、留め針の道か」
  • 「茨の道か、小石の道か」
  • 「ボタンの道か、小鈴の道か」

という質問がそれである。 縫い針で刺されても留め針で刺されても、どっちにしろ痛い。茨の道を歩いても、小石の道を歩いても、どっちにしろ痛い。三つめは「ボタンの道」と答えると鼻を捻られ、「小鈴の道」と答えると耳を引っぱられる(当時は、両肩に鈴をつける風俗があった)。すなわち、「この先にゆくと、どっちにしろ痛い目に遭うぞ」と警告しているわけだが、赤ずきんは気にしない。
これが第一であり、次は肉とワインが出てきて、「瓜子姫」や「かちかち山」ではないが、「人肉と人の血」の暗喩である。
さらに、有名なストリップ・ティーズの場面があり、「服はどこへ置けばいいの?」「暖炉にくべておしまい。もういらないから」という場面が続く。
そしてエンディングがベッドシーンである。

表徴または隠喩[編集]

十六世紀には、いわゆる「キリスト教」においてカトリックとプロテスタントの対立があった。そのため、サンタクロースが否定された。
ところが、1604年に三大外惑星である火星・木星・土星が会合した(天球上の)場所にケプラー新星が出現したために、「キリストが再誕された」ということで、「幼子キリスト(クリストキント)がプレゼントを届けにやってくる」という説が現れた。
フランス語の「雌狼」には、「咥えこんだら離さない」という隠喩があるため、「仔羊のつもりで襲ったら、雌狼だった」という薄い本にありがちな「下剋上オチ」だったという話かもしれないが、古典主義によれば「人間の思いつくようなネタはギリシャ時代には出尽くしている」ということなので、むべなるかなと思う。
「いったん丸呑みされてから生還する」というのは、旧約聖書のヨナを下敷きにしているようにも解釈できる。
狼が交尾する前のカップリング行為を「狼の踊り」というので、その隠喩もあるかもしれない。

脚注[編集]

  1. 金成 陽一『「赤ずきん」はなぜ愛くるしいか』 (ハヤカワ文庫NF、1996/10/15)
  2. このあたりの確執は、「新旧論争」を検索されたい。