パウロ
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パウロ Paul the Apostle | |||||||||||||||||||||||||
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パウロとは、新約聖書に登場する人物の中でとりわけ目立つ特別なキャラクターである。
概要[編集]
新約聖書の中では「パウロ書簡」と呼ばれるパウロの著作が多く、とても熱心なキリスト教徒だった事が分かる。
しかしパウロがキリスト教徒になった経緯は劇的で、「選びの器」と表現されている。
経緯[編集]
もともとは「サウロ」と呼ばれるとても熱心なユダヤ教徒だったパウロは、当初はキリスト教徒をとても熱心に迫害していた。そのため、キリスト教徒達からは非常に恐れられていた。実際、キリスト教史の中で最初の殉教者とされるステファノの死に関与したという記述が聖書にもある[注 1]。そんな中、キリスト教徒の摘発に向かう旅路で「なぜわたしを迫害するのか」と強烈な光と共にイエス・キリストに語りかけられ、視力を失ってしまう[1]。
三日後、イエスの指示を受けたアナニヤという弟子がサウロの目を癒す事になった。その際の「目から鱗が落ちた」という表現は日本でも有名である。
そしたら「イエスこそ神の子である」といきなり諸会堂で宣べ伝えはじめたので、それを聞いた人たちは仰天してしまう。そしてかつて同胞だったはずのユダヤ教徒に命を狙われる事になった。
しかしやっぱり「選びの器」。地中海沿岸の諸都市を中心に宣教活動を熱心に行う事に成功したのでした。
めでたしめでたし。
その他[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ パウロ自身が「ステパノの血が流された時も、わたしは立ち合っていてそれに賛成し、また彼を殺した人たちの上着の番をしていたのです」と述べたとされている。“使徒行伝(口語訳)22章20節”. ウィキソース (2015年4月25日). 2019年2月22日確認。
出典[編集]
- ↑ “使徒行伝(口語訳)第9章”. ウィキソース (2015年4月25日). 2018年11月15日確認。
- ↑ “コリント人への第一の手紙(口語訳)7章28節”. ウィキソース (2012年7月8日). 2019年2月17日確認。
- ↑ “パウロ#思想”. ウィキペディア (2017年8月21日). 2019年2月17日確認。
- ↑ “ヘブライ人への手紙#著者”. ウィキペディア (2019年2月8日). 2019年2月17日確認。
- ↑ “【なお伝統的にパウロ書簡とされる『ヘブライ人への手紙』は近代までパウロの手によるとされていた】について”. ウィキペディア (2017年8月19日). 2019年2月17日確認。