エリトリア
エリトリア国(エリトリアこく、英語: State of Eritrea)とは、アフリカ北東部に存在する国家である。
概要[編集]
国土面積は11.8万平方キロ(だいたい日本の本州の半分)。人口は2011年の時点で593万9000人。首都はアスマラ。人口密度は50.5人/㎢。国名の由来は紅海の語源となったギリシャ語の「erythraeum(赤い)mare(海)」からであり、『エリュトラ海案内記』のエリュトラも同義とされている。
かつてはエチオピアの一部の州(または都市?)で、エチオピアに併合されていたため、エリトリア州だった。
西はスーダン、南東はジブチ、南はエチオピアと国境を接する。対岸側にはアラビア半島のイエメンとサウジアラビアがある。
公用語はティグリニャ語、アラビア語、英語。もともとエチオピアの一部だったエリトリアが、アラビア語なのは、地理的にアラビア半島のイエメンやサウジアラビア南部に近い場所に及んでいるからである。エリトリアの南東の隣国のジブチの言語がアラビア語と関係あるからでもある。
また、とても治安が悪かったり、憲法が無施行なことで有名でもある。またここ30年間選挙をしていない。
歴史[編集]
古来より、アクスム王国、ザグウェ朝、ソロモン朝と、エチオピアの諸王朝・帝国の支配下にあった。16世紀頃より沿岸部にオスマン帝国が、19世紀末にイタリアが進出、イタリアの植民地となる。第二次世界大戦の前後でイギリスの軍政を受けた後、1952年に再びエチオピア領となる。
エチオピア支配下の1962年から1993年までエチオピア北部の海岸部に存在したエリトリア州で、エリトリア独立前のエチオピアは、「エチオピア・エリトリア連邦」「エチオピア帝国」とも呼ばれていた(?)。これは、エチオピアの変遷である。
1991年5月にエチオピア北部より独立宣言。1993年5月にエチオピア北部からの分離により独立。
地理[編集]
隣接する国は以下の通り。サウジアラビアとイエメンは、海(紅海)を挟んで接している。
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府