イエス・キリスト
イエス・キリスト Jesus Christ | |||||||||||||||||||||||||||
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イエス・キリスト(英:Jesus Christ)とは、いわゆる福音書(エヴァンゲリオン)によって語られる人物であるが、「キリスト」という名が被せられた時点で偶像化されているため、歴史上の「人間としてのイエス」であるナザレのイエスとは別に論じたほうが宜しかろうと思う。
十二使徒とされる弟子がいるとされる。
福音書に登場する人物で、世界的に有名人であるが、いわゆる「聖書」にもいろいろあるので、新共同訳がいちばん信用できる。
概要[編集]
イエスは、「三位一体説」から「神の子」とされたり、「神」と言われたりするので、自分を神の子とした「犯罪者」という扱いを受けたりした。一般的には「預言者」だとされるが、「ナザレのイエス、ユダヤの帝王」(「INRI」。イエズス・ナザレウス・レクス・イウディアス)あたりが穏当ではなかろうか。
グレゴリオ暦が世界的に暦に採用され、日本では西暦と呼ばれ、世界共通の暦としておおむね認められたりと、その後の人類にかなりの影響を与えた事で知られてはいるが、世界的に標準的に採用されているのはユリウス暦である。
人物像[編集]
「女好きで酒飲みのオッサン」であり、ユダヤ教の世俗派に属しユダヤ教の「ラビ」である。
説法に下ネタを混ぜるということで、当時のユダヤ教会(サンドリオン)からは睨まれていた模様である。
福音書を見ると、群衆を諭したり、死んだ人を復活させたり(出典不明)と義人っぷりが目立つ。しかしあっちゃこっちゃから妬みを買ってしまい、冤罪により処刑されるという悲しい結果になったということになっている。バラバの方が釈放されるとか、今考えるとどうかしてると思うが、当時の状況としてはそうならざるを得なかったのだと思われる。
ギリシャ語の教養もあったらしくソクラテスについても知っていたようで、「この苦き杯を取り除けてほしい」と福音書にある。
売買春に対しては寛容であったが、自身は淋病に警戒して玄人女には手を出さなかったらしいことが福音書から窺われる。福音書に登場する女性でイエス先生と肉体関係を結んだらしき女性は二人いて、「第七の井戸(バエル・シェバ)」で出逢った女性とベタニアのマリアである。マルティン・ルターは、前者については「ヤッてる」と断じた文献が残っているという。
それもあって、マグダラのマリアがイエス先生の妻であったという話は、正文批判の観点からいうと信憑性が低い。
各宗教におけるイエス・キリスト[編集]
ユダヤ教[編集]
イエスは「犯罪者」扱いをする一派もあるが、「自らを神の子とした」としたのはいわゆる「キリスト教」のプロパガンダであり、「およそ生命を持つものは、すべて神の創造物であり、神の子である」と言っただけの話でしかない。よって「死に値する者として訴えられる」[2]というのはやりすぎである。 でも実は旧約聖書に特に通じていたユダヤ教が、最もキリストを見分けられる存在だったはずだった[3]。
佛教[編集]
イエスが仏陀に教えを乞い、それで得られた教えを広めたという説はあってもいいが、時代がかなり違うので無理筋だと思う。ただし、イエスが佛教の影響を受けていたのは間違いなく、「山上の垂訓」の「貧者の一灯」は佛教説話のひとつである。
一方阿弥陀仏の元ネタはイエス・キリストという説がある[4]。また、阿弥陀仏とはアフラ・マズダの事だろうという主張もある。そして「世自在王仏」はヤハウェを表しているという。「使徒トマスからインドを経由してキリスト教的な話が仏教化され日本に入ってきたらしい」という話はあるが、そもそも弘法大師・空海は景教系の寺院で修行したという経歴があるたね、真言宗では「うちは腐れ景教ですから」と笑っているらしい。「だいたい、法会のときに、最初に十字を切りますから」という。
というか、イエス先生はギリシャではギリシャ神話と混淆して太陽神アポロンとごっちゃにされていたので、どっちかというと大日如来ではないかと思うがどうだろうか。/br>
佛教って確か輪廻転生を信じているから、天にいたイエス・キリストが地上の人間に生まれ変わったという考えは受け入れやすいかもしれない。
キリスト教[編集]
異端であるマロン派からは「神」とされているが、正統派は「神の子」とされている。悪霊からも「神の子」と呼ばれる[5]。
復活の奇跡を行えたので、エリヤなどの「預言者」の一人と見る動きもあった[6]。
ちなみに「み子」と呼ばれ、「巫女」と勘違いされる事もある。だが男だ[7]。
イエス自身は自分を神とする事は無く、むしろ神の事を「父」と呼んだ。その事でユダヤ人から命を狙われる事になった[8]。「父」とはヤハウェの事とする意見が多い[要出典]。しかし、敬意の表現としての「父」は旧約聖書にもみられる表現であるため、実際にはかなりの言いがかりであったとも考えられる。
イエスは復活した後は人間じゃなくなった模様[9]。
イスラム教[編集]
ムハンマドの前の「預言者」の一人として重要視されている。しかし、十字架の上で死んだことをはじめとする聖書の記述は虚偽と考えられている。
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ユニタリアン[編集]
「ユニテリアン」とも称される。いわゆる「三位一体説」には疑問を持ち、「人間としてのイエス」を理解しようという一派であり、四世紀には早々に異端とされた、「元祖異端」である。それもあって、いわゆる「キリスト教社会」ではいじめに遭っていて、布教活動には熱心ではない。「ユニタリアン・ユニバーサリスト」は通称「UU」と呼ばれ、『ピーターラビット』の作者であるビアトリクス・ポターや、『かもめのジョナサン』の作者であるリチャード・バックや、『クレイマー、クレイマー』の作者エイブリー・コーマンなどが著名である。
したがって、「イエス先生が起こした『奇跡』には、何らかの科学的根拠があるはずだ」と考えるので、「癒した」というのも「治療した」の言換えでしかないと考える。
エホバの証人[編集]
- イエス・キリストが神であるとは認めていない。イエス・キリストはヤハウェの子で、あくまでも神はヤハウェとされている。
- イエスはヤハウェによって選ばれた王とされている。人間として生きた経験があるので人間を優しく扱える、とされている。
- イエスは死んで復活した後に天に上げられた[10]。そして1914年にサタンを天から地に投げ落とし、天で王として治めているとされている[11]。地上に王権を行使する時にハルマゲドンが起きるとされている。
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道教[編集]
他の神と一緒に祭られているんだとか。
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ヒンズー教[編集]
外人さんかな?
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神道[編集]
稲荷神社はイエスキリスト神社だったとか、八幡神社はヤハウェ神社だったとかいう説がある。
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無神論[編集]
「無神論」は「人格神」を否定するものであり、インテリジェンス・デザイン説を否定し進化論を認めるという立場であり、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教も無神論寄りである。
その立場からいうと、「イエスは人間である」というのが結論である。
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偶像崇拝[編集]
アイドル。だけど処刑道具である十字架の方が有名だったりする。
もしイエスが十字架ではなくギロチンで処刑されていたとしたら、小さいギロチンをお守りのように首から下げたりするのかもしれない。
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レギオン[編集]
- 『いと高き神の子イエス』[12]。
- 『神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください』[13]とイエスに懇願する辺り、レギオンは「神」と「イエス・キリスト」を別個の存在として認識しているらしく、三位一体を知らないと見える。また、レギオンはイエスより下位の存在で、神はイエスより上位の存在となる模様。
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能力の限界について[編集]
イエスは神とされることもあるが、少なくとも人間だった時にはその能力には限界があったため、全知全能ではない事が分かる。
- 自分の力が抜けていく事を察知はできたが、誰が触れたのか分からなかった[14]。
- 祈る必要があった。父の心の全てを把握してはいなかった[15]。
- 父しか知らない事がある事をイエス自身も認めていた[16]。
ミカエルとの同一説について[編集]
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言った時にイエスと名乗っているから[17]、天に行ってもイエスはイエスって事でいいんじゃないかな?
キリスト教の開祖節について[編集]
イエス・キリストが地上に登場した当時のユダヤ教的には、旧約聖書中で予告されていたメシアがイエス・キリストであるという事になっていたのだが、それを受け入れたグループと受け入れなかったグループがあって分裂したと考えた方が分かりやすいかもしれない。
キリスト教はイエス・キリストを受け入れたユダヤ教で、キリスト死別後のユダヤ教はイエス・キリストを受け入れなかったユダヤ教と考えれば、共通の土台は旧約聖書と分かる。
そう考えると、キリスト教が分裂しているのは、ある考えを受け入れたグループと受け入れなかったグループがあって分裂したと考えれば分かりやすいかもしれない。なんでこんなにも分裂できるのかはサタンの影響と考えれば納得はできる。
イエスは誰宛に遣わされたのか[編集]
『わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない』[18]と述べていたので、恐らくイエスはイスラム諸国宛てには遣わされていない。イスラム諸国宛てに誰かを遣わすとしたら、イエスではない別の人、という事になると思われる。
イエスの政治思想[編集]
- 1世紀当時のイエスは政治には関心が無かった模様[19]。
- 以下のように述べているので、ある意味資本主義?
天に、宝をたくわえなさい。 — マタイによる福音書(口語訳)6章20節の最後
- 以下のようにも述べているので、たぶん愛国者でもある?
まず神の国と神の義とを求めなさい。 — マタイによる福音書(口語訳)6章33節の冒頭
- 「神の国とはつまりjawp:神の王国の事で、政治の形態は君主制と見られている。『御国がきますように。』と祈るよう主の祈りで教えている点から、地球上に到来すると予見されている」と唱えるプロテスタント系(あるいは新宗教・新新宗教)の教派もあるが、「天の国はもう来ている」(「天国は近づいた。汝ら悔い改めよ」と訳されていることが多い)と考える一派もいる。ジョン・レノンの「イマジン」は、福音書の洗礼のヨハネ(英語だと「ジョン」)に対するオマージュである。「天国は、ない。ただ空があるだけ」は、べつに無神論ではない。
- 「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と言っていたので武装しない事が目標のようには見えるが、しかし剣の携帯は許していたので、軍隊については所持はしていてもできれば攻撃はしたくない、というスタンスなのかもしれない。
- 「反対しないものは味方」という見方らしい[22]。賛成もしないけど反対もしない中立な立場は味方と見るのか?
脚注[編集]
- ↑ ヨハネによる福音書(口語訳)8章58節
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)26章63節から66節”. ウィキソース (2018年5月29日). 2018年12月26日確認。
- ↑ jawp:旧約聖書に預言されたキリスト
- ↑ “阿弥陀仏の元はイエス・キリストだった(久保有政・解説)”. Youtube (2019年11月16日). 2020年4月12日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)8章28節から29節”. ウィキソース (2018年5月29日). 2018年12月26日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)16章13節から16節”. ウィキソース (2018年5月29日). 2018年12月26日確認。
- ↑ “マタイによる福音書(口語訳)1章21節から24節”. ウィキソース (2018年5月29日). 2018年12月26日確認。
- ↑ “ヨハネによる福音書(口語訳)5章17節から18節”. ウィキソース (2018年2月10日). 2018年12月26日確認。
- ↑ 使徒行伝(口語訳)13章34節以降
- ↑ “ルカによる福音書(口語訳)#第24章”. ウィキソース (2018年11月1日). 2019年7月14日確認。
- ↑ “9. 世の終わりは近づいていますか”. ものみの塔 オンライン・ライブラリー. 2019年7月14日確認。
- ↑ “マルコによる福音書(口語訳)5章1節から9節”. ウィキソース (2019年10月18日). 2019年12月22日確認。
- ↑ “マルコによる福音書(口語訳)5章7節”. ウィキソース (2019年10月18日). 2019年12月22日確認。
- ↑ ルカによる福音書(口語訳)8章43節から48節
- ↑ マタイによる福音書(口語訳)26章39節
- ↑ マタイによる福音書(口語訳)24章36節
- ↑ 使徒行伝(口語訳)9章4節から5節
- ↑ マタイによる福音書(口語訳)15章24節
- ↑ “ヨハネによる福音書(口語訳)6章15節”. ウィキソース (2018年2月10日). 2018年12月26日確認。
- ↑ マタイによる福音書(口語訳)19章21節
- ↑ ルカによる福音書(口語訳)12章21節
- ↑ ルカによる福音書(口語訳)9章50節