地方官会議
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地方官会議(ちほうかんかいぎ)は明治時代に太政官が開催した府知事・県令からなる会議である。1875年1月から2月に大久保利通、下野した木戸孝允、板垣退助の間で開かれた大阪会議で漸進的に立憲政体に向かっていくこと、木戸・板垣が参議に復帰すること、などを三者で合意したため、将来の立憲制導入が意志決定された。議会設置までの代替機関が地方官会議であり、人民に代わって地方官により構成された過渡的な意思決定機関である。1881年12月の国会開設の詔(国会開設予告)により廃止された。実質的には官選の事務官会議であった。
第1回会議[編集]
1875年6月20日に第一回地方官会議が開催され、明治天皇が開会式の詔勅を下賜した。議長は木戸孝允であった[1][2]。
1978年6月の第二回会議の議長は伊藤博文となり、府県会規則、地方税規則、郡区町村編制法などが定められた。