言葉狩り

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言葉狩り(ことばがり)は、特定の言葉の使用を自粛する社会的規制を否定的に表現した言葉である。「狩る者」と「狩られる対象(獲物)」がいてこそ成立する。とはいえ「狩られた獲物」をトロフィーとして飾るわけでもなく、最終的には「絶滅させる」ことが目的であり、対象が「言葉」というよりも「その表現をした人間あるいは思想」であるため、実質的には「人間狩り」「思想統制」である。

概要[編集]

その社会で支配的なイデオロギーに対立するイデオロギーの用語が過度に規制された場合や、特定の、被差別集団(部落解放同盟等)の抗議に対して公共報道機関などがその用語を放送禁止用語として自主規制をした場合に、これを行き過ぎとして揶揄または否定的にとらえる文脈で使用する。
差別語に関連して用いられる場合はマスコミ各社、教育機関、政府が差別語の不使用という点で一致していることからはじまった不使用運動が揶揄または否定的にとらえる文脈でこのように呼ばれる。また、背後にはその語を差別語とみなすか否かの議論もからみあう。
現代日本では主にいわゆる「差別用語」とされる語を一般的な用語に言い換える。言葉狩りという語はこれを強制する風潮を指し、実際に言い換えを筆者が拒否する場合には出版社放送局などがその文章雑誌に掲載しないことがある。このことから出版後に訴訟が起きて用語使用の是非が議論された例もある。

何をもって言葉狩りとするかは、差別そのものと同様、用語が使用された場合ごとの関係者の主観に基く部分が大きい。規制が過剰あるいは不適切と考える立場からそのような用語規制を否定的な意味合いで言葉狩りと呼ぶ。

放送禁止歌[編集]

歌詞があまりにも不適切な場合これを放送しないことがある。太平洋戦争前のインターナショナルが有名であるが、戦後は各放送局の要注意歌謡曲指定制度が設けられ、1983年まで自主規制が行われた。手紙 (岡林信康の楽曲)悲惨な戦いヨイトマケの唄竹田の子守唄が該当する。

筒井康隆と「言葉狩り」[編集]

言葉狩りという用語は、1993年(平成5年)に起きた筒井康隆の作品「無人警察」における一連の事件の中で扱われ世間に浸透した[1]

角川書店発行の高校国語の教科書に収録されることになった『無人警察』内のてんかんの記述が差別的であるとして、日本てんかん協会から抗議を受け、数度交渉を行ったのちに決裂(後、筒井個人と団体間で解決)。『無人警察』では近未来管理社会を皮肉る舞台になっており、速度検査機・アルコール摂取量探知機・てんかんなどを検知する脳波測定器が付いている巡査ロボットが運転手を取り締まっているとして登場したために、[2]てんかんをもつ人々への差別的な表現があるとして日本てんかん協会に抗議された。このとき、筒井の自宅には嫌がらせの電話や手紙が殺到したという[3]。さらに角川書店が無断で『無人警察』を削除したことに怒り、月刊誌噂の眞相』に連載していたマスコミ日記「笑犬樓よりの眺望」上で断筆を宣言。その動機について、内田春菊との対談で「いままで、いろんないやなことがあって、自主規制の問題なんかでも担当者にいやな思いをさせたけど、いちばんいやだったのは僕だったし、家族にまではそれは及ばなかった。でも、今度の場合は、家族や親戚にまで波及した」[4]「今回は家族や親戚を守るためなんです」[4]と語っている。また、瀬戸内寂聴との対談では「断筆宣言以前から、一方的に新聞にてんかん協会の抗議文が載りましたんで、文芸誌とかミニコミ誌とか読まない近所の人たちの中には、私の家族を犯罪者の家族を見るような目で見る人もいた」[5]と語っている。同じ時期に筒井の母が急性心筋梗塞で死去したため、「(てんかん協会の抗議に関わる心労が)亡くなったのにもいささか関係があったんじゃないかと思いますけれども」[5]とも述べている。

断筆宣言は業界内でも賛否両論を起こし、友人である大江健三郎(息子の大江光は癲癇の症状を持っている)からは、読売新聞紙上で「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」との批判を受けている。また大江は、「自らを炭坑内の有毒ガスにいち早く反応して危険を知らせるカナリア[6]になぞらえた筒井を「太ったカナリア」と揶揄している[7][8]。この他、吉本隆明[9]金井美恵子[9]浅田彰[10]絓秀実[9]柄谷行人[9]渡部直己[9]村上龍[11]三田誠広[11]島田雅彦[11]田中康夫[11]志茂田景樹[11]中野翠[11]などから批判を受けたため、筒井は「断筆して以後、『文壇』というものがある、とよくわかった。去って行く者に追い打ちをかけたり、つばを吐きかけたり、反感がすごい」[12]「ぼくを中傷することによって自分が浮上することだけを考えている。今までぼくを認めるようなこと言っていたやつまでですよ」[13]と慨嘆した。特に絓秀実は『文学部唯野教授』の中にエイズ患者への差別描写があると部落解放同盟に注進し、筒井への糾弾を促した(ただし糾弾には至っていない)。一方、筒井を擁護した側には、曾野綾子瀬戸内寂聴安岡章太郎柳瀬尚紀平井和正マッド・アマノ小林よしのり石堂淑朗井上ひさし内田春菊柘植光彦清水良典井沢元彦夢枕獏大岡玲たちがいた[11]。しかし「筒井の尻馬に乗って表現の自由をうんぬんしている作家たち」という岡庭昇や、みなみあめん坊(部落解放同盟大阪連合会池田支部代表の南健司)の発言が出てきたため、小林よしのり以外はみな沈黙してしまったという[11]

同年10月、断筆に至る経緯を記した『断筆宣言への軌跡』を刊行。同年10月14日にはテレビ朝日朝まで生テレビ」特集「激論!表現の自由と差別」にゲストパネラーとして出演し、『無人警察』問題について自らの立場を主張すると共に、かつて『週刊文春』1985年5月9日号のコラム「ぴーぷる欄」における「"士農工商SF"というカーストがあるくらいで、SF作家が晴れの舞台を踏むことはまだ稀ですからね」[14][15]との発言をめぐり部落解放同盟から糾弾されかけたことを明らかにした[16]。これは日本文壇におけるSF作家への差別を自虐的に語った言い回しだが、そもそも「士農工商穢多非人」という熟語は知らなかったので部落を揶揄する意図はなかったと、このとき筒井は小森龍邦に釈明している。筒井は以前「士農工商提灯屋」という表現に接したことがあり、洒落た表現なのでいつか使ってみようと思っていたとも、この番組で語っている。断筆宣言の直接な原因は団体の抗議では無く、事勿れで言い換えや削除を行う出版の現状と、同じ作家(文壇)でも安易な批判や騒ぎに便乗する者など、援護や擁護する動きが全く見られなかった事に業を煮やし、1993年9月、「私、ぷっつんしちゃいました」と断筆宣言に至った。[17]

1994年(平成6年)8月30日、岡山で開かれた部落解放西日本夏期講座(主催・部落解放研究所)のシンポジウム「差別問題と『表現の自由』」に基調講演者として出席。小林健治によると「これまで、多くの作家がその著作のなかで差別表現を指摘され、抗議を受けたが、抗議された作家が、みずから被差別運動団体の集会に出席して自分の意見をのべるというのは、初めての出来事だった」という[18]。シンポジウムの冒頭の自己紹介で筒井は「差別者の筒井です」と言い放ち、2000人の出席者から万雷の拍手を受けたとされる[18]

同年11月7日、日本てんかん協会との間で書簡の往復による「合意」にこぎつけ、記者会見で内容を発表[19]。内容の骨子は

#将来の作品で問題があれば、協会は物理的な圧力を含まない公開の言論活動で「批判」をする。
  1. その場合、要求は削除や書き直しでなく「新たな表現による弁明」とし、結論は筒井氏の判断にまかせる。
  2. 以上のことは筒井氏だけでなく、すべての表現者に適用される。

というものであった[19]。「差別表現」に対する従来の対処は、被差別者側が気の済むまで糾弾を続け、差別者とされた側がひたすら謝罪し要求を受け入れるという硬直したやり方しかなかったところ、筒井と日本てんかん協会が双方の見解の相違を残しつつ合意と妥協に知恵をしぼった点は高く評価されたが、旧来の部落解放同盟的な糾弾路線を支持する人々からは反発を買った[19]。日本てんかん協会との和解について、朝日新聞社社会部の本田雅和や作家の塩見鮮一郎から『朝日新聞』紙上で激しく糾弾された筒井は、「どんな作品書いたのか誰も知らないような塩見鮮一郎なんて作家」「(日本てんかん協会との間の)往復書簡ろくに読まないでコメントしてる。解放同盟やてんかん協会が『よし』としてることにまで反対して、自社の自主規制を正当化しようとして、被差別団体以上の激しさでぼくを糾弾してくる」[20]と批判している。

その後、てんかん患者の運転するクレーン車が暴走し、小学生6人が死亡する事故が起きた。
差別用語も参照のこと。

言い換え[編集]

ある差別表現が使用される歴史的・社会的文脈を無視した言い換えが強制される場合には表現の自由が侵害されることにもなりかねず、特に文学作品など表現の独自性が問われる分野で問題になる。この場合その表現(描写などを含む)が人権侵害にあたるか否か及び公共の福祉に反するかどうかが問われねばならないが、しばしば感情的に扱われ、耳慣れない新語の不自然さや人権擁護団体の感情的な論調が風刺されることがある(人権屋も参照)。差別表現を批判する側からも、言葉狩りによる単なる用語の言い換えや使用禁止を行うだけでは差別の実態を有耶無耶にする事になり、真の差別撤廃から遠ざかる事になる、という批判がある。

一般的に差別表現は差別の結果生まれるものであり、差別の原因ではない。一見言葉が原因で差別が生まれると思われるときも、基本的には差別感情が先に存在する。その点を看過し、言葉という枝葉末節にこだわるあまり、差別の実態という本質を見失う。すなわち、差別を解消するために代替用語を用いても、差別感情が解消しない限り代替用語自体が差別用語化する可能性がある。代替用語がまた差別用語となる一例として、学校で備品の管理や設備の維持にあたる人への用語問題が挙げられる。「小使いさん」との呼び方は差別的だとして「用務員」と言い換えられた。しかし現在ではその「用務員」も差別的とされるようになり、「校務員」や「管理作業員」といった新造語に置き換える動きがあるが、その呼称の対象に対する意識は変化していないという批判がこれにあたる。用語を用いる側と用いられる側の意識の問題であるだけに、用語の言い換えのみをもって意識の変革を求めることは容易ではない。同様に「かたわ」などを「身体障害者」に言い換えたものの、短縮形の「身障」を含め、既に差別用語化しているのが実情である。これは「障害者」を「障碍者」(国語としては代用文字を元に戻すだけ)、あるいは「障がい者」(単に一部を平仮名にしただけ)に変えようという児戯的な運動では解消できない。また、メクラフランジ(配管の流れを止める端末の円盤)など一般人が使わない業界用語は対象となることがなく使い続けられているし、逆にあまりに慣用化されたブラインド(盲のという意味で)などは普通に使われている(先のメクラフランジも日米英でブラインドフランジとも呼ぶ)。

次に漫画『北斗の拳』にて主役が太った悪役に発した「豚は屠殺場に行け」が変更され、新版では「ブタはブタ小屋に行け!」「ブタと話す気はない!」との表現になっており、アニメではそれすらもなくなっていた。これは屠殺場が差別用語であるとして、集英社側が変更したものだが、ファンの間では言葉狩りであると抗議するものもいる。

また、大江健三郎の『沖縄ノート』には「屠殺者」という表現(しかも存命中の実在の人物に対して使用されている)が存在するのに、こちらは問題とされていないことから「マンガでは許されないのに有名作家の作品では許されるのは、それこそが差別である」という意見意見が多数派である。

更にドラえもんでも「狂時機」と言うひみつ道具が存在するが、『狂』と言う字が『驚』に変更され、本来の意味(時間の流れを狂わせる)をなさなくなってしまった。

一部の団体には言葉狩りを行うことで差別的な人間を矯正したと自己満足に陥る、あるいは自らの権力欲を満足させているだけであるという事実もある。

上記のような「言い換えを行っても差別感情を解消することは不可能」とする言い換え否定論に対し、肯定論側の反論として以下のようなものがある。すなわち、発話者に差別感情が無くとも、被差別者の立場に立てば差別用語そのものによって傷つけられる可能性があるというものである。

しかしながらこの反論に対するさらなる反論として、時がたつにつれて新たに言い換えた単語そのものが差別意識を含んだ単語となり、使われることで被差別者が傷つけられる可能性を持ち、ふたたびその単語を言い換えることとなり、さらに言い換えた単語もまた差別意識を含んだ単語となり……といったことを繰り返すいたちごっことなるだけだというものがある。

また、言葉狩りとされた用語規制・言い換えのすべてが社会的にマイナスをもたらしたわけではない。偏見に基づく差別的表現とは別に、性差を伴う言葉に対する言い換えが行われることがある。英語圏では特に性差に基づく用語の言い換えを進める運動をポリティカル・コレクトネスと呼ぶが、この運動は公式用語の語尾を中性的に言い換えるなど大きな社会的変化をもたらし、職業生活における性差の撤廃にもつながっている。

ただし、ポリティカル・コレクトネスの運動においても、一部に過剰とも言える言い換えが存在することに批判を浴びた経緯があり、それを風刺した『政治的に正しいおとぎ話』のような本がベストセラーになった。

このように、ある語に対する規制が言葉狩りかどうかは当事者の主観に左右される部分が大きく、差別全般についての考察なしに規制という事象のみをとらえて論じることは本質から外れた議論になりかねない。最初から否定的な意味合いを含んでいる言葉狩りという言葉には、すでにその使用によって使用者の立場を明らかにしてしまっていると言うことができる。

レッテルとしての言葉狩り[編集]

被差別者による糾弾に対しても「感情的な差別批判」として言葉狩りとすり替えて揶揄する場合などによく使われる[21]

言葉狩りという語の持つイメージは強く、ある団体が人権を擁護するために用語規制を呼びかけても、言葉狩りと決め付けてしまえば先入観を持って見られるようになることが考えられる。

イデオロギーによる言葉狩り[編集]

一般に、ある国の体制を認めない場合、メディアにおいてその国の自称する正式な国名を使用せず独自の呼称を使用するなど、言葉の強制的な言い換えがみられる。

このようなイデオロギーによる言葉狩りの例として、1970年代までの旧西独では旧東独のことを「ソ連占領地域」または「中ドイツ」とのみ呼び、「ドイツ民主共和国」という正式名称を使えば共産主義のシンパとして言論界から追放された。日本でも、日中国交正常化まで中華人民共和国のことを「新中国」ないし「中共」と呼称した。また、「北朝鮮」について「朝鮮民主主義人民共和国」の名称が使用されて続けているのと異なり、1950年以降、国共内戦により中国大陸での統治権を失った「中華民国」政府については、実行支配する大部分が台湾島地域等、日本に対するアメリカ合衆国の暫定占領地であることから、中華民国そのものを「台湾」と呼ぶことがある(なお、国民党の白色テロによる一党独裁時代とは異なり、総統民選時代である現在では自らを「台湾」の名称において他国との関係を維持する場合がある)。また、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国は自国を正統とする立場から、相互に相手を「南朝鮮」「北韓」と呼び合っている。

一方で、長い国名を省略するなど、便宜的に省略することも少なくない。一例を挙げれば、朝鮮民主主義人民共和国(英名:Democratic People's Republic of Korea)について、日本では「北朝鮮」、英語圏では「North Korea」、他の言語でも「北の朝鮮」という朝鮮半島における位置関係で示す呼称がまま用いられている。これは報道などに際しての呼称の便宜から長い名称を省略する意図と、大韓民国(英名:Republic of Korea)との混同を避け二者のいずれか明瞭にする意図から主に用いられており、上記したような政治的な意図をもっての言い換えとして用いられることは少ない。同様の理由から、大韓民国についても、英語圏では「South Korea」、他の言語でも「南の朝鮮」という位置関係で示した呼称が用いられることがままある。こうした種類の、悪意や政治的意図を伴わない言い換えや省略についても、結果的に上記のイデオロギーによる言葉狩りの場合と同様に当事国の政治体制を認めないかのごときニュアンスを帯びることから、その対象にされがちな国々はその使用にしばしば難色を示しており、国際連合の会議での発言時などでは、中立的な発言においても公式の場での使用に異議が唱えられることがある。

「日本海」は「東海(太平洋)」の一部なので、日本列島(島国である)と大陸の間の海域は「東海」と呼んで差支えないのだが、「日本国は『日本海』という言葉を使うなというのは内政干渉ではないかと考えられる。

用字の言葉狩り[編集]

用字における言葉狩りの例として、子供子どもに、兄弟きょうだいに書き換える、という例もある。該当項目を参照。

占領下において、「将来は日本の標準語として英語が採用されるだろう」という目論見によって「emglish」として正課とされたが、「国語」教科はそのまま残って「英語」という教科ができた(笑)。「とりあえず漢字を制限しよう」ということで「当用漢字」が制定されたが、それが「常用漢字」「人名漢字」と改訂され、現在では「漢字制限は不要」というのが常識となりつつある(パソコン上で表示されるなら、文字コード変換一発で済む)のだが、現在でも「旧字体」に反感を持つ勢力がある。

誤用と言葉狩り[編集]

日本語の誤用を論ずるさいにしばしば言葉狩りの問題が生じる。方言や新語、専門用語、慣用句、符丁などの場合、十分な検証なく安易に用法として否定してしまうことが言葉狩りとなることがある。「~のほうで宜しかったでしょうか」(新潟県や北海道などでは一般的である。「おにぎりあたためますか」程度の話でしかない)など。日本語の乱れ日本語の誤用バイト敬語も参照。

Hikakin_Maniaにおいての言葉狩り[編集]

Hikakin_Maniaにおいては、なんでもない普通の発言を継ぎ接ぎして下ネタを作り出すことを言葉狩りという。逆に言ってはいけないことを言わせているので、本来の意味とは真逆。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. 吉村和真, 田中聡, 表智之共著、「差別と向き合うマンガたち」、臨川書店、2007.7 ISBN 978-4-653-04013-2
  2. 「無人警察」 筒井康隆、角川文庫 1972年
  3. 『筒井康隆スピーキング』p.365(出帆新社、1996年)
  4. a b 『筒井康隆スピーキング』p.364-365(出帆新社、1996年)
  5. a b 『筒井康隆スピーキング』p.346(出帆新社、1996年)
  6. カナリアは危険を知らせたりしない。ローラーカナリアの雄はとにかく一日中鳴いているため、炭鉱労働者は「カナリアが沈黙したら逃げる」というのが常識化していたというのが本当である。ガス探知機が普及する以前は、カナリアの鳴声は炭鉱労働者のBGMだったらしい。
  7. 『新潮』1994年1月号掲載の池澤夏樹との対談「救いとしての文学」における大江の発言。
  8. 『筒井康隆スピーキング』p.408(出帆新社、1996年)
  9. a b c d e 『筒井康隆「断筆」めぐる大論争』220ページ
  10. 『諸君!』1994年7月号「筒井康隆氏はやはり間違っている」
  11. a b c d e f g h 筒井康隆『エンガッツィオ司令塔』(文春文庫)261-262頁
  12. 『筒井康隆スピーキング』p.412(出帆新社、1996年)
  13. 『筒井康隆スピーキング』p.416(出帆新社、1996年)
  14. 『週刊文春』1985年5月9日号、p.141。
  15. 江上茂『差別用語を見直す』p.92
  16. この時の様子を、筒井と共演した漫画家・小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」に描いている(小林『ゴーマニズム宣言(扶桑社のち幻冬舎文庫)』第4巻78章『マスコミと筒井康隆に告ぐ!』)。
  17. 差別用語の基礎知識〈'99〉―何が差別語・差別表現か? [単行本]高木 正幸 (著) 土曜美術社出版販売; 全面改訂版 (1999/07)ISBN-10: 4812011876
  18. a b 小林健治『部落解放同盟「糾弾」史』p.161
  19. a b c 江上茂『差別用語を見直す』p.232-236
  20. 『筒井康隆スピーキング』p.416(出帆新社、1996年)
  21. 画題「鮮人」差別的と抗議 県美術館が変更検討 中日新聞 2010年4月28日

外部リンク[編集]