三田誠広
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三田誠広(みた まさひろ、1948年6月18日- )は、作家・評論家。
人物[編集]
大阪市生まれ。コピーのミタの創業家の子息で、姉は女優の三田和代。小学校時代にはABC児童劇団(朝日放送)に所属し、子役をしていた。1966年の高校在学中に「Mの時代」で河出書房新社の『文藝』の学生小説コンクールに入選し、掲載される。早稲田大学文学部演劇学科卒。大学時代は学生運動に参加したこともあり、村上春樹と同期に同じ学科にいたが、面識はなかったという。
大学卒業後は広告プロダクションに勤務、編集・ライターに従事。河出の編集者・金田太郎は三田に小説を書かせ続け、77年『文藝』に一挙掲載された『僕って何』で、学生時代の学生運動体験を戯画的に描いて、芥川賞を受賞する。宮本輝、村上龍、高橋三千綱、中上健次とともに、小田切進が「青の世代」と名づけたが、世代区分として定着しなかった。
ドストエフスキーに心酔しており、「朝日新聞」に『白痴』の翻案である「龍をみたか」を連載。84年には書下ろしの力作『漂流記1972』を刊行するが評価されなかった。金田太郎は独立してトレヴィルを設立、三田は『デイドリーム・ビリーバー』などを刊行したが、その後は『いちご同盟』などの一般向け小説、古代日本史に取材した歴史小説、教育論、仏教評論、僧侶を描いた歴史小説などを多く執筆。
2022年『遠き春の日々 僕の高校時代』で45年ぶりの文学賞として加賀乙彦推奨特別文学賞を受賞。日本文藝家協会副理事長を務め、著作権を死後50年から70年に延長するのに尽力した。