村上龍

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村上龍(むらかみ りゅう、1952年2月19日- )は、作家。

人物[編集]

本名・村上龍之助。長崎県佐世保市生まれ。父は高校教師で、子供の頃は毎日息子と手紙を出し合っていた。龍之介としなったのは自殺よけ。武蔵野美術大学造形学部中退。1976年「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞受賞(当初は「クリストリスにバターを」のタイトルだったが改題)、そのまま24歳で芥川賞を受賞した。選考委員の永井龍男は授賞に反対し、委員辞任を申し出たが慰留されたが、次回の池田満寿夫の受賞の際についに辞任した。江藤淳は受賞作を「サブカルチャー」と評したが、実際はドラッグやセックスなどの経験を描いた私小説であった。一躍文壇の寵児となり、第二作「海の向こうで戦争がはじまる」(1977)を発表、リチャード・バックの『イリュージョン』を翻訳、ついで長編『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)を発表して野間文芸新人賞を受賞した。

中上健次宮本輝三田誠広高橋三千綱らと「青の世代」と小田切進が名づけたが、定着しなかった。

「限りなく透明に近いブルー」は自身の監督で映画化し、「だいじょうぶマイ・フレンド」(1983)は原作・脚本・監督を兼ねたが、当たらず、以後映画からは手を引いた。通俗小説的な『愛と幻想のファシズム』(1987)で、石原慎太郎的な政治小説を書いた。主人公の鈴原冬二の名はのち「新世紀エヴァンゲリオン」に流用された。

3年後にデビューした村上春樹とは対談本『ウォーク・ドント・ラン』(1981)も出し、当時「W村上」と呼ばれたが、春樹が『ノルウェイの森』をヒットさせてからは疎遠になっており、対談本も絶版である。

1996年『村上龍映画小説集』で平林たい子文学賞受賞、97年、「読売新聞」に連載した「イン ザ・ミソスープ」で読売文学賞、2000年『共生虫』で谷崎潤一郎賞を受賞。2005年『半島を出よ』で野間文芸賞毎日出版文化賞を受賞。通俗小説的な色合いの小説を純文学として通用させる手法を押し切った。『5分後の世界』は、マッカーサーの米軍進駐に対して日本人が抵抗を続けている世界を描いており、村上の対米姿勢を現している。この作の文庫版解説で渡部直己は、読んだあとで読者を変えてしまうのが純文学だと宣言し、本作を純文学だと強弁している。村上はニュー・アカデミズムのブーム以後、ゆるやかな『批評空間』グループの一人でもあった。

2006年からテレビ東京で、小池栄子をアシスタントとして企業のトップに話を聞く番組「カンブリア宮殿」を長く続けているが、これは『愛と幻想のファシズム』を書いた時に経済の勉強をしたことから来ている。

2010年『歌うクジラ』で毎日芸術賞。2000年から2017年まで芥川賞選考委員。石原慎太郎とは気が合ったようで、青山七恵の受賞の際は前もって対談し、感情移入してしまった小説があった、と語り合っていた。円城塔の受賞に反対し、科学的な間違いがあると指摘したが、円城から具体的にどこかと反問されて答えられず、半ばそれが原因で辞任したと見られている。