差別用語
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差別用語とは、差別的とされて一般での使用、特に報道関係で使用されなくなったいわゆる言葉狩りの対象とされる語である。
概要[編集]
かつては一般的に使用されていた言葉が人権意識の向上に伴い、不適格として排除された言葉である。これに代わって「〇〇の不自由な人」や「チャレンジド」[1]「ギフテッド」などが用いられるようになった。
主な使用例[編集]
- アスペ - 自閉のうち知能指数が70以上の者をいい、それはそれで失礼な話ではあると当事者としては思う。
超高機能自閉者はいじめの対象になりがちなので、むしろ「いじめっ子」を「準・差別用語」あたりに設定して、「かわいそうな人」扱いして「見るんじゃありません!」とか「指差しちゃいけません!」とかいって子供を叩く、くらいの扱いにしてもいいように思う。小学生でもこのあたりの機微はわかるというのが現在では一般的である。 - いざり - 「イザリウオ」の正式和名は「カエルアンコウ」に変更された。「正式和名は学名と一意対応しているため、一度決めたら変更できない」というルールがあるとされ、「ニセゴイシウツボ」は「ゴイシウツボ」と同一種であるが改名されない。「ホンソメワケベラ」は「ホソソメワケベラ(細染分ベラ)」だし「ホオジロザメ」は「オオジロザメ(大白鮫。グレート・ホワイト・シャーク)」だが、改名されない。[2]
- 片手落ち - 肢体不自由者に対する差別用語とされ、「方落ち」と表記される。
- かたわ - 妖怪「片輪車」は使われなくなった。
- 片ちんば - 左右の足の使い方が不均等であることを言う。転じて「左右の履物が異なるため、歩行が不自然である」ことをいう。
- かったい - 「こじき」とほぼ同義。「おこもさん」とも呼ばれる。
- こじき - 禅宗における「乞食行」は、軽犯罪法において「こじきなどの行為」とされ、警察による取締り対象となった。
- 支那 - 「チャイナ」の語源であるが、「支那そば」が使えなくなり、「中華麺」に言いかえられるようになった。
- ちかめ - 近視のこと。「目が近い」が使えなくなる日も近いかもしれない。
- 朝鮮 - 韓国では普通に「チョソン」として使われているが、朝鮮語は「ハングル」と言いかえるように指導される。
- つんぼ - 「つんぼ桟敷」が使えなくなった。
- 遠耳 - 「聴覚障害」と言い換えられることもある。
- ハーフ - 本来は「ハーフ&ハーフ」の略であるが、近年では「『ミックスド』と呼ぶべし」という意見がある。同じ流れで「雑種」も「ミックスド」と呼ぶべしという意見もあるが、「混血」「混合種」「交雑種」とか呼ぶのも礼を失するように思うので、「ハーフ」は適当な落としどころのように思う。かつては「ゴールデンハーフ」というアイドルグループもあり、近年では両親のどちらかがハーフであるときに「クォーター」を自称する人もいるので、差別用語としては無意味化しつつあるように思う。
- 不具者 - 「肢体不自由者」をいう。パラリンピックは『不具者』のオリンピック」であるが、「身体障がい者」「肢体障害者」という言葉はあまり使われていない。井上靖の「北の海」では記述された。
「五体満足」も使えなくなりつつあるため、乙武洋匡『五体不満足』が着目された。 - びっこ - 「びっこをひく」が使えなくなった。「片足を引きずって歩く」と言い換えないといけないかもしれない。
- めくら - 「盲板」「盲縞」「色盲」などが使えなくなった。「盲点」はまだ生き残っているが、将来はどうなるかわからない。生物の標準和名としては「メクラウオ」(近年では、「ブラインド・ケーブ・フィッシュ」と呼ばれる)や「メクラウナギ」「チョウセンメクラトビムシ」などがあるが、「標準和名は(リンネの三名法による)学名と一意に紐づけられているため、変更できない」とされてきたが、「イザリウオ」が「カエルアンコウ」に替えられてから、「学会が信用できなくなった」という声もあった。
- めっかち - 「片目」と同義であり、「一方の目の視力の不足にチャレンジされている」と言わねばポリティカル・コレクトネスに反するらしい。したがって、「独眼竜政宗」「柳生十兵衛」「丹下左膳」「森の石松」は「めっかち」と呼んではいけないらしい。ピーター・フォークや森田一義も同様であり、多羅尾坂内は「あるときは片目の運転手」ではなく「あるときは一方の目の視力の不足にチャレンジされているドライバー」と言わなければならず、「片目のジャック」は「一方の目の視力の不足にチャレンジされているジャック」と言わなければ反社会的(反ポリコレ)な人物として指弾してよいということになり、いじめの恰好の標的となり、下手に文章を書くと言葉狩りの餌食となる。Enpediaの編集者も用心されたい[3]。
こうした語は、IME の変換辞書にも登録されていないので、日本語処理の観点からいうと、かなり迷惑な話ではある。「差別用語を使う表現の自由はないのか?」という議論はありうる。「障がい者」「障害者」「障碍者」「障礙者」など、入力時に面倒臭いという話もある。これは当事者にしてみると結構面倒臭い話でもあり、自閉当事者の集まりに参加した定型発達者によって批難されたりすることも珍しくない。「自分にとっての『自閉』のイメージに合わないものはニセモノだ」ということらしい。「そこそこ社会に適応した、高機能の発達障礙者」はいるわけで、自閉当事者が自身を「自閉」と呼び、統合失調の当事者が自身を「分裂」「スキゾ」と呼ぶのは当事者間では普通なのだが、それを見た定型発達者が「あいつらはニセモノだ!」と義憤を感じて当事者グループを攻撃するといった行為は頻発している。
参考文献[編集]
- 藤野豊『被差別部落ゼロ?ー近代富山の部落問題』桂書房2001年6月15日初版発行。
- 森達也『放送禁止歌』光文社2003年6月25日初版第二刷発行。
- 角岡伸彦『はじめての部落問題』文春新書2006年4月25日第6刷発行。
脚注[編集]