横田高松
ナビゲーションに移動
検索に移動
横田 高松(よこた たかとし、長享元年(1487年)? - 天文19年10月1日[1](1550年11月9日))は、戦国時代の武将。武田氏の家臣。通称は十郎兵衛。受領名は備中守[1]。武田の五名臣の一人。横田康景(綱松)の養父。武田二十四将の一人だった。
生涯[編集]
近江出身の浪人で、武田信虎に仕えて有力な足軽大将衆となり、騎馬30騎、足軽100人持となる[1]。武田晴信の時代には信濃攻めに従軍し、板垣信方・甘利虎泰・飯富虎昌と並ぶ侍大将として活躍した[1]。天文16年(1547年)8月、小田井原の戦いで戦功を立てた[1]。天文19年(1550年)8月25日、晴信の信濃砥石城攻略に先陣として従軍し、10月1日に攻略失敗で撤退する際に村上義清軍の追撃を受けて戦死した[1](砥石崩れ)。享年64[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6