葛尾城

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葛尾城(かつらおじょう)とは、現在の長野県埴科郡坂城町坂城にあったである。現在は城跡のみで、長野県の史跡に指定されている。

概要[編集]

坂城町の北部の標高805メートルの葛尾山一帯を占めていた山城である。元中元年/至徳元年(1384年)に村上義国が築城したとされ、以後170年間にわたり信濃北部に覇を唱えた村上氏居城となる。

戦国時代天文年間(1532年 - 1555年)の村上家の当主は村上義清といい、大変な戦上手で若き頃の武田晴信を相手に天文17年(1548年)の上田原の戦い甲斐武田氏の重臣・板垣信方甘利虎泰を討ち取って大勝し、天文19年(1550年)には砥石城で武田軍を完膚なきまでに叩き潰して横田高松を討ち取り、戸石崩れと称される大勝を挙げた名将であった。しかし天文21年(1552年)、武田晴信の配下であった真田幸隆の謀略により葛尾城は陥落し、村上義清は越後長尾景虎を頼って落ち延びた。これが以後、5回にわたって武田・長尾(上杉)が大激突する川中島の戦いの発端となる。

葛尾城はその後、廃城とされて現在では頂上付近に石祠が残るのみで当時の面影はほとんど残されていない。山頂からは南方の眼下に坂城の町並が、千曲川を隔てて南西方に戸倉上山田の温泉街、北に開ける善光寺平を眺望することができる。

昭和14年(1939年)に長野県の史跡に指定された。付近には村上義清の墓所、村上氏居館跡、坂城陣屋跡などの旧跡があり、村上氏の菩提寺となっていた東麓の満泉寺には長野県指定の重要文化財の石仏が安置されている。

アクセス[編集]

  • 坂城ICから車で10分。
  • 更埴ICから車で15分(下車徒歩40分)。
  • しなの鉄道しなの鉄道線戸倉駅からタクシーで5分(下車徒歩40分)。

外部リンク[編集]