ジャイアント馬場
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ジャイアント馬場(ジャイアントばば、昭和13年(1938年)1月23日 - 平成11年(1999年)1月31日)は、日本のプロレスラー、テレビタレント、元プロ野球選手。
プロフィール[編集]
概要[編集]
本名・旧リングネーム・プロ野球選手時代の登録名は馬場 正平(ばば しょうへい)。
三条実業高校機械科中退。
当初は読売ジャイアンツ所属の野球選手として活動し、その後、力道山門下で日本プロレス(日プロ)でプロレスラーとして活動したが、先に日プロと袂を分かったアントニオ猪木の動きに倣い、全日本プロレスを創設して、スタープロレスラーとして活躍し、プロレスファン以外の知名度も高かった。
妻は明石市出身で、読売ジャイアンツ所属時代の明石キャンプ[注釈 1]で出会ったとの逸話がある。
人物[編集]
コーヒーと豆大福と読書が好きで、読書しながらコーヒーを飲みつつ豆大福をつまむのが楽しみだったが、コーヒーカップが小さすぎて「すぐなくなるしすぐ冷める」ため、某喫茶店で看板替わりに飾り物としていたマグカップ(ときどき寿司屋にあるような、店名入りの大型の寿司茶碗のようなもの)を、店主を拝み倒して入手して愛用していたという。現物を見たわけではないが、馬場さんの記念グッズのマグカップを見るところ、陶製のマグカップ(円筒形ではなく上が広い)の大型のものであったと思われる。
台湾で全日本プロレスの入団テストをやった時は、そばにいた警備員に対して「お前さん、ガタイがいいな。合格」と一般人を合格させてしまった茶目っ気を持っていた。もちろん警備員は辞退したそうである。
四天王(三沢、小橋、川田、田上の誰か)との対戦では「今日は黙って蹴られていればいいのだから楽だなぁ」と発言して周囲を驚かせたことがある。