エスワティニ
エスワティニ王国(エスワティニおうこく、Kingdom of Eswatini)とは、アフリカ南部に位置する内陸国である。政体は立憲君主制。国土面積は1万7000平方キロ(日本の四国の約95パーセント)。人口は2011年の時点で137万人。人口密度は78.9人/㎢。首都はムババーネ。旧名はスワジランド。スワジランドとは「スワジ族の国」を意味する。スワジの語源は19世紀前半にこの地を統治した族長・ムスワティの名にちなむという。
概要[編集]
歴史[編集]
16世紀にバンツー系スワジ族が南下してこの地に入り定住したのが起源といわれる。1815年にスワジランド王国が建国された。ところが1893年にオランダ系の入植者であるボーア人のトランスバール共和国に吸収される。そして、ボーア戦争が終了した後の1906年にイギリスの保護領となり、1968年9月6日に英連邦内の立憲君主国として独立する。9月24日には国連に加盟した。
独立後の1973年、当時の国王・ソブーザ2世は憲法を停止し、さらに政党の活動を禁止する王命を出して国体を独裁政治に切り替える。このソブーザ2世は1921年から半世紀以上も在位していた国王であったために国内の影響力が非常に強く、存命中はその独裁を止めることはできなかった。1982年、ソブーザ2世は在位61年にして死去する。すると後継者争いが起こり、それが騒動にまで発展する。1986年、この騒動は最終的に18歳の先代の皇太子であるムスワティ3世が即位することでようやく終焉する。ムスワティ3世は先代の独裁を改め、スワジ族の伝統的議会制度であるリバンドラを踏襲し、国王の絶対的権威を強化しながらも国政を緩やかにした。1992年、ムスワティ3世は王制の維持を条件に、リバンドラの解散と直接選挙制を導入した新憲法の制定を表明し、1993年に20年ぶりとなる総選挙を実施した。2006年2月には新憲法を施行したが、この中身は政党活動などが明確ではなく、また王制に対する不満などが国内からも高まりつつあり、将来的な民主化への動きも起こりつつある。
スワジランドの王族は400年以上の歴史を誇り、由緒ある家系で一族も多いので王位継承者候補だけでも200人に及ぶ多さである。伝統も厳格に守られ、王家発祥地とされるロバンバでは王を称える「インクワラ」、皇太后を称える「ウムヒャンガ」の2大祭典が毎年行なわれている。
地理など[編集]
スワジランド王国は南アフリカ共和国とモザンビークに挟まれた小国である。西部は平均1500メートルの高原であるが、東進するにつれて高度は下がることになる。温暖なステップ型の気候が支配的である。
首都・ムババネの年平均気温は16.8度で、最高気温が1月の20.2度、最低気温は7月の12.4度であり、年間降水量は1402ミリである。
スワジランドではHIVの感染率が25.9パーセント(2011年の統計)であり、この割合は世界最悪を誇っていることになる。そのためスワジランドの若い女性は性行為をすることを5年間禁止し、違反した男性は牛1頭分の罰金を科す「純潔を守る誓い」というHIV防除策を打ち出した。しかしこの条例は非常に不評であり、現在ではこの条例が続けられているかどうかは不明とされている。
最高峰は南アフリカとの国境にある、標高1862mのエムレンベ山。また、国土の大部分がマプート川の流域である。
経済など[編集]
スワジランドでは温暖な気候に恵まれて農林業が盛んであるが、南アフリカ共和国への出稼ぎも10万人以上を数えている。近年ではアパレル産業の成長が進んでいる。
宗教[編集]
- キリスト教が67パーセント。
- 伝統信仰が12パーセント。
住民[編集]
- バンツー系スワジ族が82パーセント。
- バンツー系ズールー族が10パーセント。
言語[編集]
通貨単位[編集]
- リランジェニ(Lilangeni)
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は3061米ドル(2010年)
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- エスワティニ王国 - 外務省
- 在エスワティニ日本国大使館 - 在南アフリカ共和国日本国大使館が兼轄
- 観光