昭和53年10月2日日本国有鉄道ダイヤ改正

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昭和53年10月2日日本国有鉄道ダイヤ改正とは、日本国有鉄道1978年10月2日に行ったダイヤ改正である。

経緯[編集]

当時の日本では、1973年のオイルショックを端緒とした高度経済成長の終焉による緊縮ムードが終わりかけとなっていた。
さらに、国鉄は積み重ねた赤字により頻繁に値上げを繰り返した一方、航空機との料金差の縮小が進んだため、首都圏北海道の移動などで鉄道のシェアが奪われつつあり、鉄道がまともに太刀打ちできる状態ではなかった。
この状況を打開するために10年前のヨンサントオに匹敵する大規模改正を行う必要があった。

内容[編集]

特急全般[編集]

  • 特急列車のイラスト付きヘッドマークの使用が開始。
  • 短距離の特急を中心に食堂車の営業を休止。
  • 本改正で「そよかぜ」以外の特急列車に自由席を新設。以降、2000年代まで特急の自由席は「あって当たり前」の状態となる。

東日本[編集]

上野特急[編集]

列車名 運行区間 本数(改正前) 本数(改正後) 増減
はつかり 上野駅青森駅 5往復 6往復 +1
ひばり 上野駅〜仙台駅 13往復 15往復 +2
やまびこ 上野駅〜盛岡駅 4往復 3往復 ▲1
とき 上野駅〜新潟駅 13往復 14往復 +1
ひたち 上野駅〜平駅 8往復 11往復 +3
はくたか 上野駅〜北陸方面 1往復 2往復 +1
  • なお、これらの多くは急行列車の格上げであった。
  • 自由席設置に伴い「はつかり」「やまびこ」「つばさ」「やまばと」はエル特急に指定。
  • 増発の一方で、東北・高崎線経由の特急は所要時間は15分ほど延長。
  • 寝台特急の北陸北星の使用車両が20系から14系に。

急行等[編集]

中部・関西・中国[編集]

特急列車[編集]

列車名 運行区間 本数(改正前) 本数(改正後) 増減
雷鳥 大阪駅〜北陸方面 12往復 16往復 +4
くろしお 天王寺駅〜南紀方面 6往復 9往復 +3
しらさぎ 名古屋駅〜北陸方面 6往復 7往復 +2
南紀 名古屋駅〜南紀方面 1往復 3往復 +2
  • 「雷鳥」は大阪発着の「北越」や急行「越後」等を吸収し、日本一の運転本数を誇る特急列車に。
  • 特急くろしおをEC化して新宮駅で系統分離しエル特急に指定。新宮以西で3往復増発。
    • これに伴い、名古屋駅方面は新設の南紀となり、新宮以東で特急2往復増発。
  • 寝台特急「安芸」(関西 - 下関)廃止
  • 特急「しなの」1往復増発。
  • 寝台特急いなば号を出雲市まで延伸し「出雲」に変更。

急行・夜行[編集]

  • 「南紀」転用に伴い、夜行普通列車「南紀」は「はやたま」に改称
  • 急行「紀州」も新宮駅で系統分離。東西直通の急行は鳥羽発「きのくに」のみとなる。
    • 紀伊勝浦以西と名古屋との直通は名古屋行急行「しらはま」のみになる。
  • 急行「いでゆ」(大阪 - 鳥取)を「だいせん」に統合。

九州[編集]

寝台特急明星号。本改正で大幅に減便された(7往復→4往復)。
  • 関西 - 九州間寝台特急を大幅に削減
  • 特急「みどり」1往復増発
  • 急行「しいば」を「日南」に統合
  • 急行「やたけ」快速格下げ

その他[編集]

  • 在来線特急・急行列車の号数が上り偶数、下り奇数に統一[注 1]
  • 列車キロ削減に踏み切るなど、本改正は国鉄で初めての本格的な縮小傾向の改正となった。
  • 貨物列車も半数ほどに減らされた。
  • 昭和53年に行われたことから「ゴーサントオ」とも呼ばれる。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. このあおりてレコードまで発売された「あずさ2号」は、甲府発となり、レコード発売から1年半で歌詞にある信濃路へ向かう列車ではなくなった。
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JNRマーク.png 国鉄のダイヤ改正 JNRマーク.png
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