キタサンブラック

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キタサンブラック
画像募集中.png
欧字表記Kitasan Black[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1][2]
毛色鹿毛[1][2]
生誕2012年3月10日(12歳)[1][2]
抹消日2018年1月8日[3]
ブラックタイド[1][2]
シュガーハート[1][2]
母の父サクラバクシンオー[1][2]
生国日本国旗.png日本北海道沙流郡日高町[2]
生産ヤナガワ牧場[1][2]
馬主有限会社大野商事[1][2]
調教師清水久詞栗東[1][2]
調教助手押田道郎[4]
厩務員辻田義幸[4]
競走成績
タイトルJRA賞年度代表馬(2016年・2017年)
最優秀4歳以上牡馬(2016年・2017年)[1]
顕彰馬(2020年選出)[5]
生涯成績20戦12勝[1][2]
獲得賞金18億7684万3000円[1][2]
WBRRL117 - E117 / 2015年[6]
L123 / 2016年[7]
L124 / 2017年[8]
 
勝ち鞍
GI 菊花賞 2015年
GI 天皇賞(春) 2016年・2017年
GI ジャパンカップ 2016年
GI 大阪杯 2017年
GI 天皇賞(秋) 2017年
GI 有馬記念 2017年
GII スプリングS 2015年
GII セントライト記念 2015年
GII 京都大賞典 2016年

キタサンブラック(欧字名:Kitasan Black2012年3月10日 - )は日本競走馬種牡馬[1]菊花賞、天皇賞()、ジャパンカップ有馬記念を制した日本中央競馬会(JRA)の顕彰馬。史上2頭目の天皇賞3勝馬で、春の天皇賞ではコースレコードを持つ。演歌歌手の北島三郎が所有したことでも知られる。ドバイシーマクラシックを制したイクイノックスの父であり、親子での2年連続年度代表馬は史上初。

概要[編集]

北海道日高町ヤナガワ牧場で生産された父ブラックタイドの牡馬である。「キタサン」の冠名を用いる国民的演歌歌手の北島三郎が所有し、栗東トレーニングセンター清水久詞調教師を担った。キャリア前半は北村宏司が、後半は武豊主戦騎手を務めたほか、後藤浩輝浜中俊横山典弘も騎乗した。主に逃げ先行策から押し切る戦法で、優勝を積み重ねた。

3歳となった2015年1月にデビューし、無傷の3連勝でスプリングステークス(GII)を優勝した。春のクラシックは、いずれもドゥラメンテに敗れて二冠を許したが、秋の最終戦・菊花賞(GI)でクラシック戴冠を果たした。古馬となった2016年は、2004年イングランディーレ以来、2003年タップダンスシチー以来となる天皇賞(春)(GI)、ジャパンカップ(GI)逃げ切り優勝を果たした。さらに有馬記念(GI)2着、宝塚記念(GI)3着となるなど年間の出走機会すべて3着以内となり、この年のJRA賞年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬を受賞した。

翌2017年は、GI昇格初年度の大阪杯(GI)を優勝し、天皇賞(春)は2006年ディープインパクトを上回るレコードを樹立して連勝とした。続く宝塚記念では、設置初年度となった「春の古馬三冠競走」戴冠が懸かったが9着大敗だった。続いて秋、再起初戦となった不良馬場の天皇賞(秋)(GI)では出遅れを喫して逆境に立たされた。それでも跳ね返して優勝し、2007年メイショウサムソン以来史上5頭目となる天皇賞春秋連覇、レコード樹立の春とは異なり「逆レコードタイム」での優勝、さらに2001年テイエムオペラオー以来史上2頭目となる天皇賞3勝を記録していた。そして暮れ、引退レースとなった有馬記念にて、2008年ダイワスカーレット以来となる逃げ切り優勝を果たし、史上最多タイとなるJRAGI7勝に到達した。

競走馬引退後は、種牡馬として供用され、重賞優勝産駒を輩出。有馬記念、ドバイシーマクラシック(G1)や宝塚記念を優勝、天皇賞(秋)を連覇したイクイノックス(母父:キングヘイロー)、皐月賞(GI)を優勝したソールオリエンス(母父:モティヴェーター)の父として知られる。

誕生までの経緯[編集]

北島三郎[編集]

北島三郎は、北海道出身の演歌歌手である。農耕馬がいる土地で育ち、上京してからは、芸能事務所・新栄プロダクションに属して活動し、『なみだ船』などヒット曲を連発して有名歌手になった[9]。新栄プロダクションには、社長の西川幸男や先輩歌手の春日八郎村田英雄がおり、いずれも馬主だった。その西川や春日から勧められて、自身も馬主活動を始めていた[9]

北島は当初「リュウ」や「マコト」などを所有した[10]。当初は、自身にゆかりのある家族の名前などを競走馬名に充てていたが、次第に別れが寂しくなり、冠名を使用することにしていた[10][11]。父から、すぐに息子の馬であるか判別できるよう要請されたこともあり、冠名は、芸名「北島三郎」の「」と「」を抽出した「キタサン」となった[11]。社長や先輩に誘われて始めたが馬主活動を長く続けて、2010年代になる頃には馬主歴半世紀に到達していた。歴代所有馬は150頭以上になったが[11]、最高峰のGIタイトルには縁がなかった。

活躍所有馬には、1992年平和賞全日本3歳優駿を優勝したキタサンテイオーや、2001年ニュージランドトロフィー(GII)優勝のキタサンチャンネル、2001年ファンタジーステークス(GIII)優勝のキタサンヒボタンなど重賞優勝馬はいた。これらの馬は、函館西高校ラグビー部のジャージーを模した白地の勝負服で活躍していた[12]。しかし後が続いていなかった。いつしか所有馬の成績は低迷し、GIタイトルからも遠ざかっていた[12]。そんな頃、娘から勝負服の変更を勧められた。北島は、縁起の良い色の研究などをして、新たに「黒、茶三本輪」の服色の勝負服に変更していた[12]

血統的経緯[編集]

血統[編集]

キタサンブラック血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

ブラックタイド
2001 黒鹿毛
父の父
*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
父の母
*ウインドインハーヘア
Wind in Her Hair
1991 鹿毛
Alzao Lyphard
Lady Rebecca
Burghclere Busted
Highclere

シュガーハート
2005 鹿毛
サクラバクシンオー
1989 鹿毛
サクラユタカオー *テスコボーイ
アンジエリカ
サクラハゴロモ *ノーザンテースト
*クリアアンバー
母の母
オトメゴコロ
栗毛 1990
*ジャッジアンジェルーチ Honest Pleasure
Victorian Queen
*テイズリー Lyphard
Tizna
母系(F-No.) テイズリー(USA)系(FN:9-g) [§ 3]
5代内の近親交配 Lyphard 4×4、Northern Dancer 5×5×5 [§ 4]
出典


牝系[編集]

ティズリー(後のキタサンブラックの曾祖母)は、アメリカで生産された牝馬である[16]。父はリファール、母はチリ産馬のティズナ(後のキタサンブラックの高祖母)で、2歳から7歳までチリ、北アメリカで走り57戦18勝、1974年からサンタマルガリータハンデキャップ(G1)を連覇したほか、1975年レディーズハンデキャップ ()(G1)や1974年サンタモニカハンデキャップ(G2)も優勝した「歴史的名牝[16]」(藤井正弘)である[16]

フランスで競走馬となったティズリーは、6戦4勝を挙げて引退[16]。そしてしばらくアメリカで繁殖牝馬として繋養された後、1988年に日本へ輸入された[16]。日本では北海道「早来町の社台ファーム」に繋養されており、ちょうど修業中の梁川正晋と巡り会っていた[17]

1992年、ティズリーは父ジャッジアンジェルーチの牝馬を産み落としていた。ジャッジアンジェルーチは、1989年にアメリカから導入され[18]、「早来町の社台ファーム」で繋養された種牡馬だった[19]。競走馬としてGI級競走3勝を挙げたボールドルーラー系だったが[20]、産駒は活躍しなかった[17]。2000年から中山グランドジャンプを連覇したゴーカイを出すだけで、中央競馬の平地重賞を優勝するような産駒は現れなかった[18][17]

そんな父ジャッジアンジェルーチの牝馬は「オトメゴコロ」(後のキタサンブラックの祖母)という名を授かって競走馬となり、室蘭特別を優勝するなど20戦4勝の成績を残した[16]。横山典弘と挑んだ1994年の札幌スプリントステークス(GIII)では、優勝した武豊とゴールドマウンテンに敗れたが、5着入着を果たしていた[21]

引退後は、繁殖牝馬となったが、生まれ故郷である「早来町の社台ファーム」には戻らなかった。梁川正克が社台の吉田善哉と関係を持っていたことや[21]、実家に戻っていた梁川正晋が、修業中に印象に残っていたティズリーの仔であれば欲しいと思い、日高地方のヤナガワ牧場に繁殖牝馬として引き入れていた[17]。オトメゴコロは、ジャッジアンジェルーチを父に持つ、馬格のある牝馬だった[22]。そこで梁川親子は、スピードが足りないという考えに至り、それを補うためにスピードに秀でた種牡馬として知られるサクラバクシンオーを交配相手に選んでいた[17][23]

そして2005年、父サクラバクシンオーの牝馬である「シュガーハート」(後のキタサンブラックの母)が誕生していた。オトメゴコロはこの翌年に死亡[24]、結果としてオトメゴコロがヤナガワ牧場にもたらしたのは、シュガーハート1頭だけだった[25][21]

シュガーハートは、冠名「サンライズ」で知られる馬主の松岡隆雄に所有され、中央競馬で競走馬となっていた[17]。栗東トレーニングセンターの崎山博樹厩舎に入厩して調教が施された[25]。調教では好タイムを連発するスピードがあった[21]。このためデビューさえ果たせば、勝ち上がりできる能力があると期待されていた[17]。しかしデビューを前に屈腱炎を患い、不出走の身で引退していた[17]。梁川は、取捨選択の機会に直面したが、馬格があり繁殖牝馬に適しているという考えに至ってシュガーハートを残す決断をしていた[23]。そして繁殖牝馬として牧場に迎え入れていた[23]

繁殖牝馬として供用初年度となる2008年は、松岡所有の競走馬として2002年と2005年の産経大阪杯、2005年の毎日王冠を優勝したサンライズぺガサス(父:サンデーサイレンス)と交配して初仔となる牡馬を得ていた[26]。初年度はほとんど試しだったが、良い体形の仔を得ることができ、手応えを得ていた[26]

初仔の出来に手応えがあった梁川は、続く2年目スタチューオブリバティとの交配後不受胎を挟んだ翌年、3年目からサンライズペガサスと同じサンデーサイレンス系種牡馬を中心に交配するようになった。3年目はステイゴールド(父:サンデーサイレンス)と交配して2番仔となる牡馬を得た[22]。そして4年目となる2011年、梁川は交配相手にブラックタイド(父:サンデーサイレンス)を選択していた[22]

1989年にティズリーが日本にもたらされて以来続くこの牝系は、まだ活躍馬を輩出するには至っていなかった[27]

サクラバクシンオー[編集]

詳細は「サクラバクシンオー」、「サクラユタカオー」、「テスコボーイ」、「スターロッチ」、「アンバーシャダイ」を参照

シュガーハートの父はサクラバクシンオーである。1989年に「早来町の社台ファーム」で生産された牡馬であり、血統は父がサクラユタカオー、母がサクラハゴロモである。1990年代の短距離戦線で活躍した。

父サクラユタカオーは、日高地方の静内町にある藤原牧場で生産された[28]日高軽種馬農業協同組合に輸入され、リーディングサイアーになるまでに活躍した大種牡馬テスコボーイと、藤原牧場が長年育んでいた1960年有馬記念優勝牝馬スターロッチから連なる伝統の牝系を融合して生まれた栗毛だった[29]。テスコボーイはトウショウボーイテスコガビーなどスピードに秀でた産駒を残した一方で、キタノカチドキインターグシケンのような菊花賞優勝馬も送り出すなど両輪で活躍していたが[30]、サクラユタカオーは前者、スピードに秀でていた[31]。「テスコボーイ産駒の栗毛は大成しない」というジンクスがある中、さくらコマースが購入して競走馬となり、ジンクスを覆す活躍を果たした[32]。およそ500キログラムの大柄な馬体で、スピードに富んでいたが、脚元が弱かった[31]

デビュー3連勝で重賞優勝を果たしたが、橈骨の骨折で春のクラシック参戦は叶わなかった[31]。秋に復帰して菊花賞(GI)4着を経験してからは主に中距離で活躍した[31]。翌1986年春にはサンケイ大阪杯(GII)を優勝し、秋には毎日王冠(GII)と天皇賞(秋)(GI)を、共に日本レコードで駆けて優勝していた[32]。引退後は、期待されて種牡馬となった[31]。社台が欲しがったものの、日高地方の青年部が奮闘して引き留め、日高の静内スタリオンステーションで繋養されていた[32]。輸入種牡馬が活躍する時代で、劣勢の内国産種牡馬でありながら、活躍産駒を多数輩出した[33]

母サクラハゴロモは、「早来町の社台ファーム」で生産された。社台ファームがアメリカのサラトガで購入して日本にもたらし、リーディングサイアーになるまでに活躍した大種牡馬ノーザンテーストと、同じく社台ファームがアメリカのキーンランドで購入したクリアアンバーが掛け合わされて生まれていた[34]。父ノーザンテースト、母クリアアンバーの血統は、アンバーシャダイと全く同一、すなわちサクラハゴロモは、アンバーシャダイの全妹だった[34]。アンバーシャダイは、当歳時に負った重傷のために競走馬生命が危ぶまれたが復活して、何とかデビューにこぎつけた[34]。一頓挫あったために成長は遅れ、古馬になってから本格化して主に長距離戦線で活躍した[34]。1981年秋から目黒記念(秋)有馬記念、翌1982年のアメリカジョッキークラブカップという芝2500メートルの重賞を3連勝したほか、翌1983年のアメリカジョッキークラブカップで連覇を果たし、天皇賞(春)も優勝していた[35]

大活躍したアンバーシャダイの全妹を、社台は、牧場の基礎繁殖牝馬にしようと考えていた[36]。しかし全妹に惚れたさくらコマース社長・全演植に要求され、3年間の期限付きで貸し出していた[36]。そして競走馬となったサクラハゴロモは、結局その3年間を全うできなかった。全が故障を恐れて、1年早い2年での返却を決断していた[36]。サクラハゴロモは、2年間で2勝を挙げるに留まり、社台に帰還していた[32]。1年早い返却となったために社台は、初年度のサクラユタカオー交配と、初仔の提供を全に約束し、その1年を埋め合わせることになった[32]。約束通り「早来町の社台ファーム」に戻ったサクラハゴロモは、サクラユタカオーと交配して初仔を産む。そしてその初仔が全に提供され、サクラバクシンオーとなった[36]

サクラバクシンオーは、父サクラユタカオーを受け継いで、大柄な馬体を持ちスピードの才能にも恵まれ[33]、短距離戦線で活躍する[36]。スタートからハナを奪って逃げる競馬を得意としており、井口民樹が「ゲートを真っ先に飛び出すという逃げではない。一完歩置いてからのスピードが他を圧していた[36]」と表すような逃げであった。ただ両親が共に体質面の弱点を受け継いでおり、順調な出世ではなかった[37][36]。体質面の充実に時間を要し、日々の地道な運動で少しずつ強化され、古馬になってからGI戦線で活躍した[37]。全演植はバクシンオーが最盛期を迎える前の1993年に死去する(社業、馬主業は息子の全尚烈が継ぐ)が、その1993年からはスプリンターズステークス(GI)連覇を成し遂げた[38]。現役最終年であった1994年のスワンステークス(GII)とスプリンターズステークスは、日本レコードで芝1400メートル、芝1200メートルを駆けて優勝していた[39][38]。スプリンターズステークス連覇並びに日本レコード樹立を引退レースで飾っていた[38]。競走馬引退後は、父と異なって社台系列の社台スタリオンステーションで種牡馬として供用された。例によって劣勢の内国産種牡馬でありながら奮闘し、自身と同様にスピードに勝る産駒を多数輩出した。数々の重賞を優勝し、ショウナンカンプビッグアーサーは、スプリントGIである高松宮記念を優勝するなど、産駒は主に短距離で活躍していた。

しかし裏を返せば、中長距離は成果に乏しかった[40]。重賞優勝産駒では、2002年きさらぎ賞(GIII)と2006年小倉大賞典(GIII)を優勝したメジロマイヤーの1800メートルが平地競走の限界[注釈 1]だった[40]。また母の父としての産駒にしても、その傾向は大きく変わらなかった。2000メートル以上の重賞を優勝したのは、2016年新潟大賞典(GIII)を優勝したアデイインザライフしか存在していなかった[41]。このためサクラバクシンオーに短距離のイメージが浸透していた[41]

デビューまで[編集]

牧場時代[編集]

予定日から少し遅れた2012年3月10日、北海道日高町のヤナガワ牧場にて、ブラックタイドの4年目産駒、シュガーハートの3番仔である鹿毛の牡馬「シュガーハートの2012」(後のキタサンブラック)が誕生する[42]。「シュガーハートの2012」は、生後立ち上がった直後から高評価だった[43]。骨量に富み、バランスの良い馬体の持ち主だった[21]。牧場ではけがや病気に見舞われることなく順調で、良い出来に成長していた[44]

この年のヤナガワ牧場は35頭以上の仔を生産しており、それぞれ牡、牝が生まれていた[45]。そんな中で「シュガーハートの2012」は、生産された牡馬の中で2番目、ディープインパクト産駒の「タイセイエトワールの2012」に次ぐ評価を与えられていた[45]。「タイセイエトワールの2012」とは、後の「アレスバローズ」である[45]。アレスバローズは、2018年のCBC賞(GIII)及び北九州記念(GIII)を連勝してサマースプリントシリーズの王者に輝くことになる[46]

牡馬で2番目の評価を得ていた「シュガーハートの2012」だったが、活躍馬に乏しい牝系に属するために、梁川は活躍を保証する自信がなかった。そのため牧場を訪れる調教師や馬主などのお得意先に、たやすく薦めることはできなかった[27]。買い手がつかないため、牧場は当初、セリへ上場させて売却しようと考えていた[27]。さらには売却すらも諦め、しかたなく牧場所有で馬主との共同名義で競走馬としてデビューさせようとも考えていた[25]。そんな頃、梁川と長年親しい関係にある北島三郎の関係者が牧場を訪れていた。北島へ推薦する頃には、売却できるか否かの瀬戸際にまで追い込まれていた[27]

北島は後に、明治記念館で行われた「キタサンブラック菊花賞優勝祝賀会」にて、出会いを以下のように語っている。北島は、かつて騎手の加賀武見に、目利きするには馬の眼を見るべきであると教え諭されていた[47]

夏の日に、牧場にいまして、一頭の馬に向きあっていました。なんだか、そこを動けなくなったのは、その馬の瞳の、黒光りというのか、瞳の光の凄さに惹きつけられてしまったからです。
牧場にさよならしまして、空港へ向かう車のなかまで、妙に胸さわぎがするんだなあ。どうしてだろう。どうもさっきの馬の、瞳の黒い光のせいらしい。
ヤナガワさんにケイタイをかけました。あの馬、わたしに売ってくれないかって。
それがキタサンブラックでした。 — 北島三郎[48]吉川良「競馬 その愛」第84回『はてしない夢』(『優駿』2016年2月号所収)

北島は、この「シュガーハートの2012」を350万円で購入していた[49]。「シュガーハートの2012」はトラブルに見舞われることなく離乳し、そして1歳秋まで牧場で育てられた[44]。当歳の頃から夜間放牧をこなしていた[50]。体高があって脚が長く、正克の妻は、その体形を1996年菊花賞優勝馬ダンスインザダークに似ていると評していた[50]

育成段階[編集]

"シュガー"[編集]

1歳秋の11月12日に北海道新冠町の日高軽種馬共同育成公社に移動して育成が施された[51]。育成公社では母親の名前で呼称されており、「シュガーハートの2012」は「シュガーハート」、略して「シュガー」と呼ばれて[52]、育成公社の6番厩舎に割り当てられた[51]。夏から入厩する馬もいる中で、同期の中では調教は最も遅いグループだった[53]。脚が長い体形、体高が高く後肢が充実していないために、脚元への負荷には細心の注意が払われた[53][54]。長く馴致をするなど、時間をかけて錬成された[55]。1歳の頃、要請を受けた調教師清水が検分に訪れていた[56]。初対面では、活躍馬になる予感はなかったという[56]。育成公社は、場長を加納雅己が担っていたが、加納は闘病中だった(後述)。そのため副場長、かつてノースヒルズでファレノプシスを手掛けたこともある佐々木譲次が補佐していた[52]

2歳となった1月半ばから、調教が開始された[55]。シュガーはおとなしい性格で、経験の浅い若手スタッフでも騎乗できるほどだった[55]。育成公社はちょうど施設改修をしており、新設されたばかりの坂路コースを用いて調教が施された[54]。歩様の乱れや発熱などなく、治療も一切ないまま健康に過ごし、順調に育成されていた[54]。問題児ではなかったため、スタッフによればむしろ「印象が薄かった[54]」とも回顧している。また担当者によれば「いつも寝てる[57]」馬だった。

育成公社で過ごした1年間の間に成長し、体高は164センチメートルから170センチメートルに伸び、体重は484キログラムから544キログラムに、胸囲は183センチメートルから190センチメートルにまで増大していた[58]。ただ体高があって奥手だったために筋肉が未熟だった。佐々木はまだ「1勝、2勝はできる[58]」という評価で、大活躍の予感はなかった[58]

"ブラック"[編集]

育成公社を巣立った「シュガー」は本州に入り、2歳11月16日に京都府宇治田原町宇治田原優駿ステーブルに入厩した[59]。入厩するまでに北島は、この「シュガー」に冠名の「キタサン」と父ブラックタイドの一部「ブラック」を組み合わせて「キタサンブラック」と命名していた[60]。「キタサンブラック」は、宇治田原のスタッフには「ブラック」と呼ばれていた[59]

「ブラック」には、宇治田原でも成長に寄り添った調教が施された[59]。当初の見立てでは仕上がりには時間がかかると思われていたが、その見立てよりも早いペースで成長した。調教の一つの目安である1ハロン走破平均15秒――通称「15-15」をこなすまで、通常早くても1か月必要なところ、入厩して3週間で「15-15」をこなしていた[59][59]。また坂路でも抜群の動きを見せていた。当初「ブラック」は、2014年暮れ、2歳末か2015年明け、3歳初めに清水厩舎に入厩する見立てだった[61]。しかし清水厩舎の馬房が空いていたため、前倒しでの入厩となった[61]。宇治田原の担当田辺滋久は、調教を見て「2、3勝できる[61]」馬という認識だった。

デビュー直前[編集]

「キタサンブラック」は、2014年、2歳12月17日に栗東トレーニングセンターの清水厩舎に入厩した[62]。そして翌18日から坂路調教が開始された[61]。厩舎では、辻田義幸が厩務員を担った[57]。厩舎でも寝てばかりのキタサンブラックにあてがわれた辻田もまた、清水によれば「せかせかしていない人で、ゆっくり、のんびりしたところ[57]」のある性格だった。また調教には、現役騎手の黒岩悠が携わっていた[62]。キタサンブラックは、動きこそ手応えを感じさせるものの、まだ筋肉がついていなかった。そのため本格化は、かなり先であると考えられていた[62]。黒岩は当初、成長は3歳夏頃になると感じ取っていた[62]

3歳(2015年)[編集]

条件馬時代[編集]

2015年1月31日、東京競馬場芝1800メートルの新馬戦でデビューを果たした。栗東所属の関西馬であり、清水は当初京都競馬場でのデビューを考えていた。しかし東京在住のオーナー北島三郎を慮って遠征し、東京デビューとなっていた[注釈 2]。唯一の関西馬として参戦し、後藤浩輝が騎乗して3番人気で出走した[64]。1番人気のディープインパクト産駒ミッキージョイが出遅れる中[65]、後方の外側で待機し[66]、超スローペースを追走した[67]。直線では外側からスパートして追い込み、内側で押し切りを図る2頭を差し切り、大外から挽回を図るミッキージョイを振り切り、先頭で決勝線に到達した[64]。ミッキージョイに1馬身4分の1差をつけて初出走初勝利を果たしていた[64]。繁殖牝馬シュガーハートの初勝利でもあった[65]

続いて2月22日、再び東京、距離を伸ばして芝2000メートルの条件戦(500万円以下)に参戦[注釈 3]した。新馬戦で騎乗した後藤には、京都競馬場で騎乗する予定があったため、代わって北村宏司が騎乗した[68]。以後しばらく北村が主戦騎手として定着した。ダッシングブレイズサトノラーゼンを相手に、単勝オッズ48.4倍の9番人気という評価に留まっていた[66]。新馬戦とは打って変わって先行した[67]。マイネルポルトゥスが大逃げを展開し、離れた2番手を確保した[69]。大逃げ馬は、先行するキタサンブラックに厳しい展開を築いていた[67]。最終コーナーまでマイネルポルトゥスに独走を許したが、直線に入ってスパートすると差し切り、抜け出して早めの先頭を奪取した[69]。後方からの追い込み勢の台頭を許さず、押し切って独走態勢を築いた[67]。ディープインパクト産駒サトノラーゼンに3馬身差をつけて優勝した[69]。新馬戦に続いてディープインパクト産駒を2着に下して、2連勝としていた[70]

スプリングステークス[編集]

2連勝を果たした陣営の次なる目標は重賞だった。重賞初参戦の舞台は、阪神競馬場で行われる毎日杯や、中山競馬場で行われるクラシック初戦・皐月賞トライアル競走であるスプリングステークスなどの選択肢があった[71]。その中からトライアル競走、3着以内の3頭に皐月賞の優先出走権が与えられる、3月22日のスプリングステークス(GII)を選んでいた。

スプリングステークスは、12頭立てだったが、うち4頭が重賞優勝の実績があった[72]。前年の朝日杯フューチュリティステークス優勝馬で世代の最優秀2歳牡馬であるダノンプラチナ、無敗で共同通信杯を優勝したリアルスティールは、いずれもディープインパクト産駒だった。そして京成杯優勝ハービンジャー産駒のベルーフと、新潟2歳ステークス優勝キングカメハメハ産駒のミュゼスルタンがいた。対して重賞初挑戦に過ぎないキタサンブラックは、ミュゼスルタンこそ上回ったが、他4頭と京成杯2着のバゴ産駒のブラックバゴにも劣った5番人気、単勝オッズ12.3倍という評価だった[73]

スタートから先行策に出ていた。タケデンタイガーが後続を引き離す逃げを展開し、離れた2番手を確保した[73]。タケデンタイガーは大逃げの形にしたにもかかわらずスローペースだったが、折り合いをつけて追走できていた[73][74]。タケデンタイガーは第3コーナーで失速して先頭奪取となっていた。早いタイミングで抜け出したが、直線では押し切り目指して早めにスパートしていた[75]。一足早く抜け出してからは、ハトに気も漫ろになったが北村に正されて粘りこんだ[74]。外からは人気のダノンプラチナ、リアルスティールなどが追い込んでおり、特にリアルスティールには先頭を脅かされた[73]。ゴール寸前では並ばれる形になるまで追い込まれ、ほとんど同時の決勝線に到達となったが、キタサンブラックがクビ差だけリードを残していた[73]

無敗のスプリングS優勝(2018年まで)[76]
優勝馬 主な成績
1959 メイタイ 皐月賞2着、東京優駿3着など
1960 コダマ 皐月賞、東京優駿優勝
1964 シンザン 「五冠」
1973 ハイセイコー 皐月賞、宝塚記念優勝
1974 キタノカチドキ クラシック二冠(皐月賞、菊花賞)
1976 テンポイント 天皇賞(春)、有馬記念優勝
1982 ハギノカムイオー 宝塚記念優勝
1985 ミホシンザン クラシック二冠(皐月賞、菊花賞)
天皇賞(春)
1992 ミホノブルボン クラシック二冠(皐月賞、東京優駿)
2001 アグネスゴールド 鳴尾記念3着、菊花賞8着
2015 キタサンブラック

再びディープインパクト産駒を下して3連勝[16]。重賞初出走初勝利を果たして[77]、皐月賞の優先出走権を獲得した[16]。1961年ユキロウ[注釈 4]、1982年ハギノカムイオー、1985年ミホシンザンに続いて史上4頭目となる中央競馬キャリア3戦目でのスプリングステークス優勝を果たしていた[77]。また14年ぶり史上11頭目となる無敗でのスプリングステークス優勝を果たしていた[77]。これまで達成した10頭は、直後に故障したアグネスゴールドを除けばすべてGIや八大競走で上位になる活躍をしており、さらに1959年皐月賞にてウイルデイールに敗れる2着、東京優駿はコマツヒカリに敗れる3着となったメイタイを除けば、残った8頭はいずれもGI級競走を優勝していた[76]。さらに宝塚記念勝利のみに終わったハギノカムイオーを省いた7頭は、いずれも八大競走または旧八大競走を優勝していた[76]

また2004年に優勝したブラックタイドに続く父子スプリングステークス優勝を果たしていた[75]。続いてキタサンブラックは、父が果たせなかったクラシック戴冠を目指すこととなった。しかしクラシック出走に必要な、40万円の出走登録をしていなかった[78]

陣営は、キタサンブラックが大柄であり、仕上がるのに時間を要すると考えており、クラシックを目指す予定をしていなかった[79]。しかし見込みに反して順調な出世を果たし、重賞優勝に加えて優先出走権まで獲得し、クラシック出走を確実なものにしていた。そこで陣営は、追加登録制度を用い、北島が追加登録料200万円を負担して皐月賞の出走権を取得。クラシック参戦を叶えていた[79]

クラシック[編集]

皐月賞[編集]

4月19日の皐月賞(GI)は、北村に騎乗停止処分が下ったために、代打浜中俊で挑んでいた[80]。同日の北村は、装鞍所を訪れて、装鞍を手伝っていた[80]。無敗のキタサンブラックは、2歳チャンピオンであるダノンプラチナを上回る単勝オッズ9.7倍、単勝オッズ一桁台間際の4番人気という支持だった[81]。キタサンブラックよりも信頼を集めたのは、サトノクラウンリアルスティール、ドゥラメンテだった[81][82]

マルジュ産駒の持込馬サトノクラウンは、チェヴァリーパークステークス(G1)を優勝したライトニングパールの全弟で、東京スポーツ杯2歳ステークス、トライアルの弥生賞を優勝した無敗馬だった。またディープインパクト産駒のリアルスティールは、スプリングステークスこそ取りこぼしたものの、依然評価が高かった。そして東京優駿優勝馬のキングカメハメハ産駒で、エリザベス女王杯連覇のアドマイヤグルーヴを母に持つドゥラメンテは、共同通信杯にて、リアルスティールに敗れたものの4戦2勝2着2回の安定感があった。この3頭は共に良血とされ、何よりクラシック優勝多数の名門ノーザンファーム生産馬だった。人気はサトノクラウン、リアルスティール、ドゥラメンテの順で、単勝オッズはそれぞれ3.1倍、3.8倍、4.6倍だった。対してヤナガワ牧場生産、GII優勝止まりのブラックタイド産駒、実績に乏しい牝系の仔であるキタサンブラックは、離された4番人気だった。

スタートから先行。ハナを奪って逃げたクラリティスカイの直後の2番手を確保した[81]。クラリティスカイが先導する緩みのないペースを追走して、2番手で最終コーナーを通過していた[81]。直線ではクラリティスカイに接近して先頭を伺ったが、3番手追走から抜け出したリアルスティール、外から追い込んだドゥラメンテにかわされて抵抗できなかった[67]。それでもクラリティスカイは捉え、追い込むブライトエンブレムやサトノクラウンには先着を許さなかった[81]

優勝したドゥラメンテには約4馬身以上、リアルスティールには2馬身半敵わなかったが、ブライトエンブレムにはアタマ差先着する3着だった[81]。初敗北、それでも4着以内となり、東京優駿(日本ダービー)の優先出走権を確保していた[83]

東京優駿[編集]

続いて5月31日、東京優駿(日本ダービー)(GI)にも追加登録料200万円を支払って参戦した。皐月賞を優勝したドゥラメンテは信頼されて、皐月賞の上位人気に比べて頭一つ抜け出していた。単勝支持率は40パーセントを超え[84]、オッズ1倍台の1番人気となっていた[85]。残るリアルスティールとサトノクラウンは離されたが、それに追随し、3頭が3番人気までを占めていた[85]。しかしキタサンブラックは続く4番人気に推されなかった[85]青葉賞優勝のキングカメハメハ産駒レーヴミストラルに、京都新聞杯優勝のディープインパクト産駒サトノラーゼンという、共にノーザンファーム生産馬の2頭に上回られて、人気を落とした単勝オッズ20.7倍の6番人気だった[85]。当日のキタサンブラックは、走る気に満ち満ちてしまっていた[86][87]。そのためパドックでは、初めて一人増やした「二人引き」がなされていた[87]

8枠17番という外枠から躓きながらスタートし[86]、先行した[88]。いきなりムチを駆使してハナを奪取したミュゼエイリアンの直後である2番手を追走した[89]。ミュゼエイリアンは緩めることなく前進し、前半の1000メートルを58.8秒で通過するハイペースを刻んでいた[90]。直後のキタサンブラックは、ミュゼエイリアンを結果的に深追いする形となり、先行馬にとっては歓迎できないハイペースに巻き込まれていた[91][89]。最終コーナーを2番手で通過した後[85]、直線では深追いが災いして息切れを起こして後退した[91]。中団追走から、ペースに恵まれたドゥラメンテが鋭く抜け出し優勝する一方[90]、大きく後れを取る14着に敗れた[85]

セントライト記念[編集]

夏休みを挟んで秋は9月21日、菊花賞のトライアル競走であるセントライト記念(GII)で始動した。栗東所属の関西馬ながら再び関東遠征、適性と春の実績から中山競馬場芝2200メートルに挑んでいた[92]。東京優駿2着サトノラーゼンや7着タンタアレグリア、皐月賞4着ブライトエンブレムや12着ベルーフというクラシック出走組が中心視されていた[93]。しかし皐月賞3着実績のあるキタサンブラックは、その4頭と、クラシック未出走の2戦2勝馬ロッカフェスタにも劣る6番人気という支持だった[93]。また東京優駿にて、大敗に誘われた逃げ馬ミュゼエイリアンとの再会も果たしていた[93]

スタートから先行し、再びミュゼエイリアンにハナを譲って控えた2番手を確保した[93]。東京優駿はハイペースを演出したミュゼエイリアンだったが、この日はスローペースに落としており、先行馬有利の展開を築いていた[93]。キタサンブラックは折り合いをつけて追走し、最終コーナーでミュゼエイリアンに並びかけた[93][94]。直線ではミュゼエイリアンとともに粘りこみ、追込勢から逃走[94]。ミュゼエイリアンとは先頭を争い続けたが、終いで抜け出し、単独先頭を得ていた[93]。人気馬を後続に従えながらミュゼエイリアンにも4分の3馬身差をつけて決勝線に到達していた[93]。始動戦を飾って重賞2勝目、菊花賞への優先出走権を得ていた[95]

菊花賞[編集]

続いて10月25日、菊花賞(GI)にも追加登録料200万円を支払って参戦した[78]。栗東所属の関西馬ながら、3歳秋にして初めて関西の競馬場に見参していた[60]。本来は、二冠馬ドゥラメンテの三冠が懸かる舞台となるはずだった。しかし夏に、今季絶望の骨折をきたして戦線を離脱となり、三冠の夢は潰えていた[96]。クラシック三冠戦線の最終戦、ドゥラメンテに代わる主役を張ったのは、セントライト記念を逃げ切ったキタサンブラックではなかった。さらに春のクラシック上位のリアルスティールでもなかった。主役は、春はダートを走り、クラシックとは無縁の存在だったゼンノロブロイ産駒のリアファルだった[97]。春はソエのため、負荷の少ないダート戦線を歩んだリアファルだったが、夏に芝に転向すると、初戦で古馬相手に逃げ切り、トライアル競走の神戸新聞杯では、リアルスティールを千切り捨てて逃げ切っていた[98]

18頭立てとなる中、神戸新聞杯の1着2着であるリアファルと、リアルスティールが2番人気までを占めていた[97]。続く3番人気は、セントライト記念組だったがキタサンブラックではなく7着のサトノラーゼンだった[97][97]。キタサンブラックは、母の父サクラバクシンオーが嫌われたこともあり信頼されず、重賞初参戦に過ぎないスティーグリッツにも劣る5番人気だった。

スタートから先行した。スピリッツミノルやリアファル、ミュゼエイリアンらと共に先行する形となったが、控えてハナを譲り、好位の5番手を確保した[99][97]。スピリッツミノルらの演出するスローペースを折り合いをつけて追走した[97]。スローゆえに折り合いに苦しむ馬が多く、2周目の向こう正面では我慢しきれず進出する馬が続出していた[100]。引っ掛かった馬らにかわされた結果、馬群に押し込められた中団追走となった[100]。それでもつられず、我慢が効いて第3コーナーの坂の上り下りを10番手でこなし、最終コーナーを8番手で通過した[97][99]

直線に向いてからスパートし、溜めていた末脚を発揮[99]。馬場の最も内側から進出し、馬群の間を割って抜け出して先頭を奪取していた[97][100]。すぐ外側にはリアファルが粘り、さらに外側にはリアルスティールが追い込んでいた。リアファルには半歩先に出たが、リアルスティールにはゴール寸前で接近され、先頭を脅かされた[101]。キタサンブラックとリアルスティールは、ほとんど並んで決勝線に到達していたが、キタサンブラックがクビ差先着していた[101]

菊花賞優勝、クラシック戴冠を成し遂げていた。1984年シンボリルドルフ以来31年ぶり10頭目となるセントライト記念からの連勝戴冠、2001年マンハッタンカフェ以来14年ぶりとなるセントライト記念参戦からの戴冠だった[78]。二冠目東京優駿14着からの三冠目奪取となり、1980年ノースガスト以来8頭目となるダービー二桁着順からの巻き返しを果たしていた[60]

また3回のクラシック追加登録料支払いを行い、600万円かけて最終戦でのクラシック戴冠を果たしていた。1999年皐月賞のテイエムオペラオー、2002年桜花賞アローキャリーと菊花賞のヒシミラクル、前々年――2013年優駿牝馬メイショウマンボ、前年――2014年菊花賞のトーホウジャッカルに続いて史上6頭目となる追加登録敢行が結実した例となった[102]。またヤナガワ牧場は、1988年ガクエンツービートのスーパークリークに次ぐ2着、1999年タヤスタモツのナリタトップロードに敗れる4着を乗り越えた菊花賞優勝、クラシック初勝利でもあった[103]

有馬記念[編集]

続いて12月27日、グランプリの有馬記念(GI)で、古馬と初めて挑んだ。主戦北村が、12月初旬に左膝の捻挫が判明して離脱したため、代わりに横山典弘に乗り替わり参戦した[104]。横山は、この頃ゴールドシップの主戦騎手であり、宝塚記念や天皇賞(春)を優勝に導いていた。6歳のゴールドシップは、同じく有馬記念に出走し、これを引退レースと予告していた[105]。しかしゴールドシップ陣営は、横山を起用せず、クラシック二冠などを導きながら降板した前代の主戦騎手である内田博幸を、敢えて再登板させて臨んでいた[106][105]

当日は、そのゴールドシップ、5歳の天皇賞(秋)優勝馬ラブリーデイという古馬が上位人気となった[107]。続く3番人気が3歳馬筆頭となったが、筆頭は、菊花賞優勝のキタサンブラックではなく、3着に下したリアファルだった[106]。キタサンブラックは逆転されて4番人気、単勝オッズ8.4倍だった[107]

6枠11番からスタートして先行し、ハナを目指したかったが、周りが好スタートを切って先行していたために、ハナを取り切るまでに時間がかかった[108]。内にいた8番人気・3連勝中のゴールドアクター、外にいたリアファルを制して逃げる形を作ってから、マイペースを刻み始めた[107]。横山は、前半の1000メートルを62秒4で通過するスローペースを演出し、先行するキタサンブラックに有利な局面に持ち込んだ[109]。ただリアファルに背後からプレッシャーをかけられるなど苦労しながらの追走となっていた[108]。向こう正面に差し掛かってからペースを上げて、先頭を守ったまま最終コーナーを通過した[107]

最後の直線でスパートし、並びかけてきたマリアライトと競ったが粘り、先頭を守り続けた[109]。しかし残り100メートル、外から追い込んできた8番人気ゴールドアクターと、後方から追い込む5番人気サウンズオブアースに差し切られて、先頭を明け渡した[110][109]。先頭を譲り優勝したゴールドアクターに4分の3馬身以上、2着のサウンズオブアースにクビ差をつけられて敗退した[107]。ただし横並びで争ったマリアライトには、寸前で差し返してアタマ差退けて3着は守っていた[108][107][111]

4歳春(2016年)[編集]

武豊[編集]

この年は、4月上旬の産経大阪杯での始動を目標にしていた。主戦の北村は、その始動戦に間に合わせるためにリハビリに励んでいたが、間に合うか微妙だった[112]。結局、復帰できたのは産経大阪杯前日で、キタサンブラック騎乗は叶わなかった[113]。北村は「乗りたい気持ちは大きかったけど、関係者の方々に迷惑をかけるわけにもいかないし、泣く泣くお断りを入れさせていただきました[113]」と回顧している。

なお北村は復帰しても、すぐに患部に再び違和感が生じて、今度は遊離軟骨の除去手術が伴う休養に追い込まれている[114]。再び長期離脱となり、主戦騎手は降板。しばらくして戦線復帰を果たすものの、再登板は叶わなかった[114]。始動戦の産経大阪杯では、有馬記念で代打した横山の再登板も考えられたが、横山にはアンビシャスに騎乗する先約があった[115]。新しい主戦騎手を探した陣営は、騎乗馬がおらず手が空いていた武豊を起用する。北島には「タケユタカ」に縁があった。 テンプレート:競走馬血統表3代 キタサンクインは、かつて北島が所有した牝馬である。地方競馬・川崎競馬場を本拠にする競走馬として南関東公営競馬に臨み12戦4勝、1987年の東京プリンセス賞では3着となる活躍を果たしていた[116][117]。引退後は繁殖牝馬となり、産駒を続々出産し、ほとんどが「キタサン」の名を冠して競走馬となり次々に勝利を挙げた。産駒のなかでもキタサンテイオーは、南関東でデビューし1992年平和賞全日本3歳優駿を優勝。さらにキタサンチャンネルは、2001年ニュージーランドトロフィー(GII)を優勝し、北島にJRA重賞初勝利をもたらしていた。北島の所有馬でも活躍したキタサンクインの祖母、キタサンテイオーやキタサンチャンネルの曾祖母は「タケユタカ」という牝馬だった[116]。北島は、このタケユタカから続く牝系を所有して、活躍産駒を次々に得ていた[116]

このことから北島は「タケユタカ」に縁を感じており、いつか自らの所有馬に「武豊」を起用しようと考えていた[116]。これまで下級条件ではその起用はたやすく実現したが、露出の多い重賞ではなかなか実現しなかった[116]。しかし馬主歴50年が経過したこのタイミングで、実力馬キタサンブラックが現れ、主戦の降板が発生して実現することになった[116]。他の騎手で菊花賞を優勝した翌年の春に、武豊に乗り替わる構図は、1991年から天皇賞(春)を連覇するなど活躍したメジロマックイーンと同じだった[111]

ベテランの武豊は、この年、騎手デビュー30年目に到達していた。デビュー2年目から毎年のように年間100勝を続け、年間200勝を果たした年もあったが、2010年毎日杯(GIII)での落馬事故をきっかけに不調に陥り、それ以降は100勝にすら届かなかった。しかし29年目の2015年に復調し、6年ぶりに年間100勝を果たしていた。そして30年目、中長距離を主戦場とする古馬キタサンブラックをお手馬に加えていた。後に武は、30年目を振り返り、キタサンブラックの「存在は大きかった[118]」と振り返っている。

産経大阪杯[編集]

武とのコンビ初戦は、4月3日の始動戦である産経大阪杯(GII)だった。古馬となり、年上と同じ負担重量を課されていた。11頭立てとなる中、GI優勝馬5頭が揃っていた。最も注目を集めたのは、前年の最優秀4歳牡馬で5歳のラブリーデイだった。次いで同期の中距離巧者アンビシャスが注目されていた。アンビシャスは、GIII優勝馬に過ぎなかったが、前走の中山記念にて後方待機から追い込み、ドゥラメンテにクビ差まで迫る2着となっていた。GI優勝馬ではないため、キタサンブラックよりも負担重量が2キログラム軽かった。58キログラムのキタサンブラックは、56キログラムのアンビシャスを下回った単勝オッズ6.2倍の5番人気だった[119]

スタートからハナを奪取して逃げ、前半の1000メートルを61.1秒まで落とし、スローペースに持ち込んで、キタサンブラックのペースを形成したつもりだった[120]。ところが背後に、後方からの追い込みが信条のアンビシャスがおり、マークされる形に嵌められていた[120]。騎乗する横山が、アンビシャスを突然に先行させる奇策に出ていた。位置を取りに行ったにもかかわらず、横山は折り合いを実現させ、順調な追走となっていた[119]

キタサンブラックは、先頭を守ったまま直線に向き、中団に構えていたラブリーデイやショウナンパンドラから逃走は叶えていた[119]。しかし好位から末脚を発揮したアンビシャスには詰め寄られて、先頭を脅かされた[121][120]。粘って抵抗したが、ゴール寸前で差し切られた[119]。アンビシャスにクビ差屈する2着敗退だった[119]。それでも武は「思い通りのレース」ができたと回顧し、アンビシャスのマーク戦法と負担重量2キログラムの差があることを指摘していた[122]

天皇賞(春)[編集]

5月1日、天皇賞(春)(GI)に参戦し、前年の有馬記念で敗れたゴールドアクターとの再戦に挑んだ。ゴールドアクターは、始動戦の日経賞を優勝して5連勝で参戦し、単勝オッズ3.8倍の1番人気だった[123]。対してキタサンブラックは、4.5倍の2番人気だった[123]。以下、シュヴァルグランやフェイムゲーム、サウンズオブアース、アルバートがオッズ一桁台で続く18頭立てだった[123]

1枠1番の最内枠から好スタートを切ってすんなりハナを奪い、マイペースに持ち込んだ[124]。序盤の1000メートルを61秒8で通過し、続く中盤の1000メートルを61秒7で通過[124]。武が調節し緩急つけて誤魔化し、ラップタイム11秒12秒台で率いた[124]。逃げて極端なハイペースになれば、消耗して終いで失速し後退する危険があり、反対に極端なスローペースになれば、苦手の瞬発力勝負となって差し切られて後退する危険があった[125]。しかしキタサンブラックと武は、その両方を回避する「絶妙なペース」で道中を過ごし、余力を持って最終局面に入っていた[124][126]

残り800メートルから、ラップを11秒台に引き上げてスパート[124]。後続を引き付けながら直線に向いていた。背後にはゴールドアクターが好位に取り付いていたがまもなく下し、先頭を守った[123]。ところが直線半ばを過ぎてから、13番人気に過ぎない伏兵のカレンミロティックに急襲された[123]。道中はキタサンブラックの背後に潜み、直線で外から詰め寄られた。差し切られて残り100メートルで先頭を奪われていた[127][124]

騸馬カレンミロティック
約4センチメートル及ばなかったが、2008年に天皇賞(春)が騸馬に解放されて以来、延べ11頭目の参戦で史上初めて連対を成し遂げた[128]

しかしキタサンブラックは粘り、カレンミロティックに独走は許さなかった。促されるとすぐに盛り返し、ゴール寸前で並び立ったと同時に決勝線を通過していた[123]。2頭が横並びでほとんど同時に通過し、優劣は写真判定となっていた[129]。写真判定の結果、キタサンブラックのハナ差、約4センチメートル先着が認められ、天皇賞戴冠を果たした。1948年優勝シーマー2着カツフジ、1995年優勝ライスシャワー2着ステージチャンプ、2007年優勝メイショウサムソン2着エリモエクスパイアに続いて史上4例目となるハナ差決着の天皇賞(春)[128]、3200メートルを走って約4センチメートル差の決着は、天皇賞(春)史上最も僅差、薄氷の勝利だった[130]

菊花賞以来となるGI2勝目、2004年イングランディーレ以来12年ぶり史上7頭目となる天皇賞(春)逃げ切り優勝を果たした[131][132]。また2006年ディープインパクト以来10年ぶりとなる4歳の優勝[132]、菊花賞優勝馬による翌年天皇賞(春)優勝を果たしていた[123]。また武は、JRAGI70勝目にして初めてとなる逃げ切り優勝だった[125]。さらに1989年イナリワン、1990年スーパークリーク、1991年92年メジロマックイーン、1999年スペシャルウィーク、2006年ディープインパクトに続いて10年ぶり天皇賞(春)7勝目[注釈 5]を挙げ、かつて天皇賞(秋)を7勝した保田隆芳[注釈 6]以来となる同一GI級競走7勝騎手となっていた[123]

宝塚記念[編集]

続いて6月26日、宝塚記念(GI)に参戦する。前年のクラシックでは太刀打ちできなかったドゥラメンテとの再戦が実現した。ファン投票ではドゥラメンテを上回る最多得票(詳細は#ファン投票実施競走の投票結果)を得ていたが、当日の1番人気はドゥラメンテに譲った。単勝オッズ1.9倍に対して、キタサンブラックは5.0倍の2番人気に留まった[134]。以下、アンビシャスやラブリーデイ、シュヴァルグランなどが続く17頭立てだった[134]。ただ前日まで雨が降り続いており、道悪馬場となっていた。当日こそ晴れたが、馬場の回復は遅く、稍重馬場での開催だった[134]。スタミナやパワーが要求される馬場になり、先行勢がそのまま逃げ粘る決着が目立つ傾向になっていた[135][136]

2枠3番のスタートから先行し、ハナを奪取。ドゥラメンテが後方待機策とは対照的に、逃げる戦法を取った[134]。ただペースを緩められず、マイペースに持ち込むことができなかった[137]。道悪の先行有利傾向を意識した馬が多く、最初のコーナーに6、7頭が殺到して好位に密集、圧力がかかりながらの逃げを余儀なくされた[136]。稍重馬場にもかかわらず、前半の1000メートルを59秒1で通過するハイペース、オーバーペースで一転、先行勢が不利な展開となっていた[136][137]

逃げるキタサンブラックは、先行勢を下し、単独先頭で最終コーナーを通過していた[134]。直線では、追い込む後方待機勢より一足先にスパートして粘り、逃げ切りを図った。まず中団待機から追い込むラブリーデイやステファノスに詰め寄られたが、まもなく下して先頭を守った[138]。しかし後方待機から離れた外側に持ち出して追い込むドゥラメンテ、それに8番人気の牝馬マリアライトには、敵わなかった[137]。粘ったが、末脚を利かせて追い込むその2頭にゴール寸前で捉えられ、まもなく決勝線通過となった[134][137]

優勝したマリアライトにクビとハナ差、ドゥラメンテにハナ差、その2頭と同じタイムで走破しながらも敗れる3着だった[134]。この宝塚記念では、先行好位勢が軒並み下位に敗れていた。しかしキタサンブラックだけは逃げ粘り、3着を確保していた[138]。なお2着に敗れたドゥラメンテは、競走中に左前肢跛行を発症。直後にドゥラメンテ騎乗のミルコ・デムーロは下馬していた[139]。左前脚の靱帯腱損傷が判明して競走能力喪失となり、即引退となっている[140]。すなわちドゥラメンテとの対決は、これが最後となった[141]

4歳秋(2016年)[編集]

京都大賞典[編集]

夏休みを経て秋は、10月10日の京都大賞典(GII)で始動した。ラブリーデイやサウンズオブアースとの再戦、他にヤマカツライデンやラストインパクトなどが揃う10頭立てとなる中、GI2勝の実績上位キタサンブラックは、単勝オッズ1.8倍となり、競走生活12戦目にして初めて1番人気の支持を得ていた[142][143]。北島は、誕生日を迎え傘寿となったばかりだった。しかし8月に自宅で転倒して、頚椎症性脊髄症のために療養中で不在だった[144]

1枠1番という最内枠からスタートを切り、先手を主張するヤマカツライデンにハナを譲って2番手追走となり、菊花賞以来の控える競馬となった[145]。ヤマカツライデンが刻むペースは、前半の1000メートルを62秒0で通過するスローペースだった[143]。第3コーナーの坂の下りで進出を開始し、ヤマカツライデンの背後を取り、直線に向き次第捉えて、先頭を奪取した[143][144]。以後、好位からアドマイヤデウスとラブリーデイがスパートした接近を許した[144]。しかし接近された分だけ伸びて応戦し、先頭を譲らなかった。ラブリーデイを封じ、寸前になって6番人気アドマイヤデウスに接近を許したものの、アドマイヤデウスが迫りくるより先に決勝線が来ていた[144]。クビ差逃げ切りを果たして、始動戦を飾った[143]

1977年テンポイント、1990年スーパークリーク、1991年メジロマックイーン、2000年01年連覇のテイエムオペラオーに続いて15年ぶり6例目となる天皇賞(春)優勝馬による同年の京都大賞典優勝だった[144]。武は、勝利で北島に誕生日プレゼントを届け[143]、2005年リンカーンに続いて11年ぶり京都大賞典8勝目[注釈 7]を挙げていた[147][148]。京都大賞典を制したために天皇賞(秋)の優先出走権を獲得したが[147]、この後はジャパンカップから有馬記念というローテーションを描いていたため、予定通り参戦を見送った[145]

ジャパンカップ[編集]

背景[編集]

11月27日、ジャパンカップ(GI)に参戦する。唯一の大敗となった東京優駿(日本ダービー)と同じ東京競馬場芝2400メートルの舞台に約1年半ぶりに帰還、今度はGI2勝の実績を引っ提げての挑戦となった[149][145]。日本調教馬14頭に外国調教馬3頭を迎える17頭立てとなる中、単勝オッズ3.8倍で再び1番人気となった[150]。有力な相手は、参戦を見送った天皇賞(秋)でモーリスに次ぐ2着となった同期のリアルスティール、オールカマーで復活したゴールドアクター、皐月賞優勝の3歳ディーマジェスティ、他にサウンズオブアースやシュヴァルグランなど日本調教馬たちだった[150]

1枠1番の最内枠が与えられていた。開催3日前、東京地方には54年ぶりとなる11月の降雪があった[151]。その影響で、スピードが出にくく、パワーの要求する馬場になっていた[151]。当日の前座レースは、状態の悪い馬場の内側を空けて走る傾向にになっており、最内枠を与えられた逃げ先行馬キタサンブラックと武にとって試練となっていた[151]

展開[編集]

最内枠から好スタートを切ったキタサンブラックは、すんなりハナを奪って進路を調節して状態の悪い馬場の内側を回避し、内柵から4、5頭分離れた荒れていないコースを確保しながら逃げた[152]。最初のコーナーと第2コーナーを経て単独先頭を確保してマイペースに持ち込み、向こう正面に差し掛かってからは、2番手以下との差を広げて独走した[152]

道中は、ハロンタイム12秒台を連発し、極端に緩むことも締まることもない均一なペースを刻み、前半の1000メートルを61秒7で通過していた[152]。第3コーナーに達してからペースを上げ、単独先頭を守ったまま最終コーナーを通過[150]。馬場の良いところを確保したまま直線に向き、後続を引き付けながら、残り300メートルからスパートした[152]。背後には好位からの抜け出しを図るゴールドアクターがいたが突き放して独走となった[153]。終いには大外から、サウンズオブアースやシュヴァルグランが追い込んでいたが、既にセーフティリードの独走を決めて、先頭は脅かされなかった[153][150]。サウンズオブアースやシュヴァルグランに2馬身半差をつけて逃げ切りを果たした[153]

記録[編集]

ジャパンカップを戴冠して東京競馬場を克服[154]、GI3勝目を挙げた[155]。1984年カツラギエース、2003年タップダンスシチーに続いて13年ぶり史上3例目となるジャパンカップ逃げ切り優勝を成し遂げた[155]。1986年母父父サクラユタカオーが1番人気の立場で逃げ、捉えられて6着となってから30年後、その子孫が史上初めてとなるジャパンカップ1番人気の逃げ切りを果たしていた[156]。武は、1999年スペシャルウィーク、2006年ディープインパクト、2010年ローズキングダムに次いでジャパンカップ最多勝となる4勝目[156]。また北島三郎は、第36回「サブロー」のジャパンカップを優勝していた[157]

武は、接戦の勝利が多かったキタサンブラックが引き離して勝利したことに「ボクにとっても嬉しい意味での意外なもの[158]」と回顧しており、ジャパンカップは「これまで乗ったなかで一番強いパフォーマンス(中略)一戦ごとにどんどん良くなっている(中略)春に比べると走り自体が力強くなっていて、精神面も含めて競走馬としての充実期に入った[158]」と感じ取っていた。

有馬記念[編集]

サトノダイヤモンド[編集]

続いて12月25日、クリスマスの有馬記念に参戦する。前年とは異なり、古馬として3歳馬の挑戦を迎え撃つ立場となった。3歳馬の参戦は1頭だけだったが、その1頭が有力視されていた。ただ1頭の3歳馬とは、キタサンブラックの次代の菊花賞優勝馬であるサトノダイヤモンドだった。宝塚記念を最後にドゥラメンテが引退し、ジャパンカップを独走した直後に現れた新しいライバルだった[159]。父はブラックタイドの弟ディープインパクトであり、ノーザンファームで生産され、2億3000万円という高額で取引されたエリートだった[159]。同じ菊花賞優勝馬ながら生い立ちや背景が全く異なる2頭は、対照的だった。例えば石田敏徳は、この2頭の関係を『巨人の星』の登場人物「星飛雄馬花形満」で表していた[160]

サトノダイヤモンドは、クラシック三冠競走は、逸材揃いの「最強世代」と囃し立てられる中、全3戦すべて健闘した。3着、2着、1着と尻上がりに着順を上げて、最終戦の菊花賞優勝を果たしていた[159]。ブラックタイドやディープインパクトを管理した池江泰郎の息子である池江泰寿調教師が管理し、「サトノ」の冠名で知られる馬主里見治の所有だった。池江里見タッグは、サトノダイヤモンドのほかにもう1頭、6歳のサトノノブレスも参戦させており、多頭出し[注釈 8][161]で挑んでいた。サトノダイヤモンドには、フランス人のクリストフ・ルメールが、サトノノブレスには、同じくフランス人のヴァンサン・シュミノーが騎乗していた[161]

前年に先着を許したゴールドアクターとサウンズオブアースに加え、シュヴァルグランやマリアライトなど常連の古馬勢も一通り揃う中、注目は4歳キタサンブラックと3歳サトノダイヤモンドの菊花賞優勝馬対決に集中し、2頭のオッズは互角だった[161]。しかしサトノダイヤモンドに僅差で上回られて単勝オッズ2.6倍の1番人気となった。キタサンブラックは2.7倍で2番人気に甘んじていた[161]

展開[編集]

スタートからマルターズアポジーが飛ばして大逃げを敢行していた。一方1枠1番からスタートしたキタサンブラックは構わず、離れた2番手を確保[161]、マルターズアポジーは前半の1000メートルを61秒0で通過する平均ペースを演出していた[162]。キタサンブラックの背後には、ゴールドアクターが、そしてサトノダイヤモンドがいて、マークされる形に嵌められていたが[163]、マイペースを守りながら追走し、それらを引き付けていた。スタミナ勝負に持ち込むために、できる限り引き付けようと考えていた[164]。しかし残り1000メートル、2周目の第3コーナーにて、フランス語の会話があったという[165]。突然、中団外側にいたサトノノブレスが「まくり」を開始していた[166]

「まくり」をしたサトノノブレスにはすぐ外側にまで詰め寄り、キタサンブラックは「突っつかれる」形となった。2番手を譲るまいとしてペースを上げざるを得なくなり、マイペースをかき乱された[164]。サトノノブレスは、サトノダイヤモンドの進路を塞がないように「まくり」をして、結果としてサトノダイヤモンドを助ける展開を作っていた[164]

サトノノブレスによって、早めのペースアップを余儀なくされたキタサンブラックは、最終コーナー手前で大逃げのマルターズアポジーを捉えて先頭を奪取し、背後のゴールドアクターやサトノダイヤモンドを引き連れながらスパートを開始した[165]。直線では迫られたが抵抗し、内にキタサンブラック、中央のゴールドアクター、離れた外にサトノダイヤモンドという横一線を形成する競り合いに持ち込んだ[167]

残り1000メートルからペースが11秒台に上がる戦いで、争い続けた3頭は余力を尽くし[168]、終いは12秒1に失速していた[169]。それでもキタサンブラックは粘り、すぐ隣のゴールドアクターを争いから脱落させて先頭を守った[131][161]。しかしゴール寸前、離れた外から末脚を伸ばしたサトノダイヤモンドに差し切られた[168][161]。ゴールドアクターに半馬身先着を果たしたが、サトノダイヤモンドにクビ差敗れる2着だった[161]。サトノノブレスに「突っつかれ」、サトノダイヤモンドに差し切られる展開は、池江里見勢のフランス人騎手2人の連係プレーにやられた形となっていた[170][164][171]。武は「サトノノブレスに突っつかれたのが痛かった。あのワンプレーがね[171]」と振り返り、池江里見勢の「組織力にやられたよ[171]」と回顧している。

5歳春(2017年)[編集]

大阪杯[編集]

参戦の背景[編集]

この年から中央競馬は、レース体系の改革され、古馬中長距離路線の拡充が実行し、新たに「大阪杯」を設けていた。旧来、春の古馬中長距離路線に設けられたGIは、5月の天皇賞(春)と6月の宝塚記念の2戦のみだった[172]。いずれも長距離に偏っており、時期的に4月、条件的に中距離路線が空白地帯だった。このため中距離馬、4月の出走を目論む馬などは、盛んに出走機会を外国に求めるようになっていた[172]。そこで4月に行われてきたGII競走、芝2000メートルという中距離の産経大阪杯を昇格させ、GI競走「大阪杯」を新設し、中距離馬の国内での出走機会増加が図られていた[172][173]。これをもって春の古馬中長距離競走は3つとなり、天皇賞(春)、宝塚記念と束ねた3競走は、既に整備されている秋の天皇賞(秋)とジャパンカップ、有馬記念の秋の古馬三冠競走に倣って新しく「春の古馬三冠競走」と呼称されるようになっていた。三冠達成馬には、内国産馬ならば2億円、外国産馬ならば1億円の褒賞金も用意されていた[174]

中長距離の活躍馬キタサンブラックの陣営もまた、4月上旬の出走は外国遠征、具体的にはドバイミーティング参戦も検討していた[175]。しかし前年の僅差で敗れた産経大阪杯と宝塚記念の無念があったことから国内に専念となり、リベンジの意味合いで前年と同じローテーション、この年から設けられた褒賞金のある「春の古馬三冠競走」に挑むこととなった[175]。清水は「有馬記念はもちろんなのですが、去年負けたレースをことしはぜんぶ取りたい。もっと言えば、出るところ、ぜんぶ勝ちたいママ[176]」と決意して臨んでいた。「春の古馬三冠」に挑むにあたり、春季4戦を避けるべく前哨戦を使わず、一冠目の大阪杯に直行していた[177]

展開[編集]

4月2日、昇格初年度となる大阪杯(GI)に参戦する。1歳年下の東京優駿優勝馬マカヒキ香港ヴァーズ京都記念を連勝中のサトノクラウン金鯱賞連覇のヤマカツエースなどが揃い、前年優勝アンビシャスとの同舞台での再戦も実現する14頭立てだった[178]。GIであるためにメンバーも揃い、マルターズアポジーやロードヴァンドールといった逃げを信条とする中距離馬も参戦していた[179]。長距離戦の逃げ馬キタサンブラックにとって、タイプの異なる中距離馬の逃げ馬との対決は、相手の本領である中距離戦においては初めてだった[179]。中距離戦挑戦に加えて、他に逃げ馬がいるという状況をどう克服できるか否かに大きな注目が集まっていた[179]。単勝オッズ2.4倍の1番人気だった[178]

スタートからマルターズアポジーやロードヴァンドールが飛ばす一方で、キタサンブラックは主張することなく、サクラアンプルールと並ぶ3番手を確保していた[180][178]。ハナを奪ったマルターズアポジーが後続を引き離す大逃げのような形になっていたが、前半の1000メートルは59秒6に落ち着き、大逃げながら平均ペースという展開となっていた[180][178]。ペースが落ち着いたことで、後方を追走するマカヒキやアンビシャスなど折り合いに苦労する馬が続出していた[180]

しかしキタサンブラックは、好位で折り合い、順調に追走していた[180]。最終コーナー手前から進出して、まず失速するロードヴァンドールを捉えて2番手に浮上[178]。直線に向いてスパートして、逃げるマルターズアポジーに詰め寄り、残り300メートル地点で先頭を奪取した[181][178]。背後には7番人気ステファノスや4番人気ヤマカツエースがいたが、持続するスパートで接近を許さなかった[178]。先頭を守り切り、ステファノスに4分の3馬身差をつけて決勝線を通過、大阪杯の初代王者に輝いていた[178]

天皇賞(春)[編集]

サトノダイヤモンドとの再戦[編集]

続いて4月30日、天皇賞(春)に参戦する。連覇を目指す舞台だったが、前年の有馬記念で敗れたサトノダイヤモンドが立ちはだかった。サトノダイヤモンドは、始動戦の阪神大賞典でシュヴァルグランを下してからの参戦だった。新旧菊花賞優勝馬による京都競馬場での対決が実現し、2頭は共に有力視されて「二強」と目されていた[182]

どちらも前哨戦を制して順調な2頭による争いは注目され、無敗の二冠馬で産経大阪杯優勝から臨むトウカイテイオーと、天皇賞春秋連続1位入線中で阪神大賞典優勝から臨むメジロマックイーンが激突し「世紀の対決」とも呼ばれた1992年天皇賞(春)以来となる「二強」による対決となっていた[160]。他にゴールドアクターやシュヴァルグラン、日経賞優勝のシャケトラなどが揃う17頭立てだったが、人気は「二強」に集中していた。僅かにキタサンブラックが上回って2.2倍の1番人気となり、サトノダイヤモンドは2.5倍の2番人気だった[182]。ただし1番人気は、2006年ディープインパクトの優勝を最後に10連敗中となっており、縁起の悪いジンクスとして存在していた[183]

展開[編集]

2枠3番からスタートして先行、大外枠から飛ばして大逃げに持ち込むヤマカツライデンに前を譲り、離れた2番手を確保した[182][184]。ヤマカツライデンは、序盤の1000メートルを58秒3、中盤の2000メートルを1分59秒7で通過する超ハイペースで大逃げを敢行し[182]、それにつられて2番手以下も、ヤマカツライデンほどではないがハイペースとなっていた[184]。道中ペースが極端に緩むことなく進行していた[185]

2周目の第3コーナーからはヤマカツライデンが失速し、後は2番手キタサンブラック以下による争いとなっていた[182]。キタサンブラックは、その第3コーナーに設けられた坂の下りを活用してスパートし、最終コーナー手前の残り600メートルでヤマカツライデンを捉え、早めに先頭を奪取していた[186][184]

ハイペースゆえに各馬が終いに失速する消耗戦の様相を呈する中、キタサンブラックは、他の馬の追い上げを待つことなく自ら進んでスパートし、リードを築いていた[186][184]。展開には抗えず終いはさすがに失速した[184]。直線では背後からシュヴァルグラン、外からサトノダイヤモンドが先頭目指して追い込んでいた[182]。しかし粘ってそれらを寄せ付けず、他も失速に追い込んでリードを守り切っていた[182][184]。シュヴァルグランらに1馬身4分の1差をつけて先頭で決勝線を通過[182]。サトノダイヤモンドに雪辱を果たしていた[183]

記録[編集]

1991・92年メジロマックイーン、2000・01年テイエムオペラオー、2013・14年フェノーメノに次いで史上4頭目となる天皇賞(春)連覇を成し遂げてGI5勝目を果たしていた[187]。2006年ディープインパクト以来11年ぶりとなる1番人気による天皇賞(春)優勝でジンクスを打ち破っていた[188]。また武も連覇を果たして天皇賞(春)8勝目を挙げ、保田隆芳の天皇賞(秋)7勝を上回る同一GI級競走最多優勝記録を樹立[189][188]。さらに48歳1か月の勝利で、天皇賞(春)最年長騎手優勝記録も樹立していた[187]

そしてキタサンブラックは、前年を2.8秒上回る3分12秒5で走破していた。また、2006年ディープインパクトの3分13秒4も0.9秒上回って、中央競馬レコードを大幅に更新[注釈 9][188]していた[190]。この日の京都競馬場は、高速決着の傾向ではあった[187]。しかし有吉正徳は「それを差し引いても、天皇賞の新記録は驚異的[187]」だったと評している。北島は「レコードを出すのは私の仕事[191]」だと述べていた。

三冠逃す[編集]

設置初年度の「春の古馬三冠」に王手をかけて、最終関門である宝塚記念に参戦する。陣営は「春の古馬三冠」挑戦を早々に表明したが、この頃はまだ次なる秋季のローテーションを決めかねていた。具体的には外国遠征、フランスの凱旋門賞挑戦という選択肢が浮上していた。出馬登録は行い、正式な挑戦表明こそないものの、陣営は度々凱旋門賞挑戦の意欲をちらつかせていた[192]。ライバルのサトノダイヤモンドは外国、フランスの凱旋門賞遠征を早々に決めて、遠征に専念するために、宝塚記念参戦を見送っていた。

6月25日の宝塚記念は、稍重馬場の11頭立てだった。天皇賞(春)9着に下したシャケトラ、大阪杯6着のサトノクラウンのほか、ミッキークイーンやゴールドアクター、シュヴァルグランなどとの再戦となる中、三冠懸かるキタサンブラックは単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に推されていた[193]。相手には戦法が競合するような逃げ馬がいないと考えられて、思い通りに展開できると予想されていたことや、5歳春にして右肩上がりのパフォーマンスを見せていたことから、断然の信頼を集めていた[193]

しかし実際は、思い通りにいかなかった。外枠のスタートからシュヴァルグランにハナを奪われ、シャケトラにも前を譲る好位の外側3番手に甘んじ、シュヴァルグランの作り出すペースに従って追走した[194]。序盤は先行馬有利の落ち着いたペースだった[195]。ところが向こう正面に差し掛かった中盤においてペースが上がっていた[194]。好位外側に位置していたが、さらに外側からサトノクラウンが早めに進出していた。キタサンブラックのすぐ外側にまで接近され「突っつかれる」形となり、進出を余儀なくされた[196][194]。進出に逃げるシュヴァルグラン、2番手シャケトラが呼応し、中盤の早い段階からペースが上がり、消耗戦の様相を呈していた[194]

2番手に浮上して第3コーナー、最終コーナーをこなした。そして直線では先頭で並ぶシャケトラとスパートしたが、共に伸びを欠いて失速し、先頭を明け渡した[195]。シャケトラは粘りを見せていたが、キタサンブラックは手応えなく後退した[194]。代わりに「突っついて」消耗戦を演出するきっかけを作った後、自身は中団に留まって終いに賭けたサトノクラウンが先頭を奪取していた[196]。さらに終始後方にいたゴールドアクターにも進出を許し、その他大勢にもかわされた[194]

優勝したサトノクラウンに約8馬身後れを取る9着に敗れ「春の古馬三冠」を逃していた[195]。陣営は、この凡走についてはっきりとした敗因を挙げることができなかった[194]。軍土門隼夫は、馬場や展開、天皇賞(春)のレコード明け初戦の疲労など様々な要因が考えられることから「たぶん理由は複合していて、単純にこれだとは決められないのだ[197]」と表している[194]。この敗戦により、温めていた凱旋門賞参戦計画は立ち消えとなり、秋季は国内専念が決定した[198]

5歳秋(2017年)[編集]

天皇賞(秋)[編集]

背景[編集]

夏休みを挟んだ秋は、天皇賞(秋)とジャパンカップ、有馬記念で構成される「秋の古馬三冠競走」へ参戦することとなった。また陣営から、年内での引退と翌年からの種牡馬転身も予告され「秋の古馬三冠競走」が最後の出走であることが決定した[199]

まず初戦、10月29日の天皇賞(秋)は、台風22号の接近に伴う大雨のために馬場は不良だった[200]。武豊騎乗のメジロマックイーンが1位入線も降着し、代わりに2位入線江田照男騎乗のプレクラスニーが優勝した1991年以来、26年ぶりとなる不良馬場の天皇賞(秋)だった。馬場は極度に悪く、「未曽有の悪コンディション[201]」(三好達彦)「究極の悪路[202]」(野元賢一)だったという。戦前は、この極悪馬場への対応力が一つの焦点となっていた[201]。再起初戦のキタサンブラックは、初めてとなる不良馬場だった[203]。大敗明け、しかも稍重馬場の宝塚記念で9着だったことから、不良馬場の適性を疑問視する人も少なくなく、これまでのような信頼は集められなかった[201]

18頭立てとなる中、対抗馬は稍重の宝塚記念を優勝したサトノクラウンだった[201]。稍重馬場では重賞3勝、さらに重馬場の2016年京都記念を優勝するなど、既に馬場適性を証明しており信頼を集めていた[201]。キタサンブラックは1番人気を守ったものの単勝オッズ3.1倍、サトノクラウンが4.0倍の2番人気だった[200]。そのほかリアルスティール、3歳牝馬ソウルスターリンググレーターロンドン、ヤマカツエース、ネオリアリズム、マカヒキなどが揃っていた[200]。雨が降りしきって水浸しの馬場で発走時間を迎え、メジロタイヨウが優勝した1969年以来48年ぶりとなる、雨中で不良馬場の天皇賞(秋)となった[204]

展開[編集]

この日のキタサンブラックは、テンションが高かった。4枠7番のゲートに収まったが、冷静にスタートを待つこと「駐立」ができなかった[205]。キタサンブラックは、体を扉に正対するのではなく、斜めにしながら「駐立」しゲートを飛び出す習慣があった[205]。しかしこの日は、他の馬がゲートで暴れており、それに気を取られていた[205]。斜めではなく正対になってしまい、再度斜めに戻そうとしていた[205]。「駐立」が乱れた直後、前扉に突進して大きくバランスを崩した頃にゲートが開き、キャリアで初めてとなる出遅れを喫していた[206]。既にロードヴァンドールがハナを取り切るなどしており、先行策が封じられて後方追走を余儀なくされた[207]

従来の戦法が使えない事態に陥ったが、武は事前に善後策を考えていた。誰もが避ける馬場の悪い内側に、敢えて取り入り、折り合いをつけて中団を追走していた[208]。幸運にも不良馬場で落ち着いたペースになっており、容易に挽回することが可能だった[209]。第2コーナー通過は11番手だったが、向こう正面を使って押し上げて、第3コーナーを5番手で通過[200]。続くワンターンでは、馬場のきれいな外側を走る各馬を尻目に最も内側を突き、コーナーワークを駆使していた[203]。最終コーナーを2番手で通過するまで挽回して直線に向き、好位を追走するサトノクラウンの背後を得ていた[200]

第156回天皇賞(秋)(GI)[200]
着順 馬名 性齢 タイム

着差

コーナー通過 上り 騎手 斤量 人気
2 3
1 キタサンブラック 牡5 2:08.3 11 5 2 38.5 武豊 58 7
2 サトノクラウン 牡5 クビ 7 2 2 38.6 M.デムーロ 58 1
3 レインボーライン 牡4 2馬身1/2 10 12 5 38.7 岩田康誠 58 3

直線では、比較的内側を選択したはずのサトノクラウンと、最も内側を突いたキタサンブラックが並び立った。キタサンブラックが半歩先行する形となり、早めの先頭奪取となっていた[200]。各馬が状態の良い外側に進路を求める中、例外なくキタサンブラックも外側に斜行し、馬場の中央に持ち出してスパートした。早めのスパートでサトノクラウンに一歩先行し、やがてサトノクラウンの正面を得て、単独先頭を得ていた。ゴール手前になると早めのスパートが仇となって精神力が尽き、後れていたサトノクラウンの反撃を許した[200]。外に斜行したキタサンブラックとは正反対に、内に斜行したサトノクラウンに[210]、残り200メートルで並ばれ、横並びの競り合いとなった[211]。それでも粘って先頭を守り、リードをクビ差だけ残して、先頭で決勝線を通過していた[200]

記録[編集]

史上9頭目となるJRAGI6勝目、1988年タマモクロスや1999年スペシャルウィーク、2000年テイエムオペラオー、2007年メイショウサムソンに次いで10年ぶり史上5頭目となる天皇賞春秋連覇を果たした[212]。また2000年春秋、2001年春を優勝したテイエムオペラオー以来史上2頭目となる天皇賞3勝を果たした。また武は、1989年スーパークリーク、1997年エアグルーヴ、1999年スペシャルウィーク、2007年メイショウサムソン、2008年ウオッカに続いて天皇賞(秋)6勝目[213]、天皇賞14勝目を果たしていた[214]

またキタサンブラックは、芝の2000メートルを2分8秒3で走破していた[215]。2分8秒3は、天皇賞(秋)が2000メートル戦となった1984年以降で最も遅い決着だったあの1991年、メジロマックイーンが2分2秒9で走破しながら降着し、プレクラスニーが優勝した2分3秒9を下回り、優勝のプレクラスニーよりも4.4秒[201]、1位入線メジロマックイーンよりも5.4秒遅い[215]、いわゆる「逆レコード」を樹立していた[215]。春をレコードで、秋をレコードで天皇賞を連覇する特異なパフォーマンスを披露していた[215]。グレード制導入以降、芝の不良馬場で行われたGIは2018年末までに14競走存在していたが、別のGIにてレコード樹立したのは、キタサンブラックが史上初めての例だった[216]

ジャパンカップ[編集]

続いて11月26日のジャパンカップを目指した。ただ11月8日、武が落馬し膝の右膝内側側副靭帯を負傷していた[217]。1週間の離脱を余儀なくされ、11月12日のスマートレイアーに騎乗するエリザベス女王杯などは乗り替わりが発生していた[217]。武は離脱の間、キタサンブラックの騎乗を支えにリハビリしていた[218]。患部に高周波温熱療法や高気圧酸素治療などを駆使して翌週、つまりジャパンカップの前週に復帰を果たしていた[219]。復帰直後の11月19日には、マイルチャンピオンシップでお手馬で有力視されたエアスピネルに騎乗する予定があったが、エアスピネル陣営は、乗り替わりを選択[220]。代わりにキタサンブラックと同じ清水厩舎のジョーストリクトリで参戦していた[221]。武は他レースの騎乗をなるべく控えるなどして、キタサンブラックのコンビ継続を叶えていた[219]

11月26日、連覇が懸かるジャパンカップに挑んだ。サトノクラウンやソウルスターリング、シュヴァルグランなどとの再戦となる他、この年の東京優駿優勝馬、つまり2歳年下のダービー優勝馬であるレイデオロも参戦していた[222]。4頭の外国調教馬を迎える17頭立てだったが、人気の中心は日本調教馬たちだった[223]。キタサンブラックは、不良の天皇賞(秋)直後だったが、信頼揺るがず2年連続の1番人気、単勝オッズ2.1倍。以下の人気はレイデオロ、サトノクラウンなどと続いていた[223]

2枠4番から出遅れることなくスタートを切り、ハナを奪取して逃げに出ていた[224]。道中は緩みのないラップを刻んで逃げていた[223]。武は馬場の傾向を考えて決着タイムを「2分23秒台」になると想定して積極的に運び、前半の1000メートルを、優勝した前年よりも1秒以上速いペースで刻んでいた[225]。先頭を守ったまま、ペースを上げながら最終コーナーを通過し、逃げ切りを目指した[226]

直線では、ほとんどの馬はキタサンブラックについてこられず脱落し、しばらく独走する形となった[226][223]。しかし好位を追走していたシュヴァルグラン、後方から追い込むレイデオロがスパートすると、接近されて先頭を脅かされた[226]。残り200メートル付近で2頭に並ばれた[226]。キタサンブラックは内側にふらつきながら抵抗したが、追い上げる2頭の末脚が鋭く、残り100メートル付近でシュヴァルグランにもう一伸びを許して先頭を明け渡し、さらにゴール寸前でレイデオロにも差し切られた[227][228]

武の想定通り2分23秒台での決着だったが、優勝したシュヴァルグランに1馬身4分の1差以上、レイデオロにクビ差後れを取る3着となり、連覇を逃した[223]。単独先頭では気を抜く癖があり、並ばれてからの粘りがキタサンブラックの本領だったが、この日はいつもの粘りが見られなかった[227][228]

粘りがなく敗れた原因は、レース中に左前脚の蹄鉄が緩んだために、脚元がおぼつかなく、満足に走れなかったためであると考えられた[227][228]。レース中は蹄鉄の欠落「落鉄」しなかったが、決勝線を通過してか「落鉄」していた[227]。武は直接「落鉄」と敗戦の因果は不明とし、続けて「力負けとは思っていません[227]」と回顧していた。

有馬記念[編集]

展開[編集]

12月24日、引退レースであるクリスマスイヴの有馬記念に挑んだ[229]。ジャパンカップの後、厩舎ではこれまで一度も使用していなかった回復用の筋肉注射を二回使い、万全の状態で最終戦を迎えていた[230]。シュヴァルグランやサトノクラウン、ミッキークイーン、シャケトラ、サウンズオブアースなど常連古馬との対決となった[231]。またスワーヴリチャードサトノクロニクルブレスジャーニーという3歳馬3頭とは初対決となった[231]。なかでもスワーヴリチャードは対抗馬に挙げられた[229]。この年の東京優駿にてレイデオロに次ぐ2着、古馬相手にアルゼンチン共和国杯優勝という実績があった[229]。キタサンブラックが単勝オッズ1.9倍の1番人気となり、次いでスワーヴリチャード、シュヴァルグラン、サトノクラウンという人気順だった[231][229]。直前に行われた枠順を決める抽選会では、武自らが抽選に参加して有利とされる内枠、1枠2番を引き当てていた[232]

内枠から好スタートを切って先行しスムーズにハナを奪い、逃げる形となった[229]。行きたがる面もあったがすぐに折り合いを実現していた[229]。道中はマイペースに持ち込み、ハロンタイム13秒台を連発するほど減速することに成功し[229]、前半の1000メートルを61秒6で通過するスローペースとなった[231]。後続に仕掛けを許さない絶妙なペースを実現して、付き従い続けて先頭を守り続けた[233]。残り1000メートルからペースを上げて、最後の直線コースに向いてすぐに他の馬を待たずにスパートすると、後続を突き放していた[231]。後れて追い上げるクイーンズリングやシュヴァルグランなどを寄せ付けないままに決勝線に到達。それらに1馬身半差をつける逃げ切りを果たした[231]

有馬記念

有終の美[編集]

1974年タニノチカラ、1992年メジロパーマー、1995年マヤノトップガン、2008年ダイワスカーレットに続いて史上5頭目となる逃げ切りでの有馬記念優勝を果たした[234]。三回目の挑戦にして初めてとなる有馬記念、グランプリ戴冠を成し遂げた。2004年ゼンノロブロイ以来13年ぶり史上13頭目となる天皇賞(秋)優勝馬による同年有馬記念優勝だった[235]。また2000年テイエムオペラオー以来史上2頭目となる同一年の天皇賞春秋連覇及び有馬記念優勝を果たしていた[235]。この勝利により、シンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクト、ウオッカに並び史上最多タイとなるJRAGI7勝目(後述)を挙げ、テイエムオペラオーを上回るJRA最多獲得賞金記録(後述)を樹立していた。

最後のレースを勝利で飾り、競走馬を引退した。有馬記念終了直後には、競馬場に居残る約5万人を前にして「お別れセレモニー」が行われた[233]。そして翌2018年1月7日、京都競馬場の最終レース終了後、約1万8000人が見届ける引退式が行われた[236]。GI勝利数「7」のゼッケンを着用し、天皇賞(春)とジャパンカップ、有馬記念で着用し優勝した白帽に勝負服姿の武が跨った姿が披露された[237]

種牡馬時代[編集]

供用[編集]

競走馬引退後は、北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。社台グループ・ノーザンファームの吉田勝己は、2017年天皇賞(春)を日本レコードで制した直後に、オーナーサイドに種牡馬入りと、社台スタリオンステーション入りの交渉を始めていた[238]。北島は、翌2018年の現役続行も考えていたが、吉田が説得に成功し、2017年末での引退と社台スタリオンステーション入りを勝ち取っていた[238]

キタサンブラックの曾祖母、祖母であるティズリーやオトメゴコロは、もともと社台グループの牝馬であり、サクラバクシンオーも社台スタリオンステーション繋養、さらにブラックタイドも社台ファーム生産であり、キタサンブラックはヤナガワ牧場を経由して社台グループに舞い戻った形となった[238]。所有権は大野商事が保持したままだが、種牡馬としての運営管理は、シンジケートの形式が採用された[238]。吉田を代表に大野商事、そして大手牧場や有力馬主、ヤナガワ牧場も参加した全60株、総額13億5000万円のシンジケートが結成された[238][239]。引退と繋養先が発表されるとすぐに、社台スタリオンステーションの電話は鳴り止まなくなる人気だったという[240]

初年度は130頭と交配し、2年目は110頭、3年目には92頭と右肩下がりで二桁に落ち込み、4年目102頭に留まった。しかし初年度産駒が2021年夏から走り出して実績を積み上げると、再評価されるようになり、翌2022年、5年目には178頭に増加した[241][241]。これまで500万円が最高だった種付け料だったが2023年、供用6年目に跳ね上がり、大台の1000万円に到達した[241]。値上げとなったがむしろさらに繁殖牝馬を集め、6年目は242頭に増加している[241][242]。これを受けて、2024年度の種付け料は2000万円となり、繋養されている種牡馬の中では最高額となった[243]

産駒の活躍[編集]

産駒は、2021年夏から競馬場でデビューしていた。初年度産駒から活躍馬を輩出し、多数の重賞タイトルを獲得している。

初年度産駒のイクイノックス(母父:キングヘイロー)は、2021年秋の東京スポーツ杯2歳ステークス(GII)で産駒初の重賞優勝を成し遂げて、翌2022年クラシック戦線の有力馬となった。春の三冠初戦である皐月賞、二戦目の東京優駿に挑んだが、それぞれジオグリフドウデュースに阻まれる2着だった。しかし秋、3歳馬ながら臨んだ天皇賞(秋)を優勝し、1971年トウメイと1978年テンメイ母仔、1970年メジロアサマと1982年メジロティターン父仔、1999年スペシャルウィークと2010年ブエナビスタ父仔に続いて史上4頭目となる天皇賞(秋)親仔制覇を達成した[244]。さらに暮れの有馬記念も優勝して再び父仔制覇を果たした。この年の年度代表馬に輝き、1976年トウショウボーイと1983年ミスターシービー父仔、1984・85年シンボリルドルフと1991年トウカイテイオー父仔、2005・06年ディープインパクトと2012・14年ジェンティルドンナ父娘、2013年ロードカナロアと2018・20年アーモンドアイ父娘に次いで史上5例目となる親仔年度代表馬受賞、シンボリルドルフとトウカイテイオー父仔以来31年ぶりとなる父仔受賞を果たしていた[245][246]

翌2023年のイクイノックスは、父では実現しなかった外国遠征、ドバイミーティングに参戦し、ドバイシーマクラシック(G1)では緩めながらも3馬身半差をつけて優勝していた[247]。続いて父の敗れた宝塚記念も優勝。さらに前年に続き天皇賞(秋)も連覇し、ジャパンカップでも父仔制覇。2023年11月までに10戦8勝2着2回、GI級競走6勝を挙げている[248]。競走馬としてGⅠ6勝以上を挙げ、産駒からもGⅠ6勝以上の馬を輩出したのはディープインパクト[注釈 10]ロードカナロア[注釈 11]に次いで日本競馬史上3頭目となった。

クラシックのタイトルは、初年度産駒では勝ち取れなかった。イクイノックスは皐月賞、東京優駿ともに2着に留まった[249]。そしてガイアフォースは、2022年セントライト記念を優勝して父仔制覇を果たし、続く菊花賞で1番人気に推されたが、ディープインパクト産駒のアスクビクターモアに敗れる8着だった[250]。叶えたのは、2年目産駒のソールオリエンスだった。ソールオリエンス(母父:モティヴェーター)は、新馬戦と京成杯(GIII)を連勝した後に挑んだ皐月賞を優勝し、父の叶えられなかった無敗での皐月賞優勝を果たしている[251]

ただ2年目産駒までクラシックを経験した2023年時点では、まだ日本ダービーのタイトルを得るには至っていない。初年度のイクイノックスは、2番人気に支持されたが、父の主戦騎手である武豊が騎乗するドウデュースにクビ差及ばず、2着に敗れた[252]。2年目は皐月賞優勝のソールオリエンスと青葉賞(GII)優勝スキルヴィングという2頭の有力馬を送り出し、1番人気2番人気を占めた[253]。しかしソールオリエンスはクビ差及ばず、スキルヴィングは5秒以上[注釈 12]敵わず、父のかつてのライバルであるサトノクラウン産駒タスティエーラに優勝を許した[253]

競走成績[編集]

以下の内容は、netkeiba[254]並びにJBISサーチ[255]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬
(2着馬)
馬体重
[kg]
2015. 01. 31 東京 3歳新馬 芝1800m(良) 16 7 14 07.9(3人) 01着 01:52.3(34.2) -0.2 後藤浩輝 56 (ミッキージョイ) 510
02. 22 東京 3歳500万下 芝2000m(良) 14 5 7 48.4(9人) 01着 02:01.4(34.7) -0.5 北村宏司 56 サトノラーゼン 504
03. 22 中山 スプリングS GII 芝1800m(良) 12 1 1 12.3(5人) 01着 01:49.1(34.4) -0.0 北村宏司 56 リアルスティール 504
04. 19 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 15 4 7 09.7(4人) 03着 01:58.8(35.2) -0.6 浜中俊 57 ドゥラメンテ 510
05. 31 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 18 8 17 20.7(6人) 14着 02:25.5(36.8) -2.3 北村宏司 57 ドゥラメンテ 520
09. 21 中山 セントライト記念 GII 芝2200m(良) 15 7 13 12.5(6人) 01着 02:13.8(34.9) -0.1 北村宏司 56 ミュゼエイリアン 532
10. 25 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 2 4 13.4(5人) 01着 03:03.9(35.0) -0.0 北村宏司 57 (リアルスティール) 530
12. 27 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 6 11 08.4(4人) 03着 02:33.1(35.1) -0.1 横山典弘 55 ゴールドアクター 526
2016. 04. 03 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 11 6 7 06.2(5人) 02着 01:59.3(33.6) -0.0 武豊 58 アンビシャス 524
05. 01 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 18 1 1 04.5(2人) 01着 03:15.3(35.0) -0.0 武豊 58 カレンミロティック 524
06. 26 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 17 2 3 05.0(2人) 03着 02:12.8(36.8) -0.0 武豊 58 マリアライト 536
10. 10 京都 京都大賞典 GII 芝2400m(良) 10 1 1 01.8(1人) 01着 02:25.5(33.6) -0.0 武豊 58 アドマイヤデウス 538
11. 27 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 17 1 1 03.8(1人) 01着 02:25.8(34.7) -0.4 武豊 57 サウンズオブアース 536
12. 25 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 1 1 02.7(2人) 02着 02:32.6(35.8) -0.0 武豊 57 サトノダイヤモンド 536
2017. 04. 02 阪神 大阪杯 GI 芝2000m(良) 14 4 5 02.4(1人) 01着 01:58.9(34.3) -0.1 武豊 57 ステファノス 540
0000. 04. 30 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 17 2 3 02.2(1人) 01着 R3:12.5(35.3) -0.2 武豊 58 シュヴァルグラン 536
06. 25 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 11 8 10 01.4(1人) 09着 02:12.7(36.9) -1.3 武豊 58 サトノクラウン 542
10. 29 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(不) 18 4 7 03.1(1人) 01着 02:08.3(38.5) -0.0 武豊 58 (サトノクラウン) 542
11. 26 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 18 2 4 02.1(1人) 03着 02:23.9(35.3) -0.2 武豊 57 シュヴァルグラン 542
12. 24 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 1 2 01.9(1人) 01着 02:33.6(35.2) -0.2 武豊 57 クイーンズリング 540
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

種牡馬成績[編集]

年度別成績[編集]

種付料(万円) 増減 種付頭数[256] 出産頭数[256]
2018年 500[257] - 130 84
2019年 400[258] テンプレート:Decrease100 110 82
2020年 400[259] 0 92 55
2021年 300[260] テンプレート:Decrease100 102 72
2022年 500[261] テンプレート:Increase200 177
2023年 1000[262] テンプレート:Increase500 242
2024年 2000[263] テンプレート:Increase1000

重賞優勝産駒一覧[編集]

GI級競走優勝産駒[編集]

太字強調は、GI級競走を表す。また外国重賞には、その競走が行われた場所の国旗を充てる。

グレード制重賞優勝馬[編集]

地方重賞優勝馬[編集]

エピソード[編集]

北島三郎[編集]

演歌歌手として人気を誇った北島三郎は、2013年をもって長年出場し続けた紅白歌合戦を卒業、2015年1月をもって劇場の座長公演を終了するなど、一線から退くようになっていた。ところが直後の2015年1月31日、デビューしたキタサンブラックが大活躍を果たしていた[271]。デビュー当日、初めは東京都八王子の自宅からの観戦を予定していた[272]。しかし朝にふと思い立って競馬場に出向き、キタサンブラックのデビュー戦優勝を現地で見届けていた[272]。翌2016年には頚椎症性脊髄症の手術、目の手術などするなど体調が万全ではなかった。そんなとき、キタサンブラックの活躍が支えになったのだとしている[273][271]

キタサンブラックでのクラシック参戦は、1995年桜花賞に挑んだキタサンサイレンス9着(優勝:ワンダーパヒューム)にはじまり、同年優駿牝馬(オークス)のキタサンサイレンス17着(優勝:ダンスパートナー)、1997年皐月賞のキタサンフドー14着(優勝:サニーブライアン)、2001年東京優駿(日本ダービー)のキタサンチャンネル16着(優勝:ジャングルポケット)、2009年菊花賞のキタサンチーフ10着(優勝:スリーロールス)に続いて5頭目の挑戦だった[274]。GIでは、2001年阪神ジュベナイルフィリーズのキタサンヒボタン4着が長らく最高だったが、キタサンブラックの菊花賞で叶えられた[275]

菊花賞前には、東京都浅草の待乳山聖天や早稲田の穴八幡宮に出向いて必勝祈願[276]。同行者全員には購入したお守りと、黒いスーツ、勝負服と同じネクタイを用意して挑んでいた[276]。さらに京都では、偶然にも貸切したハイヤーの運転手が「金馬こんま」さんだったという。この菊花賞の成功体験は、その後キタサンブラックがGI競走に出るたびに、ゲン担ぎとしてルーティンとなっていた[276]。必勝祈願と「金馬」ドライバーの確保。それから前日は鍋料理を食して、ホテルは同じ部屋に泊まり、競馬場ではカツカレー。さらにレース後は、同じ打ち上げ会場、同じ時間の東京行の新幹線というようにこなして、毎度毎度京都に出向いていた[276]。このゲン担ぎが実り、天皇賞(春)連覇を果たしていた[276]

GIを4勝することになる2017年当初は、翌2018年の現役続行も考えていたという[273]。しかし春のGIを2勝するなどして、人気種牡馬になる目算も見え始めていた[273]。馬主歴半世紀以上でようやく巡り合えた優駿を手放すことは容易ではなかった。しかしこれまでの人生経験から、引き際が重要という考えに至っていた。種牡馬としてなど、キタサンブラックの将来を考えたうえでの決断だった[277]

まつり[編集]

キタサンブラックが優勝すると、レース後に北島三郎は競馬場の観衆の前に立ち、持ち歌である『まつり』の替え歌をワンフレーズ披露するようになった。勝利を積み重ねたために、やがて『まつり』披露は恒例になっていった。

キタサンブラックが成り上がり、GI戦線に臨むにあたって、北島は軽い気持ちで「GI勝ったら歌っちゃうよ」「1着なら『まつり』に決まってる」というように宣言したところ、多くの方々から期待の声を集めたことがきっかけだった[278]。3歳春の皐月賞と東京優駿(日本ダービー)ではいずれも敗れた。東京優駿では『まつり』のカラオケと本業の音響担当者を競馬場に準備していたが、叶わなかった[79]。しかし秋の菊花賞で結実し『まつり』披露が実現していた。スタンド前のお立ち台で行われた北村宏司騎手のインタビュー後、北島もお立ち台に上がってインタビューに参加[279]。「公約したんですよね」「歌うよ!」と宣言して、ファンに手拍子を促し、アカペラで『まつり』のサビを替え歌にしてワンフレーズを披露していた[280]テンプレート:Quote box

この菊花賞が日本競馬史上初めてとなる馬主のお立ち台での歌唱事例となった[281]。北島は、紅白歌合戦のトリより緊張したという[281]。この後、キタサンブラックは度々GI優勝、その都度、北島の歌唱も繰り返されることになる。ただ続く有馬記念では3着に敗れたものの歌唱している。中山競馬最終競走終了後の有馬記念回顧イベントにサプライズ出演して『まつり』をカラオケに沿ってフルコーラスで歌い、終いを「これが有馬のまつりだよ~」と歌い上げていた[282][283]

翌2016年春は、武豊と初コンビを組んだ始動戦の産経大阪杯は2着、武は「せっかく練習したのに歌えんかった[284]」とジョークを飛ばしていた。しかし続く天皇賞(春)を優勝、レース後にはスタンドから『まつり』コールが発生していた[285]。北島は、予告していなかったがコールに応えて披露し、終いを「今日は豊さんのまつりだよ」に変えて歌唱した[285][286]。夏に頚椎症性脊髄症をきたして療養し、病み上がりだった秋のジャパンカップ優勝後にも歌唱[287]。そして暮れの有馬記念は、2着に敗れたものの再び終了後の有馬記念回顧イベントで歌唱。前年3着からの2着だったために北島は「あと1年はこの馬も頑張る。来年は1着だ[288]」と宣言し、さらにフランスでの歌唱を、つまり凱旋門賞挑戦の意欲も見せていた[288]

しかし続く2017年、暮れの有馬記念を優勝するまで取っておくという理由で、『まつり』を封印した[289]。大阪杯や天皇賞(春)を優勝したが、歌唱はされなかった。そしてこの年限りでの引退を発表し、天皇賞(秋)を優勝しても歌唱せず、ジャパンカップ3着を挟んで、引退レースの有馬記念で戴冠を果たし、宣言通り封印を解いた[290]。直後に行われた中山競馬場のお別れセレモニーにて1年ぶりの『まつり』を歌唱し、武も口ずさむ形で初めて参加していた。またこのセレモニーでは『まつり』に限らず、新曲の『ありがとう キタサンブラック』を初披露。「泣いちゃうから[290]」と収録音源を流していた[290]。当初は引退式で披露するはずだったが前倒しでの披露となった[291]

翌2018年1月の引退式では、主催者は、馬が主役であることを根拠に『まつり』披露はないと告知をしていた[292][293]。しかし北島は、ファンを前に「生歌を聴かせないわけにはいかない」としてサプライズで歌唱をしていた[292][293]。また『ありがとう キタサンブラック』の収録音源も再度披露されていた[237]

『ありがとう キタサンブラック』とは、北島と親交があり、これまで『さらばハイセイコー』『翔んでディープインパクト』などを手掛けた山田孝雄が作詞、また北島自身――ペンネーム原譲二名義で作詞作曲を務めた演歌である[294][290]。有馬記念直後を初めて披露したその日のうちに約2000ダウンロードを記録[294]。累計ダウンロードが三桁ほどしかならない演歌ジャンルにもかかわらず人気を博し、2018年1月12日時点で2万5000ダウンロードまで伸ばした[294]。この曲の収益の一部は、公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルに寄付され、引退馬振興に役立てられているという[295]

血統[編集]

距離[編集]

キタサンブラックは、母の父がサクラバクシンオーにもかかわらず、長距離で活躍した[296]。サクラバクシンオーの産駒の中長距離の実績に乏しいことから、短距離専門のイメージがついて回り、常識として浸透していたが、キタサンブラックは、その常識を覆していた。確かにサクラバクシンオーは、優れたスピードの持ち主として知られていた。しかし、母がアンバーシャダイの全妹サクラハゴロモであることから、露になっていないだけで、豊富なスタミナも継承されているはずだった[297]。一部では、サクラバクシンオーは走っていないだけで、本当は短距離に留まらず、もっと長い距離もこなせるポテンシャルがあると考える者も、軍土門隼夫によれば「少なくはなかった[297]」という。長距離馬アンバーシャダイ、もといサクラハゴロモのスタミナは、短距離馬サクラバクシンオーを経由して継承され、キタサンブラックで開花したと考えられている[297]

2015年11月時点において、母の父サクラバクシンオー産駒は288勝を挙げていたが、うち214勝がマイル以下であり、短距離に偏っていた。一方芝2000メートル以上は、5頭による12勝に過ぎなかった[297]。この5頭のうちの2頭がオトメゴコロの仔、すなわちキタサンブラックとその半兄のショウナンバッハ(父:ステイゴールド)で占めていた[297]

1歳年上のショウナンバッハも、同様にサクラバクシンオー産駒の傾向に逆らい長距離で活躍した。オープン昇格直後の2015年秋にはジャパンカップ出走を果たしたほか、翌2016年初めのアメリカジョッキークラブカップ(GII)では3着[298]。その後も長く重賞戦線で活躍、タイトル獲得はならなかったが、2018年新潟記念(GIII)3着や中日新聞杯(GIII)2着など中距離の重賞で上位となる活躍を果たすことになる[298]

とは言ってもキタサンブラックが、短距離に強いというイメージが強いサクラバクシンオー産駒の常識を覆し、長距離の適性を公に認めさせるには時間がかかった。出走するたびに距離不安説が付きまとった[41]。特に菊花賞前には、しきりに叫ばれ、解説者はその根拠に次々とサクラバクシンオーを連呼していた[299]。それを聞いた北島は「俺の馬はサクラバクシンオーじゃねぇ[299]」と思い、腹が立てていた[300]。北島には元から距離不安などなく、長距離をこなす自信があったという[278]

キタサンブラックは、距離不安説を払拭するまでは、実績の割に人気を得られなかった[41]。デビューからしばらくは、大一番の東京優駿を除いて3着以内、馬券圏内を外さない安定した戦績を残したが、それでも支持されなかった[301]。3歳の秋に、3000メートルの菊花賞を5番人気で優勝し、2500メートルの有馬記念を4番人気3着。翌4歳春の3200メートルの天皇賞(春)を2番人気で優勝し、2200メートルの宝塚記念を2番人気3着と実力を証明し、4歳秋の始動戦の2400メートル、長距離GI2勝馬として迎えたキャリア12戦目の京都大賞典でようやく1番人気を勝ち取っていた[301]

距離不安説を拭い去った後は、反対に距離不足説も盛んに取り上げられた[216]。天皇賞(春)やジャパンカップを優勝しステイヤーとしての地位を確立した2017年には、中距離の大阪杯に出走しているが、この際はスタミナ優位なステイヤーのイメージが浸透して、スピードやキレ不足が懸念されていた[216]。しかし大阪杯を優勝し、天皇賞(春)ではレコードタイムで駆け、自身のスピード能力を証明し、周囲が持つイメージを複数回覆していた[216]。清水は適性について「走れと言われたら、ダートでも戦える[302]」マイルの「安田記念に行ったら、めっちゃ走りそうですね。むしろ適性がわからないぐらい[302]」と評している。

性格[編集]

もっともこのような血統にもかかわらず、長距離をこなすことができたのは、キタサンブラック自身が落ち着いた性格だったためとされている[100]。どんな距離でも引っ掛かることなく、折り合いをつけて走ることが可能だった[100]

そもそも母の父サクラバクシンオーがスプリンターになったきっかけは、気が強すぎるところがあった[100]。気が強く推進力があることは、一本調子のスプリント戦では有利に働くが、距離が長くなり緩急が加わると引っ掛かり、対応は困難だった。しかしキタサンブラックは、サクラバクシンオーの気の強さをそっくりそのままには受け継がなかった[100]

馬格[編集]

ブラックタイドを引き継いで大柄だった。清水は「馬格があって品のある馬[303]」であると評している。デビュー時は510キログラムに過ぎなかったが、ハードトレーニング(後述)を重ねるうちに筋肉が増大して530キログラムまで成長し、GIタイトルを奪取していた[304][175]

530キログラムで優勝した2015年菊花賞では、2004年デルタブルースの526キログラムを上回る優勝馬史上最高体重だった[103]。また538キログラムで優勝した2016年京都大賞典では、1986年スズカコバンの516キログラムを上回る優勝馬史上最高体重[147]。さらに540キログラムで優勝した2017年大阪杯では、1978年キングラナーク、1996年タイキブリザードの530キログラムを上回る優勝馬史上最高体重[305]。加えて542キログラムで優勝した2017年天皇賞(秋)では、2003年シンボリクリスエスの534キログラムを上回る優勝馬史上最高体重[214]。そして540キログラムで優勝した2017年有馬記念では、2003年シンボリクリスエスの538キログラムを上回る優勝馬史上最高体重だった[306]

所縁[編集]

キタサンブラックは、父ブラックタイドが果たせなかったクラシック戴冠を成し遂げている。また父の存在理由でもある父の弟、傑出馬ディープインパクトの産駒を次々撃破して、ディープインパクトのGI優勝記録で並び、獲得賞金では上回る活躍を見せた。例えば大阪杯では、2014年キズナ、2015年ラキシス、2016年アンビシャスとディープインパクト産駒が3連覇中だったが、その「代替種牡馬」であるブラックタイド産駒が優勝し、ディープインパクトの聖域を侵す活躍を見せた[305]。キャリアの中盤から終盤は、ブラックタイドやディープインパクトに騎乗した武豊が主戦騎手を担った。武は、ディープインパクトの引退レースである2006年有馬記念以来となる有馬記念優勝を果たしたうえ、1990年オグリキャップと合わせて有馬記念3勝目、すべて引退レースを優勝に導いていた[307]

天皇賞(春)では日本レコードで優勝し、父の弟であるディープインパクトの2006年の記録を上回っていた[188]。また母の父サクラバクシンオーは1994年のスワンステークスやスプリンターズステークスにて、母の父の父サクラユタカオーもまた1986年の毎日王冠や天皇賞(秋)を日本レコードで制しており、先祖に続くレコードブレイカーだった[188]

またジャパンカップは、母の父の父であるサクラユタカオーが1986年に果たせなかった、あるいはその半弟で1982年の第1回ジャパンカップにて超ハイペースで逃げて敗れ「日の丸特攻隊」と評されたサクラシンゲキの無念を晴らす、逃げ切り優勝を果たしていた[156]。それから大阪杯は、母の父の父サクラユタカオーの1986年産経大阪杯に続く優勝であり、出走メンバーで唯一歴代優勝馬の血を継承する者が新生大阪杯の初代王者となっていた[305]

さらに有馬記念は、初挑戦が3着、2年目が2着と敗れた後、2017年の引退レースとなる3年目で優勝を果たしていた[306]。母の父の母の全兄、すなわちサクラハゴロモの兄であるアンバーシャダイ以来史上2頭目となる、有馬記念1着2着3着経験を果たしていた[306]。キタサンブラックは右肩上がりに着順を伸ばしたが、アンバーシャダイは初挑戦の1981年に優勝し、翌1982年はヒカリデュールに敗れる2着となり、翌々1983年はリードホーユーとテュデナムキングに敗れる3着であり、正反対に右肩下がりの着順を辿っていた[306]

ハードトレーニング[編集]

キタサンブラックは、清水厩舎独特のハードトレーニングで鍛えられた。中学生時代は大阪の名門陸上部で長距離選手として在籍していた清水は、疲労が出るまで鍛えることが、成長への早道だという考えの持ち主だった[308]。そのため練習後のケアを考慮しつつも、キタサンブラックを攻めに攻めて成長を促していた[309]

成長の要因は、なによりキタサンブラックが、頑丈な体の持ち主で、清水のそのハードトレーニングに応え続ける才能に恵まれていたことだった[310][304]。性格はおとなしく、調教の妨げになるような行動をしなかった[304]。しかし気持ちのスイッチは自由自在で、騎手の要求にすぐに反応して駆けることができる賢さがあった[304][175]。それに体が柔らかく、多少の変化にも動じない図太さがあった[308]。おとなしさと賢さなどを併せ持つため、消耗が少なく済み[175]、故障のリスクは少なかった[308]

また調教量が増えるなどを感じると、出走直前であることを察して飼葉の量を減らすなど、人間の手を煩わせずとも自ら体を仕上げることが可能だった[175]。清水は「本当に鍛えがいのある馬[310]」であると述べている。

3歳秋、クラシック最終戦の菊花賞を目指す過程において、ハードトレーニングは始まっていた。清水によれば「どんな結果になろうと、自分が納得したかったから[100]」として、負荷が大きいとされている栗東トレーニングセンターのCウッドコースを、1周半から2周半に、Cウッドコースから坂路走破させたりという内容の「かなりハード[100]」(清水)なメニューを強いていた[100]。始動戦のセントライト記念は仕上がり途上でありながら優勝し、その後は一変。良い状態で迎えた菊花賞を優勝していた[100]。翌年の4歳もそのハードトレーニングに応え続け、本格化を果たしていた[310]

また翌々年、現役最終年の大阪杯には、「現在では滅多に見ない[177]」(岡本光男)栗東坂路コース走破1日3本を三度こなして臨み、優勝を果たしていた[177]。ただし引退を決めて臨んだ最後の秋は、「坂路三本」というようなハードトレーニングはせず、状態維持や調整を重視して仕上げられた[277]。「秋の古馬三冠競走」を全うするために、そして北島は特に有馬記念優勝を所望していたために、最終戦までを考慮しながらできる限り良い状態に仕上げる工夫がなされた[277]。最終追い切りを「馬なり」に留めるなど負荷こそ軽くしていた[311]。清水は仕上げに抜かりはないと考えていた[228]。雨中の天皇賞(秋)を経たジャパンカップは3着に敗れたが、状態面には自信が持っていた[228]

手向けの勝利[編集]

キタサンブラックに携わった関係者には、複数の訃報があった。まず騎手では、新馬戦に騎乗した騎手の後藤浩輝である。後藤は、重賞に挑戦する前の3歳春の頃、2015年2月末に自殺したとされた[312]。北村宏司は、菊花賞優勝直後に「後藤さんが『これからが楽しみな馬』と言っていた。いろいろな人の縁を感じる[313]」と述べている。

もう一人、後期の主戦騎手武豊の父で、かつて騎手だった武邦彦である。武邦彦は、初めて天皇賞(春)を優勝し宝塚記念で3着となった後の4歳夏の頃、2016年夏に病死していた[314]。武豊は、2016年天皇賞(春)を優勝した直後に、体調を崩して入院中の父邦彦を見舞っていた。邦彦は、病院を訪れる息子を待ち、対面を果たすと手を取っておめでとうと称えていた[315]。豊によれば、邦彦が「そんなことをしてくれたのは初めて[315]」だったという。

そして2017年末、暮れの有馬記念を優勝した直後、記念写真を待つまでの間に、武豊はキタサンブラックに跨りながら、天上を指で差していた[316]。武豊は、天国にいる後藤と武邦彦に対して、有馬記念優勝の報告をしていた[316][315]

また育成を担った日高軽種馬共同育成公社の場長である加納雅己は、闘病中の身ながら「シュガー」――後のキタサンブラックの育成に携わっていた[317]。デビューする前の2014年12月2日に53歳で死去、最後に送り出した調教馬が「シュガー」だった[317]

さらにかつて北島が所有し、2001年のファンタジーステークス(GIII)を優勝したキタサンヒボタンの生産者であるカタオカステーブル代表、北島と長い関係にあった片岡禹雄は、天皇賞(春)連覇直前の2017年4月25日に病死していた[191]。そして告別式を行った翌日、4月30日の天皇賞(春)を優勝して連覇を果たしていた[191]。北島は「神様、ご先祖様がこんな宝物を与えてくれたのかな。そんな気持ち[191]」と振り返っている。

活躍がもたらした影響[編集]

キタサンブラックの活躍により、種牡馬ブラックタイドの人気は高まり、種付け料が吊り上がっていた。

ブラックタイド産駒は、例えば種牡馬選定の意味合いの強い2015年東京優駿(日本ダービー)にキタサンブラックをはじめ、コメート、タガノエスプレッソとともに参戦を果たし、フルゲート18頭のうち3頭を占めることに成功していた[318]。また同年菊花賞優勝により、ブラックタイドは、既に牝馬三冠馬や東京優駿優勝馬などクラシック優勝馬を多数輩出していた弟ディープインパクトに続いて、クラシック優勝を果たしていた。父ダイオライトと母フリッパンシーから成り、1952年菊花賞優勝のセントオーの父であるセントライト、父プリメロと母フリッパンシーから成り、1956年菊花賞優勝のキタノオーなどの父であるトサミドリ以来となる兄弟でのクラシック優勝種牡馬となっていた[103]

ブラックタイドの存在理由は、当初ディープインパクトの「代替種牡馬」に過ぎず、高額のディープインパクトには手が届かない小規模牧場などの受け皿となることだと考えられていた。その通り、安い種付け料の設定で、毎年100頭以上の繁殖牝馬を集めていた[318]。しかし産駒が活躍すると、初年度50万円だった種付け料は大台を突破して高級種牡馬になっていた[319]

そしてキタサンブラック活躍中の2015年には、日高地方、社台スタリオンステーション以外の種牡馬では最多、シーズン途中で100万円から200万円へ倍の値上げをしていた[320]。にもかかわらず、勢い止まらず194頭の繁殖牝馬を集めていた[320]。人気はうなぎ上りとなる中、負担軽減を図ってブリーダーズ・スタリオン・ステーションは更なる値上げに踏み切り、2016年には300万円に到達。生産者が気軽に選択できる存在ではない種牡馬となっていた[321]

定量的評価[編集]

獲得賞金[編集]

JRA獲得賞金[2][212]
競走馬名 生年 JRA成績 JRA獲得賞金
1 キタサンブラック 2012 20戦12勝 18億7684万3000円
2 テイエムオペラオー 1996 26戦14勝 18億3518万9000円
3 ディープインパクト 2002 13戦12勝 14億5455万1000円
4 ゴールドシップ 2009 27戦13勝 13億9776万7000円
5 ブエナビスタ 2006 21戦09勝 13億8643万3000円
6 オルフェーヴル 2008 17戦10勝 13億4408万4000円
7 ジェンティルドンナ 2009 17戦09勝 13億2621万0000円
8 ウオッカ 2004 22戦10勝 13億0487万6000円
9 ゼンノロブロイ 2000 19戦07勝 11億1560万8000円
10 スペシャルウィーク 1995 17戦10勝 10億9262万3000円

競走馬生活晩年、2017年の大阪杯を優勝してゼンノロブロイを追い抜いて歴代8位となり[322]、続く天皇賞(春)も優勝してオルフェーヴルまで追い抜いて歴代5位となった[187]。そして秋の天皇賞(秋)を優勝してディープインパクトまで追い抜き歴代2位[214]、さらに有馬記念も優勝してテイエムオペラオーを抜き、引退レースで歴代1位に浮上、最多獲得賞金記録を樹立した[323]。現在はイクイノックス、アーモンドアイに次ぐ3位。

獲得賞金の加算推移
JRA獲得賞金(3歳以上)
年度 順位 獲得賞金額 成績 勝ち鞍(太字強調はGI競走) 1位 出典
2015 04位 03億5557万3000円 8戦5勝 菊花賞、スプリングS、セントライト記念 ラブリーデイ [324]
2016 01位 07億1193万0000円 6戦3勝 天皇賞(春)ジャパンC、京都大賞典 サトノダイヤモンド [325]
2017 01位 08億0934万0000円 6戦4勝 大阪杯天皇賞(春・秋)有馬記念 シュヴァルグラン [326]
合計 18億7684万3000円

GI1勝に留まった2015年こそ4位だったが、出走レースすべてで上位にあり続け、天皇賞(春)とジャパンカップを優勝した翌2016年には、7億円超えを果たして年間賞金王となった。1994年クラシック三冠、有馬記念優勝を果たしたナリタブライアン、2000年全勝、GI5勝「秋の古馬三冠」も果たしたテイエムオペラオー、2006年全勝、GI4勝を挙げたディープインパクト、2011年クラシック三冠、有馬記念優勝を果たしたオルフェーヴルに続いて史上5頭目となる7億円越えを果たしていた[327]

さらに2017年にも、GI4勝を挙げて再び年間賞金王に君臨。シンボリルドルフ、スペシャルウィーク、ディープインパクトに続いて史上4頭目となる2年連続賞金王に輝いた[212][235]。獲得賞金8億円は、2000年テイエムオペラオーの10億円に次いで史上2位となる年間獲得賞金だった[235]

勝利数[編集]

JRAGI勝利数[212]
勝利数 生年 競走馬名 JRAGI勝ち鞍
7勝 1981 シンボリルドルフ 84年クラシック三冠皐月賞東京優駿菊花賞)、有馬記念
85年天皇賞(春)ジャパンカップ、有馬記念
1996 テイエムオペラオー 99年皐月賞
00年天皇賞(春)、宝塚記念天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念
01年天皇賞(春)
2002 ディープインパクト 05年クラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)
06年天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念
2004 ウオッカ 06年阪神ジュベナイルフィリーズ
07年東京優駿
08年安田記念、天皇賞(秋)
09年ヴィクトリアマイル、安田記念、ジャパンカップ
2012 キタサンブラック 15年菊花賞
16年天皇賞(春)、ジャパンカップ
17年大阪杯、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、有馬記念
JRA重賞勝利数[212]
勝利数 競走馬名 生年 勝利重賞(太字強調は、八大競走及びGI級競走)
1 12勝 スピードシンボリ 1963 66年京成杯
67年アメリカJCC目黒記念(春)天皇賞(春)日本経済賞
68年アルゼンチンJCC
69年目黒記念(春)、ダイヤモンドS有馬記念
70年アメリカJCC、宝塚記念有馬記念
オグリキャップ 1985 88年ペガサスS毎日杯京都4歳特別NZT4歳S高松宮杯毎日王冠有馬記念
89年オールカマー、毎日王冠、マイルCS
90年安田記念有馬記念
テイエムオペラオー 1996 99年毎日杯、皐月賞
00年京都記念阪神大賞典天皇賞(春)宝塚記念
京都大賞典天皇賞(秋)ジャパンカップ有馬記念
01年天皇賞(春)、京都大賞典
11勝 ゴールドシップ 2009 12年共同通信杯皐月賞神戸新聞杯菊花賞有馬記念
13年宝塚記念
14年阪神大賞典宝塚記念
15年阪神大賞典、天皇賞(春)
5 10勝 ニホンピロウイナー 1980 82年デイリー杯3歳S
83年きさらぎ賞CBC賞
84年朝日チャレンジCスワンS、マイルCS
85年読売マイラーズC京王杯SC安田記念マイルCS
シンボリルドルフ 1981 84年弥生賞皐月賞東京優駿セントライト記念菊花賞有馬記念
85年日経賞天皇賞(春)ジャパンカップ有馬記念
ディープインパクト 2002 05年弥生賞、皐月賞東京優駿、神戸新聞杯、菊花賞
06年阪神大賞典、天皇賞(春)宝塚記念ジャパンカップ有馬記念
キタサンブラック 2012 15年スプリングS、セントライト記念、菊花賞
16年天皇賞(春)、京都大賞典、ジャパンカップ
17年大阪杯天皇賞(春)天皇賞(秋)有馬記念

レーティングによる評価[編集]

国際的評価[編集]

ワールド・ベスト・レースホース・ランキング
年度 順位 レート 部門 コラム別 出典
S M I L E
2015 97位 117 LE 117 117 [328]
2016 12位 123 L 123 [329]
2017 09位 124 L 124 [330]
〔注〕距離およびコラムの「SMILE」は、それぞれ下記の距離区分の略号。
  • S = Sprint(短距離): 1000 - 1300 m、北米は1000 - 1599 m
  • M = Mile(マイル): 1301 - 1899 m、北米は1600 - 1899 m
  • I = Intermediate(中距離): 1900 - 2100 m
  • L = Long(長距離): 2101 - 2700 m
  • E = Extended(超長距離): 2701 m -

日本国内での評価[編集]

JPNサラブレッドランキング
年度 部門 順位 レート

ポンド (lb)

キログラム

換算 (kg)

コラム別 部門最高(次点)評価 出典
S M I L E 馬名 コラム/数
2015 3歳 2位 117 53.0 117 117 ドゥラメンテ L/121 [331]
2016 4歳上 2位タイ 123 55.5 123 117 エイシンヒカリ M/127 [332]
モーリス I/127
同2位サトノクラウン 123
2017 1位 124 56.0 123 124 121 シュヴァルグラン L/123 [333]

表彰[編集]

JRA賞での評価[編集]

JRA賞
年度 部門 順位 得票/満票 受賞(次点)馬 備考 出典
2015 年度代表馬 -4位 テンプレート:001/291票 モーリス 082票 [注釈 13] [334]
最優秀3歳牡馬 次点 テンプレート:006/291票 ドゥラメンテ 142票
2016 年度代表馬 受賞 134/291票 (モーリス) 090票 [注釈 14] [335]
最優秀4歳以上牡馬 受賞 201/291票 090票
2017 年度代表馬 受賞 287/290票 オジュウチョウサン テンプレート:003票 [336]
最優秀4歳以上牡馬 受賞 290/290票 満票選出

菊花賞を優勝した2015年は、年度代表馬部門と最優秀3歳牡馬部門で票こそ得たが、少数に留まり受賞には至らなかった。しかし翌2016年、天皇賞(春)とジャパンカップを優勝しGI2勝を記録し、年度代表馬と最優秀4歳以上牡馬を受賞している。この年は、モーリスとサトノダイヤモンドもGI級競走を複数勝利しており、モーリスはキタサンブラックを上回るGI級3勝、サトノダイヤモンドは3歳ながら有馬記念でキタサンブラックを直接下して優勝していた[337]。しかしモーリスは、うち2勝が香港のチャンピオンズマイル香港カップだったためにインパクトに欠け、島田明宏によれば国内での取りこぼしも複数あったことも、悪く映ったという[337]。一方のキタサンブラックは、年間通して3着以内を守り続け、サトノダイヤモンドに敗れた有馬記念も僅差の2着だった。島田によれば、この安定性が好印象に映り、受賞につながったという[337]

現役最終年となった2017年は、大阪杯と春秋天皇賞、有馬記念を優勝してGI4勝を記録した。対立候補も同じ平地競走にはほとんど出現せず、満票近い票を集めて年度代表馬を、満票で最優秀4歳以上牡馬を受賞した[336]。年度代表馬部門は3票流出して満票選出とはならなかったものの[336]、前身の優駿賞などを含めた中央競馬の年度末表彰において史上7頭目の2年連続年度代表馬に輝いた[338][注釈 15](2度目の年度代表馬受賞としては史上9頭目[338])。なお、2022・2023年度には産駒のイクイノックスが史上8頭目の2年連続年度代表馬となる[339][340]。親子受賞としてはJRA賞以前を含めて史上5例目であり[340][注釈 16]、親子での2年連続受賞は史上初であった[339][340]

前述のように2017年の年度代表馬部門は満票選出とはならなかったが、阻止したのは同じ平地競走の活躍馬ではなく障害競走で活躍したオジュウチョウサンだった[336]。重賞4連勝中でこの年を迎えたオジュウチョウサンは、それから重賞4戦4勝を果たして重賞8連勝、春秋障害GIである中山グランドジャンプ中山大障害をダブル連覇を果たして、史上初めてとなる障害GI4連勝を成し遂げていた。障害の名馬となったオジュウチョウサンは、キタサンブラックが引退した翌年に、平地へ再挑戦。騎手に武豊を起用して平地の500万円以下、1000万円以下を連勝して、暮れの有馬記念にも参戦し大きな注目を集めた[341]。武は、キタサンブラックの翌年のグランプリ騎乗馬にオジュウチョウサンを選択、連覇を目指したが9着だった[341]

オジュウチョウサンは、障害再転向などを経験しながら2023年まで走り、障害GI9勝を挙げる活躍を果たしたが、障害競走にも騎乗する黒岩は、キタサンブラックについて「冗談交じりに[302]」(江面弘也)このように話している。

障害を跳ばせてもじょうずママだと思いますよ。オジュウチョウサンどころではない — 黒岩悠[302]

顕彰馬選考における評価[編集]

得票 順位 結果 選出 出典
2019 140 72.5% 01位 落選 なし [342]
2020 158 80.6% 01位 選出 キタサンブラック [343]
  • 選出は投票者数の「4分の3以上(75パーセント)」の得票が必要。
  • 2019年は193人、2020年196人の記者が参加。
  • 記者1人あたり最大4頭に投票する権利を有する。

初めて、JRA顕彰馬選考の対象となった2019年は、投票数二桁に留まるスペシャルウィークモーリスブエナビスタなどを上回り1位となる140票を集めたが、得票率は72.5パーセントに留まり、選出に必要な75パーセントの基準に5票だけ届かず、初年度での選出は叶わなかった[342]。しかし2020年、同じように二桁に留まるキングカメハメハやスペシャルウィーク、ブエナビスタを尻目に票を伸ばして158票を獲得[343]。選出基準を上回る得票率80.6パーセントを記録し、2018年選出のロードカナロアに続き史上34頭目の顕彰馬となった[344]

その他の表彰[編集]
  • 2015年「FUN OF THE YEAR」(馬主北島三郎が受賞)(中山馬主協会主催の「今年、最も日本中を楽しませ、勇気づけた人物、団体に贈られる賞」この年限りでサッカー選手を引退した澤穂希と同時受賞)[345]
  • 2016年度関西競馬記者クラブ賞[346]
  • 2017年度関西競馬記者クラブ賞[336]

ファン投票実施競走の投票結果[編集]

中央競馬のファン投票レース
年度 競走名 順位 票数 1位(2位)馬 有効投票総数 出典
2015 宝塚記念 36位 0万03633票 ゴールドシップ 06万6123票 070万8837票 [347]
有馬記念 03位 09万3925票 12万0981票 147万5755票 [348]
2016 宝塚記念 01位 08万2121票 ラブリーデイ 06万4269票 101万5162票 [349]
有馬記念 01位 13万7353票 サトノダイヤモンド 11万7192票 154万3464票 [350]
2017 宝塚記念 01位 10万1621票 07万8566票 110万6746票 [351]
有馬記念 01位 12万4641票 08万2173票 138万6468票 [352]

スプリングステークス優勝馬に過ぎない2015年の宝塚記念では36位に留まったが、菊花賞を優勝直後の有馬記念では3位となる支持を集めた。そして翌2016年、天皇賞(春)優勝直後の宝塚記念では、約8万票を集めて初めて1位となった。その後は、2016年有馬記念と2017年はいずれもファン投票で1位となり、4回連続1位を守って引退している[353]。2017年有馬記念では、約8万票のサトノダイヤモンドに約4万票をつけた約12万票を獲得。2位との得票差は、歴代最高だった[354]

なかでも有馬記念では得票を伸ばし、2016年には得票率79パーセントを記録し、2006年ディープインパクトの78.7パーセントを上回り、インターネットでの投票受付を開始した1998年以降、有馬記念史上最高得票率記録を更新していた[355][356]。さらに翌2017年には、その得票率を79.9パーセントまで伸ばし、自身の史上最高得票率記録をさらに更新していた[356]

成り上がる前の2015年の宝塚記念を除いて、ファン投票実施競走には、すべて応えて出走している[212]。2017年、春の古馬GI3連勝が懸かった宝塚記念こそ9着大敗するも、それ以外ではすべて馬券圏内で応えていた[212]。ただ勝利で応えたのは引退レース、挑戦3回目の有馬記念だけだった。前々年の有馬記念は3着、前年は2着、そして3年目で有馬記念「グランプリ」戴冠を果たしていた[212]

3回以上の挑戦が実り有馬記念を戴冠したのは、1966年に初参戦して1969・70年を連覇したスピードシンボリ、1977年に初参戦して1979年に優勝したグリーングラスに続いて史上3頭目だった[212]。また前年有馬記念2着から翌年に優勝を果たしたのは、1958年オンワードゼア、1967年カブトシロー、1977年テンポイント、2006年ディープインパクト、2008年ダイワスカーレットに続いて史上6頭目だった[212]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ただし長距離で行われる障害競走には、重賞優勝産駒が存在する。ブランディスは、2004年中山グランドジャンプ(J-GI)と中山大障害(J-GI)を優勝した。またエーシンホワイティは、平地短距離競走の2010年ファルコンステークスを優勝した後に転向し、2014年新潟ジャンプステークス(J-GIII)を優勝した[40]
  2. その他、清水厩舎は、若いうちに輸送競馬を経験させる傾向があった。先々輸送に困らなくするためにあらかじめ経験させていた[63]
  3. キタサンブラックは、この日の第7競走に出走していた。なおこの日の第11競走メインレースは、ヤナガワ牧場生産馬であるコパノリッキーが優勝したフェブラリーステークスだった[43]
  4. 南関東競馬では1960年全日本3歳優駿を優勝したりした。父ヒンドスタン、母ダイアンケーで、1965年菊花賞優勝馬ダイコーターの全兄である。
  5. このほか天皇賞(秋)は、1989年スーパークリーク、1997年エアグルーヴ、1999年スペシャルウィーク、2007年メイショウサムソン、2008年ウオッカの5勝しており、天皇賞は併せて12勝目[128]
  6. 1939年テツモン、1949年ニユーフオード、1950年ヤシマドオター、1951年ハタカゼ、1956年ミツドフアーム、1957年ハクチカラ、1966年コレヒデ[133]
  7. 1987年トウカイローマン、1989年90年連覇スーパークリーク、1991年メジロマックイーン、1993年メジロマックイーン、1996年マーベラスサンデー、2005年リンカーンに次いで8勝目[146]
  8. 池江は、この2頭のほかに野田みづき所有、浜中俊騎乗のミッキークイーンも出走させる、3頭出しを敢行していた。
  9. 3分13秒4を記録した2006年のディープインパクトは、「長年、不可侵とされた」(藤井正弘)レコードである1997年マヤノトップガンの3分14秒4を1秒更新していた。ディープインパクトも長くレコードを守り、2006年以後10年では13秒台を記録したのは、2012年ビートブラックのみと寄せ付けていなかった。しかし2017年、飛躍した12秒台を記録したキタサンブラックにレコードを明け渡した。
  10. 自身がGⅠ7勝、産駒にジェンティルドンナ(GⅠ7勝)・グランアレグリア(GⅠ6勝)
  11. 自身がGⅠ6勝、産駒にアーモンドアイ(GⅠ9勝)
  12. スキルヴィングは、競走中に急性心不全を発症し、ブービー賞17着敗退した。そのまま死亡した為、青葉賞優勝以上の実績は得られなかった。
  13. 次点ラブリーデイ55票、第3位ドゥラメンテ19票。ほか該当馬なし1票[334]
  14. 第3位サトノダイヤモンド66票、該当馬なし1票[334]
  15. 1964・65年受賞のシンザン、1980・81年ホウヨウボーイ、1984・85年シンボリルドルフ、2002・03年シンボリクリスエス、2005・06年ディープインパクト、2008・09年ウオッカに続いての史上7頭目[338]
  16. 1976年のトウショウボーイと1983年のミスターシービー、1984・85年のシンボリルドルフと1991年のトウカイテイオー、2005・06年のディープインパクトと2012・14年のジェンティルドンナ、2013年のロードカナロアと2018・20年度のアーモンドアイに続く史上5例目[340]

出典[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l m n o キタサンブラック”. JBIS-Search. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年12月22日確認。
  2. a b c d e f g h i j k l m 『優駿』2018年2月号 23頁
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      • 2017年8月号「第2話 幕開」
      • 2017年9月号「最終話 覚醒」
      • 2017年12月号「第二章第1話 不惑」
      • 2018年1月号「第二章第2話 佳境」
      • 2018年2月号「第二章第3話 大団円」
  • 木村幸治『調教師物語』洋泉社、1997年。ISBN 4896912926
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  • 週刊Gallop』(産業経済新聞社
    • 臨時増刊(2018年2月22日号)「ありがとうキタサンブラック 夢とロマンを背負い王道を駆け抜けた国民的名馬」
      • 浅田次郎「【特別寄稿】黒い神馬」
      • 「【インタビュー】北島三郎オーナー 『神様からの贈り物』だと思っています」
      • 松永昌也「【ロングインタビュー】清水久詞調教師 本当に幸せな3年間でした」
      • 沢田康文「【ロングインタビュー】武豊騎手」
      • 和田稔夫「【インタビュー】北村宏司騎手」
      • 「【キタサンブラックを陰で支えた男たち】デビュー前から追い切りを担当した黒岩悠騎手」
      • 「【キタサンブラックを陰で支えた男たち】最も長い時間をともに過ごした辻田義幸厩務員」
      • 「【キタサンブラックの故郷】ヤナガワ牧場 ドラマチックな日々を、ありがとう」
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1992年7月号
      • 「【'92年3歳新種牡馬たち】主な3歳新種牡馬のプロフィール紹介 *ジャッジアンジェルーチ」
    • 1992年9月号
      • 「【'92 3歳有力新種牡馬たち】ボールドルーラー系 *ジャッジアンジェルーチ」
    • 1994年5月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝(96)】琥珀色の機関車 アンバーシャダイ」
    • 1995年2月号
      • 植林伸二「【競作ノンフィクション・シリーズ】世界に誇るスピード王 サクラユタカオーは内国産種牡馬のエース」
      • 深沢一千代(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第28回スプリンターズステークス(GI)サクラバクシンオー」
    • 2000年9月号
      • 井口民樹「【サラブレッド・ヒーロー列伝<レース編>(69)】ノースフライトVSサクラバクシンオー(上)悠然たる最終飛行 1994(平成6)年 マイルチャンピオンシップ」
    • 2001年6月号
      • 「【重賞データファイル】第3回中山グランドジャンプ(J-GI)ゴーカイ」
    • 2007年7月号
      • 阿部珠樹「【優駿たちの故郷を訪ねて~2007春~】ヤナガワ牧場 父の夢の、その先へ」
    • 2014年8月号
      • 阿部珠樹「【優駿たちの故郷を訪ねて】ヤナガワ牧場 人と人と馬の輪」
    • 2015年5月号
      • 「【重賞プレイバック】第64回フジテレビ賞スプリングステークス(GII)キタサンブラック」
    • 2015年6月号
      • 日夏ユタカ「【プレイバック皐月賞】上位人気4頭はいかにクラシック一冠を戦ったのか」
      • 岡本光男「【大舞台に立つ精鋭たちの素顔】キタサンブラック 清水久詞 デビュー4か月で夢のステージへ」
      • 山田康文(馬事通信)「【馬産地のダービー】今年はキタサンブラックが筆頭格 日高から狙う最高の栄誉」
      • 「【重賞プレイバック】第75回皐月賞(GI)ドゥラメンテ」
    • 2015年7月号
      • 横手礼一「【レース回顧】ハイレベルなクラシック戦線でひときわ輝いた『特別な存在』」
      • 軍土門隼夫「【それぞれの東京優駿戦記 夢の舞台を駆け抜けて】6番人気14着キタサンブラック 先行勢には厳しい流れ 配線も今後の伸びしろに期待」
      • 「【重賞プレイバック】第82回東京優駿(GI)ドゥラメンテ」
    • 2015年11月号
      • 「【重賞プレイバック】第69回朝日杯セントライト記念(GII)キタサンブラック」
    • 2015年12月号
      • 岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 血のドラマに逆らうドラマ」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(367)】清水久詞調教師」
      • 「【重賞プレイバック】第76回菊花賞(GI)キタサンブラック」
    • 2016年1月号
      • 軍土門隼夫「【第60回有馬記念プレビュー】キタサンブラック 勢いに乗る菊花賞馬」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(368)】北島三郎さん」
    • 2016年2月号
      • 山田康文(馬事通信)「【2015年の蹄跡(18)】日高繋養の種牡馬が次々と名を上げる」
      • 河村清明「【2015年の蹄跡(20)】日高の牧場 日高産馬が活躍した2つの要因」
      • 「【2015年度JRA賞決定!】年度代表馬はモーリス」
      • 三好達彦「【第60回有馬記念】我慢に我慢を重ね、ゴールドアクターが頂点へ!」
      • 「【重賞プレイバック】第60回有馬記念(GI)ゴールドアクター」
      • 吉川良「【競馬その愛(84)】はてしない夢」
    • 2016年4月号
      • 岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【2016春の主役たち 国内古馬編】キタサンブラック どんな競馬にも対応する菊花賞馬」
    • 2016年5月号
      • 谷川善久「【第153回天皇賞・春プレビュー】完全本格化のグランプリホースか それとも強い世代の菊花賞馬か」
    • 2016年6月号
      • 有吉正徳「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 菊花賞馬と盾男、必勝の組み合わせ」
      • 「【重賞プレイバック】第60回産経大阪杯(GII)アンビシャス」
      • 辻一郎(TPC)「【種牡馬プロファイル(4)】ブラックタイド 3世代目産駒がクラシック制覇 奥行きを秘めた馬産地期待のサイヤー」
      • 山田康文(馬事通信)「【馬産地の『声』】市場における産駒評価も急上昇」
    • 2016年7月号
      • 谷川善久「【第57回宝塚記念レビュー】充実の4歳勢3騎か 連覇を目指す昨年の主役か」
      • 「【重賞プレイバック】第153回天皇賞(春)(GI)キタサンブラック」
    • 2016年8月号
      • 河村清明「【名馬に魅せられて 2016夏】ブラックタイド」
      • 有吉正徳「【GIインサイドストーリー】マリアライト 力強さも備えたディープインパクト産駒」
      • 「【重賞プレイバック】第57回宝塚記念(GI)マリアライト」
    • 2016年12月号
      • 軍土門隼夫「【ジャパンカッププレビュー】日本馬の"主役"は4頭。『ホーム』なら負けられない!」
      • 「【重賞プレイバック】第51回農林水産省賞典 京都大賞典(GII)キタサンブラック」
    • 2017年1月号
      • 軍土門隼夫「【第61回有馬記念プレビュー】名実ともに現役最強馬へ キタサンブラック」
      • 沢田康文「【グランプリへの決意】キタサンブラックに騎乗予定 武豊」
      • 島田明宏「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック ポテンシャルと戦術の調合」
      • 「【重賞プレイバック】ジャパンオータムインターナショナル ロンジン賞 第36回ジャパンカップ(GI)キタサンブラック」
    • 2017年2月号
      • 石田敏徳「【2016年の蹄跡(1)】キタサンブラック "新たな領域"への前進」
      • 有吉正徳「【2016年の蹄跡(3)】サトノダイヤモンド 進化を止めない若き駿才」
      • 村本浩平「【2016年の蹄跡(19)】ディープインパクト&ブラックタイド GI戦線で異彩を放った ウインドインハーヘア」
      • 「【2016年度JRA賞】年度代表馬はキタサンブラック」
      • 「【重賞プレイバック】第61回有馬記念(GI)サトノダイヤモンド」
      • 「【ニュース&トピックス】2016年度記者クラブ各賞発表――厩舎関係者表彰受賞者も決定」
      • 辻一郎(TPC)「【種牡馬プロファイル(12)】ディープインパクト」
    • 2017年3月号
      • 出川塁「【一代経て影響を与える 母の父の力】類い稀なスピードをそのままに サクラバクシンオー」
      • 優駿編集部「【歴代チャンピオンサイヤーの血】母の父を経由して歴代名種牡馬の血が入った2016年の年度代表馬 キタサンブラック」
      • 河村清明「【優駿たちの故郷を訪ねて】ヤナガワ牧場(北海道日高町)深みと強さを醸し出す『時』」
    • 2017年4月号
      • 軍土門隼夫「【大阪杯レビュー 巻頭言】強さの種類としての新たなカテゴリー」
      • 三好達彦「【大阪杯プレビュー】キタサンブラック 記念すべき舞台でリベンジはなるか!?」
    • 2017年5月号
      • 軍土門隼夫「【第61回大阪杯】王者キタサンブラックが完勝!さらなる進化を見せつけた!」
      • 岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【第155回天皇賞(春)プレビュー】春の淀で両雄が再び激突」
    • 2017年6月号
      • 有吉正徳「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 死闘を制して真の絶対王者に!」
      • 「【重賞プレイバック】第61回大阪杯(GI)キタサンブラック」
      • 「【重賞プレイバック】第155回天皇賞(春)キタサンブラック」
    • 2017年7月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第1話 誕生」
      • 軍土門隼夫「【第58回宝塚記念レビュー】悲願のグランプリ制覇なるか 主役は現役最強馬キタサンブラック」
    • 2017年8月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第2話 幕開」
      • 軍土門隼夫「【GIインサイドストーリー】サトノクラウン "世界レベル"のリベンジ」
    • 2017年9月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】最終話 覚醒」
    • 2017年10月号
      • 江面弘也「【才気溢れる優駿たちの鼓動】天皇賞春秋連覇を目指すチャンピオンホース キタサンブラック」
    • 2017年12月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章第1話 不惑」
      • 三好達彦「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 雨中の決戦で際立った"強さ"」
      • 「【重賞プレイバック】第156回天皇賞(秋)(GI)キタサンブラック」
    • 2018年1月号
      • 三好達彦「【第62回有馬記念 出走予定馬紹介】悲願のグランプリ制覇ラストランで キタサンブラック」
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章第2話 佳境」
      • 沢田康文「【キタサンブラックに騎乗予定】武豊 堂々と受けて立つ」
      • 平松さとし「【GIインサイドストーリー】シュヴァルグラン 勝利を手繰り寄せた陣営のプラン」
      • 「【重賞プレイバック】ジャパンオータムインターナショナル ロンジン賞 第37回ジャパンカップ(GI)シュヴァルグラン」 
    • 2018年2月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章 第3話 大団円」
      • 軍土門隼夫「【2017年の蹄跡(1)】キタサンブラック レッテルは剥がすもの」
      • 島田明宏「【レースレビュー】第62回有馬記念(GI)稀代のスターホースが演出したイヴの熱戦」
      • 「【重賞プレイバック】第62回有馬記念(GI)キタサンブラック」
      • 「【ニュース&トピックス】京都競馬場でキタサンブラックとコパノリッキーの引退式が行われる」
      • 「【ニュース&トピックス】2017年記者クラブ賞発表――厩舎関係者表彰受賞者も決定」
    • 2018年3月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章 最終話 去来」
      • 「【ニュース&トピックス】受賞馬関係者に盛んな拍手――2017年度JRA賞授賞式」
    • 2018年8月号
      • 軍土門隼夫「【あのスターホースがいる場所へ】キタサンブラック 群を抜く機敏さ」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義400回カウントダウンスペシャル(399)】杉本清 武豊」
    • 2023年1月号
      • 江面弘也「【特別読物】キタサンブラックのグランプリ 三度挑んだ暮れの大舞台」

外部リンク[編集]