ディープインパクト (競走馬)

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ディープインパクト
現役期間2004年 - 2006年
欧字表記Deep Impact
香港表記大震撼
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕2002年3月25日
死没2019年7月30日(17歳没)
登録日2004年12月19日
抹消日2006年12月25日
サンデーサイレンス
ウインドインハーヘア
母の父Alzao
生国日本国旗.png日本北海道早来町
生産ノーザンファーム
馬主金子真人
→金子真人ホールディングス(株)
調教師池江泰郎栗東
調教助手池江敏行[1][2]
厩務員市川明彦[1][2]
競走成績
タイトルJRA賞年度代表馬(2005年・2006年)
最優秀3歳牡馬(2005年)
最優秀4歳以上牡馬(2006年)
顕彰馬
生涯成績14戦12勝
中央競馬13戦12勝)
フランス1戦0勝)
獲得賞金14億5455万1000円
WTRRL124-E118 / 2005年[3]
L127-E123 / 2006年
 
勝ち鞍
GI 皐月賞 2005年
GI 東京優駿 2005年
GI 菊花賞 2005年
GI 天皇賞(春) 2006年
GI 宝塚記念 2006年
GI ジャパンカップ 2006年
GI 有馬記念 2006年
GII 弥生賞 2005年
GII 神戸新聞杯 2005年
GII 阪神大賞典 2006年
繁殖成績
タイトル日本リーディングサイアー(2012-2018年)
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ディープインパクトDeep Impact2002年(平成14年)3月25日 - 2019年(令和元年)7月30日)は、日本サラブレッドである。2005年(平成17年)に日本競馬史上6頭目の中央競馬クラシック三冠(無敗での達成は1984年のシンボリルドルフに次いで2頭目)を達成、2006年(平成18年)には日本調教馬としては初めて芝部門・長距離部門で世界ランキング1位となった。種牡馬としては2012年から2018年の日本のリーディングサイアーである。史上2頭目の無敗の三冠馬で、GIで7勝を挙げるなど1時代を築いた歴史的な名馬である。馬名の由来は「深い印象」。

経歴[編集]

デビュー前[編集]

父はサンデーサイレンス。母はウインドインハーヘア。母の父はアルザオノーザンファーム出身の同期にはシーザリオカネヒキリラインクラフトインティライミヴァーミリアンがいる[4]

半姉は2003年にデビューから無傷の5連勝を飾り、6戦目のスプリンターズステークス4着を最後に引退したレディブロンド(父はシーキングザゴールド)。全兄は2004年スプリングステークスを制したブラックタイド(父はサンデーサイレンス)。またブラックタイド、全弟オンファイアは共に引退後種牡馬入りしている。母の一族からは1989年のエプソムダービーなどを制したナシュワンがいる良血。

ノーザンファームで生まれたディープインパクトは1歳時にセレクトセールに出され、兄ブラックタイドと同馬主になる金子真人氏に落札された。落札価格は7000万円、馬体の薄さが嫌われてかサンデーサイレンスの産駒の中では高い方ではなかった。

競走馬時代[編集]

2歳~3歳(2004年~2005年)[編集]

栗東・池江泰郎厩舎から2004年12月19日阪神競馬の2歳新馬戦でデビュー。上がり3ハロンを331で駆け抜け、2着のコンゴウリキシオー(後に重賞きさらぎ賞を制す)に4馬身の差を付けて快勝。続く若駒ステークス(2005年1月22日)はケイアイヘネシーに5馬身の差を付けての勝利。この時、関東ローカル局(UHF)やテレビ東京フジテレビがその衝撃的な勝ちっぷりをTV初放送したことで、ディープインパクトの名が一気に全国区となった。3戦目の弥生賞3月6日)では2歳チャンピオンのマイネルレコルト(3着)や京成杯を制したアドマイヤジャパン(2着)以下に勝利。着差は僅かクビ差だったが、鞍上の武豊がステッキを入れずに快勝した。

同年4月17日皐月賞でも武豊が騎乗、スタートで躓き後手を踏むも3コーナー手前で先団に追いつき、直線では武豊が初めてステッキを使い、2着のシックスセンス以下を2馬身半差をつけ勝利を収めた。勝利ジョッキーインタビューで武は「いや、もうパーフェクトですよ。走っているより飛んでいる感じだったんで」と言葉を残した。無敗での皐月賞制覇は2001年アグネスタキオン以来、史上16頭目。そしてレース後の記念撮影で武豊は指を1本立てた(シンボリルドルフの三冠競走で主戦騎手であった岡部幸雄が行ったパフォーマンス)。

こうして迎えた5月29日ダービーでは、単勝支持率73.4%(オッズは1.1倍)とハイセイコーの記録を更新する一本人気となった。そしてその人気を裏切ることなく2着インティライミに5馬身の差をつけて、前年のキングカメハメハに並ぶ2:23:3のタイレコードで圧勝し二冠を達成した。

ダービー後は北海道に移動したものの放牧はせず、涼しい北の大地で常に調教を行った。そのためもあってか順調に調整は進み、秋初戦となる神戸新聞杯では後方から徐々に進出、直線入り口で先頭に並びかけると、ラストの直線では、武豊がターフビジョンを横目に見ながらステッキを1発だけ打つという余裕の手応えで後続を引き離し、トウショウボーイのレースレコードを更新するタイムで楽勝した。なお、ステッキを入れたのは、あくまで「まだゴールに達していない」という合図程度のものであると武豊は話した。

続いて出走した菊花賞は、勝てば日本競馬史上に燦然と輝く皇帝シンボリルドルフ以来21年振りの無敗三冠達成が懸かる大一番となった。単勝支持率80%を出走2日前に超えオッズが1.0倍となり、結局レース当日10月23日も単勝式は100円元返しの圧倒的人気を集めた。レースでは道中折り合いを欠く場面も見られたが、最後は先に抜け出したアドマイヤジャパンを差し切り優勝。しかし、続く有馬記念ではハーツクライに敗れて初黒星を喫する。結果的に、これが唯一の国内での敗北となった。

4歳(2006年)[編集]

2006年初戦は阪神大賞典デルタブルースやトウカイトリックを寄せ付けず3・1/2馬身の差で優勝。ゴール前では武豊が手綱を弛める余裕があり、順調なスタートを切った。

4月30日、続く本番の天皇賞(春)ではスタートでは前年の皐月、日本ダービー同様に出遅れたが、道中は最後方から2番手の位置で折り合いをつけ、向正面の上り坂を終えたあたりから徐々に進出を開始した。通常、京都競馬場では3コーナーの下り坂でスパートをかけるのは直線で失速してしまう可能性があるため好ましくないとされる。然し、彼の強さは将に『これが同じサラブレッドなのか?』と思わせる程に次元が違っていた。直線入口で先頭にたつや否やそのまま後続を全く寄せ付けず最終的に2着のリンカーンに3 1/2馬身の差を付け余裕の圧勝劇、見事に四冠に輝いたと同時に前年の有馬記念の借りを見事に返した(三冠馬が天皇賞を制したのはシンボリルドルフ以来21年ぶり)。勝ち時計は3分13秒4で、1997年平成9年)の第115回大会でマヤノトップガンが記録した3分14秒4のコースレコードを1秒も更新し改めてその史上最強馬の名を証明して見せた。レースの上がり4ハロンは44秒8、ディープインパクトが先頭に立っていた上がり3ハロンは33秒5というタイムだった(因みに2着のリンカーンの走破タイムは3分14秒0でレコードを上回っており、3着のストラタジェムも3分14秒8の時計を叩き出した)。レース後の記念撮影で武豊は指を4本立てた。この時に2着に入ったリンカーンに騎乗した横山典弘をして、「(リンカーンは、生まれた)時代が悪かった」と言わしめるほどの内容だった。

5月8日凱旋門賞出走に向けた海外遠征プランが発表され、その前哨戦として6月25日に京都競馬場で開催される第47回宝塚記念に出走することとなった。事前に行われたファン投票では89,864票を集め1位となり、単勝支持率も天皇賞(春)に続きレース史上最高の75.2%をマークした。当日の京都競馬場は雨で馬場が悪くなっていたがここでも後方から徐々に進出を開始、直線では馬場外目を鋭く伸び2着のナリタセンチュリーに4馬身差を付け優勝した。そして同競走を優勝したことで史上7頭目にして史上最速の10億円ホースとなった。レース後の記念撮影で武豊は指を5本立てた。

10月1日、凱旋門賞は8頭という史上2番目の少頭数で行われた。直前の各ブックメーカーのオッズでは、ハリケーンランやシロッコとともに3強の一角をなし、中には1番人気に推すところもあった。ロンシャン競馬場内では、日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したためか、一時は1.1倍という断然の1番人気となった(最終的なオッズは1.5倍)。レースでは好スタートを切り、いつもと違って道中2~3番手と前の方でレースを進め、残り300m地点では先頭に立った。しかし、外からやってきた3歳馬のレイルリンクに残り100m地点で交わされ、さらにゴール直前に牝馬のプライドにも抜かれて3着だった。さらに、レース後に禁止薬物イプラトロピウムが検出され失格となってしまう。

この凱旋門賞はディープインパクトが出走したため大きな注目を集め、ロンシャン競馬場には5000人以上の日本人が押し寄せた。このため日本人専用の馬券購入用紙まで作られた。しかし、現地での日本人のマナーが問題となった。日本国内でもウインズ後楽園ウインズ道頓堀プラザエクウス渋谷の3箇所でパブリックビューイングを行ったが、2000人以上の観客が集まった。また、テレビ中継の平均視聴率は関東地区で16.4%、関西地区で19.7%と、深夜にもかかわらず高視聴率を記録した。

凱旋門賞後の10月11日に2006年限りで現役を引退し、引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となることが発表された。そして51億円ものシンジケートが組まれた。これは日本で繋養される種牡馬としては史上最高価格である。

帰国後は10月29日の天皇賞(秋)が復帰初戦の予定で、これに勝利すれば天皇賞春秋連覇の期待が懸かったが、池江は「帰国してから日が浅いので、天皇賞(秋)は回避します」という主旨のコメントを出し、日本国内での復帰初戦はそれから1ヵ月後のジャパンカップとなった。

そして迎えた復帰戦の11月26日のジャパンカップでは、ディープインパクトが出走することに加え、前年の有馬記念以来11か月ぶりにディープインパクトとハーツクライの再戦が実現するということもあり、東京競馬場には12万人のファンが押し寄せた。ディープインパクト陣営にとっては、前年の暮れの雪辱を果たしたい、さらに凱旋門賞の敗退とその後に起きた薬物騒動を払拭したいということで注目が集まった。レースはディープインパクトが終始最後方で待機したままで、第3コーナーから徐々に前へ進出し、最終コーナーへ向かった。他馬を一気に捲くり、最終的にはドリームパスポートに2馬身差をつけ優勝した。レース後は武豊がウイニングランを行い、ファンに復活をアピールした。記念撮影では武豊の5本指に金子オーナーの1本指が加わって6本指が出来た。

そして12月24日、引退レースとなる有馬記念に出走した。事前に行われたファン投票では119,940票を集め1位となった。レース当日の中山競馬場にはディープインパクトのラストランを一目見ようと11万7251人の客が押し寄せた。注目が集まったこのレースで単勝支持率は70.1%(オッズ1.2倍)と、1957年ハクチカラが記録した76.1%に次ぐ史上2位となった。レースではまず後方3番手につけると、3コーナーから追い出して直線で先頭に立ち、抜け出した後のラスト150mからは武豊が手綱を抑えながらポップロックに3馬身の差をつける圧勝で引退レースに勝利し、前回のリベンジを達成し見事に有終の美を飾った。この後、ウイニングランは行われなかったが、記念撮影では武の5本指に金子オーナーの2本指が加わって七冠を表す7本指が出来た。当日のすべての競走が終わった後には引退式が行われた。引退式では有馬記念の馬番のゼッケンを付けて登場。小田和正の『言葉にできない』が流れる中でディープインパクトが退場して行き終了した。これを最後に、ディープインパクトは競走馬を引退した。

武豊は自身の『武豊TV!』内の2006年有馬記念を回顧する回において、「弥生賞や負けた有馬記念、そして凱旋門賞と馬体を併せる形になったレースでは伸びなかった。勝ったレースはすべて大外から一気に馬を抜き去り圧勝した。はっきりしたことは分からないし断言できないが、馬体を併せると物見(馬を見る)をする。相手に合わせて走ってしまう。反面、単走やそれに近い状況なら、調教でもレースでも力を発揮した。ジャパンカップ前に自ら志願して、初めて単走で追い切ったのはそのため」と語った。

通算成績は14戦12勝(海外は1戦0勝)、重賞10勝(そのうちG1は7勝)。総取得賞金は14億5455万1000円。

種牡馬時代[編集]

引退後は種牡馬としても国内外で数多くの名馬(牝馬三冠などGI7勝を挙げたジェンティルドンナなど)を送り出した。国内最高となる51億円のシンジケートが組まれ、平成24年(2012年)から7年連続でリーディングサイアーに輝くなど、存在感を示しており、平成31年(2019年)の種付け料は公示4000万円だった。

しかしこの頃からディープインパクトの調子は悪かったとされる。の状態が悪くなり、3月末に種付けを中止して治療に専念していた。そのため、同年の種付け24頭がこの世代のラストクロップである。

令和元年(2019年)7月28日、かねてから治療していた頸部の手術を受けて術後の経過も安定していた。だが、7月29日の午前中に起立不能の状態となる。そのため7月30日早朝にレントゲンの検査を行ったところ、手術箇所とは違う頚椎に骨折が見つかり、最早回復の見込みが立たないことから、同日午前6時40分に北海道安平町社台スタリオンステーション安楽死の処置がとられたという。17歳没。人間なら50歳から60歳代であるが、五冠馬のシンザンが36歳、競馬ブームを起こしたオグリキャップが25歳、そしてシンボリルドルフが30歳であったことを考えると、ディープインパクトの17歳は若かった。

それからわずか10日後の8月9日、同じくダービー馬であった種牡馬ライバルのキングカメハメハも後を追うように18歳で死亡し、2頭の名馬の相次ぐ死は日本の競馬界に衝撃を与えた。

種牡馬としての特徴[編集]

産駒がデビューしたのは2010年6月。わずか9年で、産駒は中央競馬の24の平地GI競走のうち、21戦を制した。まだ勝っていない5戦は、芝1200メートル高松宮記念スプリンターズステークス、ダートのフェブラリーステークスチャンピオンズカップに、昇格したホープフルステークス、芝の極端な短距離と長距離、ダート以外のすべての領域を制した。芝コースとダートコースを比較すると芝コースを得意としており、特に直線の長い東京や京都、阪神の外回りコースで無類の強さを見せる。一方ディープインパクトは、自身の現役時代の体重が440キロ前後で瞬発力を身上としており、特徴を受け継いだ産駒が多いためか、パワーを要するダートコースで苦戦しており、ダートのGI成績はまだアンジュデジールJBCレディスクラシックを1勝しただけである[5][6]

産駒の特徴としては、芝のマイルからクラシックディスタンス(2400m前後の中距離)に強い産駒が多い傾向があり、GIをはじめ重賞勝ち馬のほとんどがこの条件に集中している。また牡馬にも複数のダービー馬やGI馬を送りだしているものの、牝馬の産駒に特に活躍馬が多い傾向もある。

産駒の仕上がりも早く、新馬戦からいきなり力を発揮できるため、新馬の勝ち上がり率も高い。一方で複数の調教師や競馬関係者から「一生懸命走りすぎる産駒が多い」とも指摘され、体が出来上がるまではレースを多用せず、じっくりと調整される傾向がある。

数字の面では国内における他の種牡馬と比較して、アーニングインデックス(E・I)や勝馬率が高い。一例として2015年度のリーディングサイアー2位のキングカメハメハと比較すると、同馬の勝馬率が0.347(この数字も3位から20位の種牡馬に比べると飛び抜けて高い)に対してディープインパクトの勝馬率は0.366に及び、E・Iは上位20頭の中で、産駒の出走頭数54頭のスクリーンヒーローの2.89に次ぐ2位の2.55である。E・Iが2.00を超えたのは上位20頭の中では他にフジキセキ(出走頭数84頭)の2.02のみであり、出走頭数440頭に及ぶディープインパクトの2.55という数字は抜けて高いといえる(出走頭数458頭のキングカメハメハのE・Iは1.91)。

エピソード[編集]

皐月賞までは順調に勝ち進んだものの、速いスピード馬に特有の「の薄さ」が問題になった。蹄が薄いと蹄鉄がうまく蹄に固定できないため、落鉄の危険性が高くなり、レースに際して不安要素になることから、装蹄師に相談して、最新の蹄鉄を装着することにした。その特殊蹄鉄は、標準のものと比べて極めて薄いものであり、なおかつ装締によって蹄に負担がかからないよう、従来のによる装締を止め、クッションと新エクイロックスという特殊なパテで蹄に装着させたものである。ディープインパクトはこの蹄鉄で次走の東京優駿(日本ダービー)に勝利、続くクラシック3冠目の菊花賞も勝ちきり、無事三冠を制した。関係者の話では、特殊蹄鉄のおかげで三冠を達成できたということである。これは、「シンザン鉄」と呼ばれた特殊蹄鉄を用いて蹄の負担を軽減した先輩三冠馬・シンザンに通じるところがある。

またディープインパクトの蹄鉄の減りは他の馬に比べて遅いという話がある。例として、あるGIを何勝かしたことのある馬の蹄鉄が2週間でかなり減ってしまうのに、ディープインパクトは3週間でもほとんど減らないといわれている。かき込むような走り方でなく、きれいな飛びを持っている証拠とされていて、筋肉が柔らかいことも一因と見られる。犬や猫などのように後ろ足で耳を掻くことができるという。(なお、同様の行為は同じ三冠馬のミスターシービーにもあったという。)

心肺機能が他の馬より優れているのも強さの一つと考えられている。まず、心拍数が最大になったときの血液のスピードを「VHRmax」(単位はm/s)、ゴール直後から心拍数が100を切るまでの時間「HR100」といい、前者は持久力を、後者は回復力を示すものとされている。(前者は数値が大きければ大きいほど、後者は数値が少なければ少ないほどよい)3歳以上の馬のVHRmaxの平均は14.6前後であるのに対し、ディープインパクトは菊花賞直前で16.0を示し、古馬も含め他の馬とは違う高い持久力があることが証明される。HR100も大抵の3歳馬は10分以上かかるのに、ディープインパクトは3分程度と回復力も他の馬とは一線を画している。

牧場にいた頃は集団では常に先頭を走っていて、他の馬が走るのをやめても自分だけは走り続け、ケガをしても走るのをやめなかったという。同じノーザンファームの同期生にはシーザリオラインクラフトカネヒキリ、インティライミ、ストーミーカフェ、キングストレイル、ローゼングロイツ、ディアデラノビア、ペールギュント、ヴァーミリアンといったメンバーが名を連ねている。これだけのメンバーのなかでも当時から卓越した能力を発揮していたことからも、この馬の凄さがわかる。

他にも自分の理想体重を知っているのか、カイバの食べる量を自分で調整することもある。

強運伝説[編集]

ダービー当日、雨予報だったにもかかわらず、レース当日は晴れで良馬場だった。また北海道から栗東に帰る途中に事故による渋滞を寸前で回避するなど、強運の持ち主でもあるが、なんといっても最大の強運は関西の名門池江泰郎厩舎に入厩したことだろう。優秀なスタッフに恵まれたディープインパクトは、三冠最大の難関といわれる「夏越え」(過去の二冠馬の場合、菊花賞を獲りのがしたパターンがもっとも多い)も無事に乗り越え、万全の体調で秋シーズンに臨むことができた。稀代の名騎手をデビュー戦から背に乗せていることといい、まさに人に恵まれた幸せな馬である。

メカニズム[編集]

2005年11月28日に行われた「日本ウマ科学会」でディープインパクトの走り方の研究結果が発表された。(なお、日本ウマ科学会は一昨年からサラブレッドについて開かれているが、1頭の馬を取り上げるのは初めてのこと)これは皐月賞優勝後、鞍上の武豊がインタビューで「走っているというより飛んでいるという感じ」と発言したのを機に、JRA競走馬総合研究所がディープインパクトの走り方の研究を始めたものである。ディープインパクトの走っている姿を撮るために、京都競馬場のゴール板手前100mに高速度カメラを設置し、菊花賞でのディープインパクトの走っている姿を捕らえた。菊花賞での走りは出場全馬の最後の100mの平均タイムは秒速16.1m(時速58km)であったのに対し、ディープインパクトは秒速17.8m(時速64km)と平均を遥かに上回っていた。また、「飛んでいる」ということについては「エアボーン」と呼ばれるどの脚の地面に接していない、いわゆる「飛んでいる」時間は出場全馬の平均が0.134秒であるのに、ディープインパクトは0.124秒でしかなかった。しかし、1完歩の長さ(ヒトでいう1歩の歩幅)は出場全馬の平均が7.08m、ディープインパクトが7.54mと50cm近く差があった。よって、出場全馬の平均が2.43m飛んでいるのに対して、ディープインパクトは2.63mと平均よりも20cm長いということが判明した。1秒間に何完歩できるかということも分析してみたところ、出場全馬の平均は2.28回、ディープインパクトは2.36回であった。スピードは「1完歩の長さ」と「ある一定の時間に何完歩できるか」との掛け算で決まるので、ディープインパクトの走りが限界、要するに「究極」なのではという見方がある。フォームは他の馬より体を伸ばし、頭を低くして走っているので、重心の低い走りをしているということが分かる。要するに、低く飛んで馬体の上下の動きを抑え、(時間を)短く飛んでいるため脚が地面に十分着き、力を伝えられ、空気抵抗も少ないということである。脚も1本1本別々に地面に着き、後ろ足を大きく前方に出している。これらのことからディープインパクトの走りは、1.体を伸ばして走る、2.頭を上げるタイミングが遅い、3.それぞれの脚が別々に着いて走る、4.後ろ足を大きく前方に出すという特徴から「飛んでいるという感じ」となるのであるという。なお、このような走り方は1973年アメリカ三冠の最後のレースベルモントステークスで2着に31馬身もの差をつけて見事アメリカ三冠馬に輝いたセクレタリアトにとてもよく似ているといわれている。

出走したレースにおける実況[編集]

ディープインパクトの出走したレースではさまざまなアナウンサーが数々の名実況を残している。

  • 2005年・東京優駿 「三冠へ夢が広がるインパクト!!」 (NHK・藤井康生アナウンサー)
  • 2005年・菊花賞 「世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!ディープインパクト!!」 (関西テレビ馬場鉄志アナウンサー) この実況で馬場アナは2005年のFNSアナウンス大賞を受賞した。
  • 2005年・有馬記念 「なんと、ハーツクライだーっ!!ディープインパクト敗れる!ディープインパクト敗れるっ!!」 (フジテレビ三宅正治アナウンサー) ディープインパクトが初黒星を喫したレース。
  • 2006年・天皇賞(春) 「ハーツクライよ、ハリケーンランよ待っていろ!」 (関西テレビ・馬場鉄志アナウンサー)
  • 2006年・宝塚記念 「ロンシャンのスタートラインが今はっきりと見えました!」 (関西テレビ・石巻ゆうすけアナウンサー) 凱旋門賞の壮行レースとなった宝塚記念を快勝して。
  • 2006年・ジャパンカップ 「外からディープ!ディープ!ディープ!飛んできた!!(中略)勇気の翼をいっぱいにディープインパクト!!」 (フジテレビ・塩原恒夫アナウンサー) 凱旋門賞からの復帰戦を快勝して。
  • 2006年・有馬記念 「外からディープ、まさに翼を広げようとしている!(中略)ディープインパクト今大きな翼を広げた!(中略)ディープインパクト先頭!間違いなく飛んだ!!間違いなく飛んだ!!(中略)これが最後の衝撃!!これが最後のディープインパクト!!!」 (フジテレビ・三宅正治アナウンサー) ラストランのレースでの実況。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離馬場 タイム
上3F
着差 勝ち馬/(2着馬) 馬体重
[kg]
2004. 12. 19 阪神 2歳新馬 9 4 4 1.1(1人) 1着 武豊 55 芝2000m(良) 02:03.8 (33.1) -0.7 コンゴウリキシオー 452
2005. 1. 22 京都 若駒S OP 7 4 4 1.1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 02:00.8 (33.6) -0.9 (ケイアイヘネシー) 450
3. 6 中山 弥生賞 GII 10 8 10 1.2(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 02:02.2 (34.1) -0.0 アドマイヤジャパン 446
4. 17 中山 皐月賞 GI 18 7 14 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2000m(良) 01:59.2 (34.0) -0.4 シックスセンス 444
5. 29 東京 東京優駿 GI 18 3 5 1.1(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 02:23.3 (33.4) -0.8 インティライミ 448
9. 25 阪神 神戸新聞杯 GII 13 6 9 1.1(1人) 1着 武豊 56 芝2000m(良) 01:58.4 (34.1) -0.4 (シックスセンス) 448
10. 23 京都 菊花賞 GI 16 4 7 1.0(1人) 1着 武豊 57 芝3000m(良) 03:04.6 (33.3) -0.3 (アドマイヤジャパン) 444
12. 25 中山 有馬記念 GI 16 3 6 1.3(1人) 2着 武豊 55 芝2500m(良) 02:32.0 (34.6) -0.1 ハーツクライ 440
2006. 3. 19 阪神 阪神大賞典 GII 9 2 2 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝3000m(稍) 03:08.8 (36.8) -0.6 トウカイトリック 442
4. 30 京都 天皇賞(春) GI 17 4 7 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝3200m(良) R3:13.4 (33.5) -0.7 リンカーン 438
6. 25 京都 宝塚記念 GI 13 6 8 1.1(1人) 1着 武豊 58 芝2200m(稍) 02:13.0 (34.9) -0.7 ナリタセンチュリー 442
10. 1 ロンシャン 凱旋門賞 G1 8 1 1.5(1人)[‡ 1] 失格 武豊 59.5 芝2400m(Bon[7][‡ 2]) 3位入線[10] Rail Link
11. 26 東京 ジャパンC GI 11 6 6 1.3(1人) 1着 武豊 57 芝2400m(良) 02:25.1 (33.5) -0.3 ドリームパスポート 436
12. 24 中山 有馬記念 GI 14 3 4 1.2(1人) 1着 武豊 57 芝2500m(良) 02:31.9 (33.8) -0.5 ポップロック 438
  1. 日本国外では、複数の事業者(ブックメーカー)が自由に馬券を販売できるため、業者ごとに倍率は異なり、人気とは連動しない。ここではロンシャン競馬場内の倍率を示す。(フランスはパリミュチュエル方式を採用しており、競馬場内で馬券を買う限りにおいては人気と倍率は連動する。)
  2. 日本語では一般的に「稍重」に相当する。日本軽種馬協会のJapan Bloodstock Information Systemでは「稍重」[8]、netkeibaでは「良」[9]と表記している。詳細は馬場状態#各国の馬場状態を参照。

血統表[編集]

ディープインパクト血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ダーレーアラビアン系 -(中略) - ヘイロー系 - サンデーサイレンス系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
アメリカ
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
アメリカ
Hail to Reason
1958
Turn-to
Nothirdchance
Cosmah
1953
Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
アメリカ
Understanding
1963
Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower
1964
Montparnasse
Edelweiss

*ウインドインハーヘア
Wind in Her Hair
1991 鹿毛
アイルランド
Alzao
1980 鹿毛
アメリカ
Lyphard
1969
Northern Dancer
Goofed
Lady Rebecca
1971
Sir Ivor
Pocahontas
母の母
Burghclere
1977 鹿毛
イギリス
Busted
1963
Crepello
Sans Le Sou
Highclere
1971
Queen's Hussar
Highlight
母系(F-No.) 2号族(FN:2-f) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. JBIS ディープインパクト 5代血統表[12]JBIS Deep Impact(JPN) Five-generation Pedigree Table(2015年5月24日閲覧)、およびEQUINLINE Deep Impact(JPN)(2015年5月24日閲覧)
  2. 『エンターブレインムック 馬券に活かす!系統別血統ガイド』エンターブレイン,2010,ISBN 978-4-04-726979-8,p4,p23,p62,
  3. [12]
  4. [12]


脚注[編集]

  1. a b 21世紀の名馬Vol.5 ディープインパクト、73頁。
  2. a b 追悼ディープインパクト、87頁。
  3. 国際競馬統括機関連盟(IFHA) 2005年12月31日付 The World Thouroughbred Racehorse Rankings 2016年10月10日閲覧。
  4. 兼目・大岡2010、502頁。
  5. 2016年11月5日現在、JRA平地重賞勝利数は芝135勝、ダート1勝である
  6. ディープインパクト、万能種牡馬へ一歩”. nikkei.com (2016年11月5日). 2017年11月18日確認。
  7. GENYcourses 2006 Prix de l'Arc de Triomphe Lucien Barrière 2016年2月19日閲覧。
  8. JBIS ディープインパクト競走成績:全競走成績 2016年2月19日閲覧。
  9. netkeiba 2006年凱旋門賞(G1) 2016年2月19日閲覧。
  10. ディープインパクト 凱旋門賞激走譜、13頁。
  11. ディープインパクト”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2016年2月19日確認。
  12. a b c JBIS ディープインパクト 5代血統表(2015年5月24日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]