テスコボーイ
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テスコボーイ | |
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欧字表記 | Tesco Boy |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1963年 |
死没 | 1987年10月25日 (25歳没・旧表記) |
父 | Princely Gift |
母 | Suncourt |
母の父 | Hyperion |
生国 | イギリス |
生産 | Ridgewood Stud |
馬主 | J.E.Cohen |
調教師 | S.Ingham(イギリス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 11戦5勝 |
獲得賞金 | 10,090ポンド |
テスコボーイは、イギリスの競走馬である。現役時代はそこそこの成績を残し、引退後日本で種牡馬として名声を残した。
競走馬時代[編集]
父Princely Gift、母Suncourt、母父Hyperion。
父は現役時代にイギリスの短距離で活躍したスプリンターで、種牡馬入り後は2歳戦やスプリント路線で活躍馬を多く生み出した。
テスコボーイは英国でデビュー後、3戦2勝でクイーンアンステークスに出走。2着となるが、1着入線のBallycipticが失格となり、テスコボーイが繰り上げ優勝した。現役時代の出走数は11戦、勝数は5勝。但し大レースでの勝利はクイーンアンSでの繰り上がりでの1勝のみに終わっている。
種牡馬時代[編集]
競走引退後1年間はアイルランドで種牡馬生活を送り、日高軽種馬農業協同組合(HBA)に購買されて日本へ輸出され、門別種牡馬場で種牡馬生活を送る。
初年度からランドプリンス、キタノカチドキを生み出し、2年目にはテスコガビー、トウショウボーイ、更にサクラユタカオー、ハギノカムイオー、ホクトボーイなど多数の活躍馬を輩出。それまで日本競馬界であまり意識されていなかったスピードの血を齎した。ウイニングポスト(とりわけ『8』のナンバリングのシリーズ)プレイヤーにはユタカオーの父馬としておなじみであろう。
テスコボーイは生産牧場からお助けボーイと呼ばれていた。これはテスコボーイがHBA所有の種牡馬で、種付け料が安かった。種付けの権利は年間の予定頭数に対して申込多数の場合は抽選となっていたが、多数の活躍馬を輩出した実績から当選して仔が無事生まれてくれればセリ・庭先取引問わず高く売れるため、牧場経営を大きく助けた。お助けボーイと呼ばれたのは息子のトウショウボーイもまた同じである。
1987年死去。