ヒシミラクル

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ヒシミラクル
画像募集中.png
現役期間2001 - 2005年[1]
欧字表記Hishi Miracle[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色芦毛[1]
生誕1999年3月31日(25歳)[1]
抹消日2005年5月20日
サッカーボーイ[1]
シュンサクヨシコ[1]
母の父シェイディハイツ[1]
生国日本国旗.png日本北海道三石郡三石町[1]
生産大塚牧場[1]
馬主阿部雅一郎[1]
調教師佐山優栗東[1]
競走成績
タイトルJRA賞最優秀父内国産馬(2003年)[1]
生涯成績28戦6勝[1]
獲得賞金5億1498万9000円
IC120L(2003年)[2]
 
勝ち鞍
GI 菊花賞 2002年
GI 天皇賞(春) 2003年
GI 宝塚記念 2003年

ヒシミラクル(1999年3月31日 - )とは、日本の競走馬・種牡馬である。

経歴[編集]

2歳・3歳時代[編集]

北海道の大塚牧場で生まれる。母のシュンサクヨシコは大塚牧場の生産で、牧場主が将来は繁殖に入れると考えて一度は中央で競走デビューするも、3戦で引退させて牧場に戻した。繁殖入り3年目にサッカーボーイを付けて生まれたのがこのヒシミラクルである。

2001年のHBAトレーニングセールに上場され、阿部雅一郎に682万5000円で落札された[3]

デビューは2歳(2001年)の夏。8月に小倉開催の新馬戦でデビューし、直後は短距離を中心に使われていたが、結果が出なかった。そのため、5戦目からは距離延長して中距離を使われはじめる[4]。しかしそこでも勝ちきれないことが多く、初勝利は2002年5月26日中京競馬第2競走だった。この日はタニノギムレットが勝利した東京優駿と同日だった。

その後は阪神競馬の条件戦で2勝、特別競走5戦で掲示板に載る走りを見せる。特に、500万下特別の売布特別は5馬身差であったうえ、ダンツフレームが勝利した同日の宝塚記念のタイムを上回る好時計だった。菊花賞トライアル神戸新聞杯にも出走したが6着に終わり、菊花賞の優先出走権(3着以内)は取れなかった。それでも菊花賞を目指して出走登録を行い、抽選を突破し菊花賞に出走することとなった。クラシック登録がなかったため追加登録金を払っての出走であった[5]人気は10番人気と低かったが、スタート直後に1番人気ノーリーズン鞍上の武豊落馬し場内がどよめくなか、自慢のスタミナを発揮。道中は鞍上の角田晃一がずっと手綱をしごきっぱなしながらも第4コーナーで先頭に並びかけ、メガスターダムとゴール寸前まで競り合い最後は追い込んできた16番人気のファストタテヤマをハナ差退け優勝。3連複が34万馬券と大波乱となった。年末の有馬記念に出走したが11着。その後休養に入る。

古馬[編集]

4歳となったヒシミラクルは阪神大賞典から始動した。しかし12着と惨敗。本番の天皇賞(春)を前にもう一叩きとして大阪杯を使ったが7着。そして天皇賞(春)に出走するも菊花賞後の惨敗続きで7番人気と評価は低かった。しかし、ヒシミラクルは菊花賞と同じように3〜4コーナーでまくり気味に順位を上げていくとスタミナを活かして早め先頭に立った。これに対し後続は追いつけず、GI2勝目を挙げた。

ヒシミラクルの次走は宝塚記念に決まった。この宝塚記念は前年の年度代表馬シンボリクリスエスや有馬記念2着のタップダンスシチー、この年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬ネオユニヴァース、GI6勝アグネスデジタルなどが出走し、菊花賞・天皇賞(春)とGIを2勝しているものの距離不足が懸念されたヒシミラクルは6番人気であった。レースでは、最後の直線で先頭に立ったシンボリクリスエスが伸びを欠き、タップダンスシチーが先頭に立った。しかし、外からヒシミラクルとツルマルボーイが追い込んで最後は2頭の一騎討ちとなり、首差ヒシミラクルが出てGI連覇を達成した。これまでのレースはまくりや早め先頭などで勝ってきたが、先行馬が伸びを欠いたこともあり、今回は直線勝負をして差しきるという新たな一面を見せた。この宝塚記念では1人の中年男性に2億円近い配当をもたらしたが、同時にヒシミラクル自身にとってはこれが最後の勝利となった。

秋はGI3連戦を目前にして京都大賞典に出走。ここでは今までの休養明けとは違いスムーズに先行してタップダンスシチーの2着となった。しかし、秋のGI戦線本番というところで繋靭帯炎を発症してしまい1年間休養することになる。

復帰したのが次の年(2004年)の天皇賞(秋)だったが、結果は16着。続くジャパンカップではヒシミラクルの十八番ともいえる早め先頭策に出たが9着。しかし悲観する内容ではなかっただけに有馬記念に期待がかかったが、ここでも4コーナーで先頭に並びかけたが14着に敗れた。

2005年は2月の京都記念から始動し、60キログラムの斤量を背負いつつも3着に入るが、続く天皇賞(春)では16着と惨敗した。レース数日後には右前脚繋靱帯炎を再発していることが判明し引退が決定した。生涯成績は28戦6勝。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名


オッズ(人気) 着順 騎手 斤量
[kg]
距離馬場 タイム
上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2001. 8. 11 小倉 2歳新馬 13 7 11 58.4(09人) 07着 角田晃一 53 芝1200m(良) 1.13.0 (37.2) -1.1 リバートレジャー
8. 25 小倉 2歳新馬 18 6 11 54.3(10人) 11着 角田晃一 53 芝1200m(良) 1.12.3 (36.6) -2.0 マイネルプレーリー
9. 8 阪神 2歳未勝利 12 7 9 81.2(09人) 08着 角田晃一 53 芝1200m(稍) 1.11.2 (34.9) -1.6 ヤマニンイデアル
9. 23 阪神 2歳未勝利 13 1 1 86.3(10人) 09着 角田晃一 53 芝1200m(良) 1.12.1 (35.6) -1.3 セトノアケボノ
10. 7 京都 2歳未勝利 8 8 8 11.4(06人) 05着 角田晃一 53 芝2000m(良) 2.03.3 (36.6) -1.6 チトセサクセス
10. 21 京都 2歳未勝利 15 3 4 45.0(10人) 02着 角田晃一 53 芝1800m(良) 1.48.8 (36.8) -0.5 フジヤマワイルド
11. 4 京都 2歳未勝利 16 5 9 05.2(02人) 03着 角田晃一 54 芝1800m(稍) 1.49.7 (36.5) -0.3 ナムラサンクス
2002. 4. 20 京都 3歳未勝利 18 8 17 18.2(07人) 04着 安田康彦 55 芝1800m(良) 1.48.5 (35.8) -0.8 ホシノササヤキ
5. 4 京都 3歳未勝利 18 2 3 05.1(02人) 06着 安田康彦 55 芝1800m(良) 1.48.5 (35.7) -0.6 サフランブリザード
5. 26 中京 3歳未勝利 18 7 15 11.7(05人) 01着 角田晃一 55 芝2000m(良) 2.00.5 (36.5) -0.5 (メイショウノビノビ)
6. 8 中京 ぶっぽうそう特別 500万下 15 8 15 03.8(01人) 02着 角田晃一 55 芝2000m(良) 2.01.7 (36.2) -0.0 アクトナチュラリー
6. 22 阪神 売布特別 500万下 18 7 13 06.7(03人) 01着 角田晃一 53 芝2200m(良) 2.12.6 (36.2) -0.8 (プローサム)
7. 20 新潟 佐渡特別 1000万下 9 5 5 02.2(01人) 03着 角田晃一 54 芝2200m(良) 2.13.2 (34.6) -0.4 プレシャスソング
8. 4 函館 洞爺湖特別 1000万下 16 7 13 04.3(02人) 03着 四位洋文 54 芝2000m(良) 2.04.5 (36.2) -0.2 プレジオ
9. 8 阪神 野分特別 1000万下 8 2 1 02.0(01人) 01着 角田晃一 55 芝2000m(良) 2.02.0 (34.1) -0.1 (エルウェースター)
9. 22 阪神 神戸新聞杯 GII 16 4 8 16.1(07人) 06着 角田晃一 56 芝2000m(良) 2.00.4 (35.7) -1.3 シンボリクリスエス
10. 20 京都 菊花賞 GI 18 1 2 36.6(10人) 01着 角田晃一 57 芝3000m(良) 3.05.9 (35.2) -0.0 ファストタテヤマ
12. 22 中山 有馬記念 GI 14 3 3 18.5(05人) 11着 角田晃一 55 芝2500m(稍) 2.34.2 (35.6) -1.6 シンボリクリスエス
2003. 3. 23 阪神 阪神大賞典 GII 15 4 7 16.1(05人) 12着 角田晃一 58 芝3000m(良) 3.07.0 (35.3) -1.1 ダイタクバートラム
4. 6 阪神 産経大阪杯 GII 15 4 6 28.8(08人) 07着 角田晃一 59 芝2000m(良) 1.59.6 (35.0) -0.5 タガノマイバッハ
5. 4 京都 天皇賞(春) GI 18 6 11 16.1(07人) 01着 角田晃一 58 芝3200m(良) 3.17.0 (35.6) -0.1 サンライズジェガー
6. 29 阪神 宝塚記念 GI 17 5 10 16.3(06人) 01着 角田晃一 58 芝2200m(良) 2.12.0 (36.0) -0.0 ツルマルボーイ
10. 12 京都 京都大賞典 GII 9 8 9 02.5(02人) 02着 角田晃一 59 芝2400m(良) 2.26.8 (34.1) -0.2 タップダンスシチー
2004. 10. 31 東京 天皇賞(秋) GI 17 7 14 19.8(10人) 16着 角田晃一 58 芝2000m(稍) 2.02.7 (37.8) -3.8 ゼンノロブロイ
11. 28 東京 ジャパンC GI 16 6 11 25.0(11人) 09着 角田晃一 57 芝2400m(良) 2.25.6 (36.2) -1.4 ゼンノロブロイ
12. 26 中山 有馬記念 GI 15 6 11 13.1(06人) 14着 角田晃一 57 芝2500m(良) 2.31.3 (37.1) -1.8 ゼンノロブロイ
2005. 2. 19 京都 京都記念 GII 12 6 8 14.8(05人) 03着 角田晃一 60 芝2200m(重) 2.16.1 (35.6) -0.4 ナリタセンチュリー
5. 1 京都 天皇賞(春) GI 18 4 8 06.0(03人) 16着 角田晃一 58 芝3200m(良) 3.18.3 (36.3) -1.8 スズカマンボ

種牡馬として[編集]

競走馬引退後、北海道静内郡静内町(現、日高郡新ひだか町)のレックススタッドで種牡馬となった。GI3勝の実績とは裏腹に、成績にムラのある現役時代の穴馬的側面や、地味な母方の血統により生産者の間では敬遠され気味で、種牡馬入りが決定した当初もなかなか繋養する種馬場が決まらなかった。

同じサッカーボーイ産駒の種牡馬ナリタトップロードの死亡により、数少ないサッカーボーイの後継種牡馬の筆頭となっていたが、種付け数も供用初年度は22頭、2年目8頭、3年目8頭と伸びなかった。中央競馬でデビューした馬もいるが、ほとんどが本馬の馬主である阿部雅一郎名義で登録されている。2009年から初年度産駒がデビューしているが、勝ち上がり率は低く、低調な滑り出しとなっている。2010年の種付けシーズン終了をもって種牡馬を引退し、11月1日に中村雅明牧場へ移動して余生を過ごしている。

主な産駒[編集]

産駒の1頭であるヒシダイアナが佐賀競馬の重賞である花吹雪賞飛燕賞を制している。

エピソード[編集]

角田の後輩である藤田伸二の著書には「角田さんが『どうしても野分特別を勝たせたい馬がいる。ここを勝てば菊花賞は獲れる』としきりに言っていた馬がいた。それがヒシミラクルだった」というエピソードが載っている。

角田はヒシミラクルを「ズブくて仕方ないがスタミナは無尽蔵」と評価しており、レースでもスタミナを生かした戦法をとることが多かった。宝塚記念の勝利ジョッキーインタビューでは「どのタイミングで追い出したか」という質問に対し、「スタート直後から追っていた」とヒシミラクルの特徴を捉えたジョークで返していた。

非常に泳ぎが下手だったことで競馬ファンの間で有名で、プール調教で溺れそうになりながら泳ぐ映像がインターネット上に残っている。

JRAの2014年度宝塚記念のコマーシャルに2003年宝塚記念をモチーフにしたCMが放映された。

血統表[編集]

ヒシミラクル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ファイントップ系
[§ 2]

サッカーボーイ 1985
栃栗毛 北海道白老町
父の父
*ディクタス
Dictus 1967
栗毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Doronic Worden
Dulzetta
父の母
ダイナサッシュ 1979
鹿毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
Northern Dancer
Lady Victoria
*ロイヤルサッシュ
Royal Sash
Princely Gift
Sash of Honour

シュンサクヨシコ 1992
芦毛 北海道三石町
*シェイディハイツ
Shady Heights 1984
鹿毛
Shirley Heights Mill Reef
Hardiemma
Vaguely Bold Lad
Vaguely Mine
母の母
シュンサクレディ 1979
芦毛
*ラナーク Grey Sovereigh
Vermillion o'Toole
ムーンフィニックス *フィダルゴ
ミチアサ
母系(F-No.) ヘレンサーフ系(FN:16-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah5×5 [§ 4]
出典

血統背景[編集]

父のサッカーボーイは、長距離を得意とする産駒を輩出している。詳しくはサッカーボーイを参照。母シュンサクヨシコは3戦未勝利だが、兄にエプソムカップで2着のダイワジェームスがいる。牝系先祖のミチアサは菊花賞馬アカネテンリュウの母。7代前まで内国産という日本土着牝系である。

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l m n o ヒシミラクル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年11月15日確認。
  2. THE 2003 INTERNATIONAL CLASSIFICATIONSPDF”. IFHA. 2021年11月15日確認。
  3. ヒシミラクルがレックススタッドを退厩”. 競走馬のふるさと案内所 (2010年11月1日). 2018年12月30日確認。
  4. 胴長の馬体ではないため、短距離馬だと思われていたが、脚が長く、ズブイがバテない脚を持つことからステイヤーとしての資質があることを見抜いた角田晃一の判断からである。
  5. 同制度による出走馬の優勝は、テイエムオペラオー1999年皐月賞)、アローキャリー(2002年桜花賞)に次いで3頭目。

外部リンク[編集]