福澤諭吉
福澤 諭吉 ふくざわ ゆきち | |||||||||||||||||
福澤諭吉
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福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、旧字体:福󠄁澤 諭󠄀吉、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日〈1835年1月10日〉 - 明治34年〈1901年〉2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。諱は範(はん)。字は子囲(しい、旧字体:子圍)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁」。雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)。
経歴[編集]
大坂堂島の中津藩屋敷で生まれる。父は中津藩士の福澤百助であるが、諭吉が3歳の時に死亡している。このため、母と共に藩の郷里中津に帰国した。
14歳の頃から漢学を学び、安政元年(1854年)に21歳で長崎に赴いて蘭学を学ぶ。安政2年(1855年)3月に大坂に出て緒方洪庵の適塾に入門する。しかしこの間の安政3年(1856年)3月に腸チフスに倒れ、洪庵の治療を受けて全快する。しかし同年9月に兄が病死し、帰国することを余儀なくされて家督を相続した。しかし城勤めは性に合わず、再度大坂に戻って適塾の内塾生となり、その後塾長にまで推挙されるに至った。だが安政5年(1858年)10月に中津藩の命令で江戸に出ることになり、築地鉄砲洲の中津藩中屋敷において蘭学の家塾を開くことになり、藩の子弟に教授すると共に自らはオランダ語ではこれからの時代に通用しないと考えて、英語を学ぶことになる。なお、この家塾こそが後年の慶応義塾であった。
安政7年(1860年)1月、27歳で軍艦奉行の木村芥舟の従僕として咸臨丸に乗艦することを許され、渡米する。5月に浦賀に戻り、江戸幕府の翻訳掛となった。文久2年(1862年)1月に幕府の文久遣欧使節に随行して再度渡欧し、イギリスにフランス、オランダ、プロシャ、ロシアなどの諸国を巡歴し、12月10日に日本に帰国する。元治元年(1864年)3月に幕府に再度召し出され、外国奉行翻訳方を命じられる。慶応2年(1866年)には『西洋事情』を出版し、慶応3年(1867年)1月に幕府の軍艦受け取り随員として再々度渡米し、6月に日本に帰国したがこの慶応遣欧使節において多くの原書を購入した。
慶応4年(1868年)4月、新銭座に敷地を求めて150坪の塾舎を建立し、自ら慶応義塾と命名した。同年の戊辰戦争による敗戦で幕府が事実上倒れると、明治政府から招聘されるもこれを拒否し、自ら塾の運営に尽力した。明治4年(1871年)には校舎を三田に移し、構内に自らの家を建ててここに住むようになる。明治5年(1872年)2月に有名な『学問のすすめ』初編を刊行し、8月には慶応義塾出版局を開設する。明治6年(1873年)に明六社を結成し、明治8年(1875年)には『文明論の概略』6巻を刊行する。
明治11年(1878年)に東京府会議員に選出され、明治12年(1879年)に東京学士会院の初代会長に就任。ところが明治13年(1880年)に府会議員を、明治14年(1881年)には学士会員を辞退し、明治15年(1882年)には『時事新報』を創刊して諸般にわたって筆を執るようになる。明治23年(1890年)に慶応義塾に大学部を設置し、文学科・理財科・法律科の3科を設ける。明治28年(1895年)には前年から開始された日清戦争のため、1年延期していた還暦の祝宴を張った。
明治31年(1898年)9月26日、日課としていた早朝から数名の塾生を連れて散歩に出かけた際、午前中は大して変わりなく過ごしていたのだが、昼食をとってから1時間ほどして諭吉は急に頭痛を覚えて病床につく。頭痛は時間がたつごとに激しくなり、諭吉は言語もわからないようになったという。これは軽度の脳梗塞と見られており、自宅で静養をするようになる。10月2日には明治天皇・昭憲皇后から、10月5日には当時皇太子であった後の大正天皇から御見舞品を下賜された。この時は病状が快方に向かい、11月には歩行ができるほどにまで回復し、12月12日の65歳の誕生日には紅葉館で盛大な全快祝賀会を催したという。
その後、脳梗塞の後遺症が出ることもなく、明治33年(1900年)5月の皇太子と節子(後の貞明皇后)の結婚に際して多年の著訳、教育の功績を賞されて金5万円を下賜された。明治33年(1900年)12月31日から明治34年(1901年)1月1日にかけて慶応義塾生の催した世紀送迎会に出席するなど、諭吉は極めて健康だった。だが、1月25日に脳溢血が再発して病床に倒れ、それからわずか10日後の2月3日午後10時50分に自宅で死去した。68歳没。
葬儀は2月8日に麻生の善福寺で行われ、会葬には1万5000人余りが出席する盛大なものとなった。墓所は品川大崎の常光寺にあったが、昭和52年(1977年)に福澤家によって港区元麻布1丁目の善福寺に移され、常光寺の墓地跡には昭和53年(1978年)に谷口五郎の設計による「福澤諭吉埋葬地跡記念碑」が建立されることになった。
福澤が発表した著書は50部105冊に及び、それらは『福沢全集』に収められている。また生涯にわたって在野の立場を維持し、封建的な思想に深い批判を持っており、常に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」を説き、自由を愛して独立自尊の精神を唱えていた。
著作等[編集]
- 主な著書
- 『増訂華英通語』
- 『西洋事情』
- 『雷銃操法』
- 『西洋旅案内』
- 『条約十一国記』
- 『西洋衣食住』
- 『兵士懐中便覧』
- 『訓蒙窮理図解』
- 『洋兵明鑑』
- 『掌中万国一覧』
- 『英国議事院談』
- 『清英交際始末』
- 『世界国尽』
- 『啓蒙手習之文』
- 『学問のすゝめ』
- 『ひびのおしえ』
- 『童蒙教草』
- 『かたわ娘』
- 『改暦弁』
- 『帳合之法』
- 『日本地図草紙』
- 『文字之教』
- 『会議弁』
- 『文明論之概略』
- 『学者安心論』
- 『分権論』
- 『民間経済録』
- 『福澤文集』
- 『通貨論』
- 『通俗民権論』
- 『通俗国権論』
- 『民情一新』
- 『国会論』
- 『時事小言』
- 『時事大勢論』
- 『帝室論』
- 『兵論』
- 『徳育如何』
- 『学問之独立』
- 『全国徴兵論』
- 『通俗外交論』
- 『日本婦人論』
- 『日本婦人論後編』
- 『士人処世論』
- 『品行論』
- 『男女交際論』
- 『日本男子論』
- 『尊王論』
- 『国会の前途』
- 『国会難局の由来』
- 『治安小言』
- 『地租論』
- 『実業論』
- 『福澤全集緒言』
- 『福澤全集』
- 『修業立志編』
- 『福翁百話』
- 『福翁百余話』
- 『福澤先生浮世談』
- 『女大学評論』
- 『新女大学』
- 『明治十年丁丑公論』
- 『瘠我慢の説』
- 『福翁自伝』
- 『旧藩情』
- 『唐人往来』
- 著作集
『福澤諭吉著作集』(全12巻)、慶應義塾大学出版会で2002年(平成14年)-
2003年(平成15年)に刊行。
2009年(平成21年)に、著作集の一部(選書 全5冊)が、コンパクト版で新装刊行。
- 『西洋事情』 マリオン・ソシエ・西川俊作 編、2002年5月15日。ISBN 4-7664-0877-2。
- (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1622-0)
- 『世界国尽 窮理図解』 中川眞弥 編、2002年3月15日。ISBN 4-7664-0878-0。
- 『学問のすゝめ』 小室正紀・西川俊作 編、2002年1月15日。ISBN 4-7664-0879-9。
- (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1623-7)
- 『文明論之概略』 戸沢行夫 編、2002年7月15日。ISBN 4-7664-0880-2。
- (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1624-4)
- 『学問之独立 慶應義塾之記』 西川俊作・山内慶太 編、2002年11月15日。ISBN 4-7664-0881-0。
- 『民間経済録 実業論』 小室正紀 編、2003年5月15日。ISBN 4-7664-0882-9。
- 『通俗民権論 通俗国権論』 寺崎修 編、2003年7月15日。ISBN 4-7664-0883-7。
- 『時事小言 通俗外交論』 岩谷十郎・西川俊作 編、2003年9月30日。ISBN 4-7664-0884-5。
- 『丁丑公論 瘠我慢の説』 坂本多加雄 編、2002年9月17日。ISBN 4-7664-0885-3。
- 『日本婦人論 日本男子論』 西澤直子 編、2003年3月17日。ISBN 4-7664-0886-1。
- 『福翁百話』 服部禮次郎 編、2003年1月15日。ISBN 4-7664-0887-X。
- (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1625-1)
- 『福翁自伝 福澤全集緒言』 松崎欣一 編、2003年11月17日。ISBN 4-7664-0888-8。
- (コンパクト版 ISBN 978-4-7664-1626-8)
- 事典
- 『福澤諭吉事典』慶應義塾150年史資料集 別巻2、福澤諭吉事典編集委員会編、慶應義塾大学出版会、2010年12月25日。ISBN 978-4-7664-1800-2。
- 著書翻訳
- 『An Outline of a Theory of Civilization』 David A. Dilworth・G. Cameron Hurst, III、Keio University Press〈The Thought of Fukuzawa 1〉、2008年11月11日。ISBN 978-4-7664-1684-8。 - 『文明論之概略』の英訳。
- 『An Encouragement of Learning』 David A. Dilworth、Keio University Press〈The Thought of Fukuzawa 2〉、2012年4月30日。ISBN 978-4-7664-1684-8。 - 『学問のすゝめ』の英訳。
- 『学問のすゝめ』、『福翁自伝』は、数か国語に訳・出版。
系譜[編集]
- 子
- 福澤一太郎 - 長男、慶應義塾塾長。文久3年10月12日(1863年11月22日)生まれ。
- 福澤捨次郎 - 次男、時事新報社長。慶應元年9月21日(1865年11月9日)生まれ。マサチューセッツ工科大学に学び、1888年卒業[1]
- 福澤里(阿三(のちに通称をお里))- 長女、中村貞吉に嫁す。慶應4年4月1日(1868年4月23日)生まれ。
- 福澤房(阿房)- 次女、諭吉の婿養子・桃介の妻。明治3年7月26日(1870年8月22日)生まれ。
- 福澤俊(阿俊)- 三女、清岡道之助の長男・清岡邦之助に嫁す。1873年(明治6年)8月4日生まれ。[2]
- 福澤滝(阿滝)- 四女、日本勧業銀行重役志立鉄次郎に嫁す。1876年(明治9年)3月2日生まれ。[3]
- 福澤光(阿光)- 五女、工学士潮田伝五郎に嫁す[4]。1879年(明治12年)3月27日生まれ。
- 福澤三八 - 三男。1881年(明治14年)7月14日生まれ。
- 福澤大四郎 - 四男、実業家。1883年(明治16年)7月24日生まれ。妻の益子は馬屋原二郎の五女。[5]
- 孫
- 曾孫
- 玄孫
- その他
- 福澤桃介 - 女婿(次女・房の夫)、実業家(大同電力社長ほか)。
- 中上川彦次郎 - 甥(姉・婉の長男)、実業家(山陽鉄道社長、三井合名理事長ほか)。
- 高谷龍洲 - 母の再従兄弟、儒学者。
- 建部遯吾 - 諭吉の長女、里の孫にあたる中村仙一郎が、遯吾の子である三重子と結婚[6]。
- 藤原あき - 大姪(中上川彦次郎の三女)。
- フランキー堺 - 次男が諭吉の曾孫の娘と結婚。
- 木内孝胤 - 大叔父・信胤が諭吉の孫娘と結婚。衆議院議員。
- しばしば日本にて1万円札を示す隠語として使われることがある。(真偽不明)
福澤諭吉を主題とした作品[編集]
映画[編集]
- 福澤諭吉を主人公とした映画
テレビドラマ[編集]
- 福澤諭吉を主人公としたテレビドラマ
- 若き血に燃ゆる〜福沢諭吉と明治の群像(1984年1月2日「新春ワイドドラマ」、テレビ東京、演:中村雅俊)
- 幕末青春グラフィティ 福沢諭吉(1985年、TBSドラマ、演:中村勘九郎)
- 福澤諭吉が登場したテレビドラマ
記念行事・記念切手等[編集]
- 2009年(平成21年)、慶應義塾創立150年記念「未来をひらく福沢諭吉展」が東京国立博物館、福岡市美術館、大阪市立美術館において、また「福沢諭吉と神奈川展」が神奈川県立歴史博物館において順次開催された[7]。
- 1950年に8円切手「文化人シリーズ」の一枚として図案化された。また2008年には、上記記念行事の一環として80円の郵便切手が発行されている。
- 1986年(昭和61年)より、聖徳太子に代わり、壱万円札の肖像に採用され、『諭吉さん◯枚』が日常用語になった。
脚注[編集]
- ↑ "General Catalogue" Massachusetts Institute of Technology, 1899, p238
- ↑ 清岡邦之助『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ↑ 志立鉄次郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ↑ 潮田伝五郎『現今日本名家列伝』日本力行会出版部、明36.10
- ↑ 福澤大四郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ↑ 『聞き書き・福澤諭吉の思い出: 長女・里が語った、父の一面 』P.10~P.11,P.114~P.147 ( 中村仙一郎 中村文夫 著 / 近代文芸社 刊, 2006)
- ↑ 慶應義塾 創立150年記念 未来をひらく 福沢諭吉展。
外部リンク[編集]
- 創立者 福澤諭吉:[慶應義塾]
- 福沢諭吉 | 近代日本人の肖像(国立国会図書館)
- 未来をひらく福澤諭吉展(福沢諭吉展) −慶應義塾創立150年記念−
- デジタルで読む福澤諭吉(慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション)
- 「大正版『福澤全集』「時事論集」所収論説一覧及び起筆者推定」
- 「福沢諭吉演説一覧」
- 「福沢健全期『時事新報』社説・漫言一覧及び起草者推定」
- 居合
- 江戸時代の剣客
- 大阪市出身の人物
- 北里研究所の人物
- 慶應義塾大学の教員
- 慶應義塾の教員
- 興亜会の人物
- 薩英戦争の人物
- 摂津国の人物
- オランダ語通訳
- 適塾の人物
- 東京学士会院の人物
- 東京地学協会の人物
- 日本の教育学者
- 日本の教育者
- 日本の経済学史の人物
- 日本の啓蒙思想家
- 日本の自然保護活動家
- 日本の紙幣の人物
- 日本の商業教育の歴史
- 日本の政治評論家
- 日本のナショナリスト
- 日本のフェミニスト
- 評論家
- 文筆家
- 日本の文明評論家
- 日本の貿易立国論者
- 日本の無神論者
- 幕府の外交官僚
- 中津藩の人物
- 幕末の旗本
- 江戸幕府の旗本・御家人
- 福澤諭吉
- 福澤家
- 文久遣欧使節の人物
- 保険
- 万延元年遣米使節の人物
- 明治時代の時事新報社の人物
- 明六社の人物
- 蘭学者
- 1835年生
- 1901年没
- 19世紀の学者