福澤三八
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福澤 三八(ふくざわ さんぱち、明治14年(1881年)7月14日 - 昭和37年(1962年)7月31日)は、日本の明治時代から昭和時代にかけての男性。福澤諭吉の3男。姓は福沢とも書かれる。
略歴[編集]
福澤諭吉の3男。名の三八は男子としては3番目で、兄弟姉妹としては8番目に当たることから、父の諭吉より三八と組み合わされて名付けられたという[1]。明治29年(1896年)1月に慶應義塾に入学し、明治32年(1899年)に卒業。明治33年(1900年)春からイギリス・スコットランドのグラスゴー大学に留学し、物理および化学を学び、同大学を卒業する。さらにその後、ドイツのライプチヒ大学で数学を研究する[1]。明治34年(1901年)に父の諭吉が東京で死去した際にはグラスゴーにいたため[2]、死に目には会っていない。明治39年(1906年)に日本に帰国した後は、慶應義塾で数学の教師として教鞭をとった。
三八は慶應義塾に在学していた頃に、福澤家の自室に「自尊」と書かれた額を掲げ、友人と「自尊党」と称するグループを作っていた。これが「独立自尊」の言葉の誕生の起源とも言われている[2]。
昭和37年(1962年)7月31日に死去。81歳没。