池上本門寺
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池上本門寺(いけがみほんもんじ)は日蓮宗の大本山である。正式名称は「長栄山 池上本門寺」。
沿革[編集]
- 1282年(弘安5年)9月8日、日蓮は身延山から地頭・波木井実長の勧めで実長の領地の常陸国へ湯治に向かった。
- 1282年(弘安5年)9月18日、日蓮は武蔵国池上宗仲の屋敷(現本行寺)に到着したが、病状が悪化し休息する。
- 1282年(弘安5年)10月8日、日蓮は死を前にして弟子の日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持を後継者と定め、『立正安国論』の講義を行う。
- 1282年(弘安5年)10月13日辰の刻(午前8時頃)、日蓮は武蔵国池上(現東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で、弟子・信者多数の唱題の中、入寂する。61歳。
- 池上宗仲は、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進する。入滅の霊跡として伽藍を整備する。
- 1288年(正応元年)、大堂に奉安されている日蓮聖人御尊像が、日持聖人らによって造立される。
- 1590年(天正18年)8月1日、徳川家康が江戸へ入府した後、第12 世日惺聖人は居を鎌倉から池上に移した。以来、貫首は池上に常住する。
- 1945年(昭和20年)4月15日、京浜地区南部の空襲によって、大伽藍と御霊宝のほとんどを失った。伽藍は堂宇56 棟を焼失する。
基本事項[編集]
- 名称:長栄山 池上本門寺
- 創始者:
- 宗派:日蓮宗
- 所在地:〒146-8576 東京都大田区池上1-1-1
- 交通:東急池上線「池上駅」下車徒歩10分、都営浅草線「西馬込駅」南口下車徒歩12分
- 行事
- 1月1日~1月6日 初詣
- 1月第2月曜日 成人祈願会
- 2月3日 節分・豆まき
- 2月15日 釈尊涅槃会
- 2月16日 日蓮聖人降誕会
- 3月春分の日 春季彼岸会法要
- 4月第1土・日 春まつり
- 4月日曜日 春まつりマラソン
- 4月27日~4月29日 千部会
- GW期間 植木市
- 5月12日、伊豆法難会
- 6月中の土曜日・日曜日 一泊てらこや
- 7月7日 盂蘭盆施餓鬼会法要
- 7月13日~7月16日 お盆
- 土用の丑の日 ほうろく加持
- 8月上旬 洗心道場
- 8月4日・8月5日 みたま祭・盆踊り
- 8月27日 松葉谷法難会
- 9月12日 龍口法難会
- 秋分の日 秋季彼岸会法要
- 10月11日~13日 お会式(12日夜・万灯練供養)
- 10月下旬 お風入れ
- 10月下旬~11月上旬 菊花展
- 10月下旬~11月末 七五三発育円満祈願
- 11月11日 小松原法難会
- 12月第二日曜日 朗子の森バザー
- 12月23日 茶筅供養
- 12月31日 除夜の鐘
建造物[編集]
重要文化財[編集]
- 五重塔
- 多宝塔
- 1828年(文政11年)、前犬山城主成瀬侯・家老浅野蔀を大本願人、飯田町福田長次郎を世話人として再建された。大工棟梁は小木新七藤原信盛。東京都文化財。
- 木造日蓮聖人坐像
- 正応元年(1288)。法衣なく袈裟をまとわせる、着装像として造られた。
- 兄弟抄
- 日蓮聖人真筆。当山開基池上宗仲公と弟宗長公、およびその女房へ送られた書状である。
大田区文化財[編集]
- 経蔵 (大田区文化財)
- 1710年(宝永7年)に焼失し、1717年(享保2年)第24世日等聖人が徳川御三家水戸綱條の支援により再建した。現在の建物は、1784年(天明4年)、松平周防守室浄心院智光妙受日成禅尼と松平播磨守室遠紹院妙道日養大姉を本願主として再々建されたものとされる。昭和20年4月15日の空襲で炎上を免れた。
- 総門 (大田区文化財)
- 鐘楼堂
- 1647年(正保4年)に瑤林院(加藤清正公の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣公の正室)が寄進した。その後、1714年(正徳4年)、第23世日潤聖人の代に改鋳された。当初の銘文が残っている点は貴重である。江戸前期の代表的な形態。総高2.95メートル 口径1.7メートル 青銅鋳造。
- 此経難持坂
- 池上本門寺の表参道96段の石段坂で加藤清正公の築造寄進。1606年(慶長11年)築造と考えられる。元禄年間(1688-1704)に大改修されているが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構である。俗称「子持ち石」(相州産)
東京都旧跡[編集]
- 松濤園
- 小堀遠州の作庭と伝わる。池泉回遊式庭園 約4000坪。都内の由緒ある庭園では最大級の広さと言われる。園内に、西郷隆盛と勝海舟の両雄会見碑、橋本雅邦筆塚がある。期間限定で公開され、毎年9月中旬に5日ほど公開される。
その他[編集]
- 本殿
- 昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰した釈迦堂を再建したもの。
- 間口25.2メートル 奥行50.4メートル、1270.08平方メートル 棟高14.4メートル
- 鉄筋コンクリート造 寄棟造裳階付 本瓦葺
- 木造釈迦如来像 阿井瑞吟師作
- 木造上行菩薩像 先崎栄仲師作
- 木造無辺行菩薩像 西山如拙師作
- 木造浄行菩薩像 森 大造師作
- 木造安立行菩薩像 野坂法山師作
- 木造祖師像 野坂法山師作
- 仁王門(三門)
- 昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰し、三門は同52年に再建、仁王尊は同54年に新造。扁額「長栄山」は第80世金子日威聖人の揮毫。旧三門は、1908年(慶長13年)に徳川2代将軍秀忠公が五重塔と共に建立。桃山期の豪壮な門として旧国宝に指定されていた。
- 鉄筋コンクリート造、入母屋造。重層門、本瓦葺、棟高17.2メートル、間口16.4メートル、奥行6.4メートル
- 仁王尊 木造 総高3.6メートル
- 大堂(祖師堂)
- 旧大堂は、昭和20年4月15日の空襲で焼失したため、昭和39年鉄筋コンクリート造で再建した。
有名人の墓[編集]
- 英一蝶 - 絵師
- 幸田露伴 - 作家
- 幸田延 - バイオリニスト
- 松本幸四郎 - 歌舞伎役者
- 溝口健二 - 映画監督
- 市川雷蔵 - 映画俳優(撤去)
- 花柳章太郎 - 新派俳優
- 栗島すみ子 - 女優
- 児玉誉士夫 - 右翼活動家
- 力道山 - プロレスラー
- 片岡仁左衛門 - 歌舞伎役
- 大野伴睦 - 政治家
- 河上彦斎 - 幕末の四大人斬り
- 狩野探幽 - 絵師
- 狩野考信 - 絵師
- 上杉綱憲 - 米沢藩藩主
- 永田雅一 - 大映社長