立正安国論
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立正安国論(りっしょうあんこくろん)は、鎌倉時代の文応元年(1260年)に成立した日蓮の著作。全一巻。
前の執権北条時頼に提出されたもので、当時続いた災害や飢饉は念仏の流行によって引き起こされたとし、鎌倉幕府に対し念仏を停止させるように主張している。主人と客との全10段の問答で構成されており(10段は客の領解で終わっている。)、特に4~5問答では、法然が選択本願念仏集において一切の経典、仏菩薩等を捨閉閣拋し、菩提心を否定してているために日本に災害や飢饉が起こると断じ、改めなければ、外国からの侵略(蒙古襲来)と、国内での内乱(二月騒動)が起こると予言し、選択本願念仏集を謗法の書として批判している。立正安国論の提出は浄土教徒の反発を招き、日蓮が住していた草庵は焼き討ちにあった。(松葉ヶ谷法難)
厚手の楮紙を36枚継ぎ、縦29センチメートル、全長は16メートルにも及ぶ。なお、第24紙を欠いているため、慶長6年(1601年)11月6日に日通(法華経寺、本法寺の管主)が、身延山久遠寺所蔵のものを補写して挿入している。また軸紙から正保3年(1646年)8月に本阿弥光甫が補修していることが分かる。
なお、立正安国論にたいする反論として、ほぼ同時代に実恵が摧邪興正集2巻を著し、また、江戸時代には天台宗の真迢が、破邪顕正記(5巻)、岸了が、弁無得道論(2巻)を著している。