社会主義インターナショナル
社会主義インターナショナル(しゃかいしゅぎインターナショナル、英語:Socialist International、略称:SI)は、社会民主主義政党の国際組織。前身はコミスコ。
概要[編集]
第一次世界大戦の勃発で崩壊した第二インターナショナル、戦間期に活動した社会主義労働者インターナショナルの流れを汲む。第二次世界大戦後の1946年5月、イギリス労働党の提唱で19ヵ国の社会民主主義政党がイギリス・クラクトンで国際社会主義者会議を開き、社会主義情報局を設置した。1947年11月、各国共産党のコミンフォルム結成に対抗するため、社会主義情報局を改組してコミスコ(国際社会主義者会議委員会)を結成した。1951年6月30日~7月3日、西ドイツ・フランクフルト・アム・マインで開かれた第4回総会でコミスコが発展的に解消し、社会主義インターナショナル(SI)を結成した。イギリス労働党、フランス社会党、ドイツ社会民主党、オーストリア社会党、イタリア社会党など西欧・北欧の社会民主主義政党が中心となった。本部はロンドンに置かれた。1951年7月1日に第1回大会で「民主社会主義の目的と任務」(フランクフルト宣言)を採択し、社会主義・マルクス主義と共産主義を峻別した上で、資本主義と共産主義の双方と対決する方針を打ち出した。1962年6月にノルウェー・オスロで開かれた理事会で「オスロ宣言」を採択し、新興国への経済援助や北大西洋条約機構(NATO)支持を表明した。1989年6月にスウェーデン・ストックホルムで開かれた第18回大会で「社会主義インターナショナルの基本宣言」(ストックホルム宣言)を採択し、社会民主主義は「自由と社会的公正と連帯をめざす国際的運動である」と規定した[1]。また平和や男女平等の実現、環境問題や南北問題の解決も主張するようになった。
2012年1月、SIに独裁的で非民主主義的な政党が存在していることを批判していたドイツ社民党がSIの10万ユーロの年会費を支払わないと発表した。これがきっかけとなり、2013年5月にドイツ社民党を中心として新たな社会民主主義政党の国際組織として進歩同盟(PA)が設立された。当初はSIとPAに二重加盟している政党が多かったが、のちにオランダ労働党、ドイツ社民党、スウェーデン社会民主労働者党、ノルウェー労働党などがSIを脱退した。イギリス労働党は2013年2月に倫理上の懸念からSIの会員資格をオブザーバーに引き下げた。
組織[編集]
最高意思決定機関は大会で[2]、3~4年に1回開催される[3]。大会の下に理事会、幹事会、事務局の機関を持ち[4]、議長、副議長、事務局長の役職がある[3]。メンバーは加盟党、諮問党、オブザーバー党、友好団体、連合団体の5種類の資格がある[3]。1993年時点の加盟政党は51[5]。1997年時点の加盟政党は146(約100ヶ国)[6]。2004年時点の加盟政党は107(正会員、89ヶ国)[7]。2008年時点の加盟政党は約160(120ヶ国以上)[2]。2010年時点では加盟党115、諮問党29、オブザーバー党15、友好団体3、連合団体10[3]。2024年時点の友好団体は国際ファルコン運動-社会主義教育インターナショナル(IFM-SEI)、国際社会主義青年同盟(IUSY)、社会主義女性インターナショナル(SIW)の3団体。連合団体は欧州社会党など11団体[8]。社会民主進歩同盟(S&D)は2014年12月時点で連合団体であったが[9]、2015年2月時点では連合団体ではなくなっている[10]。
日本[編集]
SIの発足当初から日本社会党が加盟した。SIの創立大会には日本社会党代表団として鈴木茂三郎(衆議院議員、党委員長)、和田博雄(参議院議員、党外交委員長)、河崎なつ(参議院議員)、稲村順三(衆議院議員、党機関紙局長)、松本七郎(衆議院議員)の5名が出席した[11]。1951年10月の党分裂後は右派社会党・左派社会党ともに加盟したが、両社で一票分の権利しか有しなかった(1955年10月左右統一)。1961年10月に前年社会党から分裂した民社党が加盟し、1国から2つの政党が加盟するという特異なケースが生まれた[12]。左派優位の社会党は西欧型社会民主主義と馴染むことはなく、1962年6月のSI理事会で反共色の強い「オスロ宣言」が採択された際、民社党は賛成したが、社会党は採択に参加しなかった[13]。1966年5月のストックホルム大会で社会党はベトナム戦争を非難したため孤立し、SIと距離を置くようになった。1977年12月に社会党と民社党の主導で加盟党の東京首脳会議が開催された[12]。民社党は1994年12月に解党した。社会党は1996年1月に社会民主党に改称し、SIへの加盟を継続している。土井たか子(2000~2008年)、福島瑞穂(2008年~)がSIの副議長を務めている[2]。
社会党衆議院議員を務めた河上民雄は、「鈴木茂三郎・浅沼稲次郎・河上丈太郎委員長の時代までは社会党はSIとの交流に熱心であったと思います」、「戦前の無産運動を経験していない社会党の指導者はSIにひどく無関心であったということです」と語っている。また「社会党とSIの関係が復活するのはいつごろですか」という質問には「江田三郎さんが1975年に訪米したころです」と答えている[14]。
出典[編集]
- ↑ 「社会主義インターナショナルの基本宣言」『現代の理論』1989年10月号。福田豊「現代社会民主主義の定義」『社会労働研究』39巻2号・3号(1992年11月)からの孫引き。
- ↑ a b c 08年06月30日・社会主義インターナショナル第23回大会開催 社民党OfficialWeb
- ↑ a b c d 加藤哲郎「社会党」日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
- ↑ 社会主義インターナショナル(しゃかいしゅぎインターナショナル) ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
- ↑ 社会主義インターナショナル 百科事典マイペディアの解説
- ↑ 社会主義インターナショナル 世界大百科事典 第2版の解説
- ↑ 加藤哲郎「社会主義インターナショナル」日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
- ↑ Full list of member parties and organisations Socialist International
- ↑ MEMBER PARTIES of the SOCIALIST INTERNATIONAL Socialist International
- ↑ MEMBER PARTIES of the SOCIALIST INTERNATIONAL Socialist International
- ↑ 田口幸子「社会主義インターナショナルと民社党-6-社会主義インターナショナル創立大会」『革新』第63号、1975年10月
- ↑ a b 原彬久『戦後史のなかの日本社会党――その理想主義とは何であったのか』中公新書、2000年、272-274頁
- ↑ 「オスロ宣言[国]1962.6.2」法政大学大原社会問題研究所『社会・労働運動大年表』解説編
- ↑ 河上民雄「社会主義インターと日本社会党」メールマガジン「オルタ広場」
参考文献[編集]
- 加藤哲郎「社会党」日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
- 河上民雄「社会主義インターと日本社会党」メールマガジン「オルタ広場」
- 田口幸子「社会主義インターナショナルと民社党-6-社会主義インターナショナル創立大会」『革新』第63号、1975年10月
- 原彬久『戦後史のなかの日本社会党――その理想主義とは何であったのか』中央公論新社(中公新書)、2000年3月
- 福田豊「現代社会民主主義の定義」『社会労働研究』39巻2号・3号、1992年11月
- 民主社会主義研究会議編『民主社会主義事典』民主社会主義研究会議(学習ライブラリー)、1967年1月
- 「コミスコとは」コトバンク
- 「社会主義インターナショナル(しゃかいしゅぎインターナショナル)とは」コトバンク
- 「フランクフルト宣言[国]1951.6.30」法政大学大原社会問題研究所『社会・労働運動大年表』解説編
- 「オスロ宣言[国]1962.6.2」法政大学大原社会問題研究所『社会・労働運動大年表』解説編