左翼党 (ドイツ)

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左翼党(さよくとう、ドイツ語:Die Linke)は、ドイツ民主社会主義政党。左派党リンケとも[1]東ドイツの独裁支配政党だったドイツ社会主義統一党(SED)の後継政党である左翼党PDSと、ドイツ社会民主党(SPD)を離党した左派が結成した「労働と社会的公正のための選挙オルタナティブ」(WASG)が合併して2007年に結成された。欧州左翼党に加盟している。欧州議会政党グループ(会派)としては欧州議会左翼グループに所属している。関係のある研究・政治教育団体としてローザ・ルクセンブルク財団がある[2]

前身政党[編集]

民主社会党[編集]

東ドイツの独裁支配政党だったドイツ社会主義統一党(SED)は、ベルリンの壁崩壊後の1989年12月に社会主義統一党-民主社会党(SED-PDS)、東西ドイツ統一直前の1990年2月に民主社会党(PDS)と改称した。

WASG[編集]

1998年9月にドイツ社会民主党(SPD)と緑の党の連立政権が発足し、SPDのシュレーダーが首相に就任した。シュレーダー政権は労働市場改革のため、2002年3月にフォルクスワーゲン社の元労務担当役員ペーター・ハルツを委員長とする諮問委員会(ハルツ委員会)を設置し、2002年8月に「ハルツ委員会報告」が取りまとめられた。2003年3月に政策パッケージとして「アジェンダ2010」を公表した。「ハルツ委員会報告」と「アジェンダ2010」に基づき、2003年から2006年に失業給付水準の引き下げをはじめとする労働市場改革を進めた。シュレーダー政権が推進する新自由主義的構造改革路線に対して大規模な反対運動が起き、2004年3月にドイツ西部・北部の左派の人々がベルリンで「選挙オルタナティブ2016」を結成した[3]。また金属産業労組IGメタルの組合員でSPDの党員でもある人々がバイエルン州で「労働と社会的公正のためのオルタナティブ」を結成した[3]。2004年7月に両団体は社団「労働と社会的公正のための選挙オルタナティブ」(WASG)を結成し、2005年1月に政党としてのWASGを設立した[3]。2005年6月にSPD左派の大物オスカー・ラフォンテーヌがSPDを離党してWASGに入党した[3]

左翼党の結成[編集]

PDSとWASGの間にはベルリン市州連立政権をはじめとする左翼政党の政権参加問題などをめぐって深い対立が存在した[4]。2001年1月にベルリン市州で発足したPDSとSPDの連立政権は債務削減のため緊縮政策を推進し、WASGはPDSを批判していた[4]。しかし、ラフォンテーヌとPDS指導部のグレゴール・ギジアンドレ・ブリーの間には信頼関係が存在していた[3]。また全国得票率が5%未満もしくは小選挙区の議席が3議席未満の政党は比例配分の議席が得られないという「5パーセント条項」も両党の合併を後押しした[4]。連邦議会選挙前の2005年6月に両党間の最初の公式協議が行われた。PDSは両党の合併に向けて、2005年7月に左翼党PDSと改称し、西ドイツ地域では任意でPDSを外して左翼党にしてもよいとした[3]。2005年9月の連邦議会選挙でPDSの候補者名簿にWASGの候補者を載せるという形で選挙協力を行い、8.7%の得票率、54議席を獲得して第四党となった[3]。2007年3月に両党はそれぞれ党員投票で合併を決定し、2007年6月に合併して左翼党を結成した[4]。共同党首にはWASG出身のオスカー・ラフォンテーヌとPDS出身のロタール・ビスキーが就任した[4]。党内には複数の派閥が存在し、政権参加積極派は「民主的社会主義フォーラム」(PdF)に、政権参加批判派は「社会主義的左翼」(SL)や「反資本主義左翼」(AKL)などに結集した[4]

結成後[編集]

2011年10月の党大会で綱領を決定した。綱領では国連憲章第7条に基づく軍事的介入の全面拒否やNATO解散を求めており、SPDは安全保障政策が現実主義化しなければ連邦レベルでの左翼党との連立はないとしている[4]。綱領草案では「民営化」や「職場の縮小」を行う政府には参加しないとしていたが、綱領では「生活基盤サービスの民営化」や「公共サービスの課題遂行の悪化」を行う政府には参加しないと基準が引き下げられた[4]。また地方レベルの選挙や他党との連立は地方組織が決定するとした[4]

2017年9月の連邦議会選挙では極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が初めて議席を獲得した。極右のAfDと極左の左翼党が合計で20%を超える得票率を得た[5]

2022年ロシアのウクライナ侵攻後、左翼党を代表する政治家であるザーラ・ヴァーゲンクネヒトらは即時停戦とウクライナへの武器供与中止を要求し、ロシアのウクライナ侵攻を批判する指導部と対立した[6]。2023年10月23日にヴァーゲンクネヒトら8名が新党を立ち上げるため離党し[7]、2024年1月8日に新党「ザーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟」(BSW)を結成した[6]。1月27日に結党大会を開催した[8]。BSWは福祉国家、反気候変動対策、反NATOなどは左翼党の立場を踏襲するが[7]、移民・難民受け入れの大幅制限、ウクライナへの武器供与中止、ロシアからのエネルギー輸入再開を訴え、極右のAfDと同様に反難民、親ロシアの立場をとっている[8][6]

出典[編集]

  1. 板橋拓己「左翼党」日本大百科全書(ニッポニカ)
  2. ローザ・ルクセンブルク財団代表と不破社研所長が理論交流について懇談 しんぶん赤旗、2007年3月30日
  3. a b c d e f g 荒井祐介「ドイツ政党システムにおける左派党の形成PDF」『法学紀要』第58巻、2016年
  4. a b c d e f g h i 岩佐卓也ドイツ左翼党における政権参加問題PDF」『神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要』第10巻第1号、2016年
  5. 新川匠郎「第3章 ドイツPDF」、谷口将紀、水島治郎編著『経済・社会文化・グローバリゼーション――2020年の各国政党政治』NIRA総合研究開発機構、2021年
  6. a b c 熊谷徹「ドイツ左派ポピュリスト「ヴァーゲンクネヒト」新党は極右の票を奪うか」フォーサイト、2024年2月20日
  7. a b 田中理「ドイツで反移民の左派系新党が誕生へ」第一生命経済研究所、2023年10月24日
  8. a b 寺西和男「ドイツに左派ポピュリスト新党 移民制限を提唱、極右のライバルに?」朝日新聞デジタル、2024年1月28日

関連文献[編集]

  • 小野一『現代ドイツ政党政治の変容――社会民主党、緑の党、左翼党の挑戦』(吉田書店、2012年)
  • 木戸衛一『ドイツ左翼党の挑戦』(せせらぎ出版、2013年)
  • 星乃治彦『台頭するドイツ左翼――共同と自己変革の力で』(かもがわ出版、2014年)
  • 木戸衛一『変容するドイツ政治社会と左翼党――反貧困・反戦』(耕文社、2015年)

外部リンク[編集]