鈴木鴻一郎
鈴木 鴻一郎(すずき こういちろう、1910年5月23日 - 1983年4月22日)は、マルクス経済学者。東京大学名誉教授。帝京大学経済学部教授。
経歴[編集]
山口県吉敷郡山口町(現・山口市)生まれ。1930年山口高等学校文科甲類卒業。1934年東京帝国大学経済学部卒業。大倉商事に入社。1935年大原社会問題研究所に入所。1940年東京芝浦電気に入社。1947年東京帝国大学社会科学研究所助教授、1949年教授。1953年より大学院社会科学研究科兼務。1954年東京大学経済学部教授[1]。1961年6月「価値論論争」で経済学博士[2]。1963年10月東京大学経済学部長、大学院経済学研究科委員会委員長(1965年まで)。1966年日本学術会議会員(第7期、任期3年)。1969年日本学術会議会員(第8期、任期3年)。1971年東京大学を停年退官。金沢経済大学経済学部教授。東京大学名誉教授。1980年帝京大学経済学部教授。日本学士院会員。1982年帝京大学大学院経済学研究科長[1]。
1983年4月22日、肺がんのため、東京都板橋区の帝京大学病院で死去、72歳[3]。
人物[編集]
労農派系のマルクス経済学者。東大経済学部在学中は大内兵衛、舞出長五郎、有沢広巳の演習に参加し、戦前から向坂逸郎、宇野弘蔵とつながりを持った[4]。河出書房の肝いりで1946年から1年ほど続いた資本論研究会の出席者だった。相原茂によると、12名の出席者のうち、久留間鮫造、大内兵衛、有沢広巳、向坂逸郎、宇野弘蔵、土屋喬雄、高橋正雄が主役格で、末永茂喜、岡崎三郎、対馬忠行、鈴木鴻一郎、相原茂は下働きとして問題の提起や要約の作成などを準備した[5]。1946年に向坂逸郎らが設立した歴史科学研究所(のち歴史科学研究会)の経済部門に参加[4][6]。1951年社会主義協会同人[7]。
長坂聰によると、1950年頃から宇野理論への傾倒を深め、向坂理論から距離を置いた[4]。佐藤金三郎によると、東大社研時代に宇野弘蔵の教えを受けて宇野学派の指導的一員となった[8]。1958年に宇野が東大を定年退官すると大学院の宇野ゼミを引き継いだ[9]。編書『経済学原理論(上・下)』(東京大学出版会、1960-1962年)で「鈴木理論」といわれる独自の世界資本主義論を提唱した[8][10]。柄谷行人は学部時代に試験のために同書を読んでマルクス理解に大きな影響を受けたという[11]。
世界資本主義論[編集]
東大大学院の宇野弘蔵ゼミのゼミ生だった岩田弘が独自に世界資本主義論を提唱した。宇野をはじめゼミのほとんど全員が純粋資本主義派で、半ば理解者だった降旗節雄を除くと世界資本主義派は岩田ただ一人だけだったが、宇野の定年退官後にゼミを引き継いだ鈴木鴻一郎は経済学原理の講義の中で岩田の世界資本主義論に大きく肩入れした[9]。岩田の世界資本主義論は当初は鈴木理論の陰に隠れていた。鈴木が新たに鈴木理論に踏み出した編書『経済学原理論(上・下)』(東京大学出版会、1960-1962年)はゼミ生の降旗節雄、岩田弘、鎌倉孝夫、小林弥六、新田俊三、大内秀明、阪口正雄、桜井毅の8名が分担執筆したものだが、「その大綱を示す「序論」草稿は最後に岩田が実質的に執筆した,といわれる」という[12]。岩田弘は1999年に『批評空間』に掲載された柄谷行人によるインタビューで鈴木鴻一郎の『経済学原理論』は実は岩田が書いたという噂は本当なのかと聞かれ、「重要なシナリオに関して、かなり関与したことは事実です(笑)」と答えている[13]。侘美光彦は鈴木ゼミの先輩である岩田の著書『世界資本主義』(未來社、1964年)と同一タイトルの『世界資本主義』(日本評論社、1980年)を刊行し、鈴木・岩田の世界資本主義論(鈴木・岩田理論)を批判して独自の世界資本主義論(侘美理論)を提起した[14]。
門下生[編集]
門下生に長坂聰、野口雄一郎[4]、岩田弘、降旗節雄、武井邦夫、新田俊三、桜井毅、塚本健、平田喜彦、山口重克、阪口正雄、小林彌六、大内秀明、竹内啓、鎌倉孝夫、公文俊平[4]、侘美光彦、竹内靖雄、伊藤誠などがいる。
著書[編集]
単著[編集]
- 『日本農業と農業理論』(御茶の水書房、1951年)
- 『地代論論争』(勁草書房、1952年)
- 『マルクス経済学』(弘文堂[経済学全集]、1955年)
- 『「資本論」と日本』(弘文堂、1959年)
- 『価値論論争』(青木書店、1959年)
- 『続 マルクス経済学』(弘文堂[経済学全集]、1959年)
- 『資本論徧歴』(日本評論社、1971年)
- 『一途の人――東大の経済学者たち』(新評論、1978年)
編著[編集]
- 『日本における農業と資本主義』(宇野弘蔵、大内力、斎藤晴造共著、実業之日本社、1948年)
- 『マルクス経済学体系――宇野弘蔵先生還暦記念論文集 上 方法論・原理論』(玉城肇、末永茂喜共編、岩波書店、1957年)
- 『マルクス経済学体系――宇野弘蔵先生還暦記念論文集 下 段階論・現状分析』(玉城肇、末永茂喜共編、岩波書店、1957年)
- 『現代日本資本主義大系 第1巻 独占資本』(編、弘文堂、1958年)
- 『貨幣論研究』(編、青木書店、1959年)
- 『経済学原理論(上・下)』(東京大学出版会[経済学大系]、1960-1962年)
- 『利潤論研究』(編、東京大学出版会、1960年)
- 『かっぱの屁――遺稿集』(編、高野岩三郎著、法政大学出版局、1961年)
- 『信用論研究』(編、法政大学出版局、1961年、新装版1971年)
- 『脇村義太郎教授還暦記念論文集 1 世界経済分析』(中村常次郎、大塚久雄共編、岩波書店、1962年)
- 『脇村義太郎教授還暦記念論文集 2 企業経済分析』(中村常次郎、大塚久雄共編、岩波書店、1962年)
- 『帝国主義研究』(編、日本評論社、1964年)
- 『経済学研究入門』(編、東京大学出版会、1967年)
- 『マルクス経済学の研究――宇野弘蔵先生古稀記念(上・下)』(編、東京大学出版会、1968年)
- 『現代アメリカ資本主義年表』(編、東京大学出版会[東京大学経済学部日本産業経済研究資料]、1969年)
- 『マルクス経済学講義』(編、青林書院新社[青林講義シリーズ]、1972年)
- 『世界の名著 43 マルクス・エンゲルス 1』(責任編集、中央公論社、1973年)
- 『恐慌史研究』(編、日本評論社、1973年)
- 『世界の名著 44 マルクス・エンゲルス 2』(責任編集、中央公論社、1974年)
- 『セミナー経済学教室 1 マルクス経済学』(編著、日本評論社、1974年)
訳書[編集]
- ロバアト・マルサス『マルサス穀物條例論――地代論』(改造社[改造文庫]、1939年)
- サミュエル・ベイリー『リカアド價値論の批判――價値の性質、尺度、及び原因に關する論文』(日本評論社、1941年)
- リチャード・ジョーンズ『地代論』(遊部久蔵共訳、日本評論社、1942年)
- サミュエル・ベイリー『リカアド価値論の批判』(日本評論社[世界古典文庫]、1947年)
- ホヂスキン『労働擁護論』(日本評論社[世界古典文庫]、1948年)
- リチャード・ジョーンズ『地代論(上・下)』(岩波書店[岩波文庫]、1950-1951年)
- 『マルクス・エンゲルス選集 第8巻 資本論綱要』(川口武彦、奥田八二、大内力、岡茂男、大島清共訳、新潮社、1956年)
- デイヴィド・リカードウ『デイヴィド・リカードウ全集 第2巻 マルサス経済学原理評注』(雄松堂書店、1971年)
記念論集[編集]
- 武田隆夫、遠藤湘吉、大内力編『資本論と帝国主義論――鈴木鴻一郎教授還暦記念 上 資本論の形成と展開』(東京大学出版会、1970年)
- 武田隆夫、遠藤湘吉、大内力編『資本論と帝国主義論――鈴木鴻一郎教授還暦記念 下 帝国主義論の形成と展開』(東京大学出版会、1971年)
出典[編集]
- ↑ a b 「故鈴木鴻一郎先生略年譜,主要著書・編書」『帝京経済学研究』第17巻第2号(通巻19号)、1984年3月
- ↑ CiNii 博士論文
- ↑ 出版年鑑編集部編『出版年鑑 1984』出版ニュース社、1984年
- ↑ a b c d e 長坂聰「一途の人――鈴木鴻一郎先生を悼む」『社会主義』第212号、1983年6月
- ↑ 相原茂「資本論研究会と久留間先生」『研究資料月報』第294号、法政大学大原社会問題研究所、1983年3月
- ↑ 岡崎三郎、近江谷左馬之介「ロマンチック時代――あるいは遊学60年」『商経論集』第3巻第3・4号、1968年3月
- ↑ 『社会主義』創刊号 労働者運動資料室
- ↑ a b c 佐藤金三郎「鈴木鴻一郎」、朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、695頁
- ↑ a b 櫻井毅「岩田弘氏の逝去を惜しむ」『「宇野理論を現代にどう活かすか」Newsletter』(第2期第7号通巻第19号)、2012年3月
- ↑ 20世紀日本人名事典「鈴木 鴻一郎」の解説 コトバンク
- ↑ 試験勉強でつかんだマルクスの「本領」:私の謎 柄谷行人回想録⑤ じんぶん堂、2023年6月19日
- ↑ 櫻井毅「岩田弘の世界資本主義論とその内的叙述としての経済理論(PDF)」『武蔵大学論集』第62巻第1号、2014年7月
- ↑ 岩田弘、柄谷行人「インタビュー 岩田弘に聞く 世界資本主義と近代世界システム」『批評空間』第Ⅱ期第20号、1999年1月
- ↑ 新田滋「侘美理論と世界資本主義論の可能性」『茨城大学人文学部紀要. 社会科学論集』第42号、2005年9月