菅義偉

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もしかして: 菅直人

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菅 義偉(すが よしひで、1948年(昭和23年)12月6日 - )は、日本の政治家、第99代内閣総理大臣元号発表者令和おじさん。自由民主党所属の第8期衆議院議員、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣でもある。父は菅和三郎。甥は子役として活躍した菅大輝菅光輝菅龍生(実弟・秀介の実子)[1]。愛称にガースーまたはスガーリン[2]がある。インパールスガとも呼ばれる。[Jokeこの一文には冗談が含まれています。真に受けるかどうかはあなた次第です。]

来歴[編集]

高校卒業まで[編集]

高校卒業後[編集]

  • 1967年(昭和42年)、東京都板橋区の段ボール工場の現場で住み込みで働き始めたが、このままでは寂しい人生と思い、数カ月で退社した。昼夜働き、ガードマンやカレー屋などのアルバイトをしながら、法政大学法学部政治学科に進学する。「視野を広げるため、大学で学びたい」との理由。
  • 1973年(昭和48年)法政大学法学部卒業。その後、民間企業の建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に就職し、2年間働く。

政界入り[編集]

  • 1975年(昭和50年)4月、衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる[3]。世の中が見え始め、世の中を動かしていくのは政治だと考えるようになる。人生をかけてみたいと思い、政治の道へ進んだ。大学の就職課で「先輩の政治家を紹介してほしい」と頼み、法政大学OB会を紹介され、参議院選挙を手伝うことになる。その時の働きぶりが素晴らしかったと評価され、多くの政治家の事務所から誘いがかかった。橋本昇が秘書をしていた小此木彦三郎の秘書となった。秘書時代に役人との関係の作り方を覚える。
  • 1984年(昭和59年)6月、通産大臣秘書官。
  • 1983年(昭和61年)10月1日に、11年勤めた小此木事務所を辞め、横浜市会議員選挙のため、一日300軒、4月の選挙前までに3万軒をまわり、6足の靴をつぶす。昼に蕎麦屋に入ると、菅は倒れ込んだ。同公社が休むことを勧めたが、菅は、平気だと言い、一軒一軒、家をまわり始めた[4]
  • 1987年(昭和62年)4月、誰もが当選しないと思っていた選挙で横浜市会議員に西区選挙区から当選する。
  • 1996年平成8年)10月、第41回衆議院議員総選挙に、市議時代の地盤と重なる神奈川2区から当選し、衆議院議員になる。小渕派(平成研究会)に所属。
  • 1998年(平成10年)、梶山静六とともに平成研究会を退会。
  • 2000年(平成12年)、「加藤の乱」で加藤紘一らに同調し、不信任案の採決では欠席した。
  • 2001年(平成13年)1月からは堀内派に参加した。5月、自民党副幹事長。
  • 2002年(平成14年)1月、国土交通大臣政務官。
  • 2003年(平成15年9月)、経済産業大臣政務官
  • 2004年(平成16年)10月、国会対策委員会副委員長
  • 2005年(平成17年)11月、総務副大臣
  • 2006年(平成18年)、9月、総務大臣 郵政民営化担当。
  • 2006年(平成18年)12月、内閣府特命担当大臣 地方分権改革担当
  • 2007年(平成19年)6月、自民党神奈川県支部連合会会長
  • 2007年(平成19年)8月、自民党選挙対策総局長
  • 2007年(平成19年)10月、自民党選挙対策副委員長
  • 2009年(平成21年)9月15日、古賀派に退会届を提出。総裁選では河野太郎を応援することが理由であった[5]
  • 2010年(平成22年)9月、衆議院 議院運営委員会筆頭理事
  • 2011年(平成23年)10月、自民党組織運動本部長
  • 2012年(平成24年)9月、自民党幹事長代行
  • 2012年(平成24年)12月、内閣官房長官、国家安全保障担当(第2次安倍内閣)。自民党総裁選で安倍晋三の側近として、安倍政権実現に尽力した[6]
  • 2013年(平成25年)、郵政民営化の考えにそぐわないとして、日本郵政の社長、坂篤郎を就任わずか6か月で退任させた。坂篤郎は2014年(平成26年)3月5日に日本郵政株式会社顧問の退任を発表した。
  • 2014年(平成26年)9月、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当(第2次安倍改造内閣)
  • 2014年(平成26年)12月、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当(第3次安倍内閣)
  • 2015年(平成27年)10月、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当(第3次安倍改造内閣)
  • 2016年(平成28年)7月7日、内閣官房長官の在職期間が歴代最長記録になる。2016年(平成28年)7月7日時点で在職期間は1,290日。
  • 2016年(平成28年)8月、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当(第3次安倍第2次改造内閣)
  • 2017年(平成29年)8月、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当(第3次安倍第3次改造内閣)
  • 2017年(平成29年)11月、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当(第4次安倍内閣)
  • 2018年(平成30年)10月、内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当、拉致問題担当(第4次安倍改造内閣)
  • 2019年(平成31年)4月1日午前11時41分、11分遅れて平成の次の元号令和を発表した。

内閣総理大臣として[編集]

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内閣総理大臣退任後[編集]

岸田文雄が菅の後任として総理総裁に選出された。

2022年(令和4年)7月8日に発生した安倍晋三暗殺事件安倍晋三が銃撃された際には、一早く病院に駆けつけ、安倍の遺体と対面。安倍の死を深く悼んだ。

政策[編集]

消費税に対する見解[編集]

菅は消費税について2020年9月10日、将来的な消費増税が避けられないとの認識を示した。菅はテレビ東京の番組に出演し「消費税は将来的に10%より上げる必要がある」との質問に消費増税を回答。「将来的なことを考えたら行政改革は徹底して行った上で、国民の皆さんにお願いして消費税というのは引き上げざるをえない」と話した。菅は消費税について9月5日のテレビ番組でも野党などから出ている減税について問われ「社会保障の貴重な財源」であるとして「今のままでと思っている」と述べている。ところが、ネット上などでこの発言が批判されると、菅は9月11日の記者会見で消費増税は「あくまで将来的な話」「10年くらい必要ない」などと発言を翻している。

なお、菅は消費税を将来的に必要と述べているが、2014年の消費増税では全額を社会保障に使うと明言していながら実際に使ったのは2割以下であり、その他は政権に親しくて貢献している大企業の法人税減税の穴埋めに消費税が利用されている。

人物[編集]

  • アルコールは全く飲まない。好きなものは「甘いもの」、大福は大好物。また、その経歴からか豊臣秀吉になぞらえられる事も多く、家族に秀の文字を持つ者もいるなど共通点が多い。

同時代の世界首脳[編集]

その他[編集]

外部リンク[編集]

注・リファレンス[編集]


先代:
安倍晋三
内閣総理大臣
99代:2020年 - 2021年
次代:
岸田文雄