ドナルド・トランプ

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ドナルド・トランプDonald John Trump1946年6月14日 - )は、米国(アメリカ合衆国)の第45代大統領である(在任:2017年1月 - 2023年1月)。政界に入る前は、ビジネスマンであり、テレビのテレビタレントであった。

経歴[編集]

大統領就任前[編集]

1946年6月14日、ニューヨーク市クイーンズ区のジャマイカ病院[1]で生まれた。父は不動産業のフレデリック・クライスト・トランプ、母はメアリー・アン・マクレオである。トランプはクイーンズ区のジャマイカ・エステーツで育ち、キュー・フォレスト・スクール[2]に幼稚園から13歳まで通った。トランプが許可なくニューヨークにたびたび抜けだすことを両親が発見したため、13歳でニューヨーク・ミリタリー・アカデミー(私立全寮制の寄宿学校)に移った。

1964年フォーダム大学に入学したが、2年後にペンシルベニア大学ウォートン校に入学した。ウォートン校の在学中に家族経営の会社エリザベス・トランプ・アンド・サンで働いた。1964年に経済学士を得て卒業した。1968年ベトナム戦争の期間中は、骨棘の診断を受けて徴兵されなかった。

卒業後は父親のビジネスにフルタイムで従事した。

1983年、ニューヨーク中心部に超高層ビル「トランプ・タワー」を建設した。

1987年、自伝「ジ・アート・オブ・ザ・ディール」を出版し、ベストセラーになる。

1988年、ニューヨークの超高級ホテル「プラザホテル」を買収する。

2004年、テレビ番組「アプレンティス(見習い)」のホスト役を務め、「お前はクビだ」のセリフが流行した。

2012年大統領選挙の共和党候補でトランプに「チームプレーヤー」になるよう呼び掛けられ、2019年1月3日に米上院議員に就任したミット・ロムニーは、ワシントン・ポスト紙の論説でトランプが、人格という点で政治家として資質不足であると指摘した[3]

大統領在任中[編集]

2017年、大統領に就任。在任中はメキシコ国境に壁を設けるなど、内政重視での「強いアメリカ」を目指した。

米下院は2018年12月21日、つなぎ予算案を可決せず22日正午(日本時間23日午前2時)まで休会に入り、米政府の暫定予算は21日で期限切れとなった。米政府機関の一部は22日午前0時(日本時間同日午後2時)から閉鎖された。この閉鎖は連邦政府の職員80万人に影響し、うち38万人が一時帰休となった。さらに42万人が無給で働くことになった[4]

2019年1月4日、米政府機関の閉鎖は3週目に入り、ペロシ下院議長は政府機関再開を目指し、下院で再開のための措置を採決する考えを表明した[5]

大統領退任後[編集]

2023年3月、ニューヨーク州裁判所の大陪審は大統領経験者として初めてトランプを起訴した。

大統領選挙[編集]

2000年大統領選挙[編集]

アメリカ合衆国改革党から予備選挙に出馬したが、2000年2月に撤退した。2005年になって、ジョージ・H・W・ブッシュに投票したと明かした。

2012年大統領選挙[編集]

2012年はミット・ロムニーを支持して予備選挙には出なかった。

2016年大統領選挙[編集]

2015年6月16日にニューヨーク・マンハッタンのトランプタワーで共和党の大統領候補として予備選挙に出馬すると表明した。2016年5月3日、トランプ以外のすべての候補が撤退し、大統領候補指名獲得が確実になり、2016年7月の共和党予備選挙で正式に共和党の大統領候補に指名された。2016年11月8日、トランプは306人の代議員を獲得し、232人のクリントン候補に勝った。

2017年1月20日、就任式を経て、第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。就任時点でロナルド・レーガンを上回る米国史上最高齢で大統領に就任した人物(70歳220日)となったが、4年後、自身より年上の後述のバイデンによってこの記録は破られた。

大統領退任[編集]

2020年の大統領選挙で、ジョー・バイデンに敗北し、大統領の座から降りた。一方、2024年の大統領選挙に出馬し、1893年のグロバー・クリーブランド以来の大統領返り咲きを目指す予定だと側近が明かしている。

人物[編集]

  • アルコールを飲まず、タバコも吸わない。兄の一人がアル中で早世したことの反動である。
  • ステーキの焼き方は超ウェルダンを好む[6]

同時期の世界首脳[編集]

参考文献・注釈[編集]