東京六大学

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東京六大学(とうきょうろくだいがく、英:The Tokyo Big Six Universities)は、東京に本部がある大学のうち六校が合同して行事を行うときの団体名称である。連合体には、連盟を作り定期的に活動する場合と、競技等を合同で行う場合とがある。 略称を「六連」という場合がある。

代表的な団体には東京六大学野球連盟、東京六大学対校陸上競技大会、東京六大学混声合唱連盟[1]東京六大学オーケストラ連盟、東京六大学ピアノ連盟、東京六大学ストリートダンス連盟などがある。

独自の団体は作っていないものの東京六大学の名称で定期的な大会を開催する例には、東京六大学対抗自転車競技大会、東京六大学ラクロスリーグ、東京六大学バスケット競技大会、東京六大学女子バスケットボール対抗戦、東京六大学写真展、東京六大学麻雀リーグ戦、東京六大学対抗グライダー競技会、東京六大学OB・OGバドミントン交流大会などがある。

最古の活動は東京六大学野球連盟である。早稲田大学慶應義塾大学明治大学法政大学立教大学東京大学が参加している。

東京六大学対校陸上競技大会のように東京六大学野球連盟と同じ大学構成の場合もあるが、異なる組み合わせも見られる。たとえば東京六大学ピアノ連盟では当初参加していた法政大学が抜け、代わりに上智大学が参加している。東京六大学混声合唱連盟では立教大学が抜け、代わりに青山学院大学が参加している。

東京六大学対抗自転車競技大会ば東京六大学(構成は東京六大学野球連盟と同じ)に所属する学生のうち、日本学生競技連盟に登記されている学生のみが参加できる。

東京六大学オーケストラ連盟は六大学というものの、立教大学が参加していないので、実際は五大学である。また早稲田大学は準加盟団体である[2]

東京六大学対校陸上競技大会の種目は次の通りである。

  • トラック種目:100M、400M、800M、1500M、5000M、110MH、3000MSC、4×100MR、4×400MR
  • フィールド種目:走高跳、棒高跳、走幅跳、三段跳、砲丸投、円盤投、やり投

沿革[編集]

  • 1903年(明治36年)に学生野球で第1回の早慶戦が開催され、(明治39年より中断)大正3年(1914年)に早慶明の三大学によって初めてリーグ戦を組織して試合を行った。
  • 1917年(大正6年)に法政大学、1921年(大正10年)に立教大学が加入した。
  • 1920年、早大慶大が中央大学の加盟を承認するも明大・法大が反発した。フランス法を重視する明治大学(前身は「明治法律学校」でフランス法学の拠点であった)や法政大学(前身のひとつが「和仏法律学校」、フランス人のボアソナードが教えていた)に対し、中央大学はイギリス法(前身は「英吉利法律学校」)中心であった。当時の学問は法学が中心で、どこの国の法律を基準として学ぶかが取り沙汰された結果、その対抗意識から中大はリーグへの参加を見送った。代わってフランス法と大陸法という意味で同系統のドイツ法の東京帝国大学(現東京大学)を推薦することで明大法大が承認したというもっともらしい説がある[3]しかし中央大学は「本学は実学の中央」であるから、お遊びには加わらないと断ったという説もある[4]。東洋大学にも声をかけ、同じような理由で(うちは「哲門だから」として)断られている。
  • 1924年(大正14年)、早慶明法立の学生野球リーグ戦に秋季から東京大学が正式に加入し、六大学が成立、し東京六大学野球連盟が発足した。東京帝国大学の加入条件に「六大学でリーグ戦を行い、これ以上加盟大学を増やさない」ことがあったため、六大学で固定化された。
  • 1925年(大正14年)9月20日の明治大学立教大学第1回戦が連盟創設後の初試合であった。
  • 1926年(大正15年)には明治神宮野球場が完成した。神宮球場の最初の試合は、10月24日の「明治大学対法政大学」戦であった。
  • 1943年(昭和18年)第二次世界大戦の影響により文部省から試合禁止を命ぜられ、東京六大学野球連盟は解散した。
  • 1945年9月18日、明治神宮野球場は進駐軍に接収された。
  • 1945年11月23日、神宮球場で初のプロ野球が行われる。
  • 1946年、春季より学生野球のリーグ戦が復活し、5月19日に上井草球場で開幕式を行う。
  • 1948年 六大学野球は春季から勝ち点制を採用する。
  • 1952年(昭和27年)3月まで明治神宮野球場は米軍に接収されており、ほとんど野球の試合ができなかったが、3月31日の講和条約終結とともに同球場は明治神宮に返還され、六大学の春秋リーグ戦は全ての試合が同球場で行われるようになった。
  • 1953年、慶應義塾大学、早稲田大学、法政大学との間で東京六大学対抗グライダー競技会の定期競技会が始まる。2年前にGHQによる航空禁止令が解除されたことにより開始された。以後、毎年夏に日本学生航空連盟などの後援により、埼玉県熊谷市の日本学生航空連盟妻沼滑空場で開催される。
  • 1959年、東京六大学混声合唱連盟が発足し、1959年12月9日に早稲田大学大隈講堂で第1回合同演奏会が開催された。
  • 1968年、東京六大学対校陸上競技会の第一回大会で早稲田大学が優勝した[5]。東京六大学対校陸上競技会はは東京六大学OB会や関東学生陸上競技連盟の後援で開催される。
  • 1995年、東京六大学ピアノ連盟が発足した。
  • 2004年、東京六大学対抗親善ゴルフ大会が第1回大会を行う。
  • 2016年5月7日、東京芸術劇場 コンサートホールで第58回東京六大学混声合唱演奏会(六連定演全団合同演奏会)を開催した。
  • 2017年、第3回東京六大学ストリートダンスリーグ戦で立教大学が優勝した。
  • 2017年、東京六大学対校陸上競技大会は第50回大会を迎えた。東京六大学対抗グライダー競技会は20回目の六大学競技会を迎えた。

早慶戦[編集]

横山エンタツ・花菱アチャコは「しゃべくり漫才」を創始し、現在の漫才のスタイルを確立した。1930年代には人気のあった東京六大学野球の『早慶戦』に題材を取り、水原リンゴ事件もあって、報道に便乗して人気を博した。

参考文献[編集]

  1. 東京六大学混声合唱連盟
  2. 東京六大学オーケストラ連盟
  3. 運動年鑑 大正十年度』には中央大学加盟問題なる記事は見られない。
  4. 中央大学野球部が正式に発足したのは1930年(昭和5年)4月である(『中央大学百年史』 年表・索引編、2004年、166頁)。
  5. 歴代優勝校