第3次世界大戦 (EBB)
第3次世界大戦(EBB)とはマイクラ戦闘地帯 EBB戦線においてEBB歴2022年から2035年にかけて約12年間続いた3度目の世界大戦である。この戦争は様々な地域での戦闘や核戦争などを引き起こすこととなった。
開戦前夜[編集]
EBB歴2022年、アフリカ共産統一戦争や北米戦争などが起きている最中に、ゲルマニア第5帝国が欧米やアジアのスターヴ民主共和国・カナダル合衆連邦・モグロー自由共和国・江東共和国などを引き入れてヨーロプス条約機構が成立することになる。そしてヨーロプス条約機構はイメーワ同盟条約機構と完全に対をなす同盟として日に日に対立を深めていった。その後、ヨーロプス条約機構は当時カナダル合衆連邦が北米戦争で属国にしたアメリスク社会主義共和国連邦を加盟させ、その後にカナダル合衆連邦は圧力をかけてイースアルディア社会主義共和国連邦を属国にしたためこの国も加盟させることで影響力を増強していった。これに対し、強い懸念を抱いたのがキッド社会主義共和王国連邦だ。イースアルディア社会主義共和国連邦がヨーロプス条約機構に加盟すると、この国との国境部の軍隊を増強し、ミャンルマ地域においても駐屯軍を強化するなどの措置をとった。またカナダル合衆連邦はボルネオ島やフィリピンへと侵攻し併合するなどの動きを見せた。この動きによってマラッカ連邦や大日本帝国なども懸念を示すようになる。そしてゲルマニア第5帝国がさらに緊張を促進させる動きを見せる。突如としてモーリシャス諸島とセーシェル諸島に侵攻。国家弁務官区として併合すると、そのまま軍事基地を建設。飛行場なども整備されその地に核爆弾などを搭載した超音速戦略爆撃機や原子力潜水艦を配備し始めたのだ。その航空機の飛行距離などはすべてキッド社会主義共和王国連邦を爆撃して撤退することのできる距離でありこの動きに対してキッド社会主義共和王国連邦もアラビア社会主義共和国連邦の在留軍に核配備を行い、緊張状態は盗ゲ冷戦以上に高まりつつあった。そんな中でついゲルマニア第5帝国がウドゥグルスタン社会主義共和国連邦に対して宣戦布告を行い侵攻を開始する。ウドゥグルスタン社会主義共和国連邦はイメーワ同盟条約機構加盟国でありキッド社会主義共和王国連邦などは宣戦布告の準備を進めている最中でゲルマニア第5帝国がキッド社会主義共和王国連邦やその他の国々の捕虜を虐殺する動画を公開。これに対してイメーワ同盟条約機構諸国は激しい憤りと共に民間人も開戦一色に染まることとなりついに第3次世界大戦が開戦した。
ゲルマニア=ウドゥグルスタン戦争[編集]
ゲルマニア第5帝国は欧州においてすぐさま軍事作戦を次々に展開していく。ウドゥグルスタン社会主義共和国連邦に対して宣戦布告と同時に軍が越境を開始。部隊の展開が間に合わず国境警備隊などといった微弱な戦力しかなく国境部を掌握されてしまう。またこの時にゲルマニア国防軍などに対して降伏した部隊はゲルマニア親衛隊に連れていかれて消息不明となっている。その後さらなる侵攻を展開していったゲルマニア第5帝国はウドゥグルスタン社会主義共和国連邦の首都を制圧する。この翌日、ウドゥグルスタン社会主義共和国連邦は降伏することとなった。またこの戦争の中でオーストリア地域に関してはあまり侵攻を受けなかった。理由はこの地にはドイツ人が多く居住しており、これらを保護する方針をとったため目立った戦闘は起こらなかった。この後の戦後処理においてウドゥグルスタン社会主義共和国連邦はポーランド総督府・オスターグラン国家弁務官区・ウドゥグルスタン国家弁務官区に分割されゲルマニア第5帝国の統治下に置かれることになった。
ゲルマニア=エルシアス戦争[編集]
ゲルマニア第5帝国はウドゥグルスタン社会主義共和国連邦を制圧すると、当時のエルシアス社会主義共和国連邦と戦闘行動を展開した。ゲルマニア第5帝国とエルシアス社会主義共和国連邦はほぼ互角の状態であり国境部においてもほとんど拮抗し膠着状態となっているような状況であった。しかし、ここで第1次エルシアス内戦が巻き起こる。第3次世界大戦中にアトランティス共和国との戦闘が勃発することになりエルシアス社会主義共和国連邦は一時的にゲルマニア第5帝国と停戦した。
北欧電撃戦[編集]
ゲルマニア第5帝国が瑛研共和国に対する侵攻を続ける中で行われたのが北欧電撃戦でありその目的は北欧の制圧と帝国領への編入であった。そしてこの作戦をもとに最初に始まったのが北欧電撃戦である。ゲルマニア国防軍は2023年にデンマーク地域から約30万人の上陸部隊を出撃させノルウェーに対する強襲上陸を敢行する。その後海岸部に対して強襲上陸を仕掛けて上陸に成功すると即座に装甲軍団が展開することになる。戦車隊を前線に向かわせて敵軍部隊を制圧していった。そして航空隊は空母から発艦し制空権の確保を行い、都市部や軍事基地、前線に形成されていた陣地などにロケット弾で空爆を仕掛けた。また今回の作戦を承ることになったゲルマニア国防軍の第3主力艦隊は巡航ミサイルを用いて沿岸部の航空基地を破壊するなどをした。その後の電撃的侵攻で首都を占領するとノルウェー政府は降伏を決意することとなった。その後ノルウェーゲン国家弁務官区として同地は統治されることとなる。しかしゲルマニア国防軍やゲルマニア親衛隊は勢いそのままにスウェーデンに向かって越境を開始。1週間以内に制圧すると今度はフィンランドへ侵攻する。過去に、ソビエト連邦と戦った時のようにフィンランド軍は屈強に抵抗したものの、圧倒的な軍事力や軍民問わず、ゲルマニア親衛隊などが行う虐殺行為により次第に戦意を喪失していったフィンランドはゲルマニア国防軍とゲルマニア親衛隊の侵攻後2週間で降伏した。その後フィルデン国家弁務官区としてフィンランドとスウェーデンは統治されることになった。
トルクジニア共和国独立戦争[編集]
モスクスターク第3社会主義共和国連邦領内で突如独立戦争が勃発。この戦争にヨーロプス条約機構が介入することになったのだ。この戦争でイメーワ同盟条約機構とヨーロプス条約機構の両軍は衝突していたのだが最終的にヨーロプス条約機構に支援されていたトルクジニア共和国が独立を勝ち取る結果となった。
第2次独ソ戦[編集]
ゲルマニア第5帝国はウドゥグルスタン社会主義共和国連邦と北欧電撃戦において北欧の3国を落とすとスターヴ民主共和国と協力してソビエツィア社会主義共和国連邦に対して侵攻を開始した。これが第2次独ソ戦である。この戦闘はまるで1941年のナチス・ドイツのバルバロッサ作戦を彷彿とさせるものであった。またこの戦闘に江東共和国も参加し、ソビエツィア社会主義共和国連邦はもっとも避けなければならなかった2正面作戦を強制されることとなってしまい、東西で部隊を割くこととなってしまう。ゲルマニア第5帝国は部隊が引き抜かれ防衛が手薄になったところから徹底的に侵攻を行い占領地を拡大していった。また、この戦争の過程でゲルマニア第5帝国はモスクワに対して核攻撃を敢行。大損害を被ったソビエツィア社会主義共和国連邦は降伏することとなり、ゲルマニア第5帝国はモスクワまでの区域をモスコーヴィエン国家弁務官区としてそれ以降をゲルマニア第5帝国ソビエツィア自治領とした。これにより東方生存圏を確立することに成功したゲルマニア第5帝国は西方の制圧に乗り出した。
伯克戦争[編集]
大クルシア帝国連邦は領土拡大の野心があり、その野心に忠実に国家を動かした結果、とても資源が多く、軍事力が弱いと判断された伯国に対する戦争を用意し始めた。この第3次世界大戦中という状況下でそのような行動は断じて許されないとして各国は猛抗議したが大クルシア帝国連邦は伯国侵攻を敢行し宣戦布告。伯国も突如の宣戦布告であり、わけもわからない状態だったが応戦。伯国防衛のために戦ったものの敗北。大クルシア帝国連邦に全土併合された。
第2次ゼーレーヴェ作戦[編集]
ゲルマニア第5帝国はアイルランドに侵攻し瑛研共和国の本土であるブリテン島の間近に橋頭保を確保した。第3次世界大戦が開戦したと同時にゲルマニア国防軍とゲルマニア親衛隊はともに北アイルランドの制圧に乗り出した。この場所はアイルランド島の中で唯一瑛研共和国が領有していたところでありここの電撃的制圧に乗り出した。この時に北アイルランド大戦車戦などが巻き起こったりもした。この戦闘でゲルマニア国防軍が勝利することになりアイルランド島全土をゲルマニア第5帝国はイルラント国家弁務官区として支配下に置くことに成功した。その後、ゲルマニア第5帝国はドーバー海峡などでイメーワ同盟条約機構加盟国の艦艇などを撃沈したり瑛研共和国に対する本土空襲などを展開するといった作戦をとっていった。また瑛研共和国が別領土として保有していた瑛研共和国領ウクライナに対してもゲルマニア第5帝国は攻撃を開始。戦果から逃れようとする民間人は等は全員親衛隊にとらえられ、然るべき処罰を受けることとなっていった。
日加戦争[編集]
欧州大陸においてゲルマニア第5帝国が快進撃を続け各国を制圧していく中で大日本帝国も動き出すことになる。カナダル合衆連邦が傀儡国としていたイースアルディア社会主義共和国連邦に帝国海軍特戦隊50万人を強襲上陸させたのだ。突如、シンガポール沖に帝国海軍聯合艦隊が出現し、シンガポールに対する艦砲射撃を開始した。この砲爆撃はイースアルディア社会主義共和国連邦]に住む人々やカナダル合衆連邦の在留軍も驚愕することになる。この突然の奇襲を予想だにしていなかったイースアルディア社会主義共和国連邦は大日本帝国に対して軽々と上陸を許してしまう。また、この時イースアルディア社会主義共和国連邦は軍をキッド社会主義共和王国連邦の国境部に集中させていたためそちら側から部隊を引き抜き移動させるという大きなタイムロスが発生した。さらに追い打ちをかけるように部隊が引き抜かれたのを確認した王国連邦王立革命赤軍はイースアルディア社会主義共和国連邦に対して越境を開始する。こうして2正面作戦を強いられたイースアルディア社会主義共和国連邦は首都や重要都市に部隊を固め防衛戦に徹することになる。しかし、キッド社会主義共和王国連邦は容赦なくここに空爆を行い、帝国陸軍が進軍し、占領地を拡大していくという両国の連携によって次々と都市を占領。最終的に首都を占領されたことによりイースアルディア社会主義共和国連邦は降伏。大日本帝国が大日本帝国領南亜特別区として占領統治することになった。その後大日本帝国はフィリピン・ボルネオ島といった2か所に対して侵攻を開始した。マラッカ連邦とキッド社会主義共和王国連邦はこれに協力し、ボルネオ島を急襲。マレー半島から出撃した日盗連合軍は帝国海軍聯合艦隊の護衛の下、ボルネオ島上陸作戦を発動する。事前にマラッカ連邦の海軍部隊が空母機動艦隊の航空隊を用いてボルネオ島沿岸部のカナダル合衆連邦の防衛陣地や奥地の軍事基地などを空襲。また沿岸警備に出ていたカナダル合衆連邦の機動艦隊15隻とマラッカ連邦海軍任務部隊30隻が交戦。マラッカ連邦軍はこれに応戦し、ボルネオ沖海戦が勃発することになる。結果はマラッカ連邦の勝利で終わり同地の制海権を確保。王国連邦王立革命赤軍と日本軍はボルネオ島の上陸に成功し同地を占領すると大日本帝国領南亜特別区へと編入した。その後大日本帝国はフィリピンへと上陸。即座に部隊は展開しフィリピンにいたカナダル合衆連邦の在留軍の烏合の衆を蹴散らすとそのまま様々な島を占領することに成功。比律県として大日本帝国本土に編入されることになり大日本帝国は48都道府県となった。
獲加戦争[編集]
第1次エルシアス内戦を経てエルシアス第2帝国となった旧エルシアス第2帝国は停戦協定を破棄して再びヨーロプス条約機構加盟国と交戦を開始した。ゲルマニア第5帝国との国境では膠着状態にあり目立った戦闘は起こらなかった。これを見てエルシアス第2帝国政府は大西洋を超えた先にあるカナダル合衆連邦の本土を目標として戦略を形成していった。その後ついにエルシアス軍は作戦を発動することになり、上陸部隊75万人と3個主力艦隊と5個輸送艦隊の計195隻の大部隊で出撃した。そしてこの動きをゲルマニア親衛隊の情報共有によって察知したカナダル合衆連邦はこれを大西洋側において迎え撃つ覚悟を見せつけ、モグロー自由共和国軍もこれに協調して大西洋で決戦を挑んだ。そして西大西洋海戦が勃発する。この海戦は事実上、獲加戦争における戦局を決する一線であり、海戦参加艦艇は総勢395隻であり、うち195隻がエルシアス第2帝国の艦隊であり残った200隻はモグロー自由共和国とカナダル合衆連邦の連合軍であった。この海戦は第3次世界大戦の中での名を残す大海戦となり最終的に395隻中155隻が沈むことになり一度両軍は撤退することになる。その間に両軍は戦力や艦隊の配置を見直すことになり、1か月後に第2次西大西洋海戦が勃発する。この海戦において参加した艦艇は250隻だった。というのもこの一か月の間に両国は大急ぎで艦艇を建造。エルシアス第2帝国が建造中であった戦艦を引っ張り出し、駆逐艦2隻などを竣工させ戦力を増強した。一方カナダル合衆連邦は予備役としていた航空母艦や軽空母などといった航空戦力を重視して配置することとした。そしてモグロー自由共和国が戦艦を予備役から出してくるといった形でバランスをとっていたのだ。しかし、最新鋭戦艦や駆逐艦に旧式が勝つことはかなり難しく、結果的に1度目の海戦で痛み分けまで持ち込んだカナダル合衆連邦は敗北。この海戦で海軍戦力を立て直せないレベルで失うとエルシアス第2帝国に上陸を許してしまい、カナダル合衆連邦本土決戦が幕を開ける。またその中でこの戦争にマラッカ連邦も介入。ここで核弾頭非搭載型ICBMを利用することにより、大きくカナダル合衆連邦は各地ががれきの山となる。しかしこの過程で5発ほどがアメリスク社会主義共和国連邦の国土に着弾するという手違いが発生。これが第1次米真戦争の原因ともなる。そしてエルシアス第2帝国はカナダル合衆連邦において首都攻防戦を繰り広げる。一度は占領したがその後すぐに奪還されるといったことを繰り返していった結果、次第に継続戦闘能力を失ったカナダル合衆連邦が降伏。ヨーロプス条約機構の大国が1国陥落する結果となった。また大日本帝国 (EBB)は東南アジアを占領下に置くこととなった。
大東亜連合国独立[編集]
カナダル合衆連邦によって占領されていたフィリピンを大日本帝国が占領し、48番目の都道府県として統治していたが大日本帝国政府はフィリピンを独立させることとした。そこで結果的に独立した国が大東亜連合国である。この国は独立後に大東亜共栄圏に加盟、その後イメーワ同盟条約機構にも参戦し第3次世界大戦にイメーワ同盟条約機構側として参戦した。
第1次米真戦争[編集]
獲加戦争時にマラッカ連邦はカナダル合衆連邦とアメリスク社会主義共和国連邦の国境部にミサイル攻撃を行ったが5発ほどのミサイルがアメリスク社会主義共和国連邦に着弾する事態が発生する。これにより大多数の死者や難民を出したアメリスク社会主義共和国連邦はマラッカ連邦に対する復讐の意味を込めて宣戦布告。第1次米真戦争が勃発した。この戦争においてマラッカ連邦はかなりの大損害を被ることになる。最新鋭戦闘機や最新鋭主力戦車などを大々的に動員した。宣戦布告後、米太平洋艦隊を総出で出撃させ、ティモール海戦が勃発する。米太平洋艦隊とマラッカ連邦軍の主力艦隊が衝突したこの海戦において米太平洋艦隊は損失を出しながら頑強に抵抗していた。しかしこれは陽動作戦であり、その間に西方からアメリスク赤軍が強襲上陸を成功させるとそのまま機甲部隊や航空隊、機械化部隊を展開させ、非常に素早いスピードで侵攻していき、マラッカ連邦最大の軍事要塞であるマウント・オーガスタス要塞を占領するという大戦果を挙げた。また、強襲上陸成功の旨を聞いた米太平洋艦隊はティモール海から一時撤退。救助活動などでその海域に残っていたマラッカ連邦軍主力艦隊に対してサーモバリック弾頭を積んだ弾道ミサイルで攻撃を行い、マラッカ連邦軍主力艦隊は壊滅的被害を被ることとなる。またマウント・オーガスタス要塞陥落後、沿岸部の軍港なども占領されダーウィンなどといった主要都市も次々と占領されるとマラッカ連邦軍は首都であるシドゥルニを防衛することとしたがここで最初の悲劇が巻き起こることとなる。
インストラッカ作戦[編集]
ゲルマニア第5帝国はアメリスク社会主義共和国連邦のマラッカ連邦侵攻をアジアにおいて優位に立つチャンスととらえ、アジア侵攻のための作戦であるインストラッカ作戦を展開した。この作戦は当初、ゲルマニア国防軍とゲルマニア親衛隊の大部隊をアラビア社会主義共和国連邦に強襲上陸させてスエズ運河を手中に収め、その後アラビア社会主義共和国連邦から陸路でアジアに侵攻を続けるといったものであった。がしかし当時のゲルマニア第5帝国総統であるアドルフ・タヴォラー総統はこれを否定。ヨーロッパの制圧が先としたもののアメリスク社会主義共和国連邦のマラッカ連邦首都であるシドゥルニ攻略を援助すべきだとして、アジア5か国に対する核攻撃を行うように指令した。この作戦内容に一部反発も生んだが核兵器の運営権などはすべてゲルマニア親衛隊のもとにあり、総統に忠誠を誓う親衛隊はこの命令を受けてすぐさま核弾道ミサイルを発射。この核ミサイルはセブスタン社会主義共和国連邦・アラビア社会主義共和国連邦・インパルバスタン社会主義共和国連邦・モスクスターク第3社会主義共和国連邦・マラッカ連邦に着弾。この戦争における2から6番目の被爆国となった。今回の核攻撃に利用されたのは小型の核であったが、この核攻撃によって大損害を被ったマラッカ連邦は最終的に押し込まれ降伏一歩手前となりかけた。が、ここでキッド社会主義共和王国連邦が救援として参戦することとなる。
瑛研共和国単独講和[編集]
第2次ゼーレーヴェ作戦の発動により戦闘状態に陥っていた瑛研共和国とゲルマニア第5帝国の両国は日に日に戦闘行動が小さくなっていった。そして瑛研共和国は北欧3国とアイスランド・アイルランドを割譲することを条件に講話をすることをゲルマニア第5帝国に通達した。すると、他の戦争や他の区域に注力したいと考えていたゲルマニア第5帝国はこの講和条件を飲み込み、瑛研共和国とゲルマニア第5帝国の両国との間に単独講和が成立することになり欧州の地図が一新されることとなった。
王国連邦米真戦争介入[編集]
キッド社会主義共和王国連邦はゲルマニア第5帝国の核攻撃に強い衝撃を受けたものの他のイメーワ同盟条約機構加盟国に対して核による反撃を行わないように呼び掛けた。この核攻撃から最も最悪な結果を招くことを防ぐためである。万が一全面熱核戦争に発展すれば数億人が死亡する事態は避けられないとして核による反撃を制止した。またその半面、キッド社会主義共和王国連邦は王国連邦王立革命赤軍の第10軍、1750万人を増援としてマラッカ連邦に派遣した。これが到着するとマラッカ連邦軍は増援を含めた連合軍を形成し、反攻作戦に転じることとなる。アメリスク社会主義共和国連邦が占領していた地域に逆侵攻を開始し、奪還すると首都であるシドゥルニの奪還作戦を開始する。このシドゥルニを正念場とみていたアメリスク社会主義共和国連邦もここに大多数の兵力を配置していた。ここで大規模な戦闘が巻き起こる。この戦闘は実に1か月かかることとなったが最終的に損失が大きくなりすぎたアメリスク赤軍は撤退を決定。マラッカ連邦の領土は全土が復帰することになった。そして最終的にキッド社会主義共和王国連邦の仲介のもと講和会議が執り行われ、アメリスク社会主義共和国連邦はこの講和会議で戦争賠償金250億円と資源採掘権1.5割、在留軍派遣権と機甲師団3師団を譲渡する代わりにニュージーランド島の割譲を要求したがマラッカ連邦がこれを拒否。代替案としてクック諸島を割譲されることとなった。マラッカ連邦はクック諸島以外のマラッカ連邦領からの撤退を要求しこれが承認される結果となった。またこの後にアメリスク社会主義共和国連邦はイメーワ同盟条約機構とホトトギス連合条約機構に加盟した。
スターヴ=アフリカ戦争[編集]
スターヴ民主共和国はアフリカ大陸におけるヨーロプス条約機構の優勢を保つために北西アフリカ共和国へ侵攻を開始した。これがスターヴ=アフリカ戦争(スターヴ・アフリカ侵攻)などと呼ばれるものである。この戦争において30万人からなる上陸部隊を用意したスターヴ民主共和国軍は大陸沿岸部で空戦を起こす。これが北西アフリカ海上航空戦などと呼ばれる戦闘である。この一連の戦闘に北西アフリカ共和国はキッド社会主義共和王国連邦などから供与されたKiG-7制空戦闘機などを用いるが結果的に敗北する結果となる。これにより制空権を喪失すると沿岸部には徹底的な空襲がなされ上陸部隊が次々と進軍。主要都市が陥落していくという考えうる最悪の状況となる。しかしここでカメルーン・アフリカ軍政社会主義国家が救援に到着。また、ウェストインシャン人民共和国連邦なども救援に駆け付け、戦力は拮抗する。たびたび増援を送っていたスターヴ民主共和国軍であったが、拮抗状態が続くことになるが補給が割れるなどといった理由で部隊を撤退させることになる粘り強く防衛を続けた北西アフリカ共和国の勝利となった。
ゲルマニア=アフリカ戦争[編集]
スターヴ=アフリカ戦争が勃発すると、ゲルマニア第5帝国は第3次世界大戦開戦前に占領し、統治していたセーシェル国家弁務官区とモーリシャス国家弁務官区を用いてアラビア社会主義共和国連邦からアフリカ諸国へと送られる石油や物資を積んだタンカーなどの通商破壊を激化させた。また、カメルーン・アフリカ軍政社会主義国家のマダガスカルに強襲上陸するとここを電撃的に制圧。マダガスカル国家弁務官区を新たに創設し、アフリカにおける影響力を拡大するとともに、アフリカ諸国にとって地獄の空襲が始まるようになる。マダガスカルを制圧したゲルマニア第5帝国はここを戦略的重要拠点として防御を固めるとすぐに巨大な軍事基地を建設。またマダガスカル内にあったミサイルサイロなどを利用し数多の国々をその射程に収めた。そしてマダガスカルが飛び立った爆撃隊によるアフリカ大陸全土に対する本土空襲が活発化。毎日のように都心部や工場、軍事基地などに爆弾の雨が降り注ぐことになり、また、一部の国にはサーモバリック爆弾やクラスター爆弾などが大量に使用されることになった。
ベトナム帝国独立[編集]
大日本帝国が大日本帝国領南亜特別区としていたうちの1か所であるベトナムにおいて大東亜連合国と同じようにベトナム帝国が独立した。この独立によりアジアに新興国が誕生することになった。また大日本帝国から供与された艦艇を用いて非常に強力な海軍戦力を保有することとなった。
第2次大東亜戦争[編集]
ゲルマニア第5帝国やスターヴ民主共和国がアフリカでの攻勢を続ける中でアジアでは大きな対立が起こっていた。大日本帝国とアメリスク社会主義共和国連邦の両国との間で大きなひずみが生まれていたのだ。カナダル合衆連邦が降伏後、大日本帝国はボルネオ島や旧イースアルディア社会主義共和国連邦領のほかにもハワイ諸島などを占領下においていたのだがこれにアメリスク社会主義共和国連邦は返還を要求した。しかし、戦略的重要地域としてこれを大日本帝国は拒否。するとアメリスク社会主義共和国連邦は返還をしない場合は経済制裁を用いて、アメリスク社会主義共和国連邦領内における大日本帝国の資産凍結を宣言した。しかし大日本帝国はこれにも応じず、返還は不可能とした。それと同時に開戦は避けられないと判断した政府はアメリスク社会主義共和国連邦に対する宣戦布告の用意を行った。そしてこの結果を受け取ったアメリスク社会主義共和国連邦は実際に資産を凍結。するとその翌日に大日本帝国はアメリスク社会主義共和国連邦に対して宣戦布告を通告し第2次大東亜戦争が開戦した。東南アジアはすぐに戦場になりまたこれに巻き込まれ、第2次米真戦争まで誘発させることになった。この戦争は5年間続くこととなり東南アジアでの攻防戦のほかにアラスカでの戦闘やアリューシャン列島・ハワイ諸島での戦闘が続いた。そんな中大日本帝国はアメリスク社会主義共和国連邦西海岸に強襲上陸を成功させると降伏勧告を突き付けた。しかしこれを蹴ってしまったアメリスク社会主義共和国連邦は予想だにしない攻撃を食らうこととなった。大日本帝国はアメリスク社会主義共和国連邦の主要都市の50か国に対して同時に核攻撃を敢行。この核攻撃で継続戦闘能力を喪失したアメリスク社会主義共和国連邦は降伏を宣言した。
第2次米真戦争[編集]
第2次米真戦争は第2次大東亜戦争によって誘発した戦争であり、大東亜共栄圏に加盟していたマラッカ連邦は大日本帝国がアメリスク社会主義共和国連邦に宣戦布告したことを受けて大東亜共栄圏の条項に基づいて宣戦布告を行うとともにホトトギス連合条約機構から強制脱退処分を通告することになる。しかし、マラッカ連邦は第1次米真戦争終戦後にアメリスク赤軍とともに国土の復興を行っていたたため宣戦布告からすぐに本土決戦になるといった展開を迎える結果となってしまい、陸軍戦力の増強を図ってはいたマラッカ連邦もまたアメリスク社会主義共和国連邦に押される展開となってしまった。この事態を重く見たキッド社会主義共和王国連邦はこの戦争を再び仲介し、白紙講和を締結させることで合意させ終戦させた。
第2次エルシアス内戦[編集]
エルシアス第2帝国において2度目絵の内戦が勃発。今回の交戦勢力はゲルマニア第5帝国との協調を図る親ナチス政権のエルシアス第2帝国と現政府軍である。この内戦においてキッド社会主義共和王国連邦などは現政府側を支援したものの支援が追い付かずエルシアス第2帝国は降伏。エルシアス第2帝国が成立するとゲルマニア第5帝国と単独講和する結果となった。
盗ソ全面戦争[編集]
キッド社会主義共和王国連邦はゲルマニア第5帝国占領下のゲルマニア第5帝国ソビエツィア自治領を解放し、ソビエツィア連邦共産党によるソビエツィア社会主義共和国連邦の復帰をもとめてゲルマニア第5帝国領ソビエツィア自治領への侵攻を開始した。冬のシベリアへ侵攻を開始。これに対して応戦したのは旧ソビエツィア赤軍の部隊である。ゲルマニア第5帝国はソビエツィア社会主義共和国連邦を陥落させゲルマニア第5帝国ソビエツィア自治領とした後ソビエツィア赤軍をゲルマニア国防軍やゲルマニア親衛隊の配下に置き、実質的にゲルマニア第5帝国の保有する軍事戦力として利用していた。そのためキッド社会主義共和王国連邦の王国連邦王立革命赤軍によるソビエツィア釈迦主義共和国連邦領内への侵攻が始まると、旧ソビエツィア赤軍の部隊が応戦することになる。ゲルマニア第5帝国はこれをホロコーストの一環として見ており非常に有用なやり方であったのは言うまでもなかったのである。しかしキッド社会主義共和王国連邦は解放した土地にソビエツィア社会主義共和国連邦を建国させ、徐々にその占領地を拡大していった。やがてゲルマニア国防軍やソビエツィア社会主義共和国連邦の民間人などが動員されるようになってくると、一部のスラヴ人部隊では反旗を翻す者が生まれ始める。この戦争の過程で最も最大の戦闘である盗ソ全面戦争が勃発することになると、真冬のシベリアは一瞬で赤く染まった。大量の鮮血や死体、戦車や航空機の残骸があらゆるところに残るその様子は地獄の様相であった。またこの戦争で一人の英雄が出ることになる。その英雄は一人のパイロットであり、シベリアグラード中央飛行場と呼ばれる軍事基地として非常に重要な要所でありここを王国連邦王立革命赤軍は攻略しようとしていたが猛反撃を食らい戦局が拮抗しかけていた。しかし、そのパイロットはこの飛行場に特攻を敢行。急降下爆撃によって格納庫に対して50㎏級の爆弾を十数発叩き込むとそのまま飛行場に向かって一直線に特攻し、飛行場の滑走路を大きく破壊することになり敵軍の航空戦力を大幅に低下させた。この戦闘により航空戦力を失った敵軍との戦闘を有利に進めシベリアグラードを奪還し、今後の戦闘に大きく役立ったとして国葬される結果となった。その後、北極海海戦などによって敵軍戦力を殲滅させるとキッド社会主義共和王国連邦はソビエツィア社会主義共和国連邦の復活を宣言した。ゲルマニア第5帝国は段階的にソビエツィア社会主義共和国連邦から撤退していくこととなる。
盗真克全面核戦争[編集]
第3次世界大戦中に、突如として大クルシア帝国連邦がマラッカ連邦に核弾頭を用いて核攻撃を敢行した。外交的対立があった両国ではあったが今回の核戦争はキッド社会主義共和王国連邦とマラッカ連邦両国も予想だにせず、すぐさま大クルシア帝国連邦に核攻撃で反撃。盗真克全面核戦争という結果となった。またキッド社会主義共和王国連邦は大クルシア帝国連邦と盗克協商条約を締結しており、その友好のあかしとして輸出厳禁の戦闘機を特別に供与していたのだ。この戦闘機の技術なdの横流しが行われないように、この戦闘機が配備されている箇所に最初に核攻撃を行った。この戦争がキッド社会主義共和王国連邦とマラッカ連邦が最初に行った核攻撃であった。この後大クルシア帝国連邦は降伏。赤化してクルシア共和国連邦となり社会主義国となった。また、この時に同時に伯国が独立した。
トルクジニア共和国降伏[編集]
モスクスターク第3社会主義共和国連邦との独立戦争に勝ち独立を宣言したトルクジニア共和国はその後ヨーロプス条約機構に加盟し第3次世界大戦を戦っていた。当初はゲルマニア第5帝国への対処もあり目立ってトルクジニア共和国への対応ができていなかったモスクスターク第3社会主義共和国連邦ではあったがキッド社会主義共和王国連邦がソビエツィア社会主義共和国連邦を解放し、ゲルマニア第5帝国の勢力を一掃すると、一気に反攻作戦に出る。この作戦は王国連邦王立革命赤軍とモスクスターク連邦共産軍との2正面作戦でありこの作戦をもろに受けたトルクジニア共和国は降伏した。
ゲルマニア海軍大臣拘束[編集]
ゲルマニア第5帝国において盗ソ全面戦争中に国内外が震撼するニュースが流れ込むことになる。当時のゲルマニア国防軍の海軍大臣が突如、ゲルマニア親衛隊のゲルマニア親衛隊の拘束下に置かれることになったのだ。国家反逆の疑いがあるとされ、海軍大臣自体は大きく反発したものの実際に証拠が出そろっており拘束から3年ほどたったある日にゲルマニア親衛隊の手によって処刑されることとなった。これにイメーワ同盟条約機構の主要加盟国であるキッド社会主義共和王国連邦やマラッカ連邦はゲルマニア親衛隊の国務長官であり、海軍大臣拘束・処刑の第1人者であるラインハルト・ヒムリドラが次期総統になることを恐れることとなった。理由はいたって簡単で、冷酷でアーリア人至上主義を強く信仰する彼であれば熱核戦争もいとわないと考えたからだ。そのため様々な暗殺計画などが立てられることになった。
キッド=スターヴ戦争[編集]
盗ソ全面戦争を勝利で納めたキッド社会主義共和王国連邦はスターヴ民主共和国に対して攻撃を開始した。第3次世界大戦を開戦から戦い続けていた精鋭たちはみなとてつもない勢いでスターヴ民主共和国の領内を食い荒らした。地上部隊は主要都市を中心に基本的に包囲殲滅していく戦術をとり包囲した状態の都市に空から爆撃を行い、スターヴ民主共和国軍を制圧していった。無論、この戦法による死者数は計り知れないものとはなったが戦争における基本的な戦術でもあった。結果的にスターヴ民主共和国は首都を包囲されると降伏。ついにイメーワ同盟条約機構の同盟連合軍や王国連邦王立革命赤軍はついにゲルマニア第5帝国と国境を接することとなった。
ゲルマニア第5帝国総統交代[編集]
ついにゲルマニア第5帝国とキッド社会主義共和王国連邦との国境が接したがこのタイミングでゲルマニア第5帝国国内で総統交代が発生した。今までの総統であったアドルフ・タヴォラー前総統から新たに総統となったのはキッド社会主義共和王国連邦やマラッカ連邦が最も危惧していたラインハルト・ヒムリドラ総統であり、ゲルマニア親衛隊による影響力の強化やさらなる国家ぐるみでのホロコーストの推進を推し進めた。また戦争において兵士として志願したものについて優遇するなどの措置をとり、現地人やゲルマニア第5帝国がウンターメッシュと称していた人種にも軍に入隊すれば扱いや境遇や良好になるとして実質的に徴兵した。
ゲルマニア=グラストアリア戦争[編集]
総統交代後ゲルマニア第5帝国はグラストアリア社会主義共和国連邦に対して侵攻を強めた。バルカン半島の1国であるグラストアリア社会主義共和国連邦は高い軍事力を有するとともにイメーワ同盟条約機構加盟国のゲルマニア第5帝国本土決戦などが発生した際に優位になるためであった。この戦争でゲルマニア国防軍はモスクスターク第3社会主義共和国連邦側の国境部を封鎖し遮断。地中海側に侵攻を深め海にたたき出した。その後グラストアリア社会主義共和国連邦が講和を求めると北半分を自国領としてグラストーリア国家弁務官区として編入した。
モグロー特別軍事作戦[編集]
瑛研共和国はゲルマニア第5帝国と単独講和を締結した後、モグロー自由共和国がヨーロプス条約機構から強制脱退処分となった後にモグロー特別軍事作戦として瑛研共和国がモグロー自由共和国に対して宣戦布告。戦争が勃発した。この戦争は正式には第3次世界大戦後に終戦した。
盗独全面核戦争[編集]
キッド社会主義共和王国連邦はついにゲルマニア第5帝国本土に対して侵攻を開始。まずは国家弁務官区の制圧から始まった。ここでキッド社会主義共和王国連邦はより効率的に国家弁務官区を制圧する作戦を考えていたが、王国連邦王立革命赤軍の立案した作戦が採用される。その作戦はゲルマニア第5帝国に存在するダムに対して攻撃を行い、戦力を喪失させる作戦であった。この作戦が承諾されるとすぐ攻撃は実行に移され、多くの軍人や民間人が死亡した。これに対してゲルマニア第5帝国は怒りを表明。そして必ず報いを受けさせるとした。するとゲルマニア第5帝国はイメーワ同盟条約機構加盟国であるキッド社会主義共和王国連邦とマラッカ連邦・アラビア社会主義共和国連邦に対して先制核攻撃を敢行。この攻撃が第3次世界大戦において絶対に避けるべきであった核戦争の開始であった。キッド社会主義共和王国連邦は今回の核攻撃を受けて今までの核反撃抑制を解除。反撃を承諾した。無論、このようなことをしようものなら核攻撃を食らった国は反撃する。しかしゲルマニア第5帝国も負けじと打ち返すという負の連鎖が続くことになるのだ。キッド社会主義共和王国連邦では独自の軍事システムであるKPZシステムが作動。熱核戦争対応システムが発動する初の出来事となった。ゲルマニア第5帝国は国家弁務官区領内や戦闘中の境界線に小型核弾頭を投下し、前線にいる王国連邦王立革命赤軍などを殲滅しようとした。この攻撃は成功をおさめ王国連邦王立革命赤軍は大きく損失を被ることになるが、熱核戦争になった時点で今まで以上の損失が出ることが予測されていたため、前線部隊には放射能防護服が与えられそのまま戦闘が続けられた。そして熱核戦争が続いていく中でゲルマニア第5帝国は徐々に追い詰められついに帝都ゲルマニアに王国連邦王立革命赤軍が入城する結果になるもラインハルト・ヒムリドラ総統は総統地下壕に隠れながら戦争を継続した。最終的にこの核戦争は数年間にわたり続くこととなるが王国連邦王立革命赤軍の部隊が総統地下壕へ侵入することに成功。最終的に当時の親衛隊国家長官であるオルデンシュタイン親衛隊国家長官とラインハルト・ヒムリドラ総統が発見された。結果的に降伏が宣言され第3次世界大戦はイメーワ同盟条約機構側の戦勝で幕を下ろすことになった。
kidグラード講和条約[編集]
終戦後、kidグラードで講和会議が開かれることとなりのちにkidグラード講和条約と呼ばれる講和条約が成立した。以下が講和条約の内容である。
キッド社会主義共和王国連邦 ゲルマニア第5帝国からモーリシャス諸島・セーシェル諸島をアジア保安のために割譲し、ヨーロプス条約機構加盟国に対して500億円ずつの賠償金を請求し、ゲルマニア第5帝国には空母10隻、戦艦10隻、巡洋艦10隻、イージス艦10隻、駆逐艦10隻からなる大艦隊の要求や工場の利用や軍事通行権と在留軍派遣権などを求める。その他、ヨーロプス条約機構加盟国に対して資源採掘権3割、機甲師団15師団・航空師団15師団を要求し、そして江東共和国を傀儡国化し江東社会主義共和国となることを要求し、またゲルマニア第5帝国に核弾頭保有制限を設けて10000発までの保有制限を設けることを要求した。
インパルバスタン社会主義共和国連邦 戦争賠償金としてゲルマニア第5帝国に300億円、その他の国に150億円を請求し、カナダル合衆連邦に対して30隻規模の主力艦隊を要求し、資源採掘権1.5割と工場利用権を要求した。
ソビエツィア社会主義共和国連邦 ソビエツィア社会主義共和国連邦はスターヴ民主共和国の資源採掘権3割と50隻規模の艦隊を接収し、軍需工場と民需工場1割の利用権を要求し江東共和国とスターヴ民主共和国から100億円ずつの賠償金を請求した。
モスクスターク第3社会主義共和国連邦 モスクスターク連邦はトルクジニア共和国を全土奪還し、これを支援したカナダル合衆連邦に対し大西洋沿岸部を5か月間租借、150億円の賠償金、3師団の機甲師団、造船所、工場の利用権を要求した。
カメルーン・アフリカ軍政社会主義国家 カメルーン・アフリカ軍政社会主義国家はアフリカ最大の戦争被害国としてヨーロプス条約機構加盟国に対して250億円ずつの賠償金を請求し、スターヴ民主共和国に対して50隻規模の艦隊や在留軍派遣権を要求した。
大日本帝国 大日本帝国政府はゲルマニア第5帝国に対して500億円の戦争賠償金を請求し軍港の利用権と軍民両工場の利用権1.5割と軍事通行権並びに在留軍派遣権を要求した。また第2次大東亜戦争によってアメリスク社会主義共和国連邦の西海岸やアラスカを総督府として、他のアメリスク社会主義共和国連邦の地域を大日本帝国領アメリスク保護帝国として全土を実質的に併合した。
アラビア社会主義共和国連邦 アラビア社会主義共和国連邦は、タンカーの破壊などを行われたことを理由に、ヨーロプス条約機構加盟国に75億円ずつの賠償金を請求し、ゲルマニア第5帝国に対してタンカー5隻と30隻規模の3個艦隊を要求。またゲルマニア第5帝国は戦争賠償金を300億円支払うように要求した。
ウェストインシャン人民共和国連邦 ウェストインシャン人民共和国連邦はゲルマニア第5帝国に対して85億円の賠償金と機甲師団3師団を要求、また軍港の3か月間の租借を要求した。
アフリカ共産主義同盟連邦 アフリカ共産主義同盟連邦はこの戦争にそこまで介入していないために戦争賠償金はヨーロプス条約機構加盟国に50億円ずつとして、江東共和国西部にイメーワ同盟条約機構アジア総合管轄区の設置を要求した。
グラストアリア社会主義共和国連邦 グラストアリア社会主義共和国連邦はこの戦争においてゲルマニア第5帝国に対して機甲師団5師団の要求とスターヴ民主共和国から1個艦隊の要求、ヨーロプス条約機構加盟国に賠償金130億円を要求した。
マラッカ連邦 ヨーロプス条約機構加盟国へ賠償金500億円を要求しゲルマニア第5帝国へ軍駐留権・軍事通行権・航空師団15個・戦車師団15個・歩兵師団15個・艦艇合計60隻(内訳)戦艦10航空母艦15巡洋艦15駆逐艦20・核爆弾300個、核ミサイル250発を接収することを要求した。
セブスタン社会主義共和国連邦 セブスタン社会主義共和国連邦は、核爆弾を落とされた国としてヨーロプス条約機構加盟国全国に対して300億円の賠償金を要求し、カナダル合衆連邦に対して北東部の諸島の放棄を要求した。
敗戦国
カナダル合衆連邦 カナダル合衆連邦は巨額の賠償金や師団・艦隊の譲渡、在留軍の監視などにより大きく衰退した。またイメーワ同盟条約機構の管轄区の設置などで領土も縮小された。
江東共和国 江東共和国も大国に挟まれる立場となり軍事的利点が焼失し、キッド社会主義共和王国連邦に傀儡化されたことにより江東社会主義共和国となった。そして西側にはイメーワ同盟条約機構の管轄区があり、今では親盗政権となっている。
スターヴ民主共和国 スターヴ民主共和国はイメーワ同盟条約機構加盟国に多額の賠償金や師団を譲渡することになった。
ゲルマニア第5帝国 ゲルマニア第5帝国はこの大戦で核兵器を利用した国ということもあり高い賠償を迫られたが最列強国、そして国連常任理事国のファシスト陸軍列強国家としてドイツや旧ウドゥグルスタン社会主義共和国連邦地域・旧グラストアリア社会主義共和国連邦北部の広大な領土に君臨している。
トルクジニア共和国 トルクジニア共和国は独立を支援したものや首謀者には厳しい罰則が与えられ、娯楽もない収容所で過酷な労働を強いられることとなり、それを用いてモスクスターク第3社会主義共和国連邦は貿易を進めている。しかし、今となってはモスクスターク第3社会主義共和国連邦がモスクスターク・キッド社会主義共和王国として連邦への編入を求めている。
アメリスク社会主義共和国連邦 大日本帝国による核攻撃で国家機構はもはやないも同然の状態にされ戦争を遂行した政権は大日本帝国による圧力によって倒されることとなり親日政権が誕生。大日本帝国のもとで統治されることになる。
以下の要求が全面的に飲まれることとなり、正式に第3次世界大戦はkidグラード講和条約の発布とともに終戦した。