第2次大東亜戦争

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第2次大東亜戦争とはマイクラ戦闘地帯 EBB戦線で起きた戦争の一つであり第3次世界大戦中に起きた戦争の一つである。この戦争においては別の戦争を誘発させるなどといった事案も発生し第3次世界大戦中に起きた戦争の中ではかなり長い戦争となった。

概要[編集]

EBB歴2026年より開戦したこの戦争はその後5年間続き2030年まで続いた。この戦争の発端はアメリスク社会主義共和国連邦大日本帝国カナダル合衆連邦との戦闘を行った際に軍政下においたハワイ諸島ミッドウェー諸島を自国に変換するように迫った。だがしかし大日本帝国も犠牲の払った戦争には戦利品が必要だとしてこれを拒否。戦略上重要拠点であるハワイ諸島を返還するのはもっての外であるとした。しかしアメリスク社会主義共和国連邦もここでは引かず今度は返還に応じない場合はアメリスク社会主義共和国連邦領内の大日本帝国の資産をすべて凍結するという最後通牒を突き付けた。しかしこれにも大日本帝国は応じなかった。というのもすでにこの声明が出された時点で大日本帝国内の世論はすでに対米開戦やむなしの動きが広まっていた。そしてアメリスク社会主義共和国連邦大日本帝国資産を凍結。これが決め手となり大日本帝国アメリスク社会主義共和国連邦に対して宣戦布告。第2次大東亜戦争が勃発した。

第2次米真戦争[編集]

第2次大東亜戦争が開戦するともう一つ偶発的に戦争が勃発することになった。それが第2次米真戦争だ。第1次米真戦争終戦後、マラッカ連邦国内ではアメリスク赤軍が戦闘で被害を被った地の戦後復興に協力しており多数の部隊が治安維持や建物の再建に従事していた。しかし第2次大東亜戦争が勃発すると、大東亜共栄圏の条項に基づきマラッカ連邦アメリスク社会主義共和国連邦に宣戦布告。この報を聞いたアメリスク赤軍はすぐさま終結するとマウント・オーガスタス要塞などを占領するなどの動きを見せた。これはマラッカ連邦の失敗の一つであり、宣戦布告と同時に自国内で本土決戦をすることになったのだ。しかし詳しい詳細はここでは省略する。

ハワイ諸島撤退作戦[編集]

第2次米真戦争におけるマラッカ連邦劣勢を受けてハワイ諸島を占領していた大日本帝国軍マラッカ連邦軍ハワイ諸島からの撤退を決定。すぐさま撤退作戦が行われた。この撤退作戦は結果的に成功し損害なしで撤退することに成功する。その後アメリスク赤軍ハワイ諸島に対して上陸を行い無血占領した。

比律攻防戦[編集]

大日本帝国の大本営はアメリスク赤軍がすでに自国領の近くまで来ていると確信しており帝国海軍聯合艦隊を大東亜連合国沖(比律沖|フィリピン沖)へと向かわせていた。そして数日後帝国海軍のレーダー基地が米太平洋艦隊を補足。帝国海軍聯合艦隊は即座に比律沖へと出撃し海戦の用意を整えた。そこからさらに数日後ついに帝国海軍聯合艦隊はついに米太平洋艦隊と上陸部隊を補足。比律沖海戦が勃発した。この海戦では超大和型戦艦と大和型戦艦が大いに活躍し米太平洋艦隊に対する砲撃を行い続け多数の艦艇を沈めた。そしてアメリスク太平洋艦隊は戦艦2隻と空母2隻が撃沈され巡洋艦4隻・駆逐艦2隻も撃沈された。また戦艦1隻が大破、巡洋艦1隻と駆逐艦4隻が中破となり対する帝国海軍聯合艦隊は戦艦1隻が中破するも撃沈されたものは巡洋艦3隻と駆逐艦7隻にとどめることに成功し海戦に勝利した。しかし、上陸部隊は大東亜連合国への上陸を敢行し陸上で戦闘が行われた。しかしここで帝国陸軍帝国空軍大東亜連合国軍が奮戦し、防衛線を構築。ここで1か月ほどの長期戦に持ち込んだ。するとだんだんと疲弊してきたアメリスク赤軍に対してついに帝国陸軍大東亜連合国軍は反攻作戦を開始。この反攻作戦は大成功をおさめ、アメリスク赤軍は太平洋にたたき出された。

硫黄島の戦い[編集]

比律攻防戦が起きているさなかアメリスク赤軍はより重要な戦略地域である硫黄島に対する上陸作戦を行おうとしていた。が、しかしこの動きに気づいた帝国海軍第1機動艦隊は圧倒的数的不利にもかかわらず米太平洋艦隊の硫黄島攻略部隊と戦闘を開始、硫黄島沖海戦が勃発した。扶桑型戦艦を旗艦とする第1機動艦隊は先制攻撃で戦闘を開始。アメリスク赤軍の戦艦1隻を海の底へと葬った。しかしやはり数的不利がここで邪魔をし、苦戦を強いられるさなか、アメリスク赤軍は硫黄島上陸を成功させる。だがしかし、ここで帝国陸軍が過去の防衛線を利用した戦闘を開始する。硫黄島は第1次大東亜戦争時にすでに要塞化されており摺鉢山の砲台陣地や地下壕などといった施設が張り巡らされ半斜面陣地なども利用し防衛戦闘を開始した。アメリスク赤軍はこれに大いに苦しめられすぐに硫黄島から撤退。また一度第1機動艦隊は撤退したが帝国海軍聯合艦隊が帰還すると出撃し戦闘に加担。この戦闘でさらにアメリスク赤軍は戦艦1隻と空母2隻、巡洋艦3隻を一挙に失うことになる。これ以降の損失は認められないと判断したアメリスク赤軍は全部隊が硫黄島から撤退していった。そして東南アジアからもある程度米軍が消えたことを確認したところで大日本帝国は反攻作戦のチャンスととらえハワイ諸島奪還へ動き始めた。

ハワイ諸島奪還作戦[編集]

日本軍は比律攻防戦や硫黄島の戦いで敵軍戦力を大幅に削ることに成功したと判断し、ハワイ諸島の奪還作戦を発動した。そして1週間後に帝国海軍聯合艦隊は帝国陸軍帝国海軍陸戦隊などのお上陸部隊を引き連れてハワイ諸島近海へ航行した。そしてハワイ諸島沖2500㎞のところでアメリスク赤軍空母機動艦隊と接敵するも帝国海軍聯合艦隊がこれを圧倒。航空母艦の撃沈までには至らなかったが多数の巡洋艦や駆逐艦の撃沈に成功し米空母機動艦隊は撤退した。そのままハワイ諸島へと上陸作戦を行おうとしたその時、帝国海軍聯合艦隊はレーダーによってアメリスク赤軍太平洋艦隊の全戦力を視認。第2次大東亜戦争における最大規模の海戦である真珠湾海戦が勃発した。

真珠湾海戦[編集]

帝国海軍聯合艦隊とアメリスク赤軍太平洋艦隊は真珠湾において決戦を展開した。まずは上空において両軍の戦闘機による激しい制空戦闘が勃発した。そんな中帝国海軍航空隊の攻撃部隊が米海軍巡洋艦に対する熾烈な攻撃を敢行した。この攻撃により巡洋艦は轟沈。また薩摩を中心とする戦艦隊の砲撃でアメリスク赤軍の戦艦2隻と空母1隻が撃沈・大破となる。負けじとアメリスク赤軍も反撃を行い、これが運悪く帝国海軍の千歳型航空母艦の2番艦千代田に命中し轟沈。また閃龍型戦艦と呼ばれる戦艦の2番艦日龍にも敵巡洋艦の放った対艦巡航ミサイルが集中的に着弾し海へと沈んでいった。そのまま多数の軍艦が互いに撃沈されていった。がしかし、ここで帝国海軍はついに最終兵器を利用する。戦艦薩摩の主砲がある砲弾を放った。それが着弾すると着弾地点に核爆発が発生したのだ。日本軍が極秘に開発していた核砲弾と呼ばれる新型の核兵器を利用したのだ。この攻撃によりアメリスク赤軍太平洋艦隊とハワイ諸島にいた部隊は壊滅。帝国陸軍はここに上陸し同地を奪還するのであった。

あ号作戦[編集]

日本軍大本営はハワイ諸島に対する核攻撃を敢行し同地を占領するとあ号作戦と呼ばれる作戦を発動した。この作戦で大日本帝国アメリスク社会主義共和国連邦西海岸へ強襲上陸を敢行し上陸した。そして日本軍は西海岸の主要都市を占領することに成功する。この段階で大日本帝国アメリスク社会主義共和国連邦に対して降伏勧告を送り付けたがアメリスク社会主義共和国連邦は案の定これを拒否。結果的に史上最悪の攻撃が起こる原因となる。

アメリスク本土核攻撃[編集]

日本軍アメリスク社会主義共和国連邦の降伏勧告拒否を受けてアメリスク社会主義共和国連邦本土への核攻撃を決断する。そしてアメリスク社会主義共和国連邦の主要都市50か所に対して核攻撃を行い破壊した。これによりアメリスク社会主義共和国連邦は名実ともに崩壊し国家としての機能を失う。これによりこれ以降の戦争継続は不可能と考えたアメリスク社会主義共和国連邦大日本帝国に対して無条件降伏した。

東京講和条約[編集]

アメリカ西海岸地域とアラスカの割譲、ハワイ諸島とミッドウェー諸島の領有の容認、並びに戦争賠償金500億円とアメリスク連邦大日本帝国領アメリスク保護帝国としての大日本帝国領有下・影響下での傀儡国化を行い、同地域における資源採掘権や軍の指揮権、在留軍派遣権を要求した。また大日本帝国領アメリスク保護帝国大東亜共栄圏加盟も決定された。アメリスク社会主義共和国連邦はこれを全面的に容認。世界からアメリスク社会主義共和国連邦という国は消え去ることとなった。