梅宮辰夫

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うめみや たつお
梅宮 辰夫
本名梅宮 辰雄
生年月日1938年3月11日(86歳)
没年月日2019年12月12日(満81歳没)
出生地ハルビン
出身地日本
職業俳優タレント実業家
活動期間1959年 - 2019年
活動内容映画テレビドラマバラエティ番組
配偶者梅宮クラウディア
著名な家族梅宮アンナ(娘)
梅宮万紗子(姪)
梅宮亜須加(姪)
主な作品
テレビドラマ
前略おふくろ様
新・夜明けの刑事
明日の刑事
江戸プロフェッショナル・必殺商売人
大激闘マッドポリス'80
特命刑事
スクール☆ウォーズ
はぐれ刑事純情派』シリーズ
特命係長 只野仁』シリーズ
映画
夜の青春シリーズ
夜の歌謡シリーズ
不良番長』シリーズ
帝王シリーズ
仁義なき戦いシリーズ

梅宮 辰夫(うめみや たつお、昭和13年(1938年3月11日 - 令和元年(2019年12月12日)は、日本俳優タレント司会者実業家身長174cm、血液型A型。所属事務所は株式会社グッデイ(東京・赤坂)。娘はモデル・タレントの梅宮アンナ。本名は辰雄

経歴[編集]

昭和・平成を代表する俳優として[編集]

昭和13年(1938年)に中国・ハルビン市で生まれる。父は満鉄病院の医師であった。昭和20年(1945年8月に日本が敗戦すると、翌昭和21年(1946年)に日本に引き揚げた。

当初は父と同じ医師を目指していたが、医学部に落ちてしまい、日本大学法学部に進学する。在学中に銀座でスカウトされ、東京ニューフェース5期生として合格する。昭和34年(1959年)に映画「少年探偵団」シリーズで主演デビューを果たす。その後は「遊星王子」などヒーロー映画に主演し、昭和43年(1968年)から「不良番長」「帝王」シリーズなどで主演を努め、東映の看板スターとなる。同時期に銀座のクラブに通って日活石原裕次郎大映勝新太郎と並んで「モテ男」を張り合った。付き合っている女は常に10人以上いると豪語したこともある。

昭和48年(1973年)に映画「仁義なき戦い」シリーズに出演し、それを皮切りに「前略おふくろ様」など多くのドラマに出演。1980年代になると「くいしん坊! 万才」の6代目のリポーターも努め、お茶の間の人気者としてその存在を知られるようになった。なお、デビュー時は「1本3万円」の出演料が仁義においては「1本で数百万円もらった」と梅宮自身が明かしている。

梅宮は俳優以外にも多趣味であり、料理や釣り、ライフル射撃と腕前はいずれもプロ並みの腕前を持っていたという。伊豆に親友の松方弘樹とフィッシングに出かけることも多かった。実業家としては「梅宮辰夫漬物本舗」の漬物「辰っちゃん漬」を開発し、販売店を平成元年(1989年8月長野県軽井沢にオープンさせると、フランチャイズ化して一気に100店舗レベルの全国展開を遂げる。平成6年(1994年7月には東京の目黒区コロッケ店・梅辰亭をオープンさせ、梅宮自身が考案した「梅宮コロッケ」「すきやきコロッケ」などを店頭に並べていた。梅宮自身は「月600万円(の売り上げ)を目指す」と言っていたが、残念ながら月500万円の売り上げでわずかに及ばなかった。また愛知県名古屋市で焼肉店・「炎園」の事業にも関与している。料理の腕でも平成6年(1994年)11月フジテレビ系料理番組「料理の鉄人」に出演して和食の鉄人といわれた道場六三郎に挑戦したり、神奈川県湯河原で「梅宮辰夫と鍋自慢大集合」と題した鍋料理コンテストを開催したりしている。

闘病[編集]

一方で若い頃から闘病を繰り返していた。昭和48年(1974年)、36歳のときに睾丸癌にかかり、これが左のに転移してしまう。平成23年(2011年)から平成24年(2012年)にかけては初期の胃癌が見つかった。平成28年(2016年7月には十二指腸乳頭部癌が見つかり、12時間に及ぶ大手術を受けて平成29年(2017年1月に復帰する。しかし平成30年(2018年9月前立腺癌が、平成31年(2019年)1月には尿管癌が見つかり、いずれも手術を受けるなど、合計6つの癌に見舞われていずれも克服してきている。

私生活[編集]

梅宮は昭和34年(1968年)に銀座のホステスと結婚したが、半年で離婚している。その4年後、銀座のクラブで働いていたアメリカ国籍の女性・クラウディアと再婚する。再婚した年に長女・アンナが生まれている。

梅宮はアンナを溺愛し「アンナパパ」と言われるほどだった。生まれて2年後に癌を発病すると、少しでもアンナと一緒にいたいという考えから銀座通いと1日4箱吸っていた煙草をやめたという逸話もある。平成6年(1994年)にアンナが羽賀研二と交際を始めると、梅宮は羽賀の素行などから「誠意を感じられない」としてその交際に反対し、このときの梅宮の「誠意」という言葉は流行語となり、羽賀は「誠意大将軍」の異名をとるようになった。

平成14年(2002年)にはアンナが子供を生んでいるが、梅宮にとっては孫に当たる。この孫の父親のように梅宮は接していたという。

晩年[編集]

梅宮と兄弟の仲にあった山城新伍、盟友の松方弘樹と昭和を代表するスターが次々と亡くなってゆく中で、梅宮は「昭和のスターの生き残り」を自称していた。しかし平成31年(2019年)3月になると体調の悪化から人工透析を受けていたという。そのため晩年は車椅子生活も多かった。

最後の仕事は令和元年(2019年)10月17日の「やすらぎの刻」の収録であった。これは脚本を担当する旧友・倉本聰の依頼による出演であったという。

12月11日、梅宮は病院で人工透析を受け、「疲れた」と言って病院で1時間ほど仮眠をとって帰宅したが、神奈川県真鶴町の自宅に帰宅後、腰が痛いと言ってソファで午後5時過ぎに寝てしまった。翌12月12日午前3時頃、妻のクラウディアが梅宮の異変に気づき、神奈川県内の病院に救急搬送された。この時点で脈は無かったという。

梅宮の異変を知ったアンナが急いで駆けつけ、妻とアンナ、孫に看取られながら、同日午前7時40分に慢性腎不全のため、神奈川県内の病院で死去した。81歳没。

逸話[編集]

2018年2月に梅宮はインタビューを受けた際に、平成時代のフレンドリーな芸能人のことを『芸能人ではない』と厳しい言葉で指弾している。梅宮によると「テレビ局の放送要員としか映らない。放送局のスタッフと同じ。それだけです」と続けている。

独身時代は「銀座の帝王」と呼ばれ、「1週間の日にちよりも、交際する女性の数のほうが多かった」と述べたりしている。ただ梅宮は後に「映画俳優は銀座の女性にもててナンボ」と述べたりしている。遊び人のイメージが強いが、大学時代は剣道部に所属して道場に住み込んで合宿生活をしたりしていたという。

梅宮は亡くなる年の3月7日発売の週刊新潮に「僕がテレビに出なくなった理由ははっきりしています。単純に今の芸能界が心底、面白くないからです」「最近は顔つきも物腰も柔和な芸能人ばかりが幅利かせていて腹が立つ。そんなに庶民的になってどうするの」と訴えていた。自身の俳優観については「昭和の時代のように圧倒的な輝きやオーラを放つ俳優が見当たらない。芸能人は手の届かない存在でいなければ価値が無い」と語っている。その上で「本音を言えば僕も引退したいですよ。でも、このまま芸能界を去るのはしゃくなんです。俳優が俳優らしく生きられた昭和の芸能界に引き戻したい。俳優はCMに出演することじゃなく、芝居を見せるのが仕事」と続けている。

家族[編集]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

オリジナルビデオ[編集]

  • 殺しのメロディ Lady Smith(1990年)
  • 河内残侠伝 軍鶏(1991年)
  • 塀の中の懲りない奴ら!(1993年)
  • 極道おとこ塾(1995年)
  • 修羅がゆく4 東京大戦争(1997年)特別出演
  • 殺し屋PAZUZU(2000年)
  • 日本極道史 誇り高き戦い(2000年)
  • 広島やくざ戦争(2000年)
    • 広島やくざ戦争 完結篇(2000年)
    • 続・広島やくざ戦争(2001年)
  • 実録 絶縁(2001年)
  • 九州マフィア外伝(2001年)
  • 修羅の群れ(2002年) - 関山勝
  • 実録・大阪やくざ戦争 報復(2002年)
  • 修羅の群れ (2002年)
  • 実録・山陽道やくざ戦争 覇道 完結編(2002年)
  • 六本木 錬金の帝王 カポネ(2003年)
  • 実録・東北やくざ戦争 覇桜の道(2003年)
  • やくざの詩 OKITE 掟(2003年)
  • 実録 広島四代目 第一次抗争編(2004年)
    • 実録 広島四代目 第二次抗争編(2004年)
    • 実録 広島四代目 抗争完結編(2004年)
  • 新・日本の首領(2004年 - 2006年、全9巻) - 遠山建設社長 遠山実
  • 実録・籠寅三代目 合田幸一(2004年)任侠修業篇
    • 実録・籠寅三代目 合田幸一(2004年)名門継承篇
    • 実録・籠寅三代目 合田幸一(2004年)関西二十日会篇
  • 実録 東声会 初代 町井久之(2006年)
  • デコトラの鷲 其の五 火の国熊本親子特急便(2008年)
  • 千年の松 完結編(2009年)
  • 日本統一 1 - 3(2013年) - 五代目至誠会会長 川端忠雄

テレビアニメ[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

歌唱[編集]

シングル[編集]

  • 母恋いやくざ / 銀座の風来坊(1962年。ビクター VS-753)
  • 遊侠三代 / さかずき節(1966年。コロムビア SAS-678)
  • 夢は夜ひらく / 憎いあん畜生(1966年。コロムビア SAS-781)
  • 番長シャロック(『不良番長』主題歌) / 盃よお前だけ(テイチク A-21)
  • 番長ブルース(『番長シリーズ』主題歌) / おれは番長(テイチク A-32)
  • 番長新宿仁義(『番長シリーズ』主題歌) / 夢は夜ひらく(テイチク A-39)
  • 番長数え唄(『番長シリーズ』主題歌) / 野良犬(テイチク A-45)
  • 男・番長流れ星(『番長シリーズ』主題歌) / 番外地ブルース(テイチク A-48)
  • ダイナマイト・ロック / ウッシッシ節(1970年。テイチク A-55)
  • シンボル・ロック(『夜遊びの帝王』[1] 主題歌) / 夜は俺のもの(1970年。テイチク A-63。のちに発売禁止。その後CD化されて発売される)
  • 梅宮辰夫の東京流れ唄 / 番長(テイチク A-69)
  • 柄じゃなかった恋なんか / 男泣かせの霧が降る(テイチク A-71)
  • 辰ちゃんの青春日記 / 辰兄いの三度笠(1971年、テイチク A-73)
  • 悔恨の唄 / さすらいのワルツ(1971年、テイチク A-77)
  • 生きて行こうよ / ジンと来るんだ(テイチク A-80)
  • 盛り場番長 / 人生劇場(テイチク)
  • もてたつもりの数え唄 / 女町みれん(ミノルフォンレコード KA-554)
  • つよがり / 男ひとり(1982年、コロムビア 7DX-1187)

アルバム[編集]

  • 夜遊びの帝王(テイチク ASL-3)
  • 人生劇場/不良番長(テイチク AT-1)
  • 男の演歌(ユニオン ULP-2012)
  • 梅宮辰夫ザ・ベスト(2018年1月24日 MW RECORDS DLCR-18013)

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. 夜遊びの帝王”. 東映チャンネル. 2014年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月30日確認。

外部リンク[編集]