北海道日本ハムファイターズ
所属連盟 | パ・リーグ |
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運営会社 | 株式会社北海道日本ハムファイターズ |
オーナー | 畑佳秀 |
監督 | 新庄剛志 |
リーグ優勝回数 | 7回(優勝年:1962、1980、2006、2007、2009、2012、2016) |
日本シリーズ優勝回数 | 3回(優勝年:1962、2006、2012) |
永久欠番 | 100 |
北海道日本ハムファイターズ (ほっかいどうにっぽんハムファイターズ、英語:Hokkaido Nippon-Ham Fighters) は、パシフィックリーグに所属する日本のプロ野球チーム。
北海道をフランチャイズおよび一軍の本拠地としている。
二軍はイースタン・リーグの大半が関東地方に集中していることもあり、千葉県鎌ケ谷市にあるファイターズスタジアムを本拠地としている。
プロフィール[編集]
- 会社名 - 株式会社北海道日本ハムファイターズ
- 球団名 - 北海道日本ハムファイターズ
- 親会社 - 日本ハム
- 創設年度 - 1946年
- オーナー - 末澤壽一
- 球団歌 - ファイターズ讃歌
- リーグ優勝 - 7回
- 日本一 - 3回
- 日本一は3回と比較的少ない。
各年度の記録[編集]
- 大まかな記録
- 2012年 - リーグ優勝 (クライマックスシリーズ優勝、日本シリーズ敗退)
- 2013年 - 6位
詳細の記録[編集]
2010年代[編集]
最初の2年間は低調だったものの、2012年に栗山英樹監督が就任すると常勝軍団になり、2012年・2016年にはリーグ優勝、2016年には日本一に輝いた。大谷翔平や清宮幸太郎といった名選手が入団したのもこの頃である。
2012年[編集]
- リーグ戦 - リーグ優勝
- クライマックスシリーズ - 優勝
- 日本シリーズ - 敗退
この年から監督に栗山英樹が就任、1年目で早速リーグ優勝を果たした。日本シリーズでは読売ジャイアンツと対戦するも敗退。この年のドラフト会議では花巻東高等学校から大谷翔平を単独1位指名で獲得。
2016年[編集]
- リーグ戦 - 優勝
- クライマックスシリーズ - 優勝
- 日本シリーズ - 優勝
栗山監督5年目のシーズン。9月28日 (対西武戦) でリーグ優勝決定。広島東洋カープとの日本シリーズでは4勝2敗で勝利し、10年ぶり3回目の日本一を勝ち取った。
2017年[編集]
- リーグ戦 - 5位
栗山監督6年目のシーズン。2013年以来のBクラス転落。ドラフト会議では清宮幸太郎を8球団競合 (ロッテ・ヤクルト・日本ハム・巨人・楽天・阪神・ソフトバンク) の末獲得、一方で大谷翔平がメジャーリーグ・ロサンゼルス・エンゼルスに、増井浩俊がオリックス・バファローズに移籍した。この年の選手の動向が、2017年の今年の漢字に 「北」 が選ばれる一因となった。
2021年[編集]
- リーグ戦 - 5位
栗山監督10年目のシーズンを迎えたが、Bクラスで低迷。この年、清宮幸太郎は1軍昇格無く不振。不振が続いた斎藤佑樹も遂に引退を決意した。終盤には不振の責任を取り、栗山英樹監督が今季限りでの勇退を決めた。
2022年[編集]
- リーグ戦 - 6位
栗山監督の後任として、球団OBの新庄剛志が現場経験無しで、監督としてチームの指揮を取ることになった。新庄は「監督」の代わりに「BIGBOSS」の愛称を使うなど、開幕前から話題を提供した。5月6日に開幕33試合目で早くも自力優勝が消滅した。支配下登録選手を目一杯使い倒して『「優勝は狙いません」の「公約」を果たした格好になった。』とし、本拠地の札幌ドーム最終戦で「BIGBOSS」のユニフォームを脱ぎ一瞬去就が注目されたが、ファンの後押しで「留任」を許してもらった。
オフシーズンには、10人近くの戦力外通告を出し、新庄監督就任前は盛り上げ大将だった杉谷拳士も引退を決意した。
2023年[編集]
- リーグ戦 - 6位
「脱・BIGBOSS」を図り、前年度最下位からの巻き返しを図る。5・6月ごろには好調を維持し、一時的に4位まで浮上するも、7月に入り13連敗を喫し、勢いが失速。最終的に最下位に終わった。その一方で、新球場の運営は好調であり、エスコンフィールドの入賞者数は300万人を突破し、純利益26億円となる見通しである。個人成績では万波中正のブレイクや田中正義の守護神固定化、新加入した加藤豪将・郡司裕也なども覚醒の兆しが見られた。
オフシーズンには、上沢直之がポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦、加藤貴之のFA残留、FAで山崎福也の獲得や吉田輝星とオリックス・黒木優太との交換トレードが発表された。
2024年[編集]
- リーグ戦 -
- 新庄監督3年目。
球団史[編集]
- 1945年 - セネターズ(2代目)として創設
- 1946年 - 東急に身売りし、東急フライヤーズに改称
- 1948年 - この年だけ大映が経営参画し、急映フライヤーズとなる。
- 1949年 - パリーグに加盟
- 1953年 - 東急が沿線に駒沢球場を開設。
- 1954年 - 東映に事実上の身売り。東映フライヤーズとなる。
- 1962年 - 本拠地を神宮球場に移転
- 1964年 - 本拠地を後楽園球場に移転。以降2004年まで、読売ジャイアンツと同じ本拠地となる。
- 1973年 - 日拓ホームに身売り。日拓ホームフライヤーズとなる。
- 1974年 - 徳島県発祥の関西系企業日本ハムに身売り。日本ハムファイターズとなる。
- 1988年 - 本拠地を東京ドームに移転。
- 2004年 - 本拠地を札幌市の札幌ドームに移転。現球団名となり、北海道の企業からの出資も受ける。
- 2023年1月 - 球団本社を札幌市豊平区羊ヶ丘1から北広島市のES CON FIELD HOKKAIDO内に移転。
- 2023年3月 - 本拠地を北広島市のES CON FIELD HOKKAIDOに移転。
ファンを公言する有名人[編集]
- 明石家さんま - 親友である木田優夫ゼネラルマネージャー補佐の影響でファンになり、ファンクラブの名誉師匠にも就任。
- 伊集院光 - ラジオ番組で 「巨人は大嫌い」 と発言。後楽園球場本拠地時代からのファンとも公言。
- 大泉洋 - 札幌ドーム移転を機に巨人ファンから鞍替え。
- 蛍原徹 (雨上がり決死隊) - 北海道好きということもありプロ野球は日本ハムファン。
関連項目[編集]