トロッコファミリー号
トロッコファミリー号(トロッコファミリーごう)とは、かつて飯田線豊橋 - 中部天竜間で運転されていた観光列車である。
概要[編集]
国鉄越美南線で1985年(昭和60年)に運転を開始した「清流ながら号」が同線の第三セクター転換によって運転できなくなり、余剰となっていた車両を使用して設定されたのが本列車である。
1989年からはED18形やEF58形が本列車を牽引して人気を博したが、2005年のED18形の致命的故障による運用離脱により2006年5月を以て運転を終了した。
車両[編集]
運行開始当初はオハフ46形2両で簡易な座席・屋根・貫通路を設置したトラ90000形3両を挟む編成をDE10形が牽引していた。1989年からは前述の通りEF58形による牽引を開始。1992年には佐久間レールパークで静態保存されていたED18形を動態復帰させて本列車の牽引に充てた。
1992年より控車のオハフ46形のうち1両がスハフ12形とオハ12形へ置換えられ、93年にはトロッコ客車の定員増加のためパレット荷物車のマニ44形から改造されたオハフ17形でもう1両のオハフ46形を置換えた。1996年にはトラ90000形置換えのためにオハフ17形がもう1両追加され、基本編成がスハフ12×2とオハフ17×2の4両編成となった。
運行概況[編集]
主に春から夏の行楽シーズンの土日祝日と春休み・夏休み期間中のほぼ毎日に運転する臨時快速列車だった。
座席は全車両指定で、1枚の指定席券で控車とトロッコ車両のどちらにも着席可能としていた。そのため号車番号も晩年の編成では控車で1・2号車、トロッコ車両で1・2号車が振られていた。
運行開始から2001年までは中部天竜駅で機回し作業を行わず、列車を一度水窪駅まで回送して機回しを行っていた。しかし水窪駅の業務委託化で同駅での機回しができなくなり、機回しは中部天竜での実施に改められた。
Nゲージでの製品化[編集]
残念ながらNゲージでの製品化にはあまり恵まれておらず、マイクロエースが1992年以降のオハフ46とトラ90000の編成にEF58 122号機をセットにしたものが発売されただけで、晩年のスハフ12とオハフ17の4両編成はさいどらいん製のキットを組み立てるかグリーンマックスのマニ44形キットから改造、スハフ12は完成品を塗り替える形でないと入手できない。
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