鉄道駅の改称
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鉄道駅の改称では鉄道駅の改称について述べる。
国内の改称の事由[編集]
自治体名の変更[編集]
何らかの事由により、駅所在地の自治体名が変更されると、それに合わせる形で鉄道駅の名称も変更されることがある。
例として、
- 北海道の国鉄函館本線の狩太駅は、所在地の村名(狩太村、後に町制施行)に由来する名称であった。近隣の山であるニセコアンヌプリが国定公園に指定されたことをきっかけに、観光開発の観点から町名が「ニセコ町」へ変更されると、ニセコ町は駅名の変更も「ニセコ駅」にするよう国鉄に要請したが、近隣の町村から「山の名を独占している」として反対する声が上がったため駅名変更が町名変更よりも4年遅れた。
- 神奈川県の与瀬町が相模湖町に改称された際、鉄道駅も相模湖に変更された。
- 三重県の宇治山田市が昭和大合併を経て、伊勢市になった際、鉄道駅が山田から伊勢市に改称された。
- 岐阜県の可児町が市制施行した際、代表駅の広見駅が可児駅に改称された。
- 一畑電車の雲州平田駅は、平田市制施行後、「平田市」の駅名となっていたが、出雲市合併後、旧駅名だった現在の駅名に戻した。
政治的な理由[編集]
- 国鉄上に持っていきたいという理由や町村合併後に幹線筋に持っていきたいという理由で、従前名乗っていた駅が新駅名に改称されることがある。この例に該当するのは、JRだと、磐梯熱海、紀和、本八戸、宇部新川の各駅、私鉄だと松山市、京急新子安、京急久里浜、本吉原、行田市の各駅が例として挙げられる。
- 福知山線支線にあった尼崎港駅も同様の例。小田村が尼崎市に併合された時、当時の尼崎駅に代わって旧小田村の神崎駅が市内最大の国鉄駅となった。そのため、以前より国鉄旅客駅として存在感が薄かった尼崎駅が尼崎港駅に改称し、幹線筋の神崎駅が新たな尼崎駅となった。なお、阪神尼崎駅は尼崎港駅の方が近かった。
現状の所在地への補正[編集]
近隣の施設の廃業・移転・アクセス変更でも、地名駅への補正が実施される。これは私鉄駅に多い。
- 例えば、名古屋競馬場前駅は、名古屋競馬場そのものの移転により港北駅となった。名古屋近郊では、名鉄の羽黒駅も該当する。
- IRいしかわ鉄道の能美根上駅は、元は近隣の有力市街地であった寺井町に因んだ「寺井駅」だったが、JR化後に地名に合わせて、現駅名に改称された。
- 京成本線の京成西船駅は、地名の西船に合わせて、葛飾駅から改称された。もっとも地域住民の中には、旧葛飾村からの伝統のある駅名改称反対の意見があり、京成は地域の歴史の掲示板設置などの配慮を迫られた。
新駅の開業に伴い駅名を譲る[編集]
- かつて垂水駅は、有名観光地である舞子の浜の最寄駅であったことから、舞子駅を名乗っていた。後に、舞子の浜の目の前に舞子公園駅が開業。舞子駅は舞子の玄関駅でなくなったことから、駅付近の地名を取り垂水駅に改称、舞子公園駅が新たに舞子駅となった。
- 長良川鉄道の加茂野駅と富加駅も、国鉄時代は加茂野口駅と加茂野駅だったが、第三セクター化後、加茂野口駅が本来の所在地の加茂野の駅名になり、旧加茂野駅が本来の地名の富加の駅名となった。
- 福井鉄道のたけふ新駅は、北陸新幹線開業まで越前武生駅を名乗っていた。しかし、その北陸新幹線が敦賀駅へ延伸されるのに伴い越前たけふ駅が設けられることになり、当初の駅名「武生新」をもととした、たけふ新駅となった。
地域からの要望[編集]
自治体や住民からの要望で駅名を改める事例で、私鉄や地下鉄に多い。
- 名古屋近郊では、ナゴヤ球場前駅→山王駅や、市役所駅→名古屋城駅などが一例として挙がる。なお、両駅とも元の駅名の施設は残っている。
- JR西ノ宮駅は、駅名が西ノ宮、地名が西宮と微妙に異なっていた。そこで、市の要望で市名に合わせて駅名を西宮に改称した。なお、カタカナを一文字取るだけの改称コストは約2億円らしい。
- 湖西線西大津駅は、住民から「大津京」への改称要望が出て、自治体負担で改称された。この間、大津京は「大津宮」が正しいとして、歴史学者などからの改名反対の意見も出たが、大津市は改名作業を進めた。
- 山口市は山陽新幹線開業前から小郡駅の「山口」を含む駅名改称を要望していたが、旧小郡町が拒否。平成大合併で、小郡町が山口市に併合される際、小郡駅を新山口駅に改称することに小郡町が合意。これにより、山口駅に代わって山口市内最大の駅となった小郡駅は新山口駅に改称した。
- 茨城県の十王駅は、平成大合併で町名が消滅することになり、町があったことを鉄道駅で残す要望が出され、熊本県の同名JR駅との同名解消も兼ね、川尻駅から改称した。
縁起を担ぐ[編集]
- 岐阜県の八坂駅がいい例で、かつては半在駅を名乗っていたが、「犯罪」という単語を連想させるため現在の駅名となった。
- 神奈川県の二子新地駅も、「二子新地前」という駅名だったが、車掌の案内が双子を持つ親に耳障りになることがあったため改称した。
鉄道事業者の変更[編集]
これも私鉄や三セクに多い例。
- 名電山中、名電長沢、名電赤坂の各駅は愛知電気鉄道時代に愛電山中、愛電長沢、愛電赤坂を名乗っていたが名古屋鉄道発足後に現在の駅名となった。
- 帝都高速度交通営団が民営化された際も、営団成増、営団赤塚が、地下鉄成増、地下鉄赤塚の駅名となった。
- 近鉄名古屋駅も関西急行電鉄時代は関急名古屋駅となっていたが、社名変更の度に参急名古屋駅、近畿日本名古屋駅などを経て現在の駅名となっている。
- あすなろう四日市駅も内部線・八王子線の経営移管前は近鉄四日市駅の一部であった。
- 変例としては、京成千葉線の国鉄千葉駅前駅が、国鉄分民化で国鉄が無くなったのを機に、京成千葉駅に改称した。これは、従前の京成千葉駅が千葉中央駅に改称するオマケも付いた。
事業者名への変更[編集]
これも私鉄や三セクに多い例で、略称として定着している社名を付けている。
- 山陽電鉄の山陽明石、山陽垂水、山陽須磨、山陽塩屋、山陽魚住、山陽曽根、山陽姫路、飾磨の各駅は1991年までは国鉄に駅があるためそれぞれ電鉄と名乗っていたが電鉄だけだと社名がわかりにくいので現在の駅名となった。[1]
- 神鉄が1988年までは、電鉄小野、電鉄三木となっていたがそれぞれ電鉄が外され小野、三木となった。
- 京浜急行電鉄では、CIのために「京浜**」の全ての駅を「京急**」に改めた。
- 名鉄でも新名古屋、新一宮、新岐阜の各駅が空港線開業を機に名鉄名古屋、名鉄一宮、名鉄岐阜にそれぞれ改称されたが、JR駅近接の全ての「新**」駅や先述の「名電**」駅で実施されず、上記の京急に比べると小規模である。
阻害要因の解消[編集]
かつての国鉄や3セク転換鉄道に多い例。同名駅の存在や連絡運輸実施といった混同抑止のための要因が無くなったことで改称された。
スポットの強調[編集]
これも私鉄や3セクに多く、JRにもある例で、外国人観光客にわかりやすくするために都市名をつけたり、景勝地や学校などの施設名を付けた駅名に改めたりしている。
- 大阪難波、大阪上本町、阪神大阪梅田、阪急大阪梅田、阪急神戸三宮・阪神神戸三宮、京都河原町などの各駅は外国人観光客にその場所を強調するためそれぞれ大阪、神戸、京都を頭につけ改称された。京阪は駅の改称はせず、方向幕などでは小さく京都、大阪を記しているが、南海電気鉄道や神戸高速鉄道では都市名を頭に付けた改称を行っていない。
- 東武伊勢崎線でも、杉戸駅を東武動物公園駅に改称したのを皮切りに、業平橋駅をとうきょうスカイツリー駅、松原団地駅を獨協大学前駅に改めている。
- 宮崎県の加久藤、上江、飯野の各駅は、所在地を明確にする街おこしとして、それぞれえびの駅、えびの上江駅、えびの飯野駅に改称した。
- 北海道の弟子屈駅は「弟子屈」が読みにくいことを弟子屈町自体が認め、観光客にもわかりやすいように摩周駅に改称した。
国外の改称の事由[編集]
外交上の理由[編集]
- 中ソ国境のソビエト連邦側に位置するラズイェスト86駅(「交換駅86」の意)は、、中ソ紛争により「撃退」を意味する「オトポール」へ改称された。後に、中国側からの要請により「バイカル湖の向こう側」を意味する「ザバイカリスク」へ再改称された。
改称の費用負担[編集]
脚注・出典[編集]
- ↑ 飾磨駅は近くに飾磨港線の飾磨駅があったため電鉄飾磨駅となっていたが改称までに国鉄の飾磨駅が廃止されたことでそのまま飾磨駅となった。