学級崩壊

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学級崩壊(がっきゅうほうかい)とは、日本の初中等教育(特に小学校)において、学級が集団教育の機能を果たせない状況が継続し、通常の手法では問題解決が図れない状態に陥った状況を指す表現。1990年代後半に新聞[1][2]やテレビ[3]などのマスコミが使うようになって広まった表現とされている[4]

概要[編集]

1999年、当時の文部省(文部科学省の前身)の研究委嘱を受けた国立教育研究所(国立教育政策研究所の前身)は、「学級経営研究会」を組織し、マスコミが「学級崩壊」という表現で報じていた状況について小学校における大規模な聞き取り調査を行った。その中間まとめとして公表された報告書の中では、次のような記述により「学級崩壊」という表現を避けながら「学級がうまく機能しない状況」を次のように定義している[5]

「学級崩壊」という呼び方は事態の深刻さを強烈に意識させる響きをもつ言葉ですが、複雑な状況をじっくりと多面的に捉えていく姿勢を弱めてしまう危険もはらんでいます。 したがって本研究では、中間まとめとしては「学級がうまく機能しない状況」という呼び方をします。それは「子どもたちが教室内で勝手な行動をして教師の指導に従わず、授業が成立しないなど、集団教育という学校の機能が成立しない学級の状態が一定期間継続し、学級担任による通常の手法では問題解決ができない状態に立至っている場合」を指しています。

学級経営研究会の最終報告でもこの認識が継承されたが[6]、この「学級がうまく機能しない状況」の定義はそのまま「学級崩壊」の定義として議論されることが一般的である[7]

学級崩壊には、少子化や家庭の教育力低下などの多様な要素が関係していることが指摘されており、近年、教育社会問題としてマスコミなどに取り上げられている。1998年には、『NHKスペシャル』で「広がる学級崩壊」がテーマとして取り上げられた[8]

概説[編集]

近年、学校で児童生徒が、学級で授業が行われているにも関わらず、勝手に席を立って教室を入室もしくは退室したり、私語を慎まなかったり、周りの生徒にちょっかいを出すなど、授業の不成立ひいては学級の機能が停止した状態が起こることがある。この状態を「学級崩壊」と言う。学級崩壊という言葉は主に小学校において使用される。これは、「児童の集団による教師いじめ」という側面も有している。

小学校において学級崩壊までいかないが、学級が機能しにくい状況に対しては主に「荒れ」という言葉が使われる。また、実際の学校現場ではこの「学級崩壊」という言葉を使用されることに対して非常に激しい心理的抵抗があり、明らかに学級崩壊に至っている状況でも「荒れ」として曖昧に表現される事も多々ある。学級崩壊という言葉は1997年頃から頻繁に使われるようになってきたとも言われる。その背景に関しては多くの識者によって様々な考察が為され、教育学的、心理学的、社会学的に研究されている問題である。

そもそも、日本においては教育は義務でもあり権利であるとの論点から、指導に従わない生徒や、授業の進行を妨害するような生徒を退出させることができない。よって、このような状態で授業が成立するには「保護者が学校に協力的で、子供も教師の言うことを素直に聞く」、あるいは「教師の権威により、子供および保護者を指導できる」という伝統的な教育を前提として成立しており、現在の学校教育システムが、社会の変化・児童保護者の変容に対応しきれていなのではないかという説がある}。例えば現在の小学校高学年は情報化や都市化・発達加速化などにより、10年前、20年前の中学生と似たような困難を多く有している。しかし、学校教育のシステムはあくまで小学生を対象に教えるシステムであるので、子供の変化に追いついていない。

また、学級崩壊の背景としては「教師の権威の崩壊」「家庭教育の崩壊(家庭で終えるべき躾ができていない)」「地域の教育力の崩壊」があると言われている。従来の学校教育においては、学級崩壊の責任のほとんどが教師が責任を負うところであり、教師の教育技術の不足によるものと考えられてきたが、現代においては教育技術のみで学級崩壊を防ぐのは不可能であると思われている|。「保護者が学校に協力的で、子供も教師の言うことを素直に聞く」という前提で成立している現在の学校教育システム自体に欠陥があるのではないかという説や、授業の進行を邪魔する生徒は特別教室で別途に教育すべきであるとの論も存在する。

学級崩壊の原因[編集]

実際には下記の原因が複合的に組み合わさった結果として発生することが多い。

主に教師に原因がある場合[編集]

教師の教育能力や指導力の欠如、諸問題に対する認識の不足・無視などに起因するもの。

1990年代およびそれ以前の学級崩壊の原因は、ほとんどが教師の教育技術の欠如にあるという(向山洋一『授業の腕をあげる法則』)。

現代においてもその点は基本的に変わらず、低学年・中学年の学級崩壊については、多くの場合教師の教育技術の不足及び学級経営の失敗によって、後述する原因を排除したり必要に応じたコントロールができずに問題を複合化させていることが主要因の1つとなっている場合がある。

女性教諭の場合に起こりやすい現象である。男性教諭の場合、特に怖い男性教諭や髭を生やした強面の男性教諭の場合には起こりにくい。

主に児童に原因がある場合[編集]

いじめや学級内の人間関係に起因するもの。

さらには、家庭でのしつけの欠如、もしくは発達障害学習障害ADHDなど)を抱える児童や、稀には知的障害者ながらも保護者の希望で一般学級に通学している児童が誘因となる授業の遅れ・荒れ・混乱によるもの。

ただし、ここでも教師の面の要素は見られ、教師がADHDや知的障害を抱える児童に対して無理解あるいは差別意識を持っていたりする、挙句には本来は格段に配慮しなければならない発達障害児や知的障害児に対する配慮と教育を事実上放棄する、さらにはその様な問題を抱える児童に対して教師自らが言葉や態度でいじめを行い追い討ちを掛けるなど、教師が自ら率先して「原因としての児童」を作り出している場合もあり、単純に児童に全ての原因を押し付けることは出来ない。

主に保護者に原因がある場合[編集]

モンスターペアレント」も参照

学級崩壊の問題と同様に、「モンスターペアレント」の問題に代表される保護者の変容が言われて久しい。

戦前あるいは高度経済成長期以前は、教員といえば当時は稀少であった高学歴を持つインテリであり、戦前の旧制中学校師範学校や戦後の高校大学レベルの高等教育を受けることなく社会に出る者がごく当たり前であった大多数の保護者にとっていわば不可侵の存在であり、教師が聖職視された所以でもあった。しかし、進学率が向上し大学の大衆化が進んだ現在では保護者の中にも教師と同等の高学歴者が一般的になり、さらには大学院卒などの教員よりも高学歴な親も見られ、教職や教員免許に関する知識や資格も持ち合わせている保護者も増えてきた。その為、教師が不可侵の存在ではなくなり、そういった保護者の中には子供の前で公然と教員を批判する者もいる。

同様に、これは古くからあることではあるものの、地元で名を知られた名士・有力者や、議員官公庁の関係者などという地位・立場をちらつかせて、自分の子供や孫が優遇されるように教員に半ば公然と圧力を掛けてくる保護者も存在する。同様に、主に新興住宅地などではサッカーフットサル)・野球バスケットボールなどのスポーツ少年団の指導者や同組織内の有力な保護者が、学校教育の場でも少年団の人脈を背景に保護者間で学級の枠を超えて力を持つようになり、教師や学校上層部にも影響力を及ぼそうとしたり、意に沿わない教員に対して自らが関わる組織を利用して一種の吊るし上げを行うなどといった事態も起きる。

この様な保護者の存在や利己的な行動の結果として、子供たちの行動が無秩序に正当化されたり、批判・注意が不可能になる場合があり、例えば次のようなプロセスによる学級崩壊の事例が生起する。

  1. わがままを言う、学級でいじめが発生するなど、児童の問題行動が発生する
  2. 担任教師が児童を叱る
  3. 児童が担任教師を馬鹿にして反発する。あるいは問題行動がエスカレートさせる
  4. 担任教師が児童をきつく叱る
  5. 子供が保護者に言いつける
  6. 保護者が担任教師や校長への面談を要求し、謝罪を要求する。場合によっては面談の席に地元の有力者の同席を要求してくる
  7. 担任教師が児童の前での謝罪に追い込まれる
  8. その謝罪している姿を見た児童達が担任教師をますます馬鹿にするようになる
  9. 学級の荒廃が可及的に悪化する

つまり、保護者が自らの子供を大切に思う気持ちが利己的な行動に繋がり、結果的に学級の荒れを徒に加速させる結果を招く場合がある。この様な形で学級崩壊が促進される場合、結局一番苦しめられるのはその様な特定の保護者の子供ではない「その他多数」の児童たちである。

また、モンスターペアレントの問題とは別に、保護者の職業・地位が理由となって特定の児童を担任教師が過剰に保護・優遇した結果、これらと同様の状況が引き起こされることもある。典型例としては、児童の親が教師である場合が挙げられる。担任教師にとっては職場や地域の同業者間の人間関係という観点から、教師の子供である児童をなおざりにすること、特に他の児童からいじめの標的にされてしまうという事態は絶対に避けなければならないためである。教師以外でもたとえば教育問題(いじめ・学級崩壊問題)の評論家研究者ジャーナリスト、地元自治体の首長文教族として知られる国会議員など、担任教師にとっては自身が管理する「学級」という組織内に存在することそれ自体が強力なプレッシャーとなるような保護者が存在する場合もある。これらの様な“特別な保護者”を持つ児童については担任教師も常に最優先で気配りして保護しなければならなくなり、扱い方を間違えれば当該の児童が増長し学級運営を益々困難なものにする結果を招くことになる。

その他、学区・地域が特定の大規模事業所の存在に大きく依存している企業城下町としての様相を持つ場合には、保護者の多くが同一の企業に勤務していたり、あるいは保護者同士が発注元・取引先・下請けなどの形でビジネスの関係にあるということが当たり前に起き、たとえば同じ部署の上司と部下の子供同士が同級生、発注元の従業員と下請企業の従業員の子供同士が同級生、極端な場合には同じ職場で働く正社員と期間従業員など非正規雇用の従業員の子供同士が同級生などということも起きてくる。このような保護者の職業上の上下関係・収入格差・人間関係はPTA活動などにおいて円滑さを欠かせる要因となるのみならず、そのまま子供たちの人間関係にまで持ち込まれ、保護者の職階や所属部署に基づいた派閥が形成されてしまうなどして、学級運営もまた円滑さを欠いてしまう、そしていじめや学級崩壊の一因となることも往々に起きる。

主に校長・学校に原因がある場合[編集]

教員の人員配置や教員間の人間関係が主要な原因の1つとなっているもの。

学級担任の配置は、学校を管掌する職位たる校長の人事権によるところという事になっているが、現実問題として、問題のある学級・問題の多い学年に配置されることを嫌がる教師も多く、同様にそのような学級を到底任せられない能力不足の教師も見られ、その他、教職員組合などにも関連した教師間の人間関係など様々な要素に配慮して配置を決めていかなければならず、校長が理想と考える人員の配置がそのまま実現できるとは限らない。その他、通常学級に受け入れた発達障害・知的障害の児童などに対して学校上層部もまた無理解あるいは消極的な姿勢であったり、担任教師を支える支援体制の不足不備などが挙げられる。

主に地域・環境に原因がある場合[編集]

学校を取り巻く地域環境について教育環境としては問題となる要素が多い場合、これも学級崩壊の主な要因の1つとなってくる。

概ねで例えれば以下の様な地域が挙げられ、これらに多くに共通する傾向としては地縁に基づいた住民間・世代間の繋がりが希薄であったり、あるいは学校を巡るコミュニティが存在していても規模が小さい・内実に乏しい、恒常的に住民の入れ替わりが激しく継続性に欠けるなどのネックを抱えており、つまりは学校と保護者と地域社会の間の相互連携が成り立っていない状況がある。

また、学校内外の連携がうまく成り立っていないゆえに、この様な地域では、小学校で学級崩壊が起きるのと並行して、卒業後の進学先となっている地元学区の公立中学校でも非行授業崩壊校内暴力などで著しい荒廃が発生し、子供たちの非行や補導の多発が学区を挙げた問題となっている状況がよく見られる。

卒業後の進学先である公立中学校が荒廃著しい状況に陥っている場合、小学校においては成績上位層のみならず成績中堅・下位層の中流家庭の保護者にまで一見すれば不自然なほど広範囲に教育熱が高まり、毎年多数の小学6年生が中学受験に挑むという状況が往々に発生することがある。他方、小学校の教職員の能力不足によって学級崩壊著しい場合にも、保護者たちが中学校も含めて公教育や地域の教育環境自体に対して不信感を抱き、まず保護者から私学熱が高まるということも起きてくる。だが、この様な場合、得てして保護者の教育熱は荒廃している地元学区の公立中学校を忌避するため、あるいは劣悪と考える公教育の環境から逃避させるために、子供を中等教育学校中高一貫校私立中学校などに確実に入学させたいという動機に基づくものであり、ゆえに教育に対する関心の強い保護者の熱意と期待は中学受験対策として通わせる学習塾など校外の私教育に向けられ、小学校・担任教師に求めるのは自身の子供の受験に必要な良評価が書き込まれた調査書だけであり、小学校が抱える学級崩壊などの問題にはほとんど無関心で、つまりは保護者の教育熱が高いと一口に言っても、学校・教師のそれとは全く別向きのベクトルになってしまい、保護者・学校間の連携や学級崩壊問題の改善などには全く寄与しないこともも珍しくない。

他方、教育困難な地域とは逆に、学術都市・文教地区などと呼ばれる様な地域や、高学歴で富裕層の保護者が数多く住むなど、地域の教育に対する関心や熱意が普遍的に高いものとなっており、子女を進学塾や私立教育に通わせるための経済的負担なども広く許容する風潮を持つ地区特性を持つ場合もある。この様な状況下では、保護者に私学指向・難関校指向の風潮が普遍的に存在し、多くの家庭が子供を初等教育の段階から私立学校に通学させている状況がある場合には、保護者である住民層の多くの割合が地元の公立学校それ自体に対して無関心になり、その結果として同様の状況を呈することとなる。

学年別学級崩壊[編集]

小学校1年生の学級崩壊(小1プロブレム)[編集]

1年生の学級崩壊では、入学前の幼児教育の段階における誤った自由保育や、家庭や地域社会での教育力の不足などにより、基本的生活習慣のできていない児童が要因となって起こる場合が多い。高学年の学級崩壊が教師に対する反発・暴言・暴力が多いのに比べると、低学年の学級崩壊は「授業中に椅子に座っていられない」「机の上を飛び回る」などである。

特に入学直後の児童に多く見られることから、一口に教育といっても遊びを通じた情操教育コミュニケーション能力の育成が中心となる幼稚園保育園から、学習が中心となる小学校への環境の大幅な変化に対応できにくい点が指摘されており、マスメディアでは「小1プロブレム」と呼ぶことが増えている。東京都教育委員会が全国の大学の教職課程の調査を開始したり[9]、幼稚園・保育園と小学校との連携を模索する動きがある[10]

小学校2・3・4年生の学級崩壊[編集]

2・3・4年生に多いのは、

  1. 教師の人格・指導技術・教育思想に何らかの問題や欠陥があり児童が反抗する
  2. 前年度に学級崩壊しており、その影響。

という2つのパターンである。2.の場合、そのまま学年を持ち上がった崩壊状態の学級が、担任教師を交替させても立て直しきれないというパターンもある。

小学校5年生の学級崩壊[編集]

5年生の学級崩壊では、発達加速現象による子供の変化に、現在の学校教育システムが対応しきれていないということが背景になっている。高学年による学級崩壊では、女子が要因となるパターンが多い。小学校高学年を一人で見るという現在の教育システムに無理があり、高学年は教科担任制にする方が良いという説もある。小学校高学年では、主に教師への反発・暴言・暴力という形をとって現れ、「児童の集団による教師いじめ」という側面が強い。

最近の子供は成長が早まり、高学年では思春期を迎えた子供が多くなり、学級担任制が難しくなっている。また学校・教師の権威が低下しており、そのような状況は高学年になると気づくようになる。加えて公立中学校は校内暴力で荒れた時期(1980年代)を経験しており、それに対応するスキル(管理教育)を持っていたりする。そのため中学校では一部の授業が崩壊することがあっても、全ての授業での学級崩壊は起こりづらい。これらの対策を怠りがちな小学校では学級崩壊を招くこともある。

さらに中学受験の過熱化に加えて、子供の貧困一人親家庭の増加などによる学力低下があり、そのような教育格差が広がりにより一斉授業が困難になっている。前者は学校を息抜きの場にするケースが多く、後者は基礎学力や一般常識マナーを身に付けていない子が多く、両者が一緒になって学級崩壊を起こすことも多い。一番被害を受けるのは普通の子であり、学級崩壊により後者のほうの仲間に加わってしまい、中学校高校受験大学受験で苦労することになる。

小学校6年生の学級崩壊[編集]

6年生の学級崩壊のほとんどは、前年度までの崩壊していた状態をそのまま引きずり、6年生で担任が替わっても立て直せないというパターンである。また一部には、5年生時にあった児童と担任教師の不適応がなんらかの形で発現せず(児童が我慢するなど)、それが持ち上がりで6年生になってから爆発するというパターンも見られる。

中学校以降の学級崩壊[編集]

教育困難校」も参照

学級崩壊は主に小学校について使われる言葉であり、中学校・高等学校においてその実態を表現するならば、「授業崩壊」「学校崩壊」「校内暴力」「荒れ」といった言葉がふさわしい内容となる。一部には小学校在学時には崩壊していた学級に所属していた児童が、中学校に進学すると何事もなかったかのように落ち着くケースが多いという検証がある。フロイトのいう「タブー破り」、思春期の一過的な反抗ということなのだろうが、安易に説明のつかないケースもある。

また、自分の理想とする教育を実施している学校の入学試験に合格して志望校に進学できたという幸福感や満足、周りの者に悪影響を及ぼす性悪と違う道に進み決別するなどといった学習環境の変化も落ち着きに繋がっていると考えられる。

学級崩壊の歴史[編集]

戦前の学級崩壊[編集]

戦前の文献に学級崩壊とみられるような記述のある文献は存在しない(「荒れ」と思われるような記述の文献は存在する)。戦後になってからの回想などでは、学級崩壊に近いような記述も存在するが、そのほとんどが「いたずら」の延長として回顧されている。

戦後~1980年代の学級崩壊[編集]

従来の学級崩壊は、教育界では公然の秘密の一部としてはあったが、あまり表に出ることもなく、注目されることも少なかった。確固たる統計が存在するわけではないが、件数も少なかったものと思われる。この時期の学級崩壊はほとんど教師自身の教育力の問題や能力の欠如といっても過言ではない。

1990年代の学級崩壊[編集]

「学級崩壊」という言葉は1990年代のNHKドキュメンタリー番組で使われたのが最初とされている。この時期より、教育界だけに限らず国民の関心の的になった。この時期の学級崩壊は子供の教師への反発が広がって学級運営が立ち行かなくなる「反抗型の学級崩壊」が主流である。この時期でもやはり、学級崩壊の中心的な理由は教師の力量の不足・教育技術の不足に負う所が多い。この時期までの学級崩壊は「黄金の三日間」など学級経営についての基本を知っていて、一定の教育技術と指導力を有していれば防ぐことができたといわれる。

現在(2000年代以降)の学級崩壊[編集]

1990年代に比べ現在、「学級崩壊」はそれほど世間の注目を集めてはいない(その一方「学力低下」「経済力の差による学力格差」「教育における愛国心」「道徳のあり方」「教師の教育力向上」が教育問題として注目を集めている)。しかし、教育の現場では、いまもって大きな問題として立ちふさがっている。埼玉県教育委員会の調べでは、県内の大多数の学校で学級崩壊の事例があるという。

日本の教育界では伝統的に、教育の諸問題は教師個人の力量論に帰せられることが多かった。確かに、従来の社会のように「学校に行くのが当たり前」「目上の人間を立てるのが当たり前」といった社会であれば、学級崩壊も教師個人の責任に帰せられる。しかし、現在においては「学級崩壊は教師個人の責任である」とは言いがたいというのが教育界の定説である。一方、多くのマスコミや一般の保護者の間には、1990年代以前と同じように教師個人の力量論に帰する言説が多い。未だに学級崩壊などの問題が教師個人の責任に帰せられている原因として、実際の教育現場にあたっている者の主張が、「身内をかばう言説」「学級崩壊を社会のせいにしている」と受け取られてしまい、理解されにくいというものが考えられる。自らのの責任を取りたくない保護者にとって、学級崩壊を教師個人の責任に帰してしまえば楽であるから、教育現場からの発信は理解されにくいのではないかとも考えられる。

一方で、件数は少なくなったものの、教師個人の責任に帰するしかない事例も未だに存在する。しかし、それらの多くは専科に回すなどといった対応が現場で取られており、「指導力のない教師が担任をやって学級崩壊を起こす」という構図は世間で思われているほど多くはない。むしろ現代では「学級崩壊はどんな教師にも起こりうる」というのが教育界での一般的な認識である。

「担任が替わったらクラスが落ち着いた」という事例もあるが、これをもって学級崩壊を教師個人の責任に帰すると考えるかどうかは意見が分かれている。「学級崩壊によって担任が替わる」ほどの重大な出来事が起これば、当然児童や保護者はもとより学校上層部の認識も変化し、取り組みの姿勢も変わっていく。

近年、教員採用試験の採用数が増え、試験合格のハードルが低くなったことによって、教師の能力が低下しているのではないかと言われる。しかし、採用試験の倍率で一律に割るならば、団塊ジュニアの大量入学を見据えて大量採用を実施した現在の50歳代の教師の方が、採用当時の倍率は近年のものより圧倒的に低かったので、彼らの方が指導力がないということになってしまう。

また、ここ近年で増えているのが、友達感覚の優しい先生との馴れ合いの末に秩序が崩れる「馴れ合い型の学級崩壊」である。一方、従来のような「反抗型の学級崩壊」も地方を中心に依然として存在するといわれる。また、この2つは厳密に区別できない場合も多い。

医学的・科学的・社会学的見地からの学級崩壊 [編集]

(医学)学級崩壊と発達障害児(注意欠陥多動性障害など)[編集]

近年では学級崩壊の原因のひとつとして発達障害児(ADHD=注意欠陥多動性障害学習障害自閉スペクトラム症など)の存在が挙げられるといわれる。発達障害児は、医者でさえ、そうでない子と見分けるのは難しいと言われる。発達障害児は、一見して普通の子であり、発達障害に理解のある保護者は少ない(理解ある教員も多いとは言えない)。また、発達障害は、一般的な身体障害や知的障害以上に「親が子供の障害を受け入れられない・認めようとしない」という問題が存在する(実際にはそれどころか教師を含めた周囲が気づけないという事例も多数存在する)。

例えば、注意欠陥多動性障害に対しては、アメリカでは多くの場合、投薬で抑える。しかし日本においては、注意欠陥多動性障害や投薬治療に対する偏見が根強く(錠剤コンサータの項目参照)、なかなか活用されていない。アメリカ国内においてさえ、投薬治療への偏見があり、投薬が批判される。

1980年代以前には発達障害児はいなかったのかというと、そのようなこともなく、1980年代も発達障害児は存在したと考えられる。しかし、そのころは発達障害に関する関心が薄く、また「情緒障害児」として情緒学級に入ることも少なからずあったため、問題提起はあまりなかった。なお、発達障害児の数の増加は障害に関しての認知が近年高まったためであるとの説が有力である。

近年「自分の指導が通じにくい子を、教師が発達障害児扱いしているのではないか」という説が、学級崩壊といった今の教育現場を判っていない社会学などの学者の一部で存在している。しかし、教育現場にいる者及び教育分野に取り組む医療関係者の間では「発達障害児が学級崩壊の一つの要因になりうる」という考え方が支持されている。

(社会学)学級崩壊の背景 [編集]

学級崩壊の背景には、近年(バブル期以降)における教師の地位の低下が挙げられる。そもそも、現在の学校のシステムは、明治大正昭和時代のように「保護者が学校に協力的で、子供も教師の言うことを素直に聞く」 ということが前提で成り立っている。

かつて学校の教師は(一部の代用教員を除き)当時の保護者とは比べ物にならないほどの高い学識と教養を有していたといわれる。さらには義務教育を日本へ定着させようという熱意及び協力体制があった。そして、社会に「大人の言うことは聞くものだ」という前提が存在していた。

さらに言えば、戦前は天皇・国家など、教師が拠って立つべき権威があった(天皇臣民を育成するのが教育の目的であった)。やや乱暴な言い方ではあるが、教師に逆らうのはある意味で「天皇陛下に逆らう」ということでもあった。また、戦後も「欧米に追いつき追い越す」という大きな国家目標があり、国の経済力や国民の生活水準を欧米先進国並みに引き上げるためには、子供に対する教育が必要という共通認識が広く一般に存在していた。

その結果、明治初期を除いて、教師は尊敬される存在であり、「保護者は学校に協力するものだ、子供は先生の言うことを素直に聞くべきだ」という認識が広く一般に存在していた(少なくともバブル前までは)。近年、学力で注目されるフィンランドにおいては、教師の社会的地位が医者・弁護士並に高い。社会全体も教師は「尊敬されるべき職業」とされる。しかし、現在の日本社会における教師の地位はそうした国と比較した場合、いわゆる「尊敬されるべき職業」と即座には分類されないかもしれない。

その原因としては、

  1. 保護者の学歴が高度化し、教師と同程度の学歴・学識を有している事。
  2. 塾の興隆、地域のスポーツ少年団・習い事とその指導者の存在によって公立小学校教師の地位が相対的に低下している事。

が挙げられる。実際、塾や習い事の少ない地方部においては、都心部に比べ教師の権威が依然として高い傾向にあり、学級崩壊も少ない傾向にある(ただし、いわゆるニュータウン学術都市ではまた特殊な状況を呈す)。

「保護者が学校に協力的で、子供も教師の言うことを素直に聞く」という前提が崩れた今、一部の学校では従来の学校教育というシステム自体が維持できなくなっている。現在の小学校教育は担任教師の人徳に支えられているのが現状である。

さらには「保護者・児童の権利意識の肥大化」というのも、学級崩壊の背景の一つとなっている。学校教育において権利意識を重視すると、教育を「サービス業」と捉えざるをえない。しかし、日本の場合は教育基本法にあるように、「人格の完成」が教育の目的となっており、小学校においては教科指導と同じくらい生活指導が重視される。しかし、叱責を伴う人格教育・生活指導は絶対に「サービス業としての教育」とは相容れない。

(教育学)学級崩壊と教育技術[編集]

現在は、児童生徒・保護者が多様化しており、普遍的な教育技術だけで学級崩壊を防ぐことは不可能である。また、「人間の『厚み』・『奥深さ』」が教師には要求されてくるのは言うまでもない。

近年、全国的な規模で、学校全体の組織や力量のある教師が様々な対応を行っているにもかかわらず、家庭崩壊・発達障がい・社会体育・地域性などの様々な要因が複合的に絡み合い、仮に担任を交代してもまったく改善の兆しが見られないという旧来の学級崩壊とは異なる、新型の学級崩壊の報告が教師達の間から報告されつつある。

学級崩壊を防ぐ方法[編集]

学級崩壊を防ぐ方法については様々な方法・指導理念が提唱されている。

教師努力を重視するもの

行政的な対応を重視するもの

上記が、近年注目されている学級崩壊を防ぐ方法である。しかし、人間相手の仕事に、「こうすれば必ずうまくいく」というような決定的な方法は存在せず、学級崩壊の原因・特徴自体も、地域・校種・学年・学力などにより様々である。これらの方法を過信することには慎重であるべきである。

学級崩壊を解決する方法[編集]

上述の通り、学級崩壊を解決する決定的な手段は存在しない。そもそも学級崩壊には様々な原因があるが、多くの場合教師が児童からの信頼を失うという形態を伴う。学級崩壊した時の先生が、それを立て直すというのは非常な困難を伴う。関連文献のうち『学級崩壊からの生還』では、その宣伝文句で「唯一学級崩壊からの生還の記録」と謳っているものの、実態を見た場合、その多くが「前年度に崩壊していた(他の教師)のを立て直した」「自分が担任で崩壊させた学級が少しましになった」「学級崩壊したクラスでそのまま耐え切った」というもので、「自分で学級崩壊まで行ってしまい、自分でそれを立て直した」という例は1つも無い。せいぜい、「自分で荒れさせてしまったのを(学級崩壊の前段階まで)立て直した」というのが2例あるだけである。

学級崩壊をして同じ先生が立て直す方法はないが、学級崩壊の改善の方向には次のような事が有効であるとされている。

  1. 学校全体で取り組む。
    (教頭などをクラスに入れ、複数体制で臨む。ただし小学校の場合、荒れていないクラスを複数の先生が見ると、ルールの混乱などで、かえって荒れの原因となる場合がある)
  2. 保護者の協力。
    (保護者が日替わりで教室に入る。ただしこれも学級崩壊していない普通のクラスで行うと、子供が落ち着かなくなる)
  3. 担任教師が病休などを取り、交代する。
    (一般にはあまり知られていないことだが、実際の教育現場では「校長判断による病休」も存在する。ただし非常に少数である)

また、学年が変わる時の学級解体と学級再編成(いわゆるクラス替え)は、学級崩壊の改善策として非常に有効となる場合がある。

従来の学校教育においては1・2年/3・4年/5・6年が同じクラスであることが多く、3年生時、5年生時にクラス替えをすることが多かった。そのため、1年生・3年生・5年生の時に学級崩壊していても、保護者や担任が何ら働きかけをしなければ、その崩壊したままの学級で次年度に持ち越される場合が多かった。崩壊したクラスに指導力のある先生が配属され改善される場合もあるが、次年度も学級崩壊を引きずる場合・担任の力が及ばず、かえって酷くなる場合も非常に多い。これを防ぐためには、崩壊したクラスの保護者が一致団結して、学校側・校長にクラス替えを強硬に要求することが必要となることもある。とはいえ、教育現場では特に5年生から6年生に上がる時に学級解体・クラス替えすることは当該の学年を担当する教師および校長・教頭にとって非常に不名誉な恥辱とされ(指導力に疑問を持たれるため)、実際には極めて困難である。

しかし、学級崩壊の現状を持ち越すのは子供自身の教育にとって良くないことは明白であり、保護者によるクラス替えの要求という方法は有効となることもある。

関連文献[編集]

学級崩壊についてはチャールズ・E・シルバーマンの『教室の危機 学校教育の全面的再検討』上下が1973年にサイマル出版会から翻訳が刊行されたのを機会に、教育、学校、教室の危機や崩壊といった言葉が盛んに使われるようになった(川上源太郎の論争を引き起こした本『学校は死んだ』など)。同書は、これに反論したり、擁護したりする類書を多数登場させる引き金になった。

  • 原田隆史著『本気の教育でなければ子どもは変わらない』旺文社(2003/10)、ISBN 4010550252
  • 村上龍著『教育の崩壊という嘘』日本放送出版協会(2001/2)、ISBN4140805838
  • チャールズ・E・シルバーマン著『教室の危機 学校教育の全面的再検討』サイマル出版会
  • 川上源太郎著『学校は死んだ』
  • 朝日新聞取材班『学級崩壊』朝日新聞社 - 世間的に大きく注目されるきっかけとなった。
  • 小林正幸『学級再生』講談社 - 教育臨床心理学の立場から解説。わかりやすい良書。
  • 大石勝男他著『学級づくりにいきづまった時』国土社 - 学級経営論。
  • 今泉博著『崩壊クラスの再建』学要書房 - 崩壊クラス再建というよりも、著者の実践記録。
  • 金子保著『学級崩壊・授業困難はこうして乗りこえる』小学館 - 学級崩壊についての包括的な解説書。
  • 向山洋一編著『学級崩壊からの生還』扶桑社 - 学級崩壊を克服した教師たちの実践記録。
  • 宗内敦著『教師の権威と指導力』書肆彩光(2012/5)

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. “「いじめ自殺」や「学級崩壊」…管理教育の実態次々--県連絡会の研究集会”. 毎日新聞(地方版・静岡). (1995年2月12日  - 毎索にて閲覧
  2. “[社説]校内暴力 子供の危機に大人の力を”. 毎日新聞(東京朝刊): p. 5. (1997年12月24日  - 毎索にて閲覧
  3. 1997年春には日本テレビ系『ドキュメント97』が「学級崩壊」をテーマとした内容を放送した。久田恵1997年4月15日). “学級崩壊 「学校」が意味を失った? 久田恵(チャンネルTV)”. 朝日新聞(夕刊): p. 6  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  4. 児童・生徒指導の手引き』 横浜市教育委員会、2009年、144頁。2012年7月23日確認。「12 いわゆる「学級崩壊」」の章には、「「学級崩壊」という用語は、マスコミによって命名されたものです。」とある(60ページ)。
  5. 魅力ある学級づくりを目指して 学級がうまく機能しない状況への対応』(PDF) 大分県教育委員会〈生徒指導資料19〉、2000年、53頁。2012年7月23日確認。
  6. 教育改革の動向 第2節 教育改革Q&A Question8 何校くらい設置されるのか?”. 文部科学省. 2012年7月23日確認。
  7. 山田雅彦. “学級崩壊(125ページ)PDF”. 山田雅彦. 2012年7月23日確認。原典:『現代教育方法事典』 日本教育方法学会編、図書文化社、2004年、609頁。ISBN 978-4810044362
  8. NHKスペシャル 学校~荒れる心にどう向き合うか~第1回 広がる学級崩壊”. 日本放送協会. 2012年7月23日確認。
  9. 都教委が教職課程を調査 小1プロブレム深刻化でMSN産経ニュース、2009年11月13日
  10. 新教育の森:「小1プロブレム」幼小連携で対応毎日jp、2009年5月30日