中高一貫教育

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中高一貫教育(ちゅうこういっかんきょういく)とは、中学校高等学校の課程を調整し、一貫性を持たせた教育方式である。これを行っている学校は中高一貫校と呼ばれる。中高一貫教育を行っている学校で中学校に相当する課程は中等部または前期課程、高等学校に相当する課程は高等部または後期課程と呼ばれる。

概要[編集]

学校によって仕組みは様々で、入学時の試験を受けてしまえば中等部から高等部への進級時に試験を行わないエスカレーター式や高等部への進級に際して改めて試験を課す学校もある。

中高一貫教育を行っている学校は以下の4種類に大別される。

同一学校型
中学校の課程と高等学校の課程を統合して一貫した教育を行うもの。中等教育学校とも呼ばれる。中学校に相当する前期課程、高等学校に相当する後期課程に分かれ、前期課程を修了すると中学校を卒業したと見做される。開校当初は後期課程のみの募集を行うこともあるが、基本的に後期課程のみの募集は行わない。
併設閉鎖型
同一の学校設置者が、認可上は中学校と高等学校を設置して接続したが、高校は募集しない若しくは内部進学者のみでクラスを編制して外部中学校進学者と6年間混合させないもの。実質前記の同一学校型と同じもの。殆どが私立校。
併設混合型
同一の学校設置者が中学校と高等学校を設置して接続したもの。中学校から高校へは無選抜で進学できる他、外部の中学校に通う生徒も一般の試験を受ければ高校から入学でき、内部中学からの進学者とクラス編成を混合で行うもの。なお、前記の併設閉鎖型でも高3時は一部の選択科目を混合クラスの授業にする学校もある。
連携型
異なる学校設置者の中学校と高等学校が連携して教育を行うもの。連携関係にある中学校から高校へは簡単な入学者選抜若しくは外部志願者と同じ試験で優遇措置を行い、外部の中学校に通う生徒も一般の試験を受ければ高校から入学できる。山間離島部の公立中学校と県立高校の連携型が殆どで、教員も他校種での授業をTTなどで受け持つ。

連携型の大半を除く、多くの中高一貫校は高校2年時までに学習指導要領の内容を概ね終わらせ、最後の1年は大学入試に特化した授業を中心としている。

なお公立の中高一貫校は中学からの入学に際しても入学試験を受験する必要がある。

中高一貫教育の動向[編集]

昭和期に中高一貫教育といえば、首都圏、京阪神圏、広島県といった地域の都市部の国私立学校や高知市私立学校で盛んという印象が強かった。しかし、2010年代に、少子化で中卒生の確保が難しくなると、従前は公立完全優位だった静岡県のような地域でも経営安定化に寄与させるために私立高校が中学校を競って併設するようになった地域も出てきた。
一方で愛知県西三河地方の私立高のように中学校併設で中高一貫教育を実施したものの、公立高優位の牙城を崩せず、短期間で併設中学校の募集を停止したところもある。

戦前期の中等教育[編集]

官立の東京、公立の東京府立、浪速、私立の武蔵、成蹊、成城、甲南の各旧制高等学校は小学校尋常科卒業を入学資格とする旧制中学校相当の尋常科を設け、高等科と連続した7年間の一貫教育を行い、7年制高等学校と通称された。学制改革で公立の東京府立、浪速は尋常科が消え、他の学校は尋常科を母体に中高一貫校となり、特に新制の武蔵中学校・高等学校は旧制武蔵高校と類似の教育を行うことから「真の後身校」と見做す人もいる。
この他、小卒入学資格の5年制の中学校令による中学校、女学校令による高等女学校、実業学校令による実業学校は、現在の中高一貫教育に近い。戦時中に旧制中学、高女、実業学校は中等学校令による中等学校となり4年制に短縮したが、戦後、5年制に戻り、学制改革を迎えた。都庁府県立の中等学校は、後期の2年間は高等学校として3年間となり、前期は高等学校付設中学校として2年間残ったが、ほどなくして廃校となり、市区町村立の3年制の新制中学校に移行した。一部の私立中等学校は中学校と高等学校の一貫教育として残った。
高小卒入学資格の5年制(予科2年・本科3年)の師範学校も現在の中高一貫・高大連携教育に近いが、学制改革で高小卒入学資格の予科を付設高等学校として年次進行で残しつつ、後に廃校とした。
また、青年学校令による青年学校は小学校卒業後、男子7年制、女子5年制で、男子青年学校の7年制を卒業した者に対して3年次の編入学を認めている大学がある。

関連項目[編集]

脚注[編集]