東京スタジアム (野球場)
東京スタジアム(とうきょうスタジアム)はかつて東京都荒川区にあった野球場である。大毎オリオンズ(のちの千葉ロッテマリーンズ)の本拠地だった。
概要[編集]
大映の社長でありオリオンズのオーナーだった永田雅一が発案しオリオンズの本拠地として建設された。永田はパ・リーグがセ・リーグに対抗していくためには後楽園球場のような大規模なスタジアムが不可欠であると考えており鶴の一声で建設が始まった。当時大映本社は経営難に陥っていたが、21世紀のように球団を独立採算制にする将来ビジョンも遠く、建設は強行され1961年に開場した。球場そのものは設備が先進的で、当時としては珍しく個人用のロッカーがあり選手からも好評だった。
「大リーグ並の設備を有しながら庶民が下駄ばきで通える球場」をコンセプトに設計され、地下にはボーリング場、スタンド外周にはスケート場(冬季限定)が設けられたメジャー流のボールパークを再現した球場だった。将来的には百貨店や映画館を併設する構想もあった。
また、パ・リーグの発展を願って建設された経緯からパの他球団の試合開催には積極的だったがセ・リーグの巨人には一度も貸し出すことはなかったという。
終焉[編集]
東京スタジアムの開場から11年後の1971年、大映の経営難が深刻化したため球団はスポンサーだったロッテに完全譲渡され、東京スタジアムも手放された。
球場を買収した小佐野賢治をオーナーとする国際興業はロッテに対しスタジアムの買取りを求めたがロッテは拒否し、交渉は決裂。わずか11年で東京スタジアムは閉場となり解体された。これによりオリオンズは本拠地を失い、1978年に川崎球場に本拠を定めるまで後楽園や県営宮城球場などを転々とすることを余儀なくされた(ジプシー・ロッテ)。東京スタジアムの跡地は現在警察署や市民グラウンドとなっている。
なお、2023年に北海道北広島市に開場したエスコンフィールドHOKKAIDOは、永田雅一が夢見た「球団運営のメジャー流のボールパーク」が半世紀を経てくしくも結実した格好になる。
施設概要[編集]
- 公認野球規則に定められた基準を無視した狭い球場だった。
- 敷地面積:34,321m²
- グラウンド面積:12,180m²
- 両翼:90m、中堅:120m
- 内野:クレー舗装、天然芝(ティフトン)
- 外野:天然芝(高麗)
- 照明設備:鉄塔6基
- 収容人員:35,000人
参考文献[編集]
- 澤宮優『東京スタジアムがあった 永田雅一、オリオンズの夢』 ISBN 978-4309275802
関連項目[編集]