ウィキペディアのどうでもいい与太話
ウィキペディアのどうでもいい与太話では、ウィキペディアを利用中または編集中に気づいた、ほんっとに誰にとってもどうでもいい発見や疑問を調べた結果辺りをだらだらと書き綴る感じでみんなで書いて行ったらいいんじゃねえのかなと思っている。
与太[編集]
WP:DEL と WP:DP[編集]
どちらも2005年作成の「Wikipedia:削除の方針」に飛ばすためのショートカット。
なぜ使用する人間のアカウント作成時期で使うショトカが分かれるのかとゆーと、Wikipedia:削除の方針 2009年2月15日 (日) 09:43 (UTC) の版(付記報告)で各節にWP:DELのショトカが追加、Wikipedia:削除の方針 2012年2月12日 (日) 05:34 (UTC) の版でWP:DPに切り替わったからと思われる。
──ショトカ付記・変更したのはどちらも同じ人だけども、付記は事後報告だけども変更理由は何だったのか考えると夜も眠れない(本人に直接聞いてこい。
wp:ja:Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス[編集]
伝統のエイプリルフールで1年間全力で1人でせっせと書き綴った渾身のネタを披露し、一斉に滑りまくる、ウィキペディアンに残された唯一のお遊び。
…昔に比べて最近の数が減った最大の理由は恐らく、
など、「削除依頼審議の場で『ネタが面白いかどうか全力で真面目に』審議される」ようになったから(面白くなかったら削除[1])。
wp:ja:Wikipedia:珍項目[編集]
世界最大級の質と量を兼ね備えたインターネット百科事典、それがウィキペディア。──でもそんなウィキペディアにあっても、「全力で真面目に冗談抜きに情報源を集めて書いた、はずなんだけど妙に可笑しい」という記事は存在する。それが珍項目。
前述の「悪ふざけとナンセンス」は「最初から全面的に冗談を押し出している」のと比較して、こちらは「全力で真面目に解説している(のに笑える)」のが違い。
記載にあたっては「審議を通して真面目なウィキペディアンが笑えるかどうかをきちんと検証した上で記載に耐えるかどうかを投票し決定されている」というのも味噌。
…なんで冗談項目ひとつ取ってもそんなに全力なんだ、ウィキペディアン。
セブアノ語版ウィキペディア[編集]
600万以上の項目数を誇る、全言語版中2番目の規模を誇るウィキペディア。単純に考えると、日本語版ウィキペディアの5倍の量。すごい。でも、大半の記事をボット(Lsjbot ())がつくっているのは絶対に内緒だ。
また、同氏は同じフィリピンの言語であるワライ語でも100万記事ほどを濫造作成している。だが、フィリピンで最大の話者数であるタガログ語版のウィキペディアは数万記事ほどしか存在しない。
wp:ja:Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす[編集]
同じ記事に限らず連続的な編集行為全般を戒める文書なのだけども、「実は日本語版のみに存在するルール」で、他所の言語版では全く問題にされていなかったりする(Wikipedia名前空間文書で他言語版へのリンクがないのは割りと珍しい)。そもそも文書の立ち位置が方針でもガイドラインでもなく「手引き書」になっていたり。
なんでこんなことになってんのかとゆーと、「 「サーバーの負荷になる」という一切定量的な根拠のない理由で、非常に不思議なガイドラインの運用が行われて、そして定着してしまった」という不思議な理由であることが判明している。
なお、自宅にMediaWiki環境を構築して検証してみた方の言によれば「連続編集でサーバーに与える負荷は0.02%程度」であることが判明しており、現在の主な理由はサーバー負荷ではなく「短時間に履歴が増えると版の見通しが悪くなる(編集内容の差異発見に手間取る)」という感じにシフトしている。それは確かにそうだ。
ただ、どちらにしてもADHD持ちにとっては厳しい決まりではある。
wp:ja:Wikipedia:ウィキペディアンへの100の質問[編集]
履歴初版に記載されている要約欄情報によれば、大元は中国語版発のネタらしい。…ハイパーリンクがないのでどのページなのかはさっぱり分からない。その後metawikiに転載する日本人が現れたり英語版から再翻訳されて日本語版に逆輸入されたりして、ユーザープロフィールを作る文化がなくなった日本語版の現在ではすっかり忘れ去られた古き良き時代のネタ。なお、一時期は数百ページがあったはずのカテゴリwp:ja:Category:ウィキペディアンへの質問には2024年2月6日現在、46ページしか残存してない。──いや実際書いてしばらく寝かせておくと解るんだけどね、見直すたびにすげえ徒労感がね(そしてある日あるとき、すっぱーんと削除してまう)。
歴史的仮名遣いを日常会話に用いる名物管理者[編集]
まあ有り体に言えば、歴史的仮名遣いってのは「1947年までの日本語の書き方」なんです。……そういう事情が影響してたもんで、jawpでは『日常会話で歴史的仮名遣いを用いていた名物管理者』が存在しまして。
…会話ページで(事情を知らない)一般人が言葉遣いについて突っ込む⇒したり顔でこれは歴史的仮名遣いと言ってな…、と他ウィキペディアンが更に突っ込み返す、といった心温まる光景が見られたものでした(遠い目)。
確か2010~2012年頃? に「常識で考えて、国語学者的には生きてんだろうけど、一般人目線じゃ死語だろ」と突っ込まれて使用をやめたんじゃなかったかな、と記憶してます(面白いし憧れだったのに)。
なお、追記しておくと、当該管理者さんは常時そのような言葉遣いだったわけではなく、ご自身の会話ページと井戸端のようなフランクな場所のみに限定された言葉遣いであり、削除審議の場や管理者立候補みたいな厳粛な場所では普通に喋ってました。──普通に喋ると一瞬誰だか判別出来なかっゲフンゲフン。
誰も同一人物だと確認出来ないのに改名された人物記事[編集]
wp:ja:木島さやかという女優記事で、履歴を遡るとwp:ja:木下さやかから移動改名が実施されたことになっている。──wp:ja:ノート:木下さやかに当時の改名に至るまでの理由が残されているが、具体的には「不特定多数のIP編集者たちが(なぜか)WEB検索でも書籍情報源でも2者の同一性が確認不能なのに、『木下さやか』の記事内容上の名前を全て木島さやかに書き換えた」というのが改名に至る流れの根本理由。
推察:当時「木下さやか」という名のAV女優の存在が確認されていることが関係しているかもしれない、という推測のみが成り立つが、それにしても「そもそも複数IP編集者たちの正体そのものが謎すぎる」という薄気味悪い案件。なお2009年から2017年まで8年間半保護されていた。
逆に、誰がどう見ても同一人物のはずなのに認めたくない一部のウィキホリックが騒いで大論争に発展した記事もある。
コメント中に◆の記号を使用した最初[編集]
恐らく、2006~2008年ごろのwp:ja:Wikipedia:井戸端で用いられたNekosuki600による使用(提言)が初の事例。
この当時はまだコメントアイコンテンプレートが未整備で「コメント文頭にコメントであることを示す専用の画像、記号」の制定がなく、また長文コメントは改行を入れずにずらずらと一文で記入する慣例があり、「コメントが続くと読みづらいことこの上なかったので、前述の利用者がちょっと提案、実際に試してみた」という使い方が起源であると思われる。
現在でも古参ユーザーの間で文頭に置いたり、一文を単独記号で区切って文節を表す記号として利用される例が見られる。
削除された方針[編集]
どれもケースBだが、削除された経歴がある。
Wikipedia:削除依頼*4[編集]
jawp:Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/ヤング・コンポーザーズ・ミーティングやjawp:Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/DEATH NOTE20061007のこと。一覧の一覧の一覧の一覧に及ぶ、名前がすごい削除依頼。どうやら前者は「独自研究の削除依頼に書き込まれた誹謗中傷の削除依頼に書き込まれた不適切な利用者名の削除依頼に書き込まれた不適切な利用者名の削除依頼」、後者は「転載記事の削除依頼に書き込まれた転載の削除依頼に書き込まれた個人情報の削除依頼に書き込まれたケースB案件の内容の削除依頼」だったそうだ。jawp:Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:削除依頼/宮城県仙台第一高等学校は、ほかと違って「個人情報の削除依頼に書き込まれた個人情報の削除依頼がナンセンスだとして提出された削除依頼を削除するためのもの」である。なお、2021年末、これを限界まで積み重ねたものが誕生した。
Wikipediaの記事をEnpediaが救う[編集]
エスケープ転載ではない。削除依頼中にEnpediaの記事がWikipediaに移入され、存続の方向となった記事がある。GFDLはどうなった
wikipediaにもあった自己言及的なページ[編集]
Wikipediaはジョークは、削除されたユーモアとナンセンスに置かれてしまうが、一般的な記事としても良質なで、珍項目としても選考されたことがある記事がある。それが「正誤表」のこの版だ。現在では、jawp:正誤表にある通り、このユーモアは見られない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
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