アンサイクロペディアン
アンサイクロペディアン(Uncyclopedian)とは、アンサイクロペディアの利用者たちが自らを称する際に用いる肩書き。ここでは主にアンサイクロペディア日本語版の利用者のこととして解説する。
一般には普及していない呼び名(ウィキペディアの記事にも一語も載っていない)なので外部者が用いることはあまりなく、故に「あいつら」「あのサイトの連中」などのように呼ばれることの方が多い。逆に言えば、「アンサイクロペディアン」という言葉を用いる人は、アンサイクロペディアにおいて一定以上の参加経験があるものか、その内容をよく見ているものだと見なしてほぼ間違いない(ただし、「ウィキペディアン」のような概念を知っているものが、それに倣ってアンサイクロペディアンという言葉を用いるケースもある)。
一次資料[編集]
最初はウィキペディアンという概念(ウィキペディア英語版で2001年11月に記事が作られた)に倣って生まれた言葉と思われる。そして、アンサイクロペディア英語版では2005年9月10日に「Uncyclopedian」という記事が立てられ、ナンセンスに満ちた文章でその詳細が解説された。その後、2006年10月15日に日本語版でも利用者が「アンサイクロペディアン」という記事を独自に執筆したが、英語版とは似ているようで全く異なる解説を行っているところが見どころだ。
まず、英語版アンサイクロペディアの解説では、第一に「アンサイクロペディアン」をネットサーフィンの概念に倣ってサーファーだと解説しており、第二には主にアンサイクロペディアンとそうではない「kook」(「なんちゃってサーファー」の意)の分類について触れている。それによると、「アンサイクロペディアン」とはアンサイクロペディア利用者の中でもアカウント登録を済ませた人々のみを指す言葉であって、それ以外の偽者は未登録利用者やウィキペディアの利用者だとしている。ただし、ウィキペディアについては字数の無駄遣いとしてほとんど触れておらず、一方で未登録利用者をかなり否定的に扱っているのが読み取れる。
方や日本語版の記事では、英語版とは異なり喩えを用いてはおらず、冒頭から自身らを「賢者」などと称して徹底的に礼賛している(冒頭と本文で二度もユーモアのある人々だと自賛している)。また、基本的にウィキペディアンと対比的なものとして「アンサイクロペディアン」を定義している文面が多く、そのためにウィキペディアンを「奴隷」「ヤクザ紛い」「危ない人」などと何度も貶している。両記事ともサイトの方針に従って行動できる「アンサイクロペディアン」を肯定的に表現し、その行動を詳細まで解説しているところは同じだが、日本語版の解説は特にアンサイクロペディアへの帰属意識(依存心)、ウィキペディアへの敵意を強く感じさせる。
特徴[編集]
当然ながら、上記の一次資料は「アンサイクロペディアン」の実態を忠実に解説するものではない。しかし、アンサイクロペディアに勢いがあった時期(だいたい2008年とかその辺りと思われる)、「アンサイクロペディアン」がアンサイクロペディアに対する帰属意識、ウィキペディアに対する敵対心を持つ傾向があったのは確かである。
ただ、「アンサイクロペディアン」とウィキペディアンの基本的な性格にさほど違うところはない。両者の間で執筆される記事の方向性が全く異なるのは基本方針が違うから当然のことであり、どちらも既定の方針やサイト全体の方向性に従うことが求められる点は全く同じである。むしろ、アンサイクロペディアの利用者は「馬鹿にならずにバカバカしくやる方法」(UN:HTBFANJS)というガイドラインを遵守することが常に求められている風潮にあり、基本的にユーモアを扱うにあたっても非常に保守的で秩序・統一性を求める人々である。ゆえに、個性的なユーモア、前衛的なユーモアは稀にしか見受けられない。
また、「保守的」だというのはかなりオブラートに包んだ表現であり、彼らがウィキペディアンを貶す際に用いる「頭の固い人たち」という表現も彼ら自身にも少なからず当てはまるところがある。以下はその例である。
- そもそも、前述の「馬鹿にならずにバカバカしくやる方法」というガイドラインとは、実は英語版アンサイクロペディアのガイドラインをほとんどそのまま翻訳して持ってきただけのものだった(ちなみに翻訳したのはウィキペたんの作者でエロ漫画家として知られるKasuga)。というのも、この翻訳元のガイドラインというのは、英語圏でネタと称して書かれることの多い陳腐な文章の傾向を踏まえて書かれたものであり、そのまま翻訳して日本語版に持ち込んでも全く役に立たない箇所が多々あったのだ。また、冒頭で「out of」の意味を致命的に誤訳した、全く意味の通らない言葉を載せたまま長年放置されていた点もツッコミどころだ。近年になって若干の改善が加えられたとはいえ、そもそもは翻訳して輸入するよりも日本語版で独自にガイドラインを作る必要があったと考えられる。
- 10年以上前の全盛期から時間が止まったままになっている。システムの性質上、一度書かれた文章は削除されない限り半永久的に残り続ける。そこで、現在ではほとんど通じない時事的なネタ、馴れ合い色の強い内輪ネタ、使い古された定型ネタもまた残り続けるのに対して、それに対する自浄能力をほとんど持たないのである。外部では「昔は面白かったサイト」「今見るとすごくつまらない」「そもそもまだあったんだ」との評価を受けることも少なくない。だがそういった要素は少しずつではあるがユーモアに飢えた削除主義者共によって排除されつつある。
- 全盛期には「アンサイクロペディアン」の個々人をエロゲヒロイン化するという内輪ネタが流行っていた。今見ると、載っている名前は現在の常連利用者からしても誰だか分からないような連中のものばっかりだし、はっきり言って激寒だが、このような内輪ネタが歴史的価値を持つものとして現在も
人々の忘却の彼方に沈んでいる大切に保持されているのである。傍から見ればドン引きだろう。ちなみに、ウソペディアにおいても同様の動きがみられる。 - 一番の例としては「とっさの一言テンプレート」なる定型ネタが挙げられる。アンサイクロペディアンは何かものを言うとき、面白いオチに困ると話を途中で途切れさせて禁則事項ですや、Nice boat.などという定型文で文末を適当に濁す傾向がある。しかし、前者は『涼宮ハルヒの憂鬱』という10年以上前のアニメの台詞、後者はそれより前の『school days』に関するネットスラングであり、しかも大して普遍的な話題性のある台詞でもない。なぜかこんな陳腐な表現をみんなが揃いも揃って真似し多用していた上、他の陳腐なネタについても挙げていけばキリがないほどであった。
- 全盛期には「アンサイクロペディアン」の個々人をエロゲヒロイン化するという内輪ネタが流行っていた。今見ると、載っている名前は現在の常連利用者からしても誰だか分からないような連中のものばっかりだし、はっきり言って激寒だが、このような内輪ネタが歴史的価値を持つものとして現在も
(例)なお、hydeの身長はお察し下さい
(例)なお、現在のアンサイクロペディアは過疎化の一途をたd検閲により削除
ちなみに、現在ではこれらのテンプレートはある運動によってほとんど廃止されている。
更に、鬱陶しいという理由で約半数のメッセージテンプレートも2023年に廃止された。
こんなものも[編集]
というか下手すればMediaWikiのフォーマットはネタサイトの構築に全く向いていないという恐れすらある。飽きたので以上である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
- ウィキペディアン - ウィキペディアンの中ではアンサイクロペディアにもアカウントを持っている利用者は少なくない。
- ウソペディアン - 保守的ではない。アンサイクロペディアンである利用者も多い。利用者が少ない為、この語が使用されるのは極一部である。
- ユアペディアン - ウィキペディアから追放された者が多数を占めるため、サイト内では誹謗中傷記事が存在する。
- エンペディアン - 当サイトの利用者を指す。
- 十二支ん - 元は『HUNTER×HUNTER』に登場する用語。
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