高島忠夫

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高島 忠夫(たかしま ただお[1]1930年昭和5年〉7月27日 - 2019年令和元年〉6月26日[1])は、日本俳優タレント司会者である。本名、高嶋 忠夫(読み同じ)[1]。血液型はO型。所属事務所東宝芸能。昭和を代表するスターのひとりである。

来歴[編集]

兵庫県神戸市出身。1951年(昭和26年)に新東宝の第1期ニューフェイス試験を受けて合格する[1]。このため、在籍中だった関西学院大学を2年で中退して上京1952年(昭和27年)には「恋の応援団長」でデビューする[1]。その後、江利チエミ雪村いづみら同世代の女優らと共に「青春ジャズ娘」「東京シンデレラ娘」など一連の音楽映画で共演して歌うスターとして名を挙げた。1956年(昭和31年)には「坊ちゃん」シリーズで主演して順調に俳優人生を過ごしていたが、1961年(昭和36年)に所属していた新東宝が倒産してしまう。この際、菊田一夫から「君はミュージカルスターになれるよ」と誘われて東宝に移籍した。そして映画「サラリーマン弥次喜多道中」などで藤木悠と組んでそのコンビは人気を集めた。1963年(昭和38年)には日本初となるブロードウェー・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」にヒギンズ教授役で出演して好評を集めた。

私生活ではテレビでの共演がきっかけとなり、当時宝塚のトップスターであった寿美花代と交際を開始し、昭和38年(1963年)に結婚し、昭和39年(1964年)には長男に恵まれるなど、順調な俳優人生を送っていた[1]。ところがこの後から波乱万丈の人生が始まる[1]

最初の波乱万丈は生後5か月の長男が当時17歳の家政婦に殺害されるという悲劇であった(高島忠夫長男殺害事件[1]。この事件は夫妻にとって衝撃で心痛だったが、何とか立ち直った。

1970年代から高島は軸足をテレビにシフトし、ドラマ「細うで繁盛記」の老舗旅館・山水館の板長役、愛妻・寿美と夫婦で司会を務めた料理番組「ごちそうさま」「クイズ・ドレミファドン!」の司会、「ゴールデン洋画劇場」の映画解説などを務めている。「クイズ・ドレミファドン!」では親指を立てながら頻繁に使ったフレーズである「イエーイ!」が代名詞になるほどで、アダルトチームの回答者としてレギュラー出演した「クイズ! 年の差なんて」ではヤングチームの出演者から高島の名前ではなく、「イエーイ!」と呼ばれているほどである。高島の司会はテンションが高くてスピード感のある進行が特徴的で人気を集めた。

ところが1970年代からは糖尿病が発症する。さらにパーキンソン病うつ病も発症して、俳優人生を順調に送りながら闘病生活も送らねばならなくなった。

1980年代後半には次男の高嶋政宏、三男の高嶋政伸が俳優としてデビューし、1993年平成5年)からは妻や息子2人と共にコンサートを定期的に開催している。

だが、1998年(平成10年)にうつ病が重症化してしまい[1]、そのために当時出演していた暴れん坊将軍などレギュラー出演番組4作品を降板せざるを得なくなり、以後は療養に努める。

2005年(平成17年)に次男の政宏がシルビア・クラブ結婚して京都で披露宴を行った際には出席し、家族全員で「イエーイ!」を披露して集合写真を撮影したりしている。だが、晩年には病状がさらに悪くなり、2010年(平成22年)には不整脈のため、心臓ペースメーカーを取り付けることになる[1]。その闘病の様子は2013年(平成25年)の「独占密着! 真実の高島ファミリー」などでたびたびテレビ紹介された。

2019年(令和元年)6月26日午後1時1分、老衰のため、東京都内の自宅死去した[1]。88歳没[1]。最後は妻に看取られながら静かに息を引き取ったという[1]。家族により6月27日葬儀が営まれ、所属事務所により6月28日にその死が公表された[1]

家族[編集]

出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

声優[編集]

著書[編集]

  • 高島忠夫の洋食劇場(旺文社1983年1月)ISBN 4010642416
  • 高島忠夫の守護霊のおかげです あなたを幸せにする“愛霊”の法(主婦と生活社1992年9月) ISBN 4391114801
  • 高島忠夫の忘れられない、あの一言(ごま書房1997年12月)ISBN 4341081632
  • 「うつ」への復讐 絶望から六年目の復活(光文社・2004年3月)ISBN 4334974384

音楽作品[編集]

  • パ・パヤ・ママ(1954年発売、ペリー・コモのカバー)
  • パパはマンボがお好き(1955年発売。ペリー・コモのカバー、金色仮面[注 1]とデュエット。江利チエミとの競作。金色仮面のSPレコード「スコキアーン」のB面曲)
  • 銀座の若旦那(1955年1月発売。新東宝映画「若旦那の縁談」主題歌)
  • ニッポン・トウキョー・ケ・サラ・サラ(1955年3月発売。金色仮面とデュエット)
  • アラビヤ新婚旅行(1955年4月発売。宮城まり子とデュエット)
  • マンボ息子(1955年8月発売)
  • 空の港は霧ふかく(1956年6月発売。築地容子とデュエット)
  • 波止場の人気者(1956年10月発売)
  • 貴方だけのブルース(1958年5月発売)
  • 東京ダーク・ムーン(1958年5月発売 作曲を担当 フランク永井への提供曲)
  • 白い小さなあのホテル(1958年11月発売。新東宝映画「新日本珍道中」主題歌)
  • 結婚しましょう(1959年1月発売)
  • キューバに上陸(1959年3月発売)
  • 二人だけのブルース(1959年3月発売)
  • 首ったけロック(1959年5月発売)
  • あの空だけは知っている(1959年5月発売)
  • 男の星座(1960年4月発売。新東宝映画『若社長と爆発娘』主題歌)
  • バナナの唄(1960年5月発売。朝丘雪路とデュエット。松竹映画『バナナ』主題歌)
  • 君はすばらしいつばさを持っている(『アンデルセン物語』挿入歌、朝日ソノラマ『アンデルセン物語』M-117に収録)
  • お父さん(1974年12月25日発売。堀江美都子とデュエット。テレビ朝日系列『土曜奥さまショー』より)
  • 人生まだ半分(1987年4月1日発売)
  • 約束-PROMESA-(1988年6月25日発売)
  • 東宝株式会社社歌(高島忠夫、草笛光子)作詞:佐原文吾 作曲:古関裕而

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 築地容子小林千代子が使用した変名。

出典[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l m n “高島忠夫さん死去 88歳老衰…お茶の間沸かせた名司会、98年うつ病発症”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年6月29日. https://hochi.news/articles/20190628-OHT1T50294.html 2022年1月1日閲覧。 
  2. 中日新聞』1973年10月20日テレビ欄
  3. “高島忠夫さん、老衰で死去 88歳 政宏&政伸兄弟の父”. スポーツ報知. 報知新聞. (2019年6月28日. https://hochi.news/articles/20190628-OHT1T50068.html 2019年6月28日閲覧。 
  4. <新番組「ライフ☆イズ☆家~イ!」製作発表>(2006年4月の写真)”. スポニチアネックス. スポーツニッポン (2019年6月28日). 2019年6月28日確認。
  5. アンデルセン物語”. メディア芸術データベース. 2017年10月6日確認。
  6. 吹替の力 ベン・ハー”. ワーナー ブラザース ジャパン. 2016年10月21日確認。

外部リンク[編集]